第5話 とりつくろいに汗をかく

 邪神の間は不意に訪れた静寂に支配されていた。ラスマーオ達は死闘の果てに傷つき、身じろぎすらしない。


 小砂利の落ちる音だけか響く中、真っ先に動いたのはリスケルだ。まずは安否確認。とっさの判断だった。


「大丈夫か、しっかりしろ!」


 リスケルが叫ぶと、倒れ伏す仲間は弱々しくも反応を示した。掲げられた拳に親指がピンと立つ。


「へへっ。どうにか生き延びたぜ……」


「傷だらけじゃねぇか、無茶すんなよ」


 見た目よりは元気そうな答えにリスケルは安堵した。しかしすぐに別の問題が頭をもたげてしまう。ラスマーオをどこか安全地帯へ、少なくとも邪神との密談が聞こえない場所へと誘導したい。


 すぐに移動を促そうとしたのだが、それは新たな絶叫によって妨げられてしまう。


「ネイルオス様に栄光あれーーッ!」


 断末魔の叫びとともに飛び込んできたのは、邪神の側近セシルだ。彼女は身体を玉座に激しく打ち付け、それからはピクリとも動かなくなる。激戦の末に力を使い果たし、全身は陽炎の向こう側へと消えた。これから長い眠りに落ちようというのである。


「さすがは幹部筆頭、恐ろしい魔力でした……」


 暗がりからエミリアが静かに現れた。杖を支えにして歩く様が痛々しい。


「おうエミリア。お前さんも勝てたのか」


「紙一重でした。そのため、魔力はひと握りも残されていません」


「オレもだ。もう立ち上がる気力すらねぇわ」


 だったら安全な場所に避難したらいい。それはリスケルだけでなく、ネイルオスも強く願うのだが。


「そんじゃあ、世紀の頂上決戦を拝ませてもらいますか」


 どうしてそうなる。2人とも同時に叫びかけるのを、ギリギリのところで踏み留まった。


「ダメだ2人とも。巻き添えを食って、今度こそ本当に死んでしまうぞ!」


 リスケルがそれらしい事を言う。しかし無情にも、仲間たちは首を横に振った。


「ここは敵の本拠地だ、安全地帯なんかねぇよ。弱いとはいっても魔族どもが襲ってくるんだぞ」


「私達にもはや戦う術は残されておりません。せめてお傍で行く末を見守らせてください」


「それとな、オレ達は死ぬ覚悟なんかとっくに出来てんだよ。巻き添えなんか気にせず思いっきりやれ!」


 それなら別室を用意しようと、ネイルオスは言いかけた。だがそれよりも先に、ゆっくりと迫る足音が室内に響き渡る。リスケルが決戦を挑もうとしたのである。


 どこか悠長で、しかし緊張感を煽る足取りに、辺りの空気は張り詰めていく。再び戦気が持ち上がってきたのだ。


(やべぇぞマジで。どうしたら良い……!)


 リスケルはとりあえず正面に剣を構えた。自身を壁にして、ラスマーオ達の視界を塞ごうとしたのである。一応は成功したものの、それも長続きするハズがない。


 そしてネイルオスも気が気でない。剣の全損が知られてしまえば、邪神の討伐失敗が知れ渡るのも時間の問題だ。そうなれば戦争は泥沼へと突入し、さらなる地獄がやって来る。彼は唾液を強く飲み込んで、絶望の未来を見た。


(ネイルオス、どうすんだ……!)


(ワシに妙案がある。合わせよ)


 ネイルオスは突然、人智を超える速度で跳躍し、リスケルとラスマーオ達の間に割って入った。彼の手には紅茶で満たされたティーカップがある。その場違いなアイテムは、彼自身の巨体によって観衆の眼にふれる事はない。それは刀身の無い聖剣も同じであった。


「グワッハッハ! 百年と生きられぬ短命の種族が死に急ぐなどと……笑わせるな! お望み通り冥府へと送ってくれよう!」


 ネイルオスの迫真すぎる演技が場を引き締めた。この気迫から、外野で眺める者たちも、まさか紅茶片手に演じてるとは思うまい。


(リスケルよ、ワシを斬れ。そしてすぐさま剣をしまうのだ)


 目まぐるしく送る視線には明確な意思が込められている。それを受けてリスケルもすぐさま理解し、頷き返した。この2人、短い時間を共にしただけなのに、抜群な連携を可能にしたのだ。


「邪神ネイルオス。お前の無法もこれまでだ!」


「来るか、聖者の小僧よ!」


「聖剣の力を思い知れ!」


 踏み込んだリスケルは、手元の柄を袈裟斬りに振った。


「こ、この力は……ギィヤァァーーッ!」


 対するネイルオスはかなり本格的だ。手元の紅茶を圧縮し、天井に届くほどの飛沫をあげた。そこそこ赤みがかった色味は、暗がりでは出血に見えただろう。


「これが聖剣オレルヤンの威力。邪神たるワシが、こうも容易く敗れようとは……」


 それからは膝を折り、その場に崩れ落ちた。リスケルはというと、視認できない速度で剣をしまい、布による縛めさえも完遂していた。


「みんな、勝ったぞ。オレ達の勝利だ!」


 放たれた宣言。しかしどうにも演技が臭く、うずくまるネイルオスは漠然とした不安を覚えた。だが今だけは動き出す訳にいかない。上辺だけでも絶命を取り繕い、人間世界を騙す芝居は続けるだけだ。


 しかしそんな涙ぐましい努力も、エミリアの言葉が一蹴する。


「リスケル様。安堵するにはまだ早いかと」


「えっ、どうして。邪神はこの通り倒したんだし……」


「古来より伝わる様子と違います。文献によれば、聖剣に打ち倒された魔族はあらゆる血肉を失い、魔力核だけの存在となるはずです」


「そうなのか!?」


 叫ぶリスケル。彼はあまり聖剣の効力に執着しなかったため、重要な事を失念していたのだ。


 これはやべぇぞ。小さく歯噛みをしつつネイルオスを見下ろしてみるも、魔力核に変身はできないらしい。身じろぎひとつ無い巨体を前に、リスケルは絶望と共に理解した。


(どうすりゃ良い……もう後には引けねぇぞ)


 気まずい静寂の中、いたずらに時は流れた。相談しようにも、エミリア達が片時も眼を離さないので密談する隙もない。そうして考えあぐねた結果、真っ先に動いたのはネイルオスだった。


「クックック。このワシに手傷を負わせるとは。なんとも忌々しき剣よ」


 ネイルオスはおもむろに立ち上がり、両手に魔力を込めた。向かい合うリスケルは、どこか笑ったような顔つきになる。


「クソッ、しぶとい奴め。何を企んでるんだ」


「聖者の小僧よ。こたびは貴様に勝ちを譲る。だが傷が癒えた頃、再び相見えようぞ!」


「そ、その光は!?」


 ネイルオスが射出した魔力により、宙に眩い光球が浮かんだ。転移魔法である。光に身を踊らせた巨体が遥か彼方へと消えた。


「待て、逃げるな!」


 リスケルは、オレも連れて行ってくれというニュアンスを込めつつ、同じ光に向かって飛んだ。彼もやはり同じ運命を辿る事になる。


 そうして取り残されたのはラスマーオ達だ。全力で虚を突かれた彼らは、光球の消えた室内で、ただ呆然と眺めるばかりになってしまった。

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