第28話 祖父の頼み

 大陸中央にそびえるオレルーワ山脈は、その雄大さも手伝ってか、いくつかの役割を担っている。


 まずは国境線として東西南北を隔てる。小山を越えたら、文化は似ているのに別の国という事態も珍しくはない。それから聖地。幾本にも伸びる頂の中で、もっとも標高の高い山頂には、女神を祀る神殿がある。また中腹には精霊師達が集落を築き、何百年もの長きに渡って聖地を守り続けている。


 そして麓(ふもと)には大きな街があり、人の往来は激しい。オレルーワ山脈の持つ最後の役割は観光資源だ。人々は、死ぬ前に一度は詣でると言って、グラナイスト西端の街ジュレにまでやって来るのだ。


「相変わらず凄い賑わいだな」


 ラスマーオは呆れ気味に言った。街の人出は相当なもので、大通りだけでなく路地裏にも観光客の姿が見える。邪神城が陥落という報せは多くの人々を喜ばせ、そして気を緩ませたのだ。


「誰もが羽を伸ばしたいのでしょう。戦争は長く続きましたから」


「まぁな、別に遊ぶなとは言わねぇよ」


 通り沿いの露店からは客引きの声が聞こえてくる。一粒万倍の聖地まんじゅう、家内安全の聖地ポプリ、悲願成就の聖地サークレットなどなど。


 ズラリと並ぶ品物には割高感がつきまとうが、人々はためらいなく財布を開く。特に売れ行きが良いのは聖地まんじゅうだ。それを食べれば神殿での祈りと同等のご利益があると、高らかに宣伝されている。


 売り文句を真に受けた人々は、遠くの山頂を眺めつつ、甘ったるいまんじゅうを頬張る。その後は名物を食べ歩きするか、付近の名所を巡るのが一般的だ。


「さてエミリア。このまま精霊師の里へ向かうのかい?」


「そのつもりです。ところでロトガナの村へ寄らなくて良いのですか? それほど遠くはありませんよ」


「やめとく。帰省するって気分じゃねぇし。そもそもリスケルを置いて帰ったら、親父に何されっか分からねぇ」


 ラスマーオは自分の頭を擦りながら言った。思い返しただけでも、何となくゲンコツを食らったような気にさせられるのだ。「友を見捨てて帰ってくるとは」だなんて幻聴すら聞こえる想いだ。


「では、このまま向かいましょう」


 そう結論づけるなり2人は通りを歩き出した。すれ違う人々は、昼間から赤ら顔で足元を怪しくしたり、所構わず互いに愛撫したりと風紀を無闇に乱す。エミリアは顔を伏せながら足早になった。自分の力では改心できないことを、これまでの旅で学んでいたのである。


 そんな喧騒と苦痛も、登山道にまでやってくると一変する。付近からは人影が消えるからだ。聖地に最も近い街は人で溢れかえっているのに、肝心の巡礼者は皆無で、誰もがまんじゅうだけを食ってお茶を濁そうとする。エミリアは嘆かわしい想いとともに、俗世の汚れから抜け出た解放感を噛み締めていた。


 だが気を抜いたのも束の間だった。


「どうしたんだ、これは……」


 坂を登れば精霊師の里という所まで来たのだが、様子は明らかにおかしい。里へと繋がる道には土のうが積み上げられ、木の柵で封鎖されていた。極めつけは鎧姿の兵士。来るものを拒むような振る舞いは、遠目からでも把握できた。


「なんか、関所みたいなの出来てるぞ」


「行ってみましょう」


 エミリアは顔色を変えないままに、坂道を登りだした。柵で狭められた道を進もうとすると、すぐに槍の矛先が制止にかかった。


「止まれ。何者だ」


「私はエミリア。エミリア・ヴィッラ・エスピリーネです。この向こうに私の故郷があります、通してください」


「ならんならん。今は何人たりとも通すわけにはいかんのだ」


「おい、そりゃないだろ。頭ごなしに言われても納得できねぇよ。コイツの実家なんだぞ」


「なんだ貴様は。逆らうと牢屋にブチ込むぞ」


「アァ? やってみるかコラ」


 ラスマーオが語気を強くしただけで、見張りの兵は怯んだ。権威の綱では、この猛牛を抑え込めるかは怪しい所だ。実際、急造の関所なら、彼にすれば一息で粉砕するのも難しくない。


「その辺でご容赦いただけますか、お二方」


 関所の奥から現れた1人の男は、風貌が随分と違う。武装はしておらず、身を包むのは上等な政務服。黒地に深紅の縁取りがある事から、高官である事が見て取れた。


「誰だよアンタ?」


「失礼。私は法務官筆頭のシアンと申します。以後お見知りおきを」


 男は紺碧の長い髪を払いつつ、略式の拝礼を向けた。左目にかけたモノクルの金細工が、神経質そうに揺れ動く。


「ラスマーオ殿にエミリア殿。ご高名でしたらかねがね」


「オレらを知ってるんだな」


「それはもう。ですが見張りは不勉強がたたりまして、大変な無礼を働きました。世紀の英雄であるアナタ方に対して。謹んでお詫び申し上げます」


「そうか。だったら通してくれるよな」


「あいにくですが、それは出来かねます」


「何でだよオイ!」


 ラスマーオの怒声を一身に浴びても、シアンは顔色ひとつ変えなかった。細腕で、華奢な体つきの男は、半歩すらも退こうとしない。


「実は、この里には反乱の嫌疑がかけられています」


「反乱だって? そりゃ何かの間違いだ!」


「それを確かめる為に私が居るのです。心配はいりません。取り調べさえ終われば元通りですよ。ただし、当面は窮屈さに堪えていただきますが」


「じゃあ、どうあっても通さないってのか?」


「規則ですので。ご理解ください」


 無言のままでにらみ合う。激突する視線は両者一歩も譲らず、見えない火花を散らした。


 だが、エミリアは不意に聞こえた声に驚き、身をのけぞらせた。


(聞こえるか、エミリアよ)


(お祖父様!? はい、聞こえております)


(結界を張られておるゆえ、念を送る事にした。上手くいったようで何より)


 ここでエミリアはようやく合点がいった。精霊なら彼女も再三にわたって送ったのだが、一度として辿り着かなかったのだ。


(無事なのですか? 何か酷いことはされていませんか?)


(安心せよ、今の所は無事だ。それよりもリスケル様はどちらに?)


(すみません。はぐれてしまったので……)


(なんと、それでは急ぎ探すのだ。聖剣を奪おうとする動きがある)


(聖剣を? なぜでしょう。聖者様にしか扱えないものを、わざわざ奪おうだなんて)


(あれは唯の剣ではない。この世を支配する力を解き放つ鍵なのだ)


(鍵……ですか?)


 エミリアは問いかけたが、声は遠くなる。


(詳しく語ってやりたいがこれまでだ。見張りに気取られた。ともかくリスケル様の元へ急げ。決して聖剣を悪用されてはならぬ)


 そこで念話は途絶えた。エミリアは意識を戻すと、ラスマーオが詰め寄る姿を眼にした。


「分かってんのかテメェら。悪いことは言わねぇから道を開けろ。この精霊師エミリアを怒らせたらヤベェんだからな」


「なんと言われても規則は規則です」


「この嬢ちゃんは可愛い顔して、そこそこおっかないぞ。一度キレたら地面が砕けて雷鳴が轟く。オレだけでなく、聖者リスケルでさえ何度も謝るハメに……」


「ラスマーオさん。もうその辺で結構ですから」


 エミリアは消え入りそうな声で制止をかけた。今のはラスマーオなりの配慮で、念話の不自然さをごまかす為のものだ。


 もう少しやりようは無かったのかと思いつつも、エミリアはきびすを返した。ラスマーオも見せかけの捨て台詞を吐いて、急造の関所を後にした。


「聖剣が世界を支配する力の鍵だって? なんだそりゃ」


 人影の消えた道まで来ると、ラスマーオは大声で驚いた。


「残念ですが、詳しい話は聞けませんでした」


「参ったな。爺さんには色々と教えて欲しかったんだが」


「仕方ありません。まずはリスケル様を探しましょう」


「結局はそこに落ち着くのか。遠回りになっちまったな」


「でも、一応の収穫はありました」


 エミリア達は道すがら、様々な情報を得ていた。迷い子達が語った陰謀の影、里の封鎖、そして聖剣の秘密。断片的な謎を抱きつつ、2人はミッドグレイスを目指すのだった。

 


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