第37話 復讐のセシル

 どうしたもんか、こうしたもんか。リスケル達は砂漠の地下世界で、延々と知恵を絞っていた。人魔併合の手段が見えてこない。キリツネックを洗脳できないというだけの事で、辺りには詰みに近い雰囲気が漂ってしまう。


「いっそのこと、偉いやつを皆ブッ殺せば良いんじゃないです?」


 アカイヤロの意見は魔人として妥当である。そもそも人と魔は戦争状態なのだから。


 しかし幸か不幸か、心優しき魔族の神は部屋の隅に穴を空け、四つん這いとなった。そうして吐き気と戦うネイルオスに代わり、リスケルがすかさず反論する。


「無闇に頭を挿げ替えでもしたら、大混乱の大騒ぎだ。もしかすると、街を逃げ出す奴もたくさん出るかも」


「シャクシャクシャク」


「逃げたい奴は好きにさせりゃ良いのでは? うちらとしちゃあ、一定数のニンゲンが傍にいりゃ文句ないんですがね」


「美味しい。もうひとつ頂戴、シャクシャク」


「街の外は治安が悪いんだ。砂族やら魔獣だらけだ。下手すりゃ何千人もの犠牲者が出るかもしれないぞ」


「ワタクシもひとつ……って、あら? リスケル、もう無くなりましてよ。早くツルを取ってきなさい」


「お前らはノンキだなこの野郎!」


 この場は一応、戦略会議という重大なテーマを掲げているのだが、飲食は自由だ。そのため水分補給がてらに先日のツルが山のように置かれており、全てが食い尽くされるまでは小気味好い音が鳴り響いたものだ。


「空腹だからカッカするのですわ。だから早く取ってきなさいですの」


「つうかセシル、こんな食い物はプライドが許さないんじゃなかったのか?」


「美味であれば問題ないですの。そもそも食物ひとつで揺らぐ誇りではありませんのよ」


「都合の良いプライドだな!」


 リスケルは砂を踏み固めながら外へ飛び出ると、採集したツルを断裁し、脇に抱えながら戻ってきた。


「ほらギーガン、追加が来ましたわよ」


「ほんとだ助かる。美味しいし」


「ちょっとくらいはオレに感謝しような!」


 リスケルは、ツルに群がる2人の隙間から1本引き抜き、皮を剥いで頬張った。冷たくはないが、水気が豊富でほの甘い。


「だから、ええとだな。この国を掌握するにはキリツネックのじーさんを説得するしかない。それが最善策だ」


「あの頑固ジジイを? 冗談でしょ?」


「アカイヤロ。お前はアイツの思考を読めたんだろ。何か気になるネタは無いのか?」


「まぁ、有るっちゃあ有るよ」


 そうして語られたのは、今から遡ること40年。当時は規律もほどほどで、交易が盛んで、見世物小屋などの興行も珍しくはなかった。新米政務官であったキリツネックは、同僚に連れられて視察に訪れた。夜遊びという名の視察に。


 乱れて賑わう路地裏にて、多感な青年は目撃する。真昼のように明るく、熱気すさまじい1軒のテントを。中に立ち入った瞬間に心を奪われた。見目麗しき女性による情熱的なダンス。燃えるような赤い髪、飛び散る汗の輝きはキリツネックの心を深く深く掴んでしまった。


 せめて一声だけでも。彼は演目が終わると、去りゆく女性に手を伸ばそうとするのだが、それは虚空を掴むだけに終わった。


(僕と踊ってくれないか)


 その言葉が告げられないままに……。


「どこが気になるんだよ。単なる夜遊びのワンシーンじゃねぇか」


「焦らないで、まだ続きがあるんだ。これだけじゃあ色恋に厳しい人にはなれないでしょ」


 キリツネックを変貌させたのは、その後日だ。熱気冷めやらぬキリツネックの耳に届いたのは、あの麗しき女性が同僚と夜を共に過ごしたという噂だ。しかもよりによって彼以外の全員と、夜毎に代わる代わる。


 それ以来キリツネックの心は激しくささくれ、暗闇の沼へと沈み込んでしまった。噂が事実であったのだから救いようは無い。やがて哀しみは憎悪へと変わり果て、享楽的思想を忌み嫌うようになる。


「最悪だなソイツ。尻軽にも程があるぞ」


「その最悪な女がここに居るんだよね」


「えっ?」


 アカイヤロが向ける視線の先には、遊魔人のヒルダが居た。彼女は特に悪びれもせず、満面の笑みで手を振る始末だ。


「お前さぁ、何してくれてんの!?」


「うっさいな。大声出さなくても聞こえてんだよ」


「怒鳴りたくもなるだろ分かれよ。その軽率さが面倒を起こしてんだから」


「アタシら遊魔はね、情熱やら情欲やらを食って生きてんの。相手の魂からドロリと溢れ出るネチッこい衝動をね。部外者にとやかく言われる筋合いはないよ」


 ヒルダの言う通り、遊魔人は魂から発する生気を吸い取る事で活力を得る。人族の街中で目星をつけ、夜毎に枕元へ現れるのだ。耳元で甘く囁き、無防備となった人々から魔法で生気を奪う。なので肌を重ねる必要は無く、その時に交わったかどうかまでは、彼女も明らかにしなかった。


「だったらキリツネックも誘ってやれば良かったろ……」


「あの坊やの想いは純真すぎたよ。食い散らかすのは勿体ない気がしてね」


「その結果がこれだよ。面倒なこと山のごとしじゃねぇか」


「まぁ仕方ねぇさ。アタシに未来予知なんて力はないからね。一夜の縁を愉しむだけなのさ」


 ヒルダは大振りの胸を揺らしながら笑った。リスケルは、ちょっとくらいなら殴ってもいいかと、気分を荒くする。


「ならば、心のしこりを取れば良い」


 そんな結論を口にしたのはネイルオスだ。青ざめてはいるものの、身を起こして議論が出来る程度には回復したのだ。


「しこりを取るって、どうやって?」


「ワシらがそこまで知る必要はない。その夜を再現してやれば、あやつが自ら求めるだろう。心から渇望する結末をな」


「再現ってねぇ。ヒルダに踊らせんの?」


「フフン。そこの魔人よりも、このセシルにやらせてはいかが? シャクリ。魔界最高の美貌、シャクリ、地下世界の太陽珠とはワタクシの事ですのよ」


「モノ食いながら喋んなよ太陽珠さん」


「ホラホラ。舞だってこんなにも妖艶な……ゲッボゲホ!」


 セシルの不作法はそこそこの不幸を招き入れた。誤嚥(ごえん)しかけたツルは激しい咳込みにより鼻腔の方へ。そうして唾液やら樹液が鼻から溢れたのだが、悲劇はそこで終わらない。


 ツルの繊維がヒモ状となって、鼻の穴から垂れ下がってしまったのだ。


「ブヒャヒャヒャ! なんだその顔、妖艶にも程があるぞ!」


「わ、笑うなですの! 始末しますわよリスケル!」


「太陽の鼻毛! 太陽珠の奇跡的な妖艶シーン!」


「おのれ……もう許しませんわ!」


 全力で殴りかかるセシルに、笑い転げるばかりのリスケル。特に血を見たりはしないが、話し合いなど出来る空気でもない。夜更けを迎えた事もあり、話し合いは翌日に持ち越しとなった。


 そうして皆が寝静まった頃、闇夜の中で小さな身体がうごめきだす。


「ギーガン。起きなさい、ギーガン」


 声を潜めたセシルが呼び起こす。ギーガンは眠たげな眼をこすって、大あくびを晒した。


「こら。静かになさい」


「なぁにセッちゃん。トイレなら1人で、怖くないから」


「違いますのよ、ともかく起きなさい」


 セシルがギーガンを起こすと、今度は魔法を唱えた。ダークフローズン。生み出されたのは、ひと抱えある氷で、全体的に黒みを帯びている。ただの氷塊でない事は一見しただけでも分かる。


「わぁ凄い。どうしたの」


「砂漠で延々と魔法を唱えたでしょう。その甲斐あって魔力が増えましたの」


「そうなんだ。やったね」


 ただし、話が単なる成果報告で終わらないことは、セシルの浮かべた笑みからも明らかだ。悪意から激しく歪む顔は、少女とは思えないほどに凶々しい。まるで「これから1人殺っちまいます」と言外に告げるかのようだ。


「この力をもってしてリスケルを亡き者にしますわよ。手伝いなさい」


「えっ。本気なの?」


「そもそも聖者なんかが生き残ってるから面倒になってるのですわ。ここでブッ殺した方が魔族の為。すなわち大義なんですの!」


「そう。からかわれた事をまだ怒ってるんだ」


「そんな訳ないでしょう! 良いから早く、リスケルの顔を固定しなさい!」


 ほとんどが私情の大義により、セシルは死刑宣告を下した。判決も執行も彼女自らが行い、ギーガンはあくまでも手伝い要員だ。


「さぁ、グッシャグシャになりなさい!」


 セシルは氷塊を高々と掲げ、怒り任せに叩きつけた。生々しい音が鳴る。そうして砕けたのは、リスケルの頭蓋ではなく氷の方だった。


 被告人は完璧な無傷。薄皮すらもノーダメージで、引き続き高いびきを上げる始末だ。


「えぇっ! なんつう石頭ですの!?」


「うん。まぁ、予想通り」


「クッ。次こそは辺りを朱に染めてやりますわよ。ダークフローズン!」


「ほどほどにね、セッちゃん」


 ギーガンはもう一つあくびを浮かべると横になり、寝息を立て始めた。夜通しで氷魔法が炸裂する脇で。


 やがて夜が明けて、完全に無傷のリスケルは意識を取り戻した。


「ふぁぁ。地下は結構温かいんよなぁ……うん?」


 リスケルは起きるなり異変に気付く。周辺の砂だけが妙に湿っぽいのだ。探りを入れてみると、すぐ側で突っ伏すセシルの周りが水浸しであるのが見えた。


「セシル……まさかお前」


「どうしたリスケル。早い目覚めだな」


「ネイルオス。セシルが寝ションベンやりやがったぞ」


 セシルは一睡もしていない。それどころか意識はあるのに、指一つ動かせないという窮地の真っ只中だ。魔法の連続詠唱による魔力網弱に陥っているのだ。


「水分の摂りすぎだとは思ったけど、流石におもらしするとは考えなかったぞ」


「ち、ちが……リスケ、この野郎、ですわ」


 人を呪わば穴ふたつ。復讐は何も生み出さないどころか、尊厳までも奪われようとしている。憐れセシル。このまま、おもらし少女としてギーガンに着替えを強制されてしまうのか。


 だが悪運の強いことに、通路の方が騒がしくなった。


「皆さん、大変です! 龍の群れが暴れています!」


「何だって!? 行くぞネイルオス!」


「よかろう」


 急報に主だった者が面へと飛び出していく。いまだ倒れ伏すセシルを残して。


「ワタクシも連れてけ、ですの」


 そんな悪態を口に出しつつも、自身の立場が守られたことにはホッとする。冤罪による被害は最小限に留められたのだから。


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