第7話 知恵袋を迎えて
セシルとは、邪神軍四天王の筆頭格であり、参謀役を務めるほどの人物だ。そして凄まじいまでの魔法の遣い手でもある。
先日はエミリアと死闘を演じた末、惜しくも敗れてしまったのだが、魔界でも指折りの魔術師である事に疑いはない。性格の残忍さも手伝って、一部では彼女の事を「鮮血魔女」と呼び、心底恐れられる。
「それにしてもセシルよ。その姿はなんとしたことだ。手足に血が滲んでおるではないか」
「お目汚し、申し訳ありません。魔力の不足から浮遊も出来ず、歩き通しでしたの」
容姿はというと、妖艶かつ扇情的と有名だった。足にかかるほど長い黒々として艷やかな髪。普段は質素なローブに身を包むが、いざ決戦となれば衣服を脱ぎ去る奇癖を持つ。その強さと妖しさは、敵味方問わず視線を釘付けにしたものだ。そんな彼女も齢は500歳を超えるとされており、見た目に反してかなりの高齢で、魔族という種の神秘さが垣間見えるようである。
「その服は愛用のものか。サイズが合っておらんな」
「目覚めると身体が妙に縮んでおりました。しかし衣服など小事。ネイルオス様の御身が第一ですわ」
だからリスケルは驚かされる。この10歳かそこらの儚き少女がセシルだと信じられないのだ。薄汚れた黒い布で全身を包み、髪はボサボサで手足の先まで汚れている姿が、どうにも記憶の姿と一致しなかった。
「コイツがあのセシルだっていうのか。完全に別人じゃねぇか」
「説明し忘れていた。我ら魔族は命を落とすと、魂をそのままに眠りにつくのだが」
「それは聞いた事がある。基本的には不滅なんだってな」
「その眠りというのが重要だ。寝入った期間が長ければ長いほど、力が強まる仕組みになっている」
「そうなのか!?」
「災厄や神格クラスの強者は千年単位を寝て過ごすだろう。あれはそういう意味だ。そして邪神が数千年後に復活するのも、封印を超える力を蓄えるからだ」
リスケルは眼から鱗の心地になった。そしてすぐに思い至るのは、逆の選択肢を選んだパターンである。
「じゃあ、コイツが小さい子になったのは……」
「セシルよ。そなた、わずかな日数で目覚めたな?」
「ネイルオス様の御身が危ういのに、ワタクシだけが眠りこけるだなんて!」
甲高い声で台詞の後半を滲ませると、ネイルオスの胸に飛び付いた。その様は父と娘か。いや、見た目通りに表現すれば、巨獣と少女が正しい。
それからも泣きじゃくるセシルをよそに、リスケルとネイルオスは視線を重ねた。どうすんだこの展開。口に出さずとも、感じた事は同じだ。
面倒な事になった。そう思ったのは、第三者を迎え入れた事もそうだが、とりあえず目先のトラブルへの対処を強いられた為である。
「それはそうと聖者の小僧め、実に目障りな。貴様などワタクシの手で酷たらしく殺してやりますの!」
「待てよオイ。オレはネイルオスと敵同士じゃなくなったんだ」
「ではどんな関係だと? まさか恋仲にでも」
「それも違うぞフザけんな」
「人族風情が。ネイルオス様を籠絡(ろうらく)しようだなんて千年は早くってよ!」
「少しは話を聞けっつの!」
なおも暴れようとするセシルを、ネイルオスが抱きとめて抑え、リスケルと共に根気強く説得を重ねた。飛び散るツバに滴る汗。初めは狂犬のような敵対心を露わにした彼女も、話を聞くうちに冷静さを取り戻していった。
「なるほど。そのような事情が……」
全てを知ったセシルは深く頷いた。ちなみに外の様子はというと、すでに陽が高く昇り、さんさんとした日差しが届いていた。日中を迎えた頃になって、ようやく一区切りがついたのである。
「理解してくれたようで嬉しいぞ。夜通しで語り明かした甲斐があったというものだ」
「しかしながらネイルオス様。これは我らにとって千載一遇のチャンスでは? 聖剣なき人間など恐れるに足らず」
リスケルはドキリとした。その部分についてはネイルオスと詰められていない。
「セシルよ。チャンスと言うがな、人族とてカカシではない。国が有り、規律も正しく、そして国軍が健在だ。残りの兵をかき集めたとしても、勝てるかどうかは怪しい」
「ですが聖剣はもう無いのです。つまりはネイルオス様を阻むものが無いという事。大陸の端から端までご足労いただき、即死魔法を振りまいていただければ十分でございますわ」
「振りまけってお前……」
えげつない作戦だとリスケルはうんざりした。ネイルオスの方を見れば、そちらも露骨に顔をしかめている。
「念の為問うが、ワシにどれほど殺戮させようというのだ?」
「ザッと見積もって、5百万ほどの人族を殺していただければ十分かと思いますの」
「ご、ごひゃ……オェェーーッ!」
哀れネイルオス。山のように積み上がった死体を想像し、予告なしに胃液を吐き散らした。
「オイふざけんなよ。ネイルオスがこんなんなっちゃっただろ!」
「ネイルオス様、お気を確かに。これは真の邪神となる為の試練ですわ」
「うっせぇ。こいつは病的なまでに繊細なんだよ知ってんだろ!」
「あぁ、おいたわしやネイルオス様……」
「お前のせいだかんな」
キラキラしたものが吐かれる事しばし。一区切りついたネイルオスは、荒い息とともに答えた。顔色は青ざめているものの、声色に確かな芯が感じられる。
「セシル。作戦を理解できたが、それはならん」
「なぜでございますの。必勝の戦法ですのに」
「我らの目的を見失うな。魔族の望みは平穏な暮らしであって、他者の屈服ではない。先住民である人族を滅ぼすのは認められん」
「しかし、それでは……」
「そもそもだ。邪神自らが最前線で戦い、虐殺など企んでみよ。天魔族どもが黙っているとは思えん。さすがの連中も重い腰を上げざるを得んだろう」
「天魔族?」
リスケルは場違いにも疑問を口にする。すかさずネイルオスが、精霊神と眷属の別称だと補足した。
「分かったかセシルよ。達成すべき目標を見失うな」
「承知しましたの。そこまでお考えでしたら、ワタクシに言葉などありませんわ」
セシルがうなだれて黙りこくった。静寂が重たい。
「お水を汲んできますわね」
セシルが近くの小川へ立ち去ると、ようやく洞窟内の緊張が緩んだ。
「おいネイルオス。あんな危ない奴はどっかに預けようぜ」
「そう言うな。力を失くしてはいるが切れ者だぞ」
「オレは連れて行くのには反対だ。魔界のどこかに送れねぇのか?」
「それよりもだ、これからどうする。説得工作を始めるのだろう?」
「そうだな。予定は狂ったけど、すぐにでも動こうか。最寄りはスノザンナっていう国なんだが……」
2人が予定を決めようとした、まさにその時だ。遠くの方から、手桶が落ち、水のばら撒かれる音が聞こえてきた。さらには何者かの怒号までもが混じっている。
「何だ今のは?」
「行くぞ。セシルの身が危ういかもしれん」
リスケル達は急ぎ洞窟の外へと飛び出した。丘を通り過ぎると小川があり、セシルの姿も確認できたのだが。
「おい、どうしたんだ!」
彼女はというと、河原で勇ましく身構えていた。応戦の姿勢である。そして、彼女の視線の先には、上り坂を駆けあがろうとする集団が見えた。にわかに出現した人族達は、手元にクワや棒切れなど不揃いの武器を携えていた。
「うおおお! 美少女だ、とんでもねぇ美少女がいるぞ!」
「こんなカワイイ子見たことねぇぞ!」
「ぜひともウチの養子に!」
「いやいやアタシの嫁に!」
口々に叫ばれるのは、不自然な熱気のこもる言葉ばかり。リスケルは訳が分からず四方を見るが、ネイルオスには心当たりがあった。
「そうか、魅了の性質だな」
「何だそれ?」
「セシルの魂は魅了という特性を持つのだ。本来であれば魔力にてコントロールするものだが……」
「もしかして、今はそれが出来てない?」
「そうとしか考えられん」
半狂乱の人々がセシルの目前にまで迫る。しかし彼女は退くどころか、腰を深く落として拳を握りしめた。まだ四天王時代の気分が抜けていないのだ。
「危ないセシル!」
リスケルはセシルに飛びつき、転がりながら魔手から逃れた。
それでも悪漢たちは執拗に追いかけ、少女を我が物にしようと企む。そしてセシルも離せと言わんばかりに激しく暴れ、事態の収拾は困難を極めた。
「ネイルオス、受け取れ!」
リスケルはセシルの身体を天高く投げ上げた。すると待ち受けたように大きな腕が抱き止め、そのまま滞空した。
「セシルよ。災難であったな」
「お見苦しい所をすみません。今すぐに片付けて参りますわ」
「良い、捨て置け。それよりもそなたの力を封じねばなるまい」
ネイルオスは爪先をセシルの額に当てると、魔法を唱えた。やがて黒い霧が波紋のように小さく広がり、消えた。
「よし。これで当面は問題なかろう。無用なトラブルも起きぬはずだ」
眼下の状況もその言葉通りになった。あれほど騒がしくしていた人々は、急に冷静さを取り戻したのである。
「あれ、どうしてこんな所に……?」
手にした武器も覚えがないのか、首を傾げながら見つめるばかりだ。そんな折、彼らのうちの1人が大声で叫んだ。
「もしや、貴方は聖者様では!?」
「あ、あぁ。そうだけど」
「まさかこんな片田舎でお会いできるとは、ありがたやぁ」
「村長に報告だ、全力でもてなすぞ!」
雲行きが怪しくなるのを、リスケルは身振り交えて止めた。
「待ってくれ。オレは旅の途中で、そりゃもう急いでんだ。邪神討伐っていう大事な役目があってさ」
「それは残念です。ではせめて、ここに碑を立てても宜しいでしょうか?」
「うん、まぁ、それくらいなら」
「この獣しか通らないような小路も聖者通りと名付けて良いですか?」
「あぁ、良いと思う」
村人たちは熱狂してリスケルに詰め寄った。武器を手にしていない分、先程よりはマシであるが。
「足元の小石は聖者石としましょう」
「この果実も聖者の実にしようぜ、ご利益がたんまりあるハズだ」
「おい、あっちに洞窟があるぞ。聖者の洞窟って名付けよう」
「そうと決まれば突貫工事だ。このクソ田舎を一大観光地に作り変えるぞ!」
「オォーー!」
これはどうした事か。とんとん拍子に話は進み、村人たちは謎のやる気に満ち溢れた。
参ったのはリスケル達である。仮住まいの洞窟も居座ることは出来ず、その日のうちに旅立つしかなかった。なし崩し的にセシルも伴う形で。
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