第4話 紅茶の誓い
「さぁ飲め。最高級の厳選品、魔ッサムティーだぞ」
ネイルオスが鼻歌混じりに紅茶を差し出した。豊かな湯気が、縁のグニャリと歪んだ器から立ち昇る。何とも見慣れない形に、リスケルは眉を潜めてしまう。
「どうした。毒など入ってはおらんぞ」
「変な食器を使うんだな。こんなの見たこともない」
「おうこれか。ワシは変わった器が好みでな。愛用品は全てそんな形をしておる」
「さすがは邪神を名乗るだけある、美的センスまで歪んでやがるのか」
「ほざけ。そして飲め」
決戦の場であるというのに刃を交えることもせず、ノンキに紅茶を飲み始めた。お互いが絨毯の上にあぐらをかき、程よい距離をとりつつも、そこそこ和やかに会話を重ねていく。
何やってんだろうと悩む段階は、とっくに過ぎ去っていた。もはや脳裏に浮かぶのは、上等茶葉が持つ独特の香ばしさと、ほのかに伝わる甘みだけである。
「それにしても弱ったな。これでは決着がつかぬ」
ふとネイルオスが小さく溢した。まるで身の上話でも打ち明けるかのように。
「お前、本当に死なないのか? 延々と顔を殴ればあるいは」
「自動回復がある。ただ痛みを感じるだけだ」
「試してみようぜ。もしかしたらイケるかもしれない」
「ワシが死ぬ前に貴様の身体が壊れる」
リスケルは自身の手に眼をやり、低く唸った。殴る蹴るという猛攻の代償として、既に手の甲は腫れ、膝も擦り剥けている。そのくせネイルオスは傷ひとつ負わずに平然としているのだから、主張の信憑性はバツグンだった。
「ネイルオスこそ他の魔法を使えよ。爆裂とか風斬とか。そうすりゃ時間はかかるが、オレを倒せるだろうよ」
「無理だな。吐き気のせいで、まともに発動せぬ」
「その立派な爪で攻撃ってのは?」
「輪をかけて無理だ」
「じゃあ即死魔法だけが頼りか……」
ネイルオスも彼なりに努力を重ねた。この場において幾度となく、あらゆる魔法を唱えようとチャレンジしたのだ。最終的にはリスケルも『頑張れ、あとちょっと』などとエールを送ったのだが、それも無駄に終わり、1度として発動には至っていない。
「そもそもだ、なぜ聖剣が折れた。完全無欠の比類無き剣だぞ」
「うん。だから気になってさ、本当に折れないか確かめてみたんだ」
「試し切りでもしたか」
「いやいや、そんなんじゃなくって」
最初は全く理解できなかったネイルオスも、話を聞くうちにジワジワと事態を把握した。
このリスケルという男、かなり強烈な探究心を持っているのだ。それが聖剣の強度に向けられてしまったのが運のツキ。巨岩を投げつけたり、大斧を振り下ろすなどと、大胆な実験を繰り返したのである。
その無謀な暴走に堪えきってみせたあたり、さすがは伝説の聖剣といった所。乱雑な扱いをものともせず、些細な傷すらつかなかったのだ。だから、そこで止めておけば良いのに、リスケルは更に深く踏み込んでしまう。
「最後に罵ってみたんだ、口汚く」
「罵る……剣をか?」
「なんか、心理的にへし折れるかもって思ったんだ」
「心が折れる、とは比喩表現だ。そもそも聖剣に自我など無かろう」
「そんで色々つぶやいてみたんだよ。聖なる槍の方が良かった、とか。剣のクセに所有者を選ぶなんてバカじゃねぇのとか、他にもたくさん」
「馬鹿は貴様だ、リスケル」
「そしたら唐突にポッキリいった」
「訂正する。大馬鹿だ」
ネイルオスの溜息と共に押し寄せたのは、八方塞がりの重たい空気。どちらも打開策が見つからずに、ついには口ごもる。そうしてスッカリ困り果てた頃に、リスケルの鎧が話題にのぼった。
「その鎧は外せんのか? そうすればワシの勝利という形で決着がつく」
「あぁ、これ脱げねぇんだわ」
「それは真か!?」
さすがにネイルオスも驚愕の声をあげた。まさか聖属性の装備が、呪いのアイテム相当とは思いもしなかったのだ。
「そうだよ。お前を倒すまではって事らしい。仕組みは分かんねぇけど」
「えげつない。風呂はどうしておる?」
「濡れタオルをこう、中に入れて」
「世界を救う使命を持つ男が、湯に浸かる事も出来んとは……なんと哀れな」
嫌味ではなく、ネイルオスは本心を語った。偽りなき真心を乗せた瞳は、宿敵リスケルをたじろがせる程に真っ直ぐ刺さる。
「お前って邪神っぽくないよな」
「言うな。自覚はある」
「なんか妙に平和主義だし、親分向きじゃねぇし。他に適任者はいなかったのか。魔族を率いるのにさ」
「魔界の神格は、もはやワシだけである。皆がニンゲンどもに封印されたからな」
「なるほどねぇ……」
その言葉を最後にして、再び黙りこくった。理解が深まる程に良く分かってしまうのだ。完全に打つ手が無いという事を。
戦争を終えるには、当然だが決着を着けねばならない。だが、その決着は拮抗を破れない。武力解決の限界を迎えた事は明らかだった。
「リスケルよ。貴様はどうしたい?」
ネイルオスが、空のカップに視線を落としながら言う。
「オレは世界を平和にしたいな。それが無理で、仮に負けたとしても、必死に頑張った証拠くらいは欲しい」
「置き去りにした仲間の手前か」
「さすがに、邪神とお喋りしただけで帰る訳にはいかねぇぞ」
「まぁな。貴様にも立場があろう」
「ネイルオスはどうなんだよ」
「ワシは、終わりなき戦争に幕を降ろしたい。そして叶うのであれば、我ら魔族にも平穏をもたらしたい」
「ふぅん。なるほどね」
リスケルが手元のカップを高く掲げた。ネイルオスは始めこそ眼を見開いたのだが、やがて口元を不敵に歪めた。
「オレ達が争う理由は無さそうだ。目的の大体が一致するんだから」
「確かに。しかし、良いのか?」
「聖剣が無いんだ。だったら話し合いで解決するだけじゃねぇの」
「クックック。幾度にも渡って繰り返された人魔大戦で、懐柔を申し出るなど前代未聞だぞ」
「それよりもどうすんだよ、乗るのか」
「是非もない」
ネイルオスは歩み寄り、自身のカップをもう一方へと寄せた。カキン。小さくも温かみのある音がする。
「よし、話が決まったなら相談だ。当面はどんな風に進めるか」
「その前にもう1杯茶を淹れよう。同じもので良いか?」
「頼むよ。砂糖は多めで」
「それも高級品なのだぞ。まったく……」
ネイルオスがおもむろに立ち上がり、ティーポットを手に取った。湯量は十分に残されている。
「しかしなぁ、邪神って言えばもっと残虐な奴だと思ったぞ」
「イメージと実像が異なるのは世の常だ」
「だけどよ、人族の国を乗っ取ろうとしたり、姫さん攫ったりしたろ。当たらずも遠からずって所か。そういや村を焼かれた事もあったな」
「うん? 貴様は何の話をしておる。そんなものに心当たりは……」
2人分の温かな紅茶を手に、ネイルオスが振り返ろうとしたその時だ。
突如、部屋中を揺るがす振動が起こり、壁が激しく崩壊した。粉砕したガレキが小山を成し、そこに2つの巨体が重なり合う様に倒れる。
これほどに派手な登場をしてみせたのは、先程別れたばかりのラスマーオと、邪神の手先ギーガンだ。その激しすぎる再開は、リスケル達から思考を奪うのに充分過ぎるほどであった。
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