第9話 不意の再会に詫び添えて

「うぅ……さみぃ」


 月明かりの無い夜道を進む中、リスケルは暖かな息を吐いた。だがそれすらも白い風によって攫われる。大自然の猛威は悪夢そのもので、辺りは激しい吹雪によって閉ざされていた。


 幸いにも彼には精霊の鎧がある。あらゆる魔法ダメージを軽減する働きにより、この極寒のピンチをある程度までは助けてくれる。だがやはり限度というものはあり、手足の先から冷えがジワリジワリと襲い掛かってきた。


「失敗した! さっきの洞窟で夜を明かすべきだった、冬眠中のクマなんか追い出してさぁ!」


 リスケルはスノザンナの国へ移動中なのだが、運に恵まれなかった。日暮れから降り出した雪は強さを増し、今や方角すらわからなくなってしまう。行けども行けども白と黒の世界。まともな移動はおろか、もはや生還すらも危うい。


 ともかく防寒とばかりに、マントを頭から被ろうとした。しかし風は猛烈だ。一際強いそれは、リスケルのささやかな対策をあざ笑うかのように、純白の大地を我が者顔で駆け抜けていく。


「ぶわっ! くそったれ吹雪め……。雪なんざ暖炉の前に連行して『みぞれ』だって罵ってやるからな!」


「何を騒いでおる、ワシだ。空の探索から戻ったぞ」


「ネイルオスかよ。もっとゆっくり帰ってこい」


「滑空してきたのだ。加減など出来るか」


 ネイルオスはセシルを伴ったままで雪路を踏み、大きな黒翼を折りたたんだ。その支度を待つこともなく、リスケルはかじかむ手で掴みかかった。


「そんで、どうだったんだよ。周囲の様子は?」


「視界が酷いのは上も変わらん。とこかに避難するしかあるまい」


「避難たって、ここらには何もねぇぞ」


「あるではないか」


 ネイルオスが指を下に向けた。


「あっ、なるほどねぇ」


 リスケルは地面を蹴り、周辺の雪を1ヶ所に集めて山を造った。それをシッカリ踏み固め、入り口を開けたならカマクラの完成だ。


「ふぃぃ。こんなモンでも全然違うな」


「今夜は寝ずの番になるだろう。風向きを考慮したとは言え、入り口が塞がる可能性もある」


「まぁ寒いよかマシだ……ヘップシ!」


 リスケルの大きなクシャミをひとつ。そんな姿を見て、笑い声をあげたのはセシルだった。


「ウフフフ。なんですか聖者の小僧め、青ッパナを垂らすだなんて実に情けない。これは溜飲が下がるというものですわ」


「お前こそ他人をどうこう言える格好かよ」


 リスケルを悪しザマに罵ったセシルだが、彼女は今、ネイルオスの胴にしがみついていた。さながら、ユーカリの木でくつろぐコアラのようにして暖をとっている。


「喧嘩はよせ。ここは狭いのだ、やかましくて敵わん」


「そもそもネイルオスは平気なのかよ。河すら凍りつく寒さだぞ」


「ワシは仮にも邪神である。凍結無効の特質は押さえているのだ」


「あぁそりゃスゲェな!」


「ふふん、小僧めが。魔族は寒暖差などに負けませんわ。体内に秘める膨大な魔力によって膜を生み出し、気温変化など無効に出来ますの」


「あぁそりゃ良かったな!」


「いっその事、このまま凍え死んでしまいなさい。後に待つのは魔族の天下へっ、へっ、ペクチー!」


 セシルが見た目に合う可愛らしいクシャミを飛ばした。


「何が魔力だよ。お前も寒いんじゃん」


「今のは違います! 何となくムズかゆいというか……」


「鼻水まで出てんぞ」


「……ハッ!?」


 その指摘ももっとも。セシルの小さな鼻からは雫がブラ下がっていた。デロンと長い物が。慌てた彼女は手鼻で勢いよく飛ばし、すぐに釈明を始めた。


「違うのですネイルオス様! 今のは清水。そう清水なのです」


「んなもんが鼻から出んのかよ」


「小僧はおだまり! ともかく、美女の清水はマニア連中に高く売れるので、手堅い資金源となること間違いなし……ペクチッ!」


「あーぁ。ネイルオスの顔がその清水とやらでびしょ濡れだ」


「あわわ……大変申し訳有りませんわ! すぐに拭き取りますので!」


「何を慌ててんだよ。キレイな水ならそのままで良いじゃん」


「おだまりなさい小僧!」


 腹を抱えて笑うリスケル、そして涙ながらに袖で丹念に拭うセシル。これにはネイルオスも、苦笑いを浮かべるくらいしか出来なかった。


 やがて夜が更けた。吹雪は変わらず猛威を振るい、冷え込みも厳しいまま。今も外では凄まじい風が荒れ狂うばかりだ。


(ふむ。このままでは、命を落としかねんな)


 すっかり活力を失くし、膝を抱え込むリスケルにセシル。寒さが思考を奪っているのか、うわ言は念仏のように低く響いていた。

 

(やむを得ん。城に戻ろう)


 そう思い立つなり、ネイルオスは夜空に向かって光球を投げ上げた。転移魔法である。彼はいつぞやの様に身を踊らせ、球の中へと吸い込まれていく。次に彼が舞い降りた時は、既に邪神城の内部に居た。


(生物の気配は無し……か。残された者達は逃げおおせたのだろう)


 ネイルオスは辺りの様子を探ると、僅かに込めた魔力を解放した。身体を床より数センチだけ浮かせる事で足音が消える。万が一、何者かに見つかれば面倒になると感じたからだ。


「さてと。確か宝物庫に余りがあったような……」


 小さなボヤキと共に彼は行く。住み慣れた城だ。眼を瞑っても動き回れる程度には内部を熟知しており、宝物庫にもすぐに辿り着いた。


「ほぅ。荒らされているかと思いきや。リスケルの仲間どもは慎ましいのだな」


 倉庫の中は棚が崩れるくらいの事は起きていても、略奪の形跡はなかった。ネイルオスは記憶を頼りに、目ぼしい品々を探し始める。


「ええと、火炎トカゲのセーターにフレイムウルフのマフラー、火竜の逆鱗スラックス。セシルにはスカートを探してやるべきか」


 防寒具は比較的簡単に見つかった。これまでの人魔大戦では防御技能ばかりが重視され、冬物衣類などは埃を被るという有様だったからだ。よって選びたい放題。ネイルオスは大きな革袋に手当たり次第詰め込み、宝物庫を後にした。


 だが、そのまますぐに帰るべきところを、彼は少しばかり欲を出してしまった。


(そうだ。最後に茶を飲んで帰ろうか)


 玉座の間。暗闇の中、魔力で松明に火を灯すと、そこは決戦の日そのままだった。崩れきった壁を直す者など今は居ない。


(まぁあれだ。寂寥感などに構うヒマはないな)


 ネイルオスは愛用のティーポットに手を伸ばした。中身はもちろん洗われてなどいない。陶器の底や金アミには、渇いて黒ずんだ茶葉がへばりついていた。彼は小さく舌打ちをし、最初に氷魔法、続けざまに火炎魔法を唱えた。そうして生じたのは大量の湯水だ。


 すぐにティーポットは熱湯で満ちる。ゆすぎ、汚水を捨て、新しい茶葉をセットした。その途端に上質な香りがたちのぼり、ネイルオスは心のコリをほぐしていった。


(やはり良い茶だ。一式ごと持っていきたくなる)


 そうして気を抜いた瞬間の事。ネイルオスは背後に魔力が集約されるのを感じた。あまりにも予期せぬそれに酷く驚き、ティーポットを爪に引っ掛け、うっかり床に落としてしまった。


 不運にも陶器は全壊したのだが、構っていられる状況でもない。


「何奴……?」


 魔力の塊が謁見の間の中央に浮かぶ。それは水面に浮かぶ果実の様に揺れており、しかし色味は濃紫と、ネイルオスにとって見慣れたものであった。魔族の長である彼は、それが何なのかは知っている。


 これから誰かが甦るのだ。致命傷を受けた魔族は、このようにして眠りから目覚めるもの。だがネイルオスが困惑するのは、相手に見覚えが無いからだ。


 濃紫の塊はみるみるうちに色素を薄めていく。そうして見えたのは若い女だ。一糸まとわぬ姿で現れた彼女は、その塊が消えたとたん、投げ出される様にして崩れ落ちた。


「この気配は、もしや……」


 ようやく何かに気づいたネイルオスは、その女を抱き上げた。


「そなた、ギーガンなのか!?」


 女の瞳が開いた。それから発した声色の美しいこと。鳥のさえずりを彷彿とさせるほど、澄み切った響きが耳に伝わる。


「ギーガン、負けた。すごく惜しかった」


「やはりお主か。セシル同様、すぐに目覚めたのだな?」


「ギーガン、セシル、死んでちゃダメ。陛下、ひとりぼっち」


 彼女はそこまで告げるのがやっとで、すぐにまた気を失った。復活して間もない為に、意識レベルは高くないのだ。


「すまぬ、ギーガン」


 ネイルオスは暖かな外套(がいとう)で裸体を包み込むと、優しく抱き上げた。


「すまなかった、ギーガンよ。中身はもっとゴツいオッサンだと思っていた」


 ネイルオスは、とりあえず認識違いについて詫びつつ、転移魔法を打ち出した。

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