第36話 その日が来るまでは

 オレルーワ山脈にただずむ精霊師の里は、半ば独立勢力に近い集団だった。為政者には決められた税を収めるなど、表向きは従う姿勢を見せつつも、聖地に関する取り決めだけは譲ろうとしなかった。そしてそれは精霊術や精霊神、果ては聖剣の秘密までもが公開されずにいた理由でもある。


 だが、数百年の長きにわたって秘された数々も、軍部に制圧された今は隠しようもなかった。


「ふむ……。このように扱うべきだったのか、画期的であるな」


 シアンは村長宅の書斎でひとり、感嘆の声をあげた。所蔵されるのは最重要と思しき書物までもがそのままになっている。制圧時の電撃作戦が効いたのだ。率先して幼子を捕らえて幽閉する事で、精霊師の持つ強大な武力をも放棄させたのが大きい。その甲斐あって、今現在も反抗を危惧する声は聞かない。


 手元の本を閉じると、今度は卓上の精霊石に手を伸ばした。特に目立つ点のない平凡なサイズのもの。歪な八面体の上下を2本指で挟み、記載の通りに試してみる。


「意外に難しい。慣れが必要だ」


 人差し指と親指の間に、細く長い魔力線を通そうとする。しかし精霊石が持つ魔力に阻まれて、思うように線が通らない。


 試行錯誤することしばし。ようやくか細い直線を生み出す事ができた。すかさず石を指の間から外すと、今度は線の中央に眩い球体が残る。白んじた輝きは、高濃度の魔力を約束するかのようである。


「抽出は完了か。あとは……」


 シアンは慎重に手元を引き寄せていく。線上の球体を溢さないように。


 そして指先を胸まで引き寄せると、その球体は輝きを保ったまま、シアンの身体へと取り込まれていった。見た目こそ神々しいものだが、体内へ潜った瞬間に暴風のような暴れ方をし始めた。


「ガフッ! し、静まれ……!」


 それは体内で吹き付ける嵐か、あるいはマグマの炎撃のようだ。臓器は激しく歪み、千切れかねない程の痛みを訴える。それと同時に、焼きゴテでも突っ込まれたような熱が、胸の中を途方もなく焦がしていく。


「ハァ、ハァ……治まったか」


 痛みが薄れるのと同時に襲いかかってきたのは怒り、憎悪、そしてやり場のない破壊衝動だ。眼に映るもの全てを壊せ、殺せと魂の部屋に響き渡る。規格外の力を取り込んだ事で、彼の胸に眠る獣性が刺激されたのだ。ボンヤリすれば、本当にあらゆるものに牙を剥きかねない。


 シアンは握りこぶしを机に押し付け、耐えた。乱れた蒼髪からは油汗が溢れ落ち、肩で繰り返す息も荒々しい。そうして無限にも思える時間を過ごした頃、背もたれに身体を預けた。ようやく峠は過ぎたのである。


「これほどに強烈なのか。無計画で挑めば、自我など容易く消し飛んでしまいそうだ」


 喉の渇きが強い。卓上のティーカップに手を伸ばそうとしたが、ふと異変に気付く。生まれつき細造りの腕が一回りは太くなり、更に血管も強く浮き出ているのだ。


 だが特に驚きもしない。書物には一時的な変化だと書かれており、半日もすれば治まる事を知っていたからだ。むしろ魔力吸引の成功を告げるものだと、改めて達成感を味わうばかりだ。


「次からは、魔力の含有量を精査する必要があるな」


 冷えた紅茶はむしろ有り難い。ノドを鳴らしながら一気に飲み干し、口元をハンカチで拭った。人としての慎みが、マナーが残されている事は、彼にとって幸いなことである。


 ここで社会的地位を失う訳にはいかないのだ。少なくとも今のうちは。


「シアン様、失礼します!」


 ドアがノックされる。副官だと顔も見ずに分かる程度には、新任の青年と慣れ親しんでいた。


「構わん。入りたまえ」


 許可を告げると、鎧に身を包んだ男が現れた。雑務から身辺警護まで幅広く依存する相手である。今後は警護の必要はないなと、シアンは胸の内で溢した。


「報告致します。本国の陛下より、精霊石の輸送を強く催促されております」


 あの死にぞこないめ。シアンは眉間にシワを刻みながら、グラナイスト王を憎悪した。凡庸で貪欲、才気の欠片さえも無く、あるのは血筋だけ。そんな罵倒も付け加えておいた。


「石は順次送るように。ただし、事前に検品が必要だ。採掘を終えたばかりのものは、全て臨時の執務室に集めるように」


「承知致しました。全ての精霊石を、一度シアン様の元へお届けいたします!」


 副官には上司を疑うという発想が無く、それはシアンにとって都合が良かった。言った通りの事は必ずこなす部下を、一応は信頼している。


「外的要因に変化があった事もお伝えします。西国のミッドグレイスにて異常とも思える事態が」


「主観はいらん。事実だけを述べるように」


「ハッ! 王位を簒奪したフィーネ女王ですが、魔族と迎合する動きを見せております」


「魔族と? にわかには信じられんが」


「国の要衝に街を建設中なのですが、どうにも魔族と足並みを揃えているようにしか見えません」


「そうか。実に厄介な事だ」


 人族と魔族は争いあって貰わなくては困る。シアンはその言葉を飲み込みつつ、熟考しだした。別に伏せるべき台詞ではない。魔族を脅威と捉えている人間は、この大陸中に吐いて捨てるほど居る。


 だがシアンは、秘めたる野望がゆえに口を固く結ぶのだ。


「いかが致しましょう。妨害しますか?」


「いや。今一度、魔族の脅威を思い出させる方が良い。龍撃隊はどこに?」


「扱いが難しいようです。今は何とか制止しながらも、南部エリアを放浪しているのだとか」


「南部か。ならばサザサンドが近いだろう。砂漠の端から焼き払うよう命じよ。もちろん素性が知られる事が無いように」


「ハッ。出動命令とともに、慎重に当たるよう厳命いたします!」


「他には何か?」


 シアンが報告を催促すると、副官は少し身動いだ。言いよどむ姿は、シアンの最も嫌う反応である。


「どうした。有るのか、無いのか」


「申し上げにくいのですが、兵士達が騒いでおります」


「どこの兵が?」


「この、精霊師の里を守備する兵どもが、です」


「故郷に帰せとでも言いたいのか」


「いえ、それが、長い滞陣で持て余してるものがあるらしく。その、村の女達を襲わせろと申しておりまして」


 言葉を聞き終える前に、シアンは副官を睨みつけた。手元に剣の一本もあれば、首を撥ね飛ばしていたかもしれない。そう思える程度には、腹の奥に煮える物を感じていた。


「……この私が許すとでも思うか?」


「兵士どもには、決して手を出してはならんと通達いたします!」


「力まかせに女を屈服させたいと? そんな暴挙を私の眼が届く所で? 随分と舐められたものだな? 私の権威など恐るるに足らずと嘲笑うつもりなのだな?」


「か、閣下が大層お怒りである事を徹底的に周知して参りますッ!」


 転げるようにして飛び出す副官を、シアンは姿が見えなくなるまで睨み続けた。それからは気分転換とばかりに、聖剣について記された書物を手に取るのだが、気持ちが付いてこない。不快な言葉によって吹き出した疲労が重すぎるのだ。


 手元の本は雑に放り投げた。一度は熟読した書物であり、読み返すとしても確認の意味合いが強い。新たに知る事実など有りはしない。


 それから再び背もたれに身体を預けると、今度は胸元をまさぐりだした。金色のチェーンを手繰り寄せ、引きずり出したのはロケット式のペンダントだ。ボタンを押せば、彼の心に唯一無二の平穏がもたらされる。


「マチュア……もうすぐだ。全ては順調に進んでいるよ」


 彼が心情を吐露できるたった1人の女性は、小さな肖像画に収まっている。それも色彩の緩み具合から、重ね続けた年月が窺い知れた。


「聖剣だ。世界の理すら捻じ曲げてしまう、あの剣さえあれば、君を甦らせる事だって……」


 彼の計画は、偶然がもたらした幸運も手伝い、実に順調に進んでいた。聖者と邪神の拮抗に、終わりの見えない人魔大戦。グラナイスト王の下卑た願望と各国の不和。そして精霊の里を手中にし、魔力の吸引すら可能となったこの立場。


 何か1つでもしくじれば頓挫する野望。達成不可能と思われたそれも、今や現実味を帯びるまでになっていた。


 あともう少しなんだ。掠れた声で語りかけるシアンの瞳は、麗らかな午後の日差しよりも暖かだった。


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