第8話 人間側の事情
大陸東南部にはグラナイストという名の国がある。他国を圧倒するほど強大であり、実質、人間世界の支配者とも言える権勢を誇る。各国の王もグラナイストにだけは逆らわないよう、神経を尖らせるものだ。
そのグラナイスト王が待つ謁見の間にて、来訪者として跪(ひざまず)くのは、邪神の城から生還したラスマーオとエミリア。本来なら結界により脱出不可なのだが、主が不在の城は拘束力など微々たるものになっていた。
「よくぞ戻った。面をあげい」
凛と響く声が促す。壮年の王は覇気こそ衰えているものの、為政者らしい強さは健在だった。
「2人とも誠に大儀であった。あの忌々しき暗雲も晴れたと報告が入っておる」
「お褒めにあずかり光栄でございます」
エミリアが静かに返した。かしこまった場では彼女が答えるのが常で、一方のラスマーオは置物の様に大人しくなるばかり。
「邪神の討伐は成ったという事か。では、さっそくだが邪神の魔力核を見せてもらおうか」
「陛下。唐突な申し出、大変恐縮ではありますが、騎士団の一隊をお貸しいただけませんでしょうか」
「騎士団を、なにゆえだ?」
いぶかしむ王に対し、エミリアは湧き出る清水のごとく、とうとうと経緯について説明し始めた。
敵軍は壊滅させた事、邪神には深手を負わせたものの逃げられてしまった事。そして、聖者リスケルだけが1人追跡し、その行方は知れないという事を。
「ふむ。事情は理解した。しかし兵を貸し与える訳にはいかぬ」
「……何故でございましょう?」
「邪神の軍は壊滅したとは申せ、大陸の各地には残党が隠れ住んでおる。その脅威に対し、防衛策を講じねばならぬのだ」
「しかしながら、聖者様を失うことになれば一大事です。今もなお、あの方は孤立し、奮戦されてるのですよ」
「あの青年ならば心配無用だ。かの聖剣を持つ男なのだからな」
「ですが……」
ここで焦れたマスラーオは、勢いよく立ち上がり、声を高ぶらせた。
「王様! 別に何千も貸してくれなんて言ってねぇ。5百、いや3百くらいで良い。リスケル探しを手伝ってくれよ!」
「無礼者め! 陛下の御前であるぞ」
ラスマーオの非礼は側近によって咎められる。だが、王本人は眉を潜めた程度であり、それほど気分を害した風ではなかった。
「構わぬ。この男は礼儀を知らぬだけだ」
「……差し出がましい真似、どうかお許しを」
鋭い眼光を向けられた側近は、顔が青くなる。それから胸の前に掲げた握り拳をもう片方の掌で包み込み、深く頭を下げた。最大級の拝礼と詫びである。
「ともかく兵は出さぬ。そなたらは急ぎ聖者と合流し、邪神を討ち果たすのだ。ヤツの魔力核とともに戻った暁には、厚い恩賞をもって報いよう」
エミリア、姿勢を正したラスマーオも、跪いたまま動こうとはしなかった。無言の反抗である。
「また、王命に背けば、予期せぬ不幸が起きるであろう。精霊師の里、それとロトガナの村だったか」
「それは脅迫のおつもりですか?」
「滅多な事を申すな。あくまでも、不幸だ」
静まり返る謁見の間に、杖のきしむ音、そして歯ぎしりが鳴り響く。小さいが、それは確かに鳴った。
「この野郎、さっきから好き放題言いやがって! 人の事をなんだと……」
「陛下、承りました。御命に従います」
「おいエミリア!」
「聞き分けが良いのは結構。では行くがよい」
「失礼します」
「待てよ、勝手に決めんな!」
激しい怒気に耳を貸そうともしないエミリアは、そのまま静かに退室した。ラスマーオは前後に顔を向けた挙げ句、結局は仲間の後を追う事を決めた。
「なぁ考え直せよ。こんな横暴、許して良い訳があるか? 連中は手を貸さねぇどころか脅しまでかけてんだぞ」
ラスマーオが百の言葉を重ねて説得を試みるが、エミリアの足取りは変わらない。スタスタ、スタスタと城門を通り過ぎ、やがてひと気の無い街道まで辿り着いた。
「今からでも遅くねぇから。もう1回交渉しようぜ」
人気の無い道の上、エミリアはようやく足を止めてラスマーオの言葉に答えた。
「ラスマーオさん。私達が、そしてリスケル様が選ぶべき道とは何でしょう。何を目指せばよいのでしょうか」
「そりゃ、まぁ。リスケルと一緒に邪神の野郎をブッ倒してだな」
「いいえ。それは違います」
エミリアの瞳に冗談の色は無い。ラスマーオは真剣なのだと理解し、ツバを飲み込んだ。
「間違いだってのか?」
「邪神を葬ってしまえば、次は私達が討たれるかもしれません。王にはその意思があると、精霊が教えてくれました」
エミリアが空いた手を差し出すと、綿毛のような光が現れた。それは遊ぶようであり、どこか見守るようにも見えた。
「確かにヤベェ気配がしてたよ。でも、流石にそこまでは」
「王にとって私達は邪魔者なのです。リスケル様の名声は大陸中に轟いており、王のそれを遥かに凌ぎます」
「待て待て。オレ達が良く思われてないってのは分かる。でもよ、言っちゃあ大陸最強の3人なんだぜ? 殺されるどころか、簡単に返り討ちにできるだろ」
「魔力核」
「へっ?」
エミリアは、ラスマーオの気の抜けた返答には答えず、手元の杖を掲げた。すると、飾り石の先端から閃光が放たれ、付近の岩に直撃した。たったそれだけの事で、人間大の巨岩が粉々に砕け散った。
「……魔法か? それにしちゃ妙だな。ひどく手軽に見えたっつうか」
「今のは精霊石の力です。魔力核と酷似するものであり、性能もほぼ同等です」
「ちょっと掲げただけに見えたぞ」
「はい。ほんの僅かな魔力と、イメージを浮かべるだけで再現可能です。使用法にコツが要りますが、その気になれば子供でも扱えるでしょう」
「見えてきたぞ。つうことは何かい、王様は邪神の魔力核を悪用しようってのか?」
「少なくとも、私達を抹殺する道具としては申し分ありません」
「あんの野郎! そんな悪巧み、許しちゃおけねぇぞ!」
全身を怒りで膨らませたマスラーオが振り向き、城へ駆け戻ろうとした。しかし、その道はエミリアが身をもってして塞いだ。
「どうして止めるんだよ!」
「ラスマーオさん、冷静に。あのような人物でも王は王。手にかけたなら故郷の人々は、大陸全土はどうなりますか。権力者達が勝手に分離独立し、世界は果てのない混沌へと突き進んでしまいます」
「……じゃあどうしろってんだ」
「精霊師の里へ向かいましょう。お祖父様であれば何か良い考えを授けてくれます。リスケル様の居場所も、選ぶべき未来についても」
「あのジイさんに相談か」
ラスマーオはエミリアの瞳を、記憶の中の老人と重ねた。心の奥底まで見透かそうとする眼は、どうにも苦手だった。その祖父の眼力はエミリアの数倍は鋭く、さすがのラスマーオも直視できないと思ったものだ。
「まぁ良いぞ。賛成だ」
「本来はリスケル様を探しに飛び出したい所ですが、大陸を闇雲に探すのも非効率ですので」
「何にしてもヒントくらいはねぇと」
それからは互いに頷きあい、遠くまで続く道を歩き始める。
「リスケルのヤツ。邪神を殺すな、だなんて聞いたら驚くだろうよ。いや、怒るかな」
「まさか。思慮深きお方です。道理を説きさえすれば、必ずやお聞き届けくださいます」
「そうだよな、うん。そうに違いない」
こうして2人は再び長い旅に出た。やり直しの出立にも関わらず、足取りはそれほど重たく見えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます