第21話 新しい暮らしと仲間たち
フィーネ、再び我らの元へ。その報せを聞いた魔人達は、帰還したリスケル一行を洞窟の外に出てまで迎えた。それこそ雪崩を打つようにして。
「フィーネ様だ! フィーネ様が帰ってきたぞ!」
「お帰りなさぁーーい!」
老若男女、口々に叫びつつ輪を作り、待ち人を囲んだ。そして握りしめた花びらを高く投げ上げ、歓迎の意を示す。フィーネは色とりどりに、そして甘く染まる髪を愛おしそうに撫でた。
「みんな、ただいま……!」
「フィーネさま、これどーぞ」
ひときわ小さな少女は、手にした花冠をかかげた。シロユメクサで編まれたそれは、なかなか精巧な出来栄え。サイズも丁度良く、フィーネの頭にすっぽりと収まった。
「すっごくキレイ、お姫様みたいだね!」
「うふふ。ありがとう」
それからもひっきりなしに魔人達は語りかけた。もはや順番すらもなく、フィーネは顔を右に振り左に振ってまで対応に追われた。種族の壁を感じさせない人徳は、彼女の人柄による部分が大きい。
「おぅいお前ら。嬉しいのはわかるけどよ、そろそろ中に入るぞ」
フアングに促された住民たちは、ぞろぞろと洞窟の中へと戻っていく。だがお祭り騒ぎは始まったばかり。これより宴が開かれる事になった。
「フィーネ様の為に捧げます、快盃(かいはい)!」
石の器を片手に音頭がとられ、あちこちでカキンという音が鳴る。洞窟最奥の広間には、いくつものゴザが敷かれ、まさに満員状態。あぶれた人たちは通路に座るほどで、珍しくも大賑わいとなった。
並べられる食事も様々だ。赤白2色の肉団子は笹の上に。木椀にはゴロッとした木の実の白濁スープ。ほかにも濁り酒、剥いた梨に山ブドウ。王宮の食卓とは比べようもなく質素な献立も、主役は眼を輝かせて喜んだ。
「これこれ。このお団子が美味しいのよね」
「最初の頃は泣きべそかいたモンだったがなぁ」
「もうフアングったら、イジワルなんだから」
フィーネは団子を手づかみにすると、大きくかじった。噛みしめるたび口内に祝福が踊るので、空いた手を頬に添える。一口目を惜しむように飲み込んだ時などは、笑顔のままで溜息をつくほどだ。
そんな幸福の一幕、そしてこれまでの歓迎ムードを、肩身を狭めて眺める者が居た。メイドのエマである。彼女はこの誘拐騒動に巻き込まれた格好で、フィーネと違って知り合いが居ない。そのためこうして、特に何をするでもなく、主人の傍に寄り添うばかりになる。
彼女にとって気安く話せそうなのはフィーネ、あとはせいぜいリスケルくらいのもの。だが残念な事に、チラリと視線を巡らせてみれば、そちらはお取り込み中であるのが分かった。
「うおぉ、こいつ酒強いな! 聖者ってのはそういうモンなのか?」
「何言ってんだ。こんくらい普通だ普通。んで、次の相手は誰だ?」
「魔人がナメられちゃお終いよ。オレが相手だ」
「おうやったれ、ここら一番の大酒飲み!」
飲み比べである。リスケルは若い魔族を集め、ひたすらに杯を重ね続けた。下戸のエマに飛び込む勇気など欠片もない。
(まぁ、とりあえずはメシにしますか)
ナイフやフォークを使わない食事。馴染みのないものだが、エマはフィーネの動きを真似た。白団子を口に含み、1度、2度と噛み締めてみる。
(ふぅん。なるほど、こーいうヤツね)
味を見定めたエマは、少し物足りなく感じた。腰に付けた革ケースをまさぐり、取り出したのは真っ赤な瓶だ。ドクロの絵に『ヤバネイロ』と書かれたデザインは、凶々しさすら感じられる。その怪しげな調味料を少しだけ塗ると、ようやく納得の笑みを浮かべた。
(うんうん。やっぱり合うなぁコレは)
最後の一口にはふんだんに振りかけ、食べようとしたのだが。
「ちょっとアンタ、そりゃ何の真似だい!」
強烈な怒鳴り声が辺りに響く。飛び上がるほどに驚いたエマは、思わずビンを落としそうになるが、それだけは未然に防いだ。
「そこのアンタだよ。アタシの味付けに不満でもあるってのかい!」
エマの前にズカズカと現れた大柄な女性。もちろん魔族であり、補足をすれば、この界隈でも腕利きの料理人である。久しぶりのお祝いとあって精魂込めて用意したのだから、エマの行為は侮辱に近いものがあった。
「いや、えっと、すいません」
「すいませんじゃ分かんないよ。そんなに気に食わなかったのかい!?」
「その、なんつうかですね。もうちょいガツンと来るものが欲しいかなぁ……なんて」
「ふん。ろくすっぽ料理も出来なそうな小娘が。偉そうに講釈たれんじゃないよ」
「……ハァ?」
エマの三白眼が魔族の女を睨みつけ、それからユラリと立ち上がった。小柄なので、頭一個分は低いのだが、放たれる怒気は凄まじい。これには強気の魔族ですら、思わず怯んでしまう。
「あぁそうですか。アナタは私を侮辱しようってんですね。チビで貧乳のクセにやたらとケツがでかい私には、料理なんか出来やしないって」
「いや、そこまでは言ってない……」
「だったら厨房に連れてってくださいよ、クソうめぇ料理ごちそうしてやりますから!」
「参ったね、こりゃアタシより面倒な子だわ」
足音を不調和に響かせながら、やって来たのは炊事場である。使い込まれたカマドはまだ温かく、石造りの調理台もまだ水気を帯びていた。
「はぁぁ。そんじゃ食材をくださいよ。まさか無いとは言いませんよね?」
「分かったよ、今用意してやっから、いちいち睨むんじゃないよ」
しぶしぶ出されたのは白身魚と根菜類、そして複数種の木の実だ。
「さて。あとは包丁が必要だね。洗ったやつが……」
「それは要らないです。使い慣れたのがあるんで」
エマは革ケースをまさぐり、4本のナイフを取り出した。順繰りに使うのではない。器用にも片手に2本ずつを指で挟み、調理を開始した。
「いきます、眼んタマ見開いて観察してろですよ!」
カンカカン、カンカカカン。華麗なるナイフさばきは凄まじいものだった。山のような食材はまたたく間に切り刻まれ、あるいは丸く成形され、調理台の隅に積み上がっていく。
だが問題はエマの表情か。眼を恍惚に染め、薄く開いた口元はヨダレでテラテラと光っている。どう見てもまともな心理状態ではなく、顔も天井の方へと向けられているのだが、手元には寸分の狂いも見られなかった。
「あぁ、良いですねぇ。入った、入ってきたよぉぉ」
「なぁ嬢ちゃん。口が悪かったことは謝るから、そろそろ勘弁してくんない?」
「魚はすり潰しぃ、野菜はゴロゴロにぃ、そんでクルミやらは細かくみじん切りィィイェーーィ!」
「頼むから聞いておくれよ、ねぇ」
気付けば、大きな鍋にはツミレのスープが出来上がった。匂いに釣られた魔人達は調理場につめかけ、やがて見物人で溢れかえるようになる。
その騒ぎがフィーネの元にまで届くと、彼女は息を切らしながらやって来た。
「あぁ、まずいわね。エマに料理をさせるだなんて」
フアングは首をひねった。慌てた口調に合点がいかないのだ。
「別に良いじゃねぇか。得意そうだし、楽しんでるみたいだし」
「確かに上手なんだけどね。ちょっと癖が強いっていうか、厄介というか……」
そんな懸念はさておき、料理も佳境を迎えた。取り巻く群衆もオォと声をあげる。
「そんじゃあ仕上げにコレいきまーす。超絶辛味、ヤバネイロでっす!」
「それ食えるのかい。ガイコツの絵柄が描いてあるけど」
「今日はひとさじ、ふたさじ? いんや無礼講だ、ジャンジャンいったれーー!」
「えぇーーッ!?」
粘性の強い、真っ赤な調味料がドボンと落ちる。そうして出来上がったのは、鮮血よりも生々しい色味のスープだ。
「ふぅ、良い料理でした。お味のほどは……うんまぁいぞーーッ!」
途端に上機嫌になるエマ。2くち、3くちと続けざまに飲むと、今度は木椀に注ぎ込んだ。フチいっぱいの、ひったひたに。
「はいどうぞ。絶妙な辛さでうんまいですよ!」
「いや、アタシら犬人種は辛いものが苦手だから。つうか湯気だけで眼が痛いんだけど」
「えぇーー。こんなに美味しいのにぃ」
その頃になって、赤ら顔のリスケルが調理場へとやって来た。緊張感の無さは経緯を知らないせいである。
「あれっ。追加の料理でも出来たのか?」
「聖者様。そりゃもう、めちゃんこ美味い特製スープですよ。1杯いかが?」
「マジで? もらうもらう」
酒は五感と判断力を鈍らせる。何の警戒心も抱かずに椀をあおったリスケルは、無言のまま卒倒して、背中から倒れた。瞳孔の開ききった瞳は、周囲からは死に顔にすら見えたろう。
「あらら、寝ちゃった。酔っ払いには困ったもんです」
エマは軸のズレた不満を漏らしつつ、新しい椀にスープを注ぎ、盛大にすすった。徐々に上向く器。魔人達は皆が釘付けとなる。
そして飲み干したエマがプハァと爽やかな息を吐くと、辺りは歓声で揺れに揺れた。
「すっげぇ、この姉ちゃん。聖者を越えちまったぞ!」
「いやいや、アンタやるねぇ。アタシの負けだわ」
「えっ、何がです?」
エマはよく分からないうちに魔人達から尊敬の念を集めてしまった。彼女の超人的な味覚が一芸として扱われたためだ。称賛する声はしばらくの間は止まず、洞窟を更なる明るさで染め上げた。
こうして、ほんの少し前までは居場所のなかったエマも、すっかりお馴染みの人となった。それと同時に、彼女を炊事場に立たせないという暗黙のルールも作られた事は、内緒である。
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