第25話 聖地に賭けろ

 フアングら移民軍は、悲しみの真っ只中。もう一歩すらも動かず、ただその場で涙を流し、激しい喪失感に晒されていた。


 そこへ何とも場違いな声とともに現れた男が、リスケルだ。


「おぉーーい、みんな無事かぁーー!?」


 彼はノンビリと歩いて来た訳ではなかった。足での移動は早々に諦め、考えあぐねた結果、ツタを使うことにしたのだ。ツタを木の枝に巻きつけ、枝を軸に激しく回転。そして超絶なる遠心力を身体に宿すと、天高く舞い上がった。


 目標もばっちり。移民達の脇あたりに着地。しかし華々しさと奇抜さを兼ね揃えた登場であっても、今ばかりは構う者など居なかった。


「おい、どうしたんだよ。敵は倒したのか?」


 魔人達は肩を並べて大きな円を作り、その中央に松明を並べていた。それだけならまだしも、誰もが涙を流し、あちこちから嗚咽(おえつ)が漏れている。余りにも不吉な光景に、リスケルは急ぎ円の中心へと歩み寄った。


「ネイルオス、何があったんだ!」


 反応はひどく鈍い。ネイルオスはうなだれながら一点を見つめている。セシルとギーガンも頭を垂れ、身じろぎ一つしない。まるで祈りでも捧げるかのように。


 不審に思うリスケルも、全容を掴むなり口をつぐんだ。あぜ道の傍で止まる馬車、地面に敷かれたゴザの上でフィーネが仰向けに横たわり、更には大きな矢が突き立っていた。


「これ……マジかよ」


「リスケルよ。残念だが、別れの時だ」


 身じろぎしないフィーネの脇にはフアングが寄り添う。人目もはばからず、子供のように泣きじゃくりながら。


「フィーネよう。死ぬには早すぎんだよ。お前の人生は、これからって所じゃねぇか」


 フアングの両手がフィーネの手を握りしめる。魂が抜け出るのを抑え込むかのように、あるいは、自分の有り余る生命力を注ぎたいかのように。


「お前言ってたよなぁ。一度で良いから海を見てみたいって。それから、遠くの山を見るたび言ってたよなぁ。あそこに登ってみたいって。オレと一緒に、見晴らしの良い所に登ってみたいって、そう言ってたじゃねぇか!」


 熱い涙がフィーネの頬に落ち、濡らす。彼女はかすかに反応を示し、うわ言をつぶやくのだが、それもやがて無くなるだろう。


「死ぬなよフィーネ! こんな終わり方、オレは認めねぇからな!」


 叫んでは涙を溢す。そんな痛々しい光景に耐えかねて、リスケルはそっと耳打ちをした。


「おい、早く治してやれよ。可哀相だろうが」


「魔法で治癒できる段階ではない」


「なんでだよ。回復魔法とかでちゃちゃっとやれよ。邪神の魔力はスゲェんだろ?」


「前にも言ったが魔族は死なぬ。眠りに就くだけだ。そんな我らが、瀕死の重症を癒やす魔法などわざわざ開発すると思うか」


「じゃあ、フィーネは……」


 打つ手無し。ネイルオスは最後まで語らず、横を向いた。彼とて、出来るのなら既にやっているのだ。刻一刻と、辺りを覆う悲しみは深くなり、無力感が色濃くなる。


 だが唯一リスケルだけは引っ掛かりを覚えていた。そして次の瞬間、この物忘れの激しい男の脳裏に、断片的な記憶が蘇りだす。


 戦闘と凍傷でボロボロになる両手、清らかな水。賭けで大損して財布どころか装備までも奪われるラスマーオ。今のは違う記憶だ。


 リスケルの手を引くエミリア。まばゆい噴水、冷たくも安らかな感触。そこまで思い出した瞬間、リスケルの背筋には鋭い電流が駆け抜け、すぐに叫んだ。


「おい、フィーネは助かるかもしれないぞ!」


「まことか!?」


 弾かれたように顔を向けるネイルオス達。泣き疲れ、両目を赤く腫らしたフアングも、ゆっくりと頭を持ち上げた。


「聖地だよ聖地。あそこには精霊神の神殿があって、その中に泉が湧いてんだ。オレも前に酷い怪我をした時に、そこの水に触れたら一瞬で治ったんだぞ!」


「天魔族の神殿……なるほど。試す価値はあるかもしれん」


 ネイルオスが肯定すると、フアングは勢いよく立ち上がった。彼の両手にはフィーネの身体が抱きかかえられている。


「オレ、行ってきます。ほんの僅かな可能性でも、助かる道があるのなら!」


「よかろう、ならばワシも行こう。一刻を争うぞ!」


 ネイルオスは翼を広げるなり、大空へと飛び立った。フアングも遅れず、猛然と山道を駆け上がっていく。


「おい、待てよお前ら!」


 出遅れたリスケルがその場で転ぶ。まだ擬態の魔法は解けていない。


「せめて元に戻してから行けよ!」


 再び置いてきぼりを食らったリスケルは同行もできず、麓から叫ぶばかりだった。


 それから、ネイルオスは山頂へと辿り着き、例の神殿の前に立った。足元の雪は聖属性の力を宿しているが、彼ほどの魔力があれば大した苦でもない。


「ネイルオス様、ここが神殿ですか!」


 大して間をおかずフアングも現れた。彼の両手足は、聖属性の力に当てられた為に、赤く腫れかけていた。だが平然としている。それは痛みに堪えているのか、それとも痛覚を情熱が凌駕(りょうが)しているのか、ネイルオスには分からなかった。


「そのようだ。だがこれを見よ」


 ネイルオスは指先を神殿の中へ伸ばした。すると、甲高い音とともに爪先が弾けた。


「結界だ。魔族が入り込めぬよう、強烈なものが張り巡らされている」


「そんな……ここまで来て!」


「よって、ワシが闇属性の結界で対抗する。そなたはフィーネを泉とやらに連れてゆくのだ」


 ネイルオスは全身全霊の魔力を操り、神殿を濃紫の光で覆い尽くした。反発しあう聖と闇の力は激しくせめぎ合い、辺りに嵐のような暴風を引き起こす。


「フアング、これはワシとて長くは保たん! 早く中へ!」


「分かりました!」


 弾かれたように駆け出すフアング。外の様子とは異なり静かな内部は、思いのほか明るい。石壁が、通路の両端に走る水路の水が、白んじた輝きを発する為だ。それらもネイルオスの魔力により、ところどころで暗い紫の斑点模様が見られるようになる。


「これが泉か!」


 噂の泉はすぐ見つかった。中央の噴水から、か細い水柱が上がっているのだが、そちらも2色に彩られている。人族を癒やすのなら清水の方へ。そう思って駆け寄ったのだが。


「まだ死ぬなよ、今助けてやるからな……へぶしっ!」


 疲労か、それとも足の負傷のせいなのか。フアングは目前で盛大にスッ転び、フィーネの身体を泉へと投げ入れてしまう。しかも、よりによってドス黒い紫の目立つ水面の方へ。


「ヤバイ、早くしないと!」


 フアングは足をもつれさせながらも、フィーネが沈む所へと駆け寄った。両手を伸ばして抱き起こそうとする。だが次の瞬間、水面が盛り上がり、激しい水しぶきが舞い上がる。彼女は自力で立ち上がったのだ。


「……フィーネ?」


 水のしたたるフィーネの容貌はいくらか変化していた。栗色の長い髪は、邪神の祝福を受けて漆黒に。折れそうな程にか弱い手足も筋肉質になり、身にまとう衣服を大きく膨らませる。だがそれよりも目立つのは額にそそり立つ角だろう。黒光りするそれは、彼女の威厳を無言で語るような雄々しいものだった。


「立っても、平気なのか?」


 フィーネはフアングの問いかけには答えず、自分の胸に手をやった。そこには今も突き刺さる矢があるのだが、無造作に引き抜いた。激しく飛び散る血も、すぐに傷口が修復をはじめ、やがて完全にふさがってしまう。


「心配させたわね、フアング。助けてくれてありがとう」


 声は以前と変わらない。それでもどこか響きが違うのは、彼女の自信の現れかもしれない。


「さぁ早く出ましょう。ネイルオス様がご苦労なさってるわ」


 返事も待たずに、フィーネはずかずかと神殿の中を進んだ。堂々とした足取りだ。驚いたフアングも、ひと呼吸遅れてその後に続く。


「ネイルオス様。陛下のお導きにより、こうして生まれ変わる事ができた事、感謝の言葉もございませんわ」


 フィーネはネイルオスの前にやってくるなり素早くひざまずき、そう語った。ネイルオスは思わず眼を見開いてしまう。魔力浪費による一時的な幻覚かと疑ったのだが、彼の瞳は正常だった。


「私は半魔人という不確かな存在になりましたが、忠義の心は誰よりも厚く、と考えております」


「う、うむ。そうか。結果はどうあれ、そなたを救えて良かったと思う」


「もったいなきお言葉。早速ではありますが、手柄のひとつも立てたく存じます」


「手柄……とは?」


 ネイルオスの問いに、フィーネはたおやかな笑みを浮かべた。一見すると、比較するもののない美貌だ。しかしその奥に見え隠れする何かに、歴戦の士達は寒々しいものを感じ取った。


「これより、ミッドグレイス騎士団どもをブッ殺して参りますわ」


 怒ってる。フィーネはメチャクチャ怒ってる。汚れを知らぬ彼女の手には、黒い稲光のようなものが駆け巡っており、憤激を代弁するかのように見える。


 これはマズイ。ともかく気持ちを逸らそうとして、ネイルオス達は新たな容姿を褒めちぎった。その髪色も似合ってるとか、角がとても愛くるしいとか、とにかくあの手この手で。


「ほんとに? フアング、本当にそう思ってるの?」


「もちろんだって、もう最高だぞ!」


「えぇーー。前の方が良かっただなんて、言ったりしない?」


「言わない言わない。今のほうが断然キレイだし!」


「そっかぁ。そうなんだ、エヘへ」


「あはは……」


 はにかんだ笑みをフアングに向けた頃、フィーネの覇気は消え失せ、可愛らしい姿を取り戻していた。


 これにてようやく一件落着である。フィーネは一命をとりとめただけでなく、後遺症の心配も必要ない。少しやり過ぎた感はあるにせよ。


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