第35話 成功体験をなぞるだけ
「そんじゃあね、何でも聞いてくださいな」
ローブを着崩したアカイヤロは胡座をかきながら言った。来客に対し、水の一杯すら出てこないのは、彼の家来が寝入っているからだ。正確に言えば既に復活を遂げてはいるが、まどろみと親しくする方を選んだらしく、通路からは活動の気配が全く無かった。
「単刀直入に聞こう。この国と何があった?」
「乗っ取ろうとしたんですわ。僕ら夢魔族は相手の心を支配するのが得意でしてね。実際、最初のうちは上手くいったんですよ?」
「議長のキリツネックか」
「ご名答。割と頑固なジジイでしたがね、夢の中に入っちまえばコッチのもん。自我の境界が曖昧になりますから」
アカイヤロは相手の精神や心理を操るのに長けた男だ。儀式や段取りがあるので、お気軽にとはいかないが、上首尾に運べば強力なスキルである。
「国を乗っ取ろうとしたのは何故か?」
「龍種を使いこなしてるでしょう。その力を奪えれば、もしかしたら魔界でも役に立つかなって」
「一理ある。だがここで見かけるのは、魔界の龍よりも遥かに非力で小さな個体ばかりだ。果たして通用するものか」
「まぁ結論を先に言うとですね、無理だったんですわ。聖属性がらみの能力だったんで」
「そうか、人族にしか扱えぬと。まぁ仕方あるまい」
「だからね、僕たちはやり方を変えたんですわ。国のトップを操って、魔人と友好関係を築かせようってね」
ネイルオスはリスケルと顔を見合わせた。まさか、人魔併合を先行していたとは予想もしなかったからだ。
「それで、どうなったのだ?」
「まずは人気取りですよね。法律を緩くして、街を巡回させまくっては笑顔を振りまいてって具合に」
「なるほど。それが『優しかった時代』になる訳だな」
「そんでね、そろそろ魔族との関係に触れようかなと思ってた矢先にですね。聖者さん達がズケズケと乗り込んできまして」
「……ぶち壊した、と?」
「えぇその通りです」
弱くない視線がリスケルの横顔に突き刺さる。この展開にも慣れたもので、彼は非難をアッサリ受け流すと、眉を歪めて嘲笑った。
「そっからの事はよう知らんですわ。僕も含めて部下全員がヤラれちまいましたから」
「過酷極まる法律が課せられるようになった。特に男女の交わりを強く制限するものだ。何か知らんか」
「うぅーーん。一応は精神を乗っ取ってたんで、ある程度はヤツの記憶を盗み見る事が出来たんですけどねぇ。どうだったかなぁ」
「街の外、特に砂漠の東部には砂賊というアウトロー集団が群れておる。そういった連中から自衛する為だろうか」
「いや、2年前はそんな連中は居ませんでしたね」
「そうか。では賊徒の発生はキリツネックが自我を取り戻してから、という事になるな」
リスケルはそこまで聞くと、砂賊の一派と対峙した日のことを思い浮かべた。あの時、腕力でねじ伏せたのは果たして正しかったのか。彼らは激烈な法から逃げ出し、不毛な大地に飛び出してでも自由を求めた、勇敢なる民だったのではないか。
そんな罪悪感を削りかねない考えも、ヨダレを垂らしつつ10歳だ12歳だと抜かす顔を思い浮かべると、またたく間に消し飛んでいった。そもそも人さらいを企む連中である。
「ない、ないない。同情の余地なんか欠片もねぇわ」
「何がだリスケル?」
「別に。気にすんな」
「それはそうとネイルオス様。話ってのは以上ですかい?」
「いや、本題は別にある。これは人魔併合策というものでな……」
何気なく切り出したネイルオスの提案だが、それは実にすんなりと受け入れられた。強い反発を示したフアングとは真逆である。
「マジですか、良いじゃないですか。助かります」
「助かる、とは?」
「うちら夢魔族や遊魔族は、人族の生気や情熱を食って生きてんですわ。だから、ニンゲンの傍で暮らせるのは有り難いなぁと」
「なるほど。では協力してくれるな?」
「えぇもちろん。そんで、今度こそは邪魔しませんよね?」
上から覆いかぶさるような視線がリスケルに向けられる。むず痒くなり、リスケルは頭を掻きながら答えた。
「まぁオレとしちゃあ止める理由はねぇぞ」
「どうもどうも。それじゃあ言質も取れたんで、ひと仕事してきますわ」
「もう行くつもりか?」
「ええ、仕込みがありますんでね。ここらで失礼します。明日の朝には朗報をお持ちしますよ」
アカイヤロは不敵に微笑むと、全身を漆黒の霧で覆い尽くし、やがて跡形もなく消えた。辺りには絶大なる自信だけ残して。
「はぁ……。エミリア達にバレたら面倒だ。どうすっかな」
「そこはどうにかして誤魔化すのだ。得意だろう?」
「やめろよ。人に妙な属性を上乗せすんな」
「根暗で気さくなイーサン。咄嗟に出てくるような言葉でもあるまい」
「意外と根に持ってやがる」
それからのリスケル達は結果を待った。ただし心の内は一色ではない。成功の報せを期待するもの、仲間への釈明を考え抜くものと、いくらかの違いはある。そんな悲喜こもごもな穴ぐらにて、刺客を担う王は帰還を果たした。
「すいません、失敗しましたぁ!」
この時のアカイヤロに尊厳は感じられなかった。全身に斬られたような浅傷を刻まれ、さらに泣き顔を地面に擦り付けてまで詫びているのだから。
良い所のひとつも無い大失敗である事は、その無残な姿からも明らかだ。前回の成功体験をなぞるだけの、簡単なミッションだったハズなのだが。
「泣いていては分からん。経緯を説明せよ」
「あの野郎、精神魔法に対する備えが万全でした。普段着から寝間着に至るまで、金刺繍の服を着てやがるんです!」
「確かに、そのような衣服を着込んでいたが……」
「傍目じゃ分からんでしょうが、魔術的な意味合いが込められてんです。ありゃ打つ手なし、お手上げですよ!」
「だ、そうだリスケル。これは厳しいな」
「そいつは困ったな。さてどうしようか」
「そう言う割には嬉しそうだな?」
「んな訳あるか。あぁヤベェな、ここは別の作戦を考えなきゃいけねぇな」
アカイヤロの報せは様々な反応を生み出したが、結局は同じ所へと着地する。キリツネックを操れない以上、どうやって人魔併合策を推し進めるのか、という点だ。
誰もが眉間にシワを寄せて考えあぐねる中、唯一リスケルだけが安堵の表情を浮かべる。そんな姿をネイルオスは見逃さず、真面目に考えるよう苦言を呈すのだが、それでもリスケルは顔色を変えなかった。
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