第6話 真夜中の来訪者

 とある山中の洞窟で、焚き火に当たる2つの影がある。見知らぬ者が見かけたら驚くだろう。なにせ敵同士である人族と魔族が向き合って腰を降ろしているのだから。それが大人物となれば尚さらだ。


「さみぃな。やっぱ北国の夜はキツイぞ」


 リスケルは尻を前に滑らせ、より炎に近づいた。


 対するネイルオスは壁を背にして腕組みをしたまま、思案顔を貫く。決戦の日が過ぎて数日。彼はずっと渋面を浮かべたままだった。


「とっさの判断で逃げてしまったが、果たしてこれで良いものか」


「どんな風に受け取られるんだろ。形の上では、人族の勝利になるのか?」


「邪神城は陥落。封印も、ワシが不在になった事で無効化された。おめおめと居城を奪われたのだから、そう捉えてくれるとは思う」


 邪神の逃走と城の落城を聞けば、魔族達は敗北を悟るだろう。それで戦線は縮小し、テリトリーに引きこもるようになる。あとは人族が攻撃の手を止めたなら、戦争終結は成ったも同然だ。


 そんな未来絵図は楽観的過ぎるか。


「そう上手くいくかな。お前の手下が暴れだす事になりそうだが」


「読みきれん部分だ。やはり戦を終わらせるには、ワシが倒されるべきなのだ。今となっては叶わぬ話だが」


「それにしても厄介だよな。魔力核だっけ、あれに固執されるとヤバイぞ。いくら口先で倒したと言っても信じて貰えないと思う」


「首の代わりに持ってこいと言うのだろう。討伐の証のつもりか」


「ちなみにさ、首をポロンって落とせたりしないのか? それを証拠に差し出せば、あるいは……」


「望むのなら聖剣で斬ってみせよ」


「そんなん無理だ」


「ではコチラとて同じだ」


 そこまで話し込むと、お互いに黙りこくった。明るくない見通しが言葉を奪い去る。それからは、チリチリと燃える薪木の音が響くばかりだ。


「説得、かなぁ」


 静けさの中、リスケルがぽつりと漏らした。


「説得だと。誰をだ」


「権力者だよ。人族の王様とか、各地の魔族を束ねてるリーダーとか」


「どのようにする?」


「利害を説けばいけるかなって。そして、他に選択肢はないと思う」


「ムゥ……。その線はほぼ不可能だろう。幾年も争い続けた間柄だ、恨みも半端ではない」


 人族と魔族は何代にも渡って争い続けてきた。これまでも、魔界を統一した邪神と聖者が雌雄を決し、聖剣によって封じてきた過去がある。邪神を封じる度に戦争は終わるので、休みなく戦い続けた訳ではないが、先祖代々から刻まれた歴史は決して軽くない。


「困難だからって諦めんのか。だったら絶滅するまで殺し合うだけじゃねぇか」


「……具体的にはどう進める?」


「オレが人族を、お前は魔族を相手に説得する。分かりやすいだろ」


「根気強く説き伏せる……か。戦争終結には、それしか道は無いのやもしれん」


「じゃあ決まりだな」


 話がある程度まとまると、どちらからでもなく横になった。しばらくして、ネイルオスの重たいイビキが、洞窟の奥から聞こえるようになる。


 一方でリスケルは簡単には寝付けない。やかましさもそうだが、胸に刺さる痛み、罪悪感が眠気を遠ざけるのだ。


 理由は考えるまでもなく、聖剣をへし折った事である。今まで順調に、まさしく破竹の勢いで続いた快進撃は、この痛恨の一手によって八方塞がりとなったのだ。


「それにしてな、どうして皆こんなもんを崇めるんだろ……」


 リスケルは壁に掛けられた聖剣をチラリと見た。それは修復などされず、今もな鞘の中で眠り続けている。


 そもそも聖剣とは邪神を打ち倒す為に造られた一振りの剣だ。精霊神の加護が備わり、意匠も美しくきめ細やかにしつらえている。本来なら見惚れるものだが、何故かリスケルだけは異なり、手にした瞬間など怖気が走ったものだ。何者かの意図が感じられたようで。


 その時抱いた悪感情が、やがて馬鹿げた実験に誘い、そして破壊してみせた。修復の方法は知らない。そもそも他人に打ち明ける事すら出来ない。


「あいつらが知ったらどうなるかな。ラスマーオにはブン殴られそう。エミリアには……」


 リスケルはエミリアの笑顔を想い浮かべた。それが冷たく歪み、侮蔑のものに変わるのを想像すると、慌てて首を横に振った。とてもじゃないが打ち明けられない。たとえ苦楽を共にした仲間であってもだ。


 夜半に考え事は良くない。大抵は悪い方へと傾きがちになるからだ。リスケルもそう思い直し、ゴロリと横になって寝入る気になったのだが。


(うん? 誰か来たのか……?)


 ふと、暗がりに動く影が浮かんだ。ネイルオスではない。妙に小柄である事から、子供だと察しをつけた。


「キミ、こんな時間にどうしたんだ」


 話しかけてみると、小さな体がビクンと跳ねた。かすかな息遣い。その気配だけでも怯えているのが分かる。


「怖がらせる気はなかった。お父さんやお母さんは?」


「……おりませんわ。その代わり、主人がおりますの。はぐれてしまったので探し回っているのですわ」


 リスケルは顔をしかめた。声の様子からして幼い少女に違いないのだが、主人が居ると言う。その年齢で奴隷なのかと思い、胸の内はやるせなさで沈み込んだ。この年不相応の口調も、その主人とやらが強制しているのだろうと察しがつく。


「それはそうと、お腹は空いてないかい? 良かったら川魚があるんだけど」


「本当ですの? 実は昨日から何も口にしてなくて……」


「じゃあ分けてあげよう。今、明かりを点けるね」


 リスケルは熾火(おきび)に枯葉や木の枝を追加した。すると洞窟の中は暖色の光で染まり、眼に痛いくらい眩しくなる。そうして見えた少女の姿はというと、袖余りのローブを着込み、肩から足元までをすっかり覆い尽くしている。その姿も歳に見合わないと感じられた。


 だが身なりよりも不審なのは、その態度だ。10歳に満たないだろう幼い瞳は異様なほどにクワと開き、まるで仇でも眼にしたようになり、大声を洞窟の端々にまで響かせた。


「あぁーーーッ!」


「えぇーー、何、何!?」


「き、き、貴様は聖者リスケル!」


「オレを知ってるの? 初対面だよね?」


「おのれ、まさかこのような僻地に隠れ住んでいようとは!」


 少女はそう叫ぶなり襲いかかった。しかし不意打ちとはいえ、細腕の少女による攻撃である。いかに拳打を浴びせようとも戦力差は雲泥の差、全くダメージが通らない。まるでポカポカとでも擬音が聞こえてきそうな程にささやかな攻勢であった。


「やかましい。夜中に騒ぐのはよせ」


 ネイルオスは奥の方からのっそりと姿を見せた。それを目の当たりにした少女は、巨体を凝視して固まる。傍目からすると恐怖に怯えたようでしかないのだが、事態は予想だにしない方へと転がっていく。


「ネイルオス様、ご無事で何よりでございます!」


 少女はキレイな動きで平服した。子供とは思えぬ滑らかな仕草で。


「その気配は……もしや、セシルなのか!?」


「はい、四天王がひとりセシル。ただいま参上いたしましたわ!」


 この言葉にはネイルオスだけでなく、リスケルも言葉を失い、立ち尽くした。邪神軍の幹部筆頭を名乗る少女はあまりにも幼く、ありし日の妖艶な姿から遠すぎるからだ。


 だがセシルはそんな困惑など気にも留めない。敬愛する主人との再会に、激しく涙を流し続けた。

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