第33話 見えない檻を突き破れ

 コワンコワンと鐘が鳴るのを、リスケルはベッドの中で聞いた。外はというと白みだした頃で、夜は明けたのだが、まだ動き回るような時間でもない。


 まどろみの中、二度寝しようと思い横になる。意識の塊は素早く溶け、シーツと一体化しようと揺れ動く。だが再び打たれた鐘によって現実へと引き戻された。


「何度鳴らすんだよ、うるせぇな!」


 こうして深く眠る事を許されないまま、リスケルは朝食時を迎えてしまった。


「最悪な気分だよ、クソが」


「そんな顔はよせ。飯が不味くなる」


 食事はそれぞれのベッドに腰掛けて、皿を片手にして食べる。出された品はイモと燻製肉なのだが、2人の料理は完全に一致する。調理法がという意味ではない。料理の形状、素材の大きさや形、果ては焦げ目すらも全くの同一なのだ。


 この一切の個性を許さない姿勢は、何とも言えない怖気を誘う。


「気持ち悪ぃ。徹底するにも限度があるだろ……」


「それはさておき、聖者リスケルよ。こんな不気味な街で何をしようという?」


「聞き込みだな。街の人達から現状について聞きまわりたい」


「まぁ、妥当な所だろう」


「飯食ったらすぐ出るぞ。一刻も早く終わらせたいからな」


 リスケルは沈みかけた心を奮い立たせる様に、皿の料理を豪快に頬張った。それからは2枚の皿を廊下に置き、さぁ始めようと思い立ったその時だ。


「お客様。皿の位置が寄りすぎです。もう小指1本分ほど遠ざけてください」


 苦言を投げかけたのは宿の主人だ。これにはリスケルも、眉を曇らせつつ皿をスライドさせた。


 出鼻をくじかれた感はありつつも、リスケル達は街へと飛び出した。4人でまとまらず、バラけた上での聞き込みだ。ここでの法は、特に男女の交わりについて厳しい傾向がある。ならばリスケルとしては、セシル達と別行動をとるのが無難なのである。


「ええと、誰に聞こうかな」


 道行く人は今日もキビキビと真っ直ぐに歩く。話しかけやすい雰囲気からは程遠いが、意を決して後ろから追った。


「あの、ちょっと良いかな?」


 まずは独り歩きする女性に尋ねてみた。だが相手は口を開こうとせず、その代わりに左手を見せつけるようにして掲げた。


 不審に思って眺めていると、小指の辺りに赤い線が走るのが見えた。それも法で決められた作法だ。


「えっと、何だっけこれ……」


 リスケルは冊子を荒くめくると、お目当てのページを探り当てた。小指の赤い線は既婚者を示すもの。それを見せつけられた異性は、定められた仕草の後に見送らねばならない。


「あぁ、えっと。引き止めてしまい申し訳ありません。どうぞご随意に」


 珍しく馬鹿丁寧な言葉とともに、リスケルは拝礼し、さらには自分の足を交差させた。強制された動きは中々終わらない。相手が20歩先まで行くか、あるいは曲がり角で姿が見えなくなるまで続ける必要があるからだ。


「こんな事、毎回やれってのか……!」


 リスケルは地面の小石を蹴り上げたい衝動に襲われた。だが、そんな無作法を働けば兵士が飛んできてしまう。彼に許されるのは、両手両足を高くあげて、道の左側を歩くことだけだ。


「ふむ。薄々勘付いてはいたのだが、やはりな」


 イーサンに扮したネイルオスは、道行く人々を眺めながら呟いた。この街に男は少なく、やたらと女性の姿が眼についた。印象を受けるという曖昧な主観ではない。


 実際に彼はすれ違う人をそれとなく観察しつつ、7割方は女であると結論づけた。年齢層は幅広いが、どこを見てもその割合に落ち着くのだ。


「そこのご婦人。少し尋ねたい」


 声をかけられた女性は20歳過ぎくらい。両手で陶器の壺を抱えていたのだが、それはゴトリと地面に落ちた。


「おっと失礼。驚かせる気はなかったのだ」


「あぁ、なんてきらびやかな眼差し。それはまるで、眠りこけた砂漠の大地を揺り起こすかのよう」


「水瓶が重たいのだな。良ければ手伝おう」


「どこまでも優しく響き、そして心の奥まで染み入るかのような声色。あぁ、アナタはどこまで私を惹きつければ気が済むのです」


 まるで会話が噛み合わない。ネイルオスは眉を潜めるのだが、同時に心当たりもある。それは例の冊子で、昨晩に一読した内容と一致するものだった。


(これは確か、求愛行動では……)


 そう解釈すると、彼は返礼の仕草を見せた。判断に自信がある訳ではないが、間違えていても恥をかくだけだ。


「身に余る光栄なのだが、当方は未熟者につき」


「あぁそんな……。これを悲劇と言わずして何と言いましょう」


「ともかく失礼」


 きびすを返したネイルオスは、引き続き調査を続けた。だが思いの外に難航する。それは少女から老婆に至るまで、似たような反応を示したからだ。


 目眩のようなものを感じつつも、生真面目な彼はめげず、調査を続行するのだった。


「はぁーーアホらし。こんな不自由さの中で生きていくだなんて。やっぱりニンゲンなんか理解できませんわ」


 セシルとギーガンは、道端に並んで腰を降ろしていた。今日も日差しは強いのだが、ヤシの木が織り成す日陰がなんとも心地よい。休暇であれば日光浴を愉しみたい所である。


「お話をしないの。陛下たちは、今も頑張ってる」


「情報ならもう十分ですわ。型通りにしないと会話も出来ないなんて、もう呆れる気すらおきませんわ。バカバカしい」


 セシルは心のままに毒づくと、水筒をグイッと呷った。ノドを爽やかに通り過ぎていくのは冷えた水、ではなく、柑橘フルーツの絞り汁だ。もちろんこの街では法に触れるのだが、傍目には分からない。そしてギーガンですらも知らない事実だった。


「あぁ美味いですわ。思うがままに飲むとなると格別に」


「おいお前逹、そこで何をしている!」


 巡回中の兵士達に咎められた。いきり立つ2人の男に対する答えは、鼻で笑うようなものだった。


「何って、この通り足を休めているのですわ」


「それは総員健康増進法に違反する行為だ。知らぬとは言わせんぞ!」


「あっそ。そんな下らない事を告げにわざわざ。ご苦労さま」


 そこでセシルは大口を開け、クワァとノドを鳴らした。そして横を向いた瞬間、これ見よがしにツバを吐き捨てた。よりにもよって取り締まりの真っ只中で。


「き、貴様! 自分が何をしたか分かっているのか!」


「恵みですわよ、お恵み。美女の唾液を吸った大地は、実り豊かなものになりましてよ」


「御託なら牢屋の中でホザくがいい!」


「さぁ逃げますわよギーガン。暇潰しにからかってやりますの」


「逃げるって、どこへ?」


 セシルは何も答えず、ギーガンの手を引きながら路地裏へ。もちろん背後には猛追する兵の姿がある。


「この辺で良いかしら。お邪魔しますのよっと」


 木の扉を蹴破って乱入した。そこは誰とも知らぬ人が住む民家であり、セシルとは面識など無いのだが、我が家のようにズカズカと上がり込んでいく。その姿も、追いすがる兵士達からは丸見えだ。迷うこと無く迫り寄る。


 そんな2人に向けて、セシルは片手を突き出しつつ大声で叫んだ。魔法の詠唱を思い出させる動きで。


「キリツネックの治安防衛にまつわる新法、第187条の第2項および3項!」


 追跡者達の足がビタリと止まる。その法とは、武装した兵士が民家に押し入るのを制限するものだった。市民を脅かす行為を徹底して禁じており、中に入るには議員2名の許可と、キリツネックの最終承認が必要となる。


「ホラホラどうしましたの? ワタクシ達を捕まえるのではなくて?」


「こしゃくなガキめが……そこを動くなよ!」


 兵士たちは猛然と路地を駆けていった。うかつな事に見張りすら残さず、2人揃っての申請だ。


「さてと、邪魔したわね。アンタ達に用など無いから安心なさい」


 セシルは住民に声をかけたのだが、老夫婦は震えて抱き合うばかりだ。


「あら、良いお召し物を着てますのね。珍妙な歩き方では服が泣きますわよ」


「ごめんなさい。お邪魔しました」


 セシル達はそれぞれの想いを口にして、商業区を後にした。足早にやってきたのは緑地区、いわゆる公園だ。


 腰の曲がった老人たちが一糸乱れぬ体操に勤しむのを尻目に、セシル達はレンガ造りの段差に腰かけた。すると、彼女たちに再び声がかけられるのだが、今度は兵士ではなくネイルオスだった。


「おう、そなたらはもう聞き込みが終わったのか?」


「ネイルオス様! 成果は上々ですのよ」


「そうか。それは何より。てっきりサボっているものとばかり考えていた」


「まさかまさか。手を焼きはしましたが、キッチリ調べておきましたの」


「うむ。こちらも法の壁とやらに邪魔されてな、かなり苦労をさせられた」


「ギーガン、気付いちゃった。この街、貧乏な人が居ない」


「そのようだな。衣食住が保証されているらしい。これだけの悪法がまかり通るのだから、人々は苛め抜かれていると思っていたのだがな」


 互いに受けた印象や証言を持ち寄る事で、話の擦り合せが始まった。断片的でしかなかった情報は、いつしか違う色味を帯びていく。


「ワシの聞いた話では、厳しい法が定められたのは2年前らしい」


「そのようですわね。あのジーサン。以前は柔らかな物腰で、法も緩めたりして、むしろ自由を与えるような人柄だったそうですわ」


「何か事件でも起きたのだろうか。まるで人が変わったようではないか」


「陛下。2年前は、リスケル達が街に来た頃だって」


「ほう。それは初耳だ」


「ついでに魔族退治もあったんだって。お婆ちゃんが教えてくれた」


「魔族討伐か。この辺りの種族は、夢魔族に遊眠族だな。精神魔法を得意とする……」


 そこまで言うと、ネイルオスはハッとした。脳裏には、鋭く閃いたものが光速でよぎる。


「どうかなさいましたの?」


「もしや、本当に人が変わったのではないか」


「変わったとは、今のジジイは別者がなりすました姿であると?」


「違う、その逆だ。討伐を境に激変したのなら、以前のキリツネックこそが偽物……」


 そう言いかけた瞬間、辺りは凄まじい悲鳴に包まれた。何事かと眼を向けてみれば、そこにはリスケルが1人で疾走する姿が見えた。ただし四つん這いで。髪を振り乱し、奇声をあげながら超スピードで街中を暴走しているのだ。


「ウケーッケッケ! 何が法だ規律だルールだ! んなもん全部ブッ壊してやらぁーー!」


 正気でないことは、離れた位置からでも容易に見て取れた。


「あぁ、とうとう狂いましたのね」


「悪い予感が的中した。あやつには堪えられんと踏んでいたのだがな」


「面倒ですし、放っておきません?」


「急ぎ荷物を取りに宿へ戻る。そなたらは、遠目に見守るだけで良いぞ」


 そうしてネイルオスが脱出の準備を進める中、リスケルの方もクライマックスを迎えつつある。一息で屋根の上まで登り、そこで高らかに自我を叫ぶ。


「自由だァーーッ! 生きてる証だオラァーーッ!」


 当然その所業は兵士に知られる事になり、またたく間に大勢が押し寄せた。だがリスケルは大陸屈指の武人である。屋根に迫る一般兵達をちぎっては投げ、そして叫ぶことを繰り返した。


 その不可思議な騒動はリスケルの圧勝に終わり、何百もの兵は地面に這いつくばる事になった。


「ウオォーーッ! 魂の叫びを聞きやがれぇーーッ!」


 声がかれる程の雄叫びは、ネイルオスの横やりが入るまで続けられた。阿呆め、もう行くぞ。言葉とともに押し付けられた荷物により、リスケルも平静を取り戻した。


 確かにここには居られない。4人は合流を果たすなり、防護壁を飛び越えて街から離脱した。これで立派な逃亡者となったのだが、リスケルは、実に晴れやかな笑みを浮かべていた。


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