第12話 初めての交渉

「それにしても懐かしゅうございますな、リスケル殿。以前お会いしたのは、たしか、寒さの緩んだ頃合だったでしょうか」


「そうだったっけ。アンタも元気そうだな、名前はニューワレリアさんだっけ?」


「このような老骨を覚えていただき、光栄に存じます」


「それはどっちかっつうとオレの台詞だよ」


 王宮の回廊を先導する老人は穏やかな笑みを浮かべていた。日暮れ前に城へと辿り着いたリスケル達は、若い衛兵から門前払いをされかけたのだが、大臣のとりなしによって迎え入れられた。一度とはいえ、面識があったのが幸いした格好である。


「王様は元気かな、変わりないのか?」


「それはもう。老いという言葉を寄せ付けない程、日々壮健であられます」


「そうか。まぁ、そうなんだろうな」


「この時間ですので、謁見の間ではなく王の私室でとなります。予めご了承おきを」


 大臣が一室の前で頭を下げると、そのまま重厚な扉を開いた。西日の差し込む赤い部屋で迎え入れた王。彼はその身分にも関わらず、気さくな笑みと手招きで迎え入れた。


 リスケルに続いて入室するネイルオス達だが、彼らは素性をよく知らないため、中の様子に驚いてしまう。


「リスケルよ。こやつは真に王なのか?」


「そうだよ。つっこむんじゃないぞ、面倒だからな」


「う、うむ」


 ネイルオスは王を直視する事をやめ、視線を伏せながら歩んだ。雪国の覇者がパンツ一丁で迎えた事が不条理に感じられたからだ。眺めていると吹き出しかねず、眼を反らすしかなかった。


「小僧リスケル。ここが国王の部屋なんですの?」


「そうだっての。お前らも余計な事を口走るなよ、話ならオレがまとめるから」


「まぁ、それは結構ですけど」


 セシルは左右を見渡しては首をかしげた。室内にも関わらず、巨大で無骨な岩石があちこちに点在しているのだ。高貴な身分を示すものと言えば、立派なベッドとスツールくらいのもの。あとは原野と大差ない物品で埋め尽くされていた。


 ちなみにギーガンはだいぶ居心地が良いらしい。これらの岩でどれほどのトレーニングが出来るかと夢想し、鼻息で頬にかかる髪を吹き飛ばした。


「よくぞ参られた、聖者リスケルよ」


「久しぶりだな。相変わらず鍛えてんのか?」


「さよう。スノザンナは質実剛健を国是としておる。その王が軟弱であっては民が付いて来ぬからな」


 王はそう言うと自身の胸板を叩き、小気味よい音を鳴らした。パァン、パァンと。次第に熱苦しい空気が付近に漂いだす。


「ところでリスケルよ。あの男の姿が見えぬようだが。ほれ、美しい筋肉を持つラスマーオという……」


「アイツなら別行動だ。だから今日は一緒じゃないぞ」


「なんと。熱い語らいを楽しみにしていたのだがな」


 そこでリスケルは以前の光景を思い出す。スノザンナ王に無理矢理サウナへ連れて行かれたラスマーオの悲劇を。彼が戻ったときは、全身が真っ赤なのに顔は青ざめるという、絶妙な表情を晒したものだ。中で何があったかまでは、聞けていない。


「ところでだ。本日は何用かな? もしやリスケルも筋肉に目覚めた……」


「いや、違う。断じて違うぞ」


「では何用だと申す」


「なんつうか、最近困ってる事はないか? 特に魔族がらみでさ」


 リスケルの寸法としてはこうだ。人魔の間で起きている問題を解決し、実は共存可能であることを示す。あとは利害を説けば、為政者も聞く耳を持つハズである。少なくともスノザンナ王は、筋肉に傾倒するきらいはあるものの、直情的で裏表のない男だ。最初の交渉相手としてはうってつけなのだが。


「魔族ならば追い払ったぞ。最近は、国内で見かけたという報告を受けておらん」


「えっ、そうなのか?」


「我が軍は小勢なれど一騎当千の猛者ばかりよ。ひとたび戦となれば勇猛果敢に暴れまわるのだ」


「へぇ、なるほど。そりゃ何より……」


 アテが外れた。こうなれば眼の前の王も交渉相手ではなく、半裸の筋肉ダルマである。リスケルは早めに退散しようと判断したが、予期せぬ言葉に方向を変えた。


「別件だが、困りごとはあるな」


「本当か?」


「うむ。実はワシの息子が婚礼の儀をひかえておるのだが、上手くいっておらん」


「……詳しく聞かせてくれ。力になれるかもしれない」


「では我が息子を呼ぼう。王太子をここへ」


 リスケルは待つ間に腹を決めた。この悩みを解決した方が後々楽になる。理屈は分からなくとも、彼は信じることにしたのだ。自身の勘を、これまでに何度も救われてきた直感を。


「父上、聖者殿、モーシンただいま参上つかまつりましたぞ!」


 豪快に扉が開き、そして劣らぬ大声が響く。その騒がしさは肌がひりつき、耳鳴りを誘うほどなのだが、王は態度を変えていない。普段通りである。


 この妙に騒々しい王太子は王の隣にまで歩み寄り、身につけるのは真っ赤なハーフパンツだけ、他は裸という姿を晒す。それも普段通りである。


「せがれよ。婚礼の件についてご説明するのだ」


「ハッ! それはもう速やかかつ饒舌にお話し申し上げますぞ!」


 がなり口調で語られた悩みは、意外にも重たく、国策に絡む内容であった。


 先日20歳を迎えたモーシンは、取り決めに従い、隣国から姫を娶(めと)る予定であった。しかし待てど暮らせど相手は来ない。再三に渡って書状を送っても、支度金を納めても一向に動きがないのだ。あとは軍隊をチラつかせるなり、外交圧力をかけるしかない。


「なるほど。嫁が来ないせいで参ってると」


「さすがは聖者殿、慧眼にございます。婚礼は一大決心が要るものとは申せ、こちらも国事が滞っております。それはもう弱って、あぁ大いに弱ってございまぁぁす!」


「分かったから。気持ちは分かったから一々叫ぶな!」


「承知でございますぞ」


「つうことは何だ。その問題を解決すりゃ良いんだな?」


「お願いできますか!」


「おうよ。旅のついでに一肌脱いでやる」


 ここは恩を売っておいた方が良い。手ぶらよりも交渉がしやすくなるからだ。たとえ聖者の勧めであっても、魔族と融和するというのは簡単ではない。


「よろしく頼みますぞ、聖者殿。それとお供の方は」


「あぁ、こいつはネ……!」


 リスケルは危うく口を滑らせそうになった。ネイルオスの名前をここで出すわけにはいかない。


「……ね?」


「ええとだな、その……」


 ごまかせリスケル。そんな声無き声援がうごめく中、言葉はつむがれた。


「こいつは、根暗で気さくなイーサンだ。無口だけど悪いやつじゃない」


「どうぞお見知りおきを、根暗で気さくなイーサン殿」


「う、うむ」


 ネイルオスは返答に困ったが、とりあえずリスケルの背中を睨みつけた。


「そんで後ろの2人は、クソ生意気なセッちゃんとボンヤリ娘のギィちゃんだ」


「よろしくですぞ、お二方」


「クソ生意気ですって……なんたる侮辱!」


「ボンヤリ娘……。ギーガン、とろくさいの?」


 様々な想い、特に怒りの感情が渦巻く中、約束は交わされた。


 こうしてモーシンの悩みを解決すべく、隣国のミッドグレイスへ向かうことになる。王太子の熱意を汲んだので、その晩のうちに出立だ。ちなみに移動中、リスケルは3人から詰られる事になるのだが、それはまた別の話である。


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