第10話 男と女と

 魔装兵ギーガンとは、四天王の一角であり、勇壮な大鎧を自在に操る魔族だ。その攻防一体の鎧は凄まじい性能を持ち、ひとたび殴れば山を砕き、身構えれば攻城兵器すらも受け止めてしまう程。更には魔法も弾くとあって、戦い方次第では最強の座に君臨できるほどの才覚を秘めている。


 しかしそれも過去の事。彼女も復活を急いだために魔力が足りず、ご自慢の鎧を呼び出す事すら出来ない。よってリスケルの前に佇むのは細腕の姿である。


「こいつが、あのギーガン?」


「さよう。驚いたか」


「そりゃそうだろ! てっきり無骨なジジイが着てたもんだとばかり……」


「それはワシとて同意見よ」


 性別や年齢を誤認したのは、かつてのギーガンが素顔を隠していたからだ。普段も鎧の中から喋るので、くぐもった声色に聞こえたのも大きい。


 しかし今の彼女はどうか。滑らかで自然なウェーブのかかった青髪は、そのツヤ加減から宝石を散りばめたようであり、前髪で顔の左半分を覆っているのも妖艶さを増している。奥二重と長い睫毛から覗く瞳は、湖面のように穏やか。身にまとう黒セーターや灰色スラックス越しでも彼女の長い手足は隠しきれず、プロポーションの良さを無言で語るようだ。


 これが四天王ギーガンという淑女の現在の姿であった。


「陛下。これ、あったかい……」


 話題の人は、セーターの袖に手を這わせながら言った。こぼれる微笑みも可憐。思わず面食らう一同だが、その中でもセシルは割と速い順応を発揮した。その辺りはさすがに『魅了する側』の動きだった。


「ネイルオス様、ワタクシも感謝しておりますわ。それはもう家宝にしたいくらいですの」


 セシルは自分自身を抱きしめながら言った。深紅のポンチョは袖余りで、濃紺のスカートも腰紐が必須なのだが、ボロ服よりは遥かに適正である。


「確かにあったけぇよな。魔法でもかかってんのか?」


 リスケルも黒マフラーと、焦げ茶のマントを身にまとっている。たったそれだけの事で寒風を防ぎきってしまうのだから、彼には不思議でならない。


「魔法ではなく素材だな。火属性の獣を素材としているので、所有者の素養に関係なく自ずから熱を発するのだ」


「へぇ、便利だな。おかげで気分も爽快だ」


 リスケルはひとつ伸びをした後、腰をゆっくりと持ち上げた。カマクラの内から覗いた空は穏やかで、透き通るような青色をしている。


 ただし妙に視界が狭いのは降雪で埋もれかけているからだ。とりあえずリスケルは拳で雪を吹き飛ばし、出入り口を確保した。


「そんじゃ、まずは腹ごしらえだ。川魚でも釣ってくる」


「ではワシは森で探すとしよう」


「ネイルオス様、私達にもご命令を!」


 セシルとギーガンは、かつてのように邪神の前で跪いた。ここが城内なら様になる姿も、カマクラの中では喜劇的に映る。


「手伝いか。念の為に確認するのだが、空は飛べるか?」


「それくらい朝パン前ですの!」


 セシルは中腰になって両手に力を籠めた。籠め続けた。だが手足がブルブルと震えるばかりで、体は一ミリも浮き上がらない。


「なんて事ですの! 魔法が使えませんわ!」


「やはりな。そなたはギーガンと大人しく待っておれ。この積雪だ。飛翔できねば働きようも無かろう」


「陛下、ギーガンはやれる。雪くらい平気」


「待つのだ。自然を甘く見るな」


 ネイルオスが止めるのを聞かず、ギーガンは新雪に足を踏み入れた。深い。またたく間に両足は捕られ、つんのめった勢いで両手も埋もれていった。結果、形の良い尻だけが浮かんでしまう。


「陛下、どうしよう。ギーガンがこんな目に」


「だから言ったろう。良いから休んでおれ」


 ネイルオスはギーガンを引きずって救出すると、すぐに南の空へ向かって羽ばたいていった。リスケルも居残る理由はなく、人智を越えた脚力で飛び跳ねると、雪上に着地。そして足が飲まれる前に駆け足となり、ウサギよりも素早く駆け抜けていった。


 残されたセシルとギーガンは退屈そのものだ。手持ち無沙汰から、お互いの髪を編んではほぐし、また編むという事を繰り返した。微笑ましい光景。しかし見た目に反して交わされる言葉は生々しい。


「ねぇギーガン。どうやって聖者の小僧をブッ殺しましょうか」


 あるいはどうすれば人族を皆殺しにできるかなどと、うら若き女性には不似合いなものばかりが話題にのぼる。彼女たちの仕事熱心な姿勢は、力を失った今でさえも変わらないのだ。


 そうして穏やかな時間が過ぎるうち、辺りは大きな影によって暗くなった。


「セシル、ギーガン。いま戻ったぞ」


「お帰りなさいませネイルオス様!」


「おかえり。ギーガン、良い子だった」


 カマクラに帰ったネイルオスを、大幹部の2人が取り巻くようにして出迎えた。髪型をツインテールやポニーテールに変えながら。


「リスケルはまだか」


「オレも今帰ってきた所だぞ」


 リスケルはネイルオスの背後から声をかけた。ほぼ同じタイミングで帰還していたのだ。


「収穫はどうだ? ワシはキノコと枯れ枝を集めてきた」


「マジかよ。その様子だとかなり遠くまで探しにいったろ?」


「それはリスケルとて同じであろう。凍てついた川で魚など釣れるのか?」


「こっちは魚が2尾だ。ちょっと少ないけど、大きめだから半身でも十分だろ」


「よし、ならば火の準備だ。リスケルよ、雪を退けておくのだ」


「あいよ」


 リスケルはカマクラの外に出ると、地面に拳を当てた。そして存分に気合を込めて拳を振るい、足元の雪が天高く舞い上げる。そうして数メートルはあった積雪は吹き飛んでしまい、凍りついた大地だけが顔を見せた。


 それからリスケルは生魚を手刀で両断し、良く洗った木の枝を突き刺していく。ネイルオスの前では調理しない。以前、3枚におろした時にひどい目に遭ったからだ。風向きも計算に入れておく。カマクラの方へ血の臭いが伝わらないように。


「さて、今朝は御馳走だな。存分に腹が膨れるだろう」


「キノコも寄越せよネイルオス。一緒に焼いとく」


 ネイルオスの両腕には今も色とりどりのキノコが山を成す。食えるのかコレ、まぁ平気か。リスケルは何の警戒もせず、側まで歩み寄ったのだが。


「くっせぇ! なんだその臭い!?」


「ワシには分からんが。それほどにか?」


「ヤバすぎるだろ気づけよ! もしかして鼻でもやられたか?」


「やかましいですわねピィピィと。ヒナドリの真似かしら?」


「ネイルオスがくせぇキノコ拾ってきやがった」


「あぁ、イシュータケですわね。焼きがとても美味ですのに……これだから素人は」


「おい触んなって!」


 よせば良いのに、群がったセシルとギーガンはそれを手に取った。両手に包み込んではいただきものの様に拝み、そして臭いは伝染した。


「だから言ったろうが。お前ら全員ひでぇ臭いだぞ」


「馬鹿をおっしゃい。美女はいかなる時も臭くならず。フローラル臭しかしませんのよ、ねぇギーガン?」


「分かんない。美女って、なに?」


「超強い女の事ですわ」


「おぉ……じゃあギーガンも美女。すんごい美女!」


「お分かり? 聖者の小僧」


「馬鹿はお前らだ、この野郎」


「もう良かろう。口論はその辺にせよ」


 ネイルオスは溜息を漏らすと、キノコを雪上に置き、そしてフラリと歩いていく。かと思えばすぐに足を止めた。彼の前には、雪に半分埋もれた巨岩がある。 


「悪臭など水浴びで解決だ。川や湖でも事足りるのだが、皆には堪えるのだろう?」


「まぁ寒いしな、お前以外は助からないんじゃねぇの」


「だから風呂を用意する」


 そう言うなりネイルオスは爪を真横に一閃。さらには岩の切断面に拳を叩きつけて大穴を造った。それで石製の湯船らしきものが出来上がる。


 あとは氷魔法と炎魔法を準々に繰り出して豊かな湯で満たせば、露天風呂の完成だ。


「マジかよ、立派な風呂ができちまった……」


「湯加減はどうか。確かめてみよ」


「ギーガン、やる」


 長細い指先が湯の方に伸ばされ、触れる。それからはパチャパチャと水遊びでもするかのように戯れた。


「熱い。ちょうど熱い」


「問題ない温かさですわ。ネイルオス様、さっそく参りましょう」


「うむ。湯浴みなど久々だな」


「おいちょっと待て! お前も入るのかよ!」


「無論だ。ワシも臭うのだろう?」


「女と混浴だなんて羨まし……風紀が乱れるだろ!」


「何を勘違いしているのだ?」


 3人の冷ややかな目線がリスケルに刺さる。その空気にはたじろいだ。そして、まさかなと

は思いつつも、ギーガンという前例から信憑性を感じてしまう。


「ネイルオス、ひょっとしてお前も女の子……」


「ワシに性別は無い。ゆえにセシル達と風呂に入ろうとも問題なかろう」


「あぁそっちか。それにしちゃあ口調や仕草がオッサンめいてるんだが」


「しきたりだ。ともかくリスケルは外せ。貴様を前にしてはセシル達も嫌がるであろう」


「わ、わかった」


 釈然としない面持ちをぶら下げつつ、リスケルはその場を離れた。そして焚き火で調理を始めたのだが気になって仕方ない。リスケルの胸のウチは割と複雑だ。


 それでもとりあえずは、ネイルオスが女の子じゃなくて良かったとだけ思う。


「まずは飯の用意。それを食ったならスノザンナへ向けて出立だ!」


 リスケルは、内心とは真逆の清々しい笑みを浮かべつつ、まばゆい太陽を仰ぎ見た。

 

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