第32話 がんじがらめの酷法
「出しなさいコラ! ワタクシを誰だと思ってますの!」
「クソ生意気なせっちゃん」
「その名で呼ぶのはおよしなさい。ともかく早く出しなさい、さもないとその汚いケツ穴にサンドクラーケンの触手をブッ挿してやりますわよ!」
牢獄には夜通しでセシルの罵声が響き渡った。この地下牢獄は男女で区画が分かれるため、リスケル達とは別の牢に収容されている。これだけ離れていてもうるさいのだから、ギーガンはツライかもしれないと、彼らはそっと思いやる。
「それにしてもなぁ……まさかブタ箱行きだなんて」
「何だったか。心優しき領主に住みよい街と申したな?」
「おっかしいな。確かに覚えがあるんだけど」
そう言いつつもリスケルは、やたらと周囲に眼を配った。視線もチラチラとさまよわせ、無言であるのに何となくやかましい。
「どうした。何を気にしておる」
「いや、精霊がフワリと飛んでたりしねぇかなと。こんな所をエミリアに見つかったら大変なんだよ」
「長々と説教でもされるのか?」
「違う。怒り任せに、城を地図から消し飛ばしかねない。聖者様になんて無礼を、とか叫びながら、獄炎魔法でドバンと」
「それは過激な話だな。まぁ心配するな、どこにも気配は感じられぬ」
「なら良いけどさ」
リスケルが方向違いな悩みを克服した頃の事、辺りに足音が響き渡った。コツリ、コツリという固い音が、囚人の耳を突き刺すようだ。
「拝礼せよ。サザサンド議長のキリツネック様であるぞ」
鉄格子の向かいで兵士が怒鳴る。その隣には、牢屋の中を見下ろすようにして男が立っていた。
歳の頃は初老。細身で長身。身にまとうローブも白く、縁取りした金と紅の刺繍が、暗がりでも煌めいて目立つ。胸元まで伸ばしたヒゲには白いものの方が多く、短く刈り揃えた髪など完全な白髪だ。
その中でも一番眼が行くのは顔立ちだ。彫りの深い作りには厳格なシワが刻まれており、他者を寄せ付けないかのようも見えた。
(うーん。見覚えがあるっちゃあ、あるけどさ)
もっとフランクな雰囲気ではなかったか、改めてリスケルは首を捻った。慈愛だの互助だの言いそうな人柄だったハズだと、記憶との食い違いに苦しめられる。
「貴殿……もしやリスケル殿では?」
谷の様に深いシワが動くと、低い声が漏れ出た。
「そうだよ。覚えてる?」
「忘れようもありません。このような形での再会は不本意ですが、ともかく我が執務室へ。もちろんご友人もご一緒に」
キリツネックが隣に眼を向けると、兵士は弾かれたように拝礼し、回廊を駆けていった。遠くで鍵の開く音と、続けて打撃音が聞こえ、牢から出してもらえたのだと理解した。
そうして一晩ぶりに合流した4人は、キリツネックの執務室までやって来た。
調度品は質素だが、その全てが定規でも押し当てたように向きが揃っている。紙切れ一枚すら例外なく、ピッチリとしたラインを保っており、リスケルは何となく頭痛に襲われた。
「それにしても久しいですな。1年ぶりでしょうか」
キリツネックが腰掛けながら言う。そんな時ですら寄りかかる素振りも見せず、背筋はピンと伸ばされた。
「そんなもんかな。2年前かも」
「ふむ。使命を持つ者にとって、1日などまばたきの様なものです。お互い、時間の感覚が狂うのに悩まされますな」
リスケルの場合は多忙のせいではなく、物忘れの激しさからだ。もはや指摘する声も起きないほど、定番化した流れである。
「それにしても聖者殿。無法な振る舞いには感心しませんな。本来であれば人民の手本となるべきお方ではありませんか」
「待て待て。オレ達は別に無茶な事をやってない。屋台の飯を食ってたら、いきなり騒がしくなって……」
「屋外で許される飲食は、持参した水筒の水のみです。また、未婚の男女が2歩半以内に近づくことも、固く禁じられています。婚姻関係があれば2歩まで認めますが」
「なんだそれ。細かすぎ……」
「ホラそこ! 近づき過ぎない!」
話を途中にキリツネックが怒号を飛ばした。糾弾する指はギーガンに向けられており、イーサンもといネイルオスとの距離感を咎められたのだ。
「皆様方には法の理念が根付いていない。本日は容認しますが、明日より処罰も検討しますので、ご了承おきを」
その言葉とともに、キリツネックは分厚い冊子をリスケルに手渡した。そこにビッシリと書かれているのはこの国の法律だ。記されているのは怨念すらも感じられる文字、文字、文字の海。眺めるだけで眼が滑る想いだが、断片的な読解だけでも異常性は十分に理解できた。
殺人や強盗などを取り締まるのは当然にしても、日常の様々な場面についても細かく、数え切れない程の制約がある。
歩き方に話し方、男女の恋愛作法、外食時と自宅でのマナーの違いや1人での入浴と多人数での入浴について。公共の場での上座下座、年齢と肩書でどう座るかの算定式、座るにしても何と言って甘受するか。そういった物事が、細かく細かく何万字にもわたって明文化されていた。果ては突発的なクシャミにさえ触れられているのだから、もはや常軌を逸するという次元ではない。狂気そのものだった。
「あのさぁ、これは厳しすぎるって。覚えられねぇよ」
「過酷な地で生きていくには、規律と法は必要不可欠。ご理解ください」
「マジかよ……息が詰まるなんてもんじゃねぇぞ」
「ところで聖者殿。我が領土へどのような用があるのですか。観光でしょうか?」
リスケルはそれとなく周りに眼を向けた。ネイルオス達が揃って眉間にシワを寄せ、不快感を露わにするのが見える。
「今更な気分だが……困り事が無いか探し歩いてるんだ。何か手伝える事があればなと」
「ほう。邪神討伐を放り出してまで、ですか?」
「ネイルオスなら致命傷を受けて雲隠れしたぞ。だから、ホラ。聖者としてやれる事をやろうかなって」
「なるほど。強いて言えば大型魔獣に手を焼いておりますが、手助けは無用。我ら砂漠の民は法の下に団結し、あらゆる悪を駆逐してゆくでしょう」
「へぇそっか、そうなんだぁ」
「私は公務がありますので、これにて失礼を。くれぐれも規則を軽んじる事がないよう、お願い申し上げます」
そこで丁重に追い出されたリスケル達は、ようやく街中へと戻った。体内でうごめくジットリとした疲れは、投獄による疲弊からでは無いのは明らかだ。
「リスケルよ。これからどうするのだ」
「どう、とは?」
「この国の茶番に付き合うのか、だ。まさかとは思うが、こんな馬鹿げた規則に従うつもりか」
「確かに人魔併合なんて話、あのジーサンには通じなさそうだよな……」
「まったく。前回は過酷な税で、今度は法か。人族とはどうしてこうも極端なのだ」
「オレに聞くなよ」
それからは悩んだ末に宿屋へと向かう事にした。早く街を出ようという意見が強いのだが、数日だけ様子を見ようと決まったのだ。特にリスケルは、記憶とのズレに違和感を覚えており、それが気がかりで仕方がない。
「いらっしゃいませ、旅のお方。ここは30歳未満の独身男性向けの宿でございますが……」
リスケルは頭痛に似たものを感じた。この街では男女で同じ施設に宿泊できない。仕方なくセシル達に宿賃を手渡し、並立する別の宿へと向かわせた。
「悪いな、勝手が分かってなくて。オレ達は30歳未満だぞ」
「リスケルよ。ワシは数えで7039歳なのだが、伝えるべきか?」
「黙ってろ。話がややこしくなる」
「お2人様、どの部屋に致しましょう。1階窓無しのお部屋が50ディナ、窓有りで70ディナ。お2階の窓無しが60ディナ、窓有りで……」
「うん。1階の窓有りにしようかな」
「承知しました。お食事なのですが、最安値が30ディナでして、ふかしイモと燻製の肉が一枚付きます。お次の価格帯が50ディナでそちらには……」
「うんうんうん。一番安いので」
「それでは前払いと為ります。お代として160ディナを頂戴いたします」
支払いを終えると、リスケルは更に疲労を積み上げた。食事なんか無視してベッドに潜り込みたい、そんな気分だった。
通された部屋は3つ並びの真ん中だ。閉じきった木窓がひとつと、他にはベッドが2つ詰め込まれただけの質素な部屋だった。
「お荷物は南西の角に置いていただけますか」
「ここで良いか」
「よろしゅうございます。館内を出歩かれる時は、備え付けのローブを被るようお願いします」
「壁にかかってるヤツだな。わかった」
「お食事は夕暮れ時の鐘が鳴り次第お持ちします、その次の鐘までの間にお済ませください。食べ終えたら食器は重ねて部屋の外、ドアから拳2つ分を空けた所にお出しください」
「うん。分かったよ」
「お手洗いは、就寝の鐘が鳴りますと施錠しますので、ご利用でしたらお早めに。時刻が迫りますと混み合いやすいので、狙い目を申し上げるなら……」
「分かった、分かったから」
リスケルは語気を強め、言葉だけで退室を促すと、今度はベッドに潜り込んだ。寝具を頭から引っかぶる様は、言外に機嫌の悪さを伝える風でもある。
「どうする。今からでも予定を変更するか?」
「うっせぇ、ちょっと黙ってろ」
そんな八つ当たりな罵声を晒すシーンがありつつも、結局は街に留まった。
とりあえず明日になれば、グッスリ寝て頭をリフレッシュすれば、きっと良いことが起きる。根拠などありはしないが、リスケルはすがる想いを心の中で繰り返した。
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