第26話 中興の女王
王女フィーネ死す。その報せが国民にまで広く知られると、大勢が肩を落とした。
膨大過ぎる、婚姻の為の税から解放されたとも言えるのだが、彼らの暮らしぶりは更に悪化した。なぜなら、国葬を執り行う為に新たな重税が課せられたからだ。職人は不意になった飾りを脇に押しのけ、今度は葬儀用の数々を作らねばならず、再び昼夜を問わず働き続ける。
それ以外の者達は、冗談じみた額の臨時税を求められた。もはや家には金どころか、明日へ食いつなぐ食料もないのだが、兵士たちは問答無用で全てを持ち去っていく。
「こんな暮らし、もう限界だ……」
不運の姫君を偲ぶ人は少ない。彼らとて今日を生き延びる事が出来るかわからないからだ。それが餓死か、過労死か、結末は不明にしても、先は長くないと誰もが確信する。
だから王都は、廃墟かと疑うほどに静かだった。思い出したように金槌を振るう音が響きくので、辛うじて人の気配はある。もはや活動的なのは兵士や貴族くらいのもので、支配される人々はボロ服をまとい、足を引きずりながら歩くという始末である。
そんな横暴のまかり通る街に、1人の来訪者があった。くすんだ銀のローブで頭から全身を包む女に、衛兵達は眼を見開いて凝視した。
「貴女は、もしやフィーネ様では!?」
衛兵達は態度に悩まされた。軍内部では、フィーネが裏切り者として討たれたという噂で持ちきりである。もちろん下級の兵に事実など知らされたりはしない。だから彼らは、手元の槍をどう扱うか悩み、曖昧な角度を作るしかなかった。
「ご苦労さま。通してもらうわね」
「いえ、その、しばしお待ちいただけますか。国王陛下に尋ねて参りますので」
「不要です。そこを退きなさい」
「なりません。どうかお待ちを」
制する兵士たちをフィーネは鼻で笑うと、片手を横一文字に振り払った。その風圧だけで屈強な男達は吹き飛ばされ、壁に激しく激突する。
そうして無人となった門を通過し、大通りへと出た。そこで彼女が眼にしたのは、亡霊のようにさすらう疲弊した民である。
(なんてこと。こんなにも追い詰められているだなんて……)
フィーネは苦いものを飲み込むように身を屈め、次いで背筋を伸ばし、叫んだ。
「聞きなさい、ミッドグレイスの憐れな民よ。私はフィーネ。この声が聞こえますか」
静まり返った街には十分なほど響き渡った。やがて方々で木窓が開き、あるいは軒先から顔を覗かせる者が現れた。
「フィーネ様だって?」
「本当だ。でも、何だか様子が……」
街の人々は困惑した。確かに顔立ちに見覚えはあるのだが、額に生やした角には強い違和感を覚えたのだ。
(面妖だ。まるで魔族ではないか……!)
そのため、彼らもどう応じるべきか悩み、建物から出るのをためらってしまう。
フィーネとしてはそこまで織り込み済みだ。続けて声をあげ、それはいつしか演説へと変わっていった。
「私は見ての通り魔族として生まれ変わりました。父である国王の差し向けた兵に殺されかけた所を、魔族の皆さんに救われたのです」
「なっ……!?」
絶句する国民達。そうして深まる静寂は、一層の緊張感を匂わせた。
「驚いたでしょう。人族の嫌悪する魔族になったのですから。しかし恐れる必要はありません。果たして皆さんにとって、魔族は脅威なる存在なのでしょうか?」
とりまく空気が僅かにうつろいだ。ざわめきが、微かな物音となって通りに伝わる。
「確かにグラナイストの村は、悲劇に見舞われたと聞きます。ですが、実際にアナタの周囲で被害がありましたか? 家族を、友を、愛する人を殺された者がいるのですか?」
姿を隠す観衆は、再び静まり返った。その無言は、返答したものと同等である。
「ならば我々の敵は、姿形の異なる隣人ではありません。暴政と享楽にふけり、国民を虐げる国王ではありませんか。かつては王の支配下にあり、間接的に皆さんを搾取した私が敢えて言いましょう。滅ぼすべき者はあの城にこそ居るのです!」
フィーネはそう締めくくると、通りの建物を一望した。今の言葉がどれほど響いたか、彼女からは見えない。
すると今度はおもむろに、道端の方へと足を向けた。そこには幼い兄妹が、寄り添うようにして立ち尽くしている。
「あ、あぁ……」
恐怖にも似た表情で、少年たちは足を凍りつかせていた。
フィーネは傍まで寄ると膝を折り、両手をそれぞれ兄と妹の頭へと伸ばした。汚れで膨らみきった髪を撫でると、フィーネは胸を貫かれたような痛みを覚える。以前受けた矢とは異質で、遥かに凌ぐ痛みが。
「可哀相に。辛かったでしょう」
優しく撫でられる手のひらが頬へと伸ばされた頃。ようやく震える声が、辛苦に耐え忍んだ果ての声が、彼女の耳へと響く。
「ごめんなさい。うちは貧乏だから、お金が払えなくて。お家も無くなっちゃって、父ちゃんも母ちゃんもどこかに連れてかれて。でもお金が足りなくて」
「謝らずとも良いのです。アナタ達は立派に堪えてみせました。すぐにでも温かなスープと寝床を用意しましょう。もちろん、ご両親も一緒にね」
「でも、僕、お金持ってないし」
「心配いらないわ。それならお城にたくさんありますもの。使い切れないくらいにね」
フィーネは少しおどけてみせると、再び立ち上がった。力強く振る舞う姿に、人々は何を思ったか。救世主の到来か、それとも魔族の誘惑か。不安視する者もいただろうが、後先を考えるだけのゆとりは残されていなかった。
「強制はしません。当たり前の暮らしを、当たり前の財産を、安らかな未来を望む者のみで結構。私に続きなさい!」
ひとしきり声を響かせると、フィーネは静かに歩きだした。先程の兄妹は、お互いに頷きあうと、その背中を追いかけていく。
するとどうだろう。あれほど静まり返った通りは轟音が響き渡り、あちこちから人が押し寄せてきた。
「悪王を討ち滅ぼせ、かつてない暴政を断じて許すな!」
「この身は新たなる王、フィーネ様のために! 女王陛下万歳!」
騒ぎはまたたく間に広がり、まるで戦場のような怒号が、足音が鳴り響く。賛同する人は周囲に働きかけ新たに人を呼び、いつしか路地まで埋まる程になった。心を1つにした大集団は、さながら一匹の巨獣にでも見えたかもしれない。
声を張り上げ、手にした金具を叩き、勇ましく行進する。だがそれも固く閉じる城門に阻まれた。湖に守られる城は、ここが唯一の出入り口である。
開くはずはない。すでに異変を知る騎士団は防備を厚くし、徹底抗戦の構えで迎えた。
「誰かと思えば……知恵無き獣が上手く化けたものだ。それとも亡霊でも見ているのかな?」
騎士団長は門の上に立ち、足元を見下ろした。
「ここを開けなさい。アナタ達に勝機などありません」
「城門とは高貴なる方のみに開かれる。魔族に貧民では、矢の嵐で迎える事になるだろう」
「そうですか。一度ならず、二度までも撃つというのですね。よほど私の事が気に食わないのでしょう」
その時、兵士たちの間に動揺が走る。二度とはどういう事か。噂は本当だったのかと、あちこちで囁き合った。
「者共。敵の言葉に耳を傾けるな! 悲劇の姫君フィーネ様を騙る、おぞましき魔族だぞ!」
「何を慌ててるのです。生き証人が現れた事で、よほどの不利益があるようですね?」
「討て、あらんかぎりの矢を放て。先頭の魔族さえ殺せば、この馬鹿げた騒ぎは終いなのだ!」
号令は速やかに伝わった。城門の上から、城塔の覗き窓から矢が射かけられる。
(まぁ、もう一度食らってやる義理もありませんね)
腰を限界まで捻って力を溜めたフィーネは、素早く腕を横に払った。手を振り終えた後に風切り音が鳴る。
音の壁を越える程の速度だ。誰の眼にも留まらず、見えたのは、半壊して散らばる矢の残骸だけである。
「こ、この……化物め!」
「その化物は、アナタが生み出したのよ」
フィーネは素手のままで、弓を引絞る動きを見せた。すると宙には漆黒の矢らしき物が浮かび上がる。存分な魔力のこもった闇属性の矢は、時おり放電したように形を変え、放たれる瞬間を待ちわびた。
「さぁ、いつぞやの借りを返しますよ」
狙いも、魔力も十分。人を傷つける覚悟も決めた。しかし1つだけ不足するものがある。必殺技の名前である。彼女は思い描くままに力を体現したまでは良いが、それをどう呼ぶか。何と叫ぶのが気持ちいいかまで、思考が及ばなかったのである。
こんな時ファングならどうするか。ネイルオスなら、リスケルならと、記憶の引き出しを必死に開け放った。
この無意味に続く間。それは騎士団長には別の意図として伝わった。
「フッ、フハハ。無理をするな。女ごときが戦の真似事など百年早い。大人しく男の後ろで震えていれば良いのだ」
今の侮辱はバッチリ効いた。もういい殺す。彼女は場違いな迷いを一気に振り払い、猛々しい声とともに力を開放した。
「ワッショイこの野郎ーーッ!」
咄嗟の叫びは、よりによってリスケルが手本。しかし雑な掛け声とは異なり、威力は折り紙付きだ。
腹のど真ん中に的中した矢は、重装備の男を軽々と吹き飛ばしていく。その飛行は団長を連れたままで塔を削り、城の端を砕いても止まらず、遂には湖の方へと落ちていった。
「門を開けなさい。そうすればアナタ達の身柄は保証します。ですが……」
フィーネがちらりと背中に眼を向ける。
「もし抵抗を続けるのなら、人々の怒りによって踏み潰されるでしょう」
これには残った者達はたまらない。武器を捨てる音が響くと、すぐに門は開かれた。
それからの展開は呆気ないものだった。第2第3の門は素通り。城内に踏み入っても抵抗は無く、アッサリと王の居室まで辿り着いた。
「父上、いえ、ミッドグレイス王よ。これよりアナタの王権を剥奪します」
「助けてくれ……命だけは……」
部屋の片隅で震える姿に、フィーネは鼻白んだ。憤激して挑みかかる気概も、自刃してみせる誇りもない。あるのは血の通わない思考だけか。
ここでもフィーネは、ためらわず沙汰を下した。ある意味では最も重い刑罰を。
「前王にはグラナイストに向かってもらいます。そこで余生を過ごしなさい」
「な、何だと!?」
「さぞや屈辱でしょうね。我が国の領土を奪い、大陸に覇を唱えるまでになった国から、捨扶持を貰って生きていくのですから」
「それだけはやめろ! ワシはこの国からは離れとうない!」
「おやおや。まさか居場所があるとでも? あらゆる力を失ったアナタが、この国で生きていけるとお思いですか?」
王の視線が辺りを泳ぐ。口で問うまでもない程、眼に映る憎悪は激しく、感情の渦が見えるようだった。
「どこで道を違えた……大陸を支配する使命を持つワシが、なぜ!」
「悪いことは言いません。その不相応な野望は忘れなさい。そうすれば健やかに暮らせるでしょう」
「なぜだ、なぜなのだ……!」
人目もはばからず泣く姿に、フィーネはうんざりした想いになった。だが面倒はこれでお終い。後は行動するだけだと気持ちを切り替えたのだが。
「フィーネ殿……?」
か細い声と共に現れた男は、大仰な動きで膝を折り、これ見よがしに胸を叩き始めた。
「あぁ何という事だろう! まさかフィーネ殿が生きていようとは!」
なんとも騒がしい男はモーシンだった。頬がそげ落ち、眼を腫らした為に人相は変わっているものの、この暑苦しさだけは忘れようもない。
「王太子モーシン。まさかこの期に及んで、愛だの恋だのと言いませんよね?」
「ええ、もちろん。あなたへの恋心は、かの夜に忘れてございます」
「そう。ならば道を開けてもらえるかしら? 急ぎの用事があるの」
「これは失礼!」
モーシンは吹っ切れたと言うだけあり、キビキビとした動きで脇に避けた。
(父もこれくらい潔ければね……)
フィーネは他人に伝わらない溜息を溢すと、王の居室をあとにした。
次に向かうのは食料庫だ。使命に目覚めた彼女の歩みは、気高く、そして美しくすらあった。
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