第23話 兆し②――ラステル視点

 ラステルです。


 ついに水晶池にやって来ました。

 けれども辺りの景色を見て、思い出してしまいました。


 わたしが水晶池を訪れるのは、これが最初ではなかったようです。

 ヴィラ・ドスト王国からアルメア王国へ亡命する途中で、シャシャ商会のエンリケさんと立ち寄った池でした。


 ここで、わたし達はホブゴブリン3体とゴブリン30体ほどの群れに襲われたのです。

 そのうちのホブゴブリンの1体にお腹を打たれたり蹴られたり、顔や首筋を舐められたり……。


 そして、わたしに向けられた下卑た紫色の目。


 あのときの記憶が、よみがえります。


 寒くもないのに身体が震え、足が前に出ません。

 わたしは、自分の両肩を抱きしめるようにして、膝から崩れしゃがみこんでしまいました。


 あのときのホブゴブリンの顔が、どうしても頭から離れません。


 ニィ。


 心配しているのか、シャノワさんがわたしを見上げて鳴いています。


「シャノワさん……、そうですね。アルメアボアが、出現しそうなポイントを探さないと……」


 そう言って、わたしは無理やり笑顔をつくりました。


 そして、なんとか身体の震えを抑えて立ち上がりました。

 しかし、足が震えて前に出ません。


(しっかり。しっかりしなきゃ。これでは、冒険者になれない)


 心のなかで、そう自分に言い聞かせました。それでも身体は、かたかた震えています。


 いつまでも、あのときの事を引きずっているようでは冒険者になれません。

 ゴブリンを見るたび、恐怖で動けなくなる冒険者なんていないでしょう。

 立って、立って歩かないと……。


 わたしは、かたかた震えている自分の足を見て言いました。


「動いて、わたしの足。動け……」


 けれども足は、ほとんど前に出ませんでした。


「動いてよっ! お願い、動いてえっ!」


 太ももに拳を叩きつけて、叩きつけて……。

 どんなに叩いても、足の震えは止まらず一歩も前に出ません。

 やがて力が抜けたようになり、ふたたびしゃがみこんでしまいました。


(どうして? どうして? どうして、わたしは、こんなに弱いの? 馬鹿で、弱くて、逃げてばかりのお嬢様……)


 自分に対する嫌悪の感情が、沸き上がってきます。


 その時でした。


 ―――ラ……ス………ル。ラ……ステ……ル


 わたしを呼ぶような声がします。


「……誰? 誰ですか?」


 辺りにはシャノワさん以外、誰もいません。


(まさか、シャノワさんではありませんよね? ネコが、人の言葉を話す訳がありません)


 けれども、なぜか、ほっとするような優し気な声です。


 一体、誰が?


 ―――ラステル。私の半身。いつも私は貴女と一緒だった。ずっと、貴女を感じてきた。貴女を見てきた。私のラステル。私の愛し仔。


「あ、貴方は……?」


 ―――向き合って。貴女の内に向き合って。貴女はあの日以来、自分の内に巣食う恐怖のみに囚われていました。弱い自分から、あの出来事から目を背けてきました。


「ち、違います。わたしは強くなるために、強くなって、守られるのではなく誰かを守る側になりたいの」


 ―――ええ。そして弱い自分を決して認めようとしなかった。自分の弱さを否定した。


「そうです。でも、それの何がいけないのですか? わたしは、わたしはは強くなりたいの。もう、逃げるのは嫌……」


 ―――強くなりたいのなら、誰よりも自分の弱さを知って。自分が、か弱い存在であることを認めて。そして、あの出来事に目を向けて。そこから決して目を背けないで。少しずつでいいから、あの出来事を思い出して。確かにあの時、あなたは命の危機に直面しました。けれど、あの時、貴女はここでなにかを失いましたか? むしろ、出会ったでしょう? 貴女が憧れる存在に。


「……」


 わたしはヴィラ・ドストから亡命するさい、ふたりの護衛騎士を失いました。この水晶池では、それまで書物でしか見たことのない魔物達に襲われて命の危険にさらされました。

 そんななかでも、出会いがあったのです。

 エンリケさん、地竜のスクナさん、そして剣聖アリス様……。


 確かに……、ここで失ったものは何もありません。

 それどころか……。



 そんなこと考えていると、ふいにガサッと茂みから何かが飛び出すような音がしました。


 そちらに顔を向けると、黒くて小さな獣が転々と転がっています。

 シャノワさんでした。


「シャノワさんっ!」


 どうやら、立ち上がる事すらできないほどの酷い怪我をしているようです。


(一体何が!? どうして!?)


 状況はよく分かりませんが、早く怪我の治癒をしなければ。


 わたしは、赤ん坊のように這ってシャノワさんの下へ行こうとしました。


 ガサガサッ、ザザーッ……。


 グギャ、クギャ、グキキキキッ!

 クキャッ、クキャッ!


 森から5体のゴブリンが飛び出して来ました。

 彼らはシャノワさんを取り囲み、なにやら飛び跳ねながらはしゃいでいます。


 これに続いて、森のなかから3体のオーガが姿を現しました。

 オーガ達は、わたしを見てこちらに向かって近づいて来ます。


 ふたたびシャノワさんの方へ視線を移すと、ゴブリンの1体がシャノワさんを見ながら棍棒を振り上げていました。


(何を!? ……まさか!)


 つぎの瞬間、


 ボグッ。


 そのゴブリンが止めを刺そうと、シャノワさんに棍棒を振り下ろし殴打したのです。


(ああっ! そんな……)


 棍棒を持ったゴブリンが、シャノワさんを覗き込んでいます。

 まだ、シャノワさんは生きているようです。


 ゴブリンはシャノワさんに息のある事を確認すると、ふたたび棍棒を振り上げました。


「いやっ、シャノワさん! だめ。やめてえっ!」


 わたしは手を伸ばして、叫んでいました。

 同時に周りの空気が大きく振動し、突風のようなモノが魔物たちの方へ向かっていくのが分かりました。


 それがシャノワさんを取り囲んでいたゴブリンたちと、わたしに襲いかかろうとしていたオーガたちを吹き飛ばしていたのです。


(こ、これは!?)


 ―――立って、ラステル。立って、友から贈られたその剣を抜いて。未だ微力なれど、私も力を貸しましょう。


 また、あの声が聞こえたかと思うと、わたしの全身から魔力が溢れ出してきました。

 身体の奥の方から、不思議と力が湧き出しくるような感じがします。


 わたしは、おもむろに立ち上がり吹き飛ばされたゴブリン達に視線を向けました。

 なにが起きたのか分からないオーガとゴブリン達は、尻もちをついたまま固まっています。


 わたしはゴブリン達を睨みながら、シャノワさんの方へと歩きました。


「「あなた達。シャノワさんから離れて」」


 近くで見ると、シャノワさんは身体中に傷を負っています。

 あまりの酷い状態に、わたしは胸が痛みました。


 わたしはシャノワさんを庇うようにして前に立ち、棍棒を手にしたゴブリンを睨みつけました。

 シャノワさんを殴打したゴブリンです。


 胸の奥の方から、いままでにない激しい怒りがこみ上げてきました。


「「……許さない」」


 わたしは腰にいていた童子切安綱どうじぎりやすつなを抜いて、横に薙ぎました。

 剣から放たれた真空の斬撃が、ゴブリンを一瞬でふたつの肉塊に変えます。


 そして、残りのゴブリン達を見ながら言いました。


「「ここから去りなさい」」


 怯えた表情のゴブリン達は、身体を震わせながら、ずるずると後退りしています。

 そしてわたし達に背を向けると、彼らは森のなかへと駆けて行きました。


 わたしを襲おうとしていたオーガ達にも視線を向けました。

 彼らも怯えた表情で、森のなかへと逃げ込んで行きました。


 シャノワさん!


 急いで治癒魔法をかけなければ。

 わたしは、ぐったりと倒れる彼を抱き上げて治癒魔法をかけました。


 聖属性特有の白い光が、シャノワさんを包み込んでいきます。

 なんとか治癒は間に合ったようです。

 シャノワさんの小さな命のぬくもりを感じながら、わたしはずっと腕のなかの彼を見ていました。


 シャノワさんの怪我が回復すると、彼を包み込んでいた光が静かに消えていきます。

 また、あの声が聞こえました。


 ―――ラステル、私のラステル。その時がきたら、また……。どうかその時まで……。


 わたしの身体から溢れ出していた魔力が、静かに消えていきます。

 下半身の力が抜けたようになり、わたしはシャノワさんを抱っこしたまま座り込んでしまいました。


 少しの間、ぼんやりと考えていました。

 わたしの身に、なにが起きたのでしょうか?

 あの声は、一体誰なのでしょうか?


(はっ、シャノワさん!)


 わたしは、腕のなかのシャノワさんに視線を落としました。


「シャノワさん、シャノワさんっ! ごめんなさい」


 シャノワさんを思い切りきゅうっと抱きしめて、彼の頭と首筋をなでました。


 きっと、シャノワさんが大怪我をしたのは、わたしが原因です。

 わたしが、こんなところで座り込んでいたからです。


 シャノワさんは、そんなわたしの頬っぺたをペロッと舐めました。


 慰めてくれているのでしょうか?

 それとも、お礼を言っているのでしょうか?


 シャノワさんは、本当に優しいネコです。

 彼は、つい先ほど命の危機にあったというのに……。


(立たなきゃ)


 少しだけ、ふらふらします。

 けれども、なんとか自力で立ち上がることができました。


 水晶池は、あのときと同じように青く澄んで水面に森の木々を映しています。


 そう、あの声……。

 ふと、お母様が話してくれたことを思い出していました。


「……あのとき、お母様が言っていたのは、こういう事だったのでしょうか? これが『兆しシントマ』?」


 お母様は言っていました。


 ラムダンジュの発現が近くなるにつれ、自分の内に別の魂の存在を感じるようになると……。

 それが「兆し」なのだと。


 胸の奥の方に、もうひとつ、わたしのものとは別の小さな鼓動ようなものを感じました。

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