第20話 身も心も揺さぶられ

 リスケル達は背の高い草むらに身を隠し、整備のまばらな道を監視していた。ここはフアングの住処から程近い高原エリア。王都や砦から遠く離れており、付近には小さな村さえもなく、人通りも皆無と言って良い。


 つまり、おびき出すにはうってつけの場所なのだ。


「あの姫さんは大丈夫かな」


「フィーネを疑うんじゃねぇ。絶対上手くやってくれる」


「2人とも、静かにせよ。馬車が来た」


 急な上り坂、まずは馬が顔を出し、すぐに車体が見えるようになる。フィーネは計画通り、この場に現れたのだ。


 だが予定外の問題が起きていることも明らかになる。リスケルは馬車に続く集団に眼をやり、小さく舌打ちをした。


「厄介だな、騎兵がピッタリ付いてやがる。軽く見積もって100騎くらいか」


「2度も誘拐はさせない、という何者かの意思が見えるようだな。まぁ当然の成り行きか」


「ネイルオス様、どうします。蹴散らしますか」


「フアングよ。気持ちは分かるが、武力行使は最後の手段だ。和平が遠のきかねん」


 しばらく一行を見守っていると、馬車が止まった。フィーネが休息を命じた為だ。付近に休めるような施設はなく、湧き水すらも手に入らない場所であることは、事前に調査済みだった。


 騎乗の男が「小休止」と叫ぶ声が聞こえると、ネイルオスは指先に魔力を集め、念を送った。作戦を予定通りに決行しようというのだ。


「いらっしゃいませぇ、美少女の果物売りでございまぁす」


 道の反対側から現れたのはセシルと、荷車を引くギーガンである。むき出しの荷台には、瑞々しい梨が山と積まれていた。


 聞こえよがしな売り文句を撒き散らした後は、目ざとく騎兵隊長へと歩み寄り、ねちっこい言葉を並べだした。


「どうですかぁ兵隊さん。美味しい梨が今ならお買い得なんですのよ」


「梨だと? ふむ……」


 隊長は辺りを見渡したが、水源が無い事は彼も知っている。セシルの幼い容貌も手伝って、大した警戒もせずに商談は続いた。


「あの商品を全てもらおう。いくらだ」


「ひとつ2ディナなので、しめて300ディナですの」


「300か。足元を見られたものだな」


 口ではそう言いつつも買い求める気持ちに変わりはない。彼が指示を出すと、配下達は先を競って荷車へと殺到した。その梨には眠り薬が仕込まれているとも知らずに。


「ありがとうございますの。こうしてお金を稼がないと、2人揃って鉱山送りになってしまいますの」


「なるほど。貧しい家の出ならば有り得るだろう」


「ギーちゃん、狭いとこ嫌い。鉱山なんかお断り」


「そうだろう、そうだろうとも」


 隊長は柔和な声を出したか思うと、次の瞬間には鋭い視線を投げかけた。瞳孔の開いた無機質な瞳は、戦場で敵を見つけた時のものに酷似している。


「鉱山に送られるのは子供だけだ。小娘はともかく、大人のお前がなぜ鉱山務めに?」


「えっ……」


 言葉に詰まったのは致命的だった。間違いようのない一般常識でつまづいたのだから。


「お前たち、梨に触るな。罠かもしれんぞ!」


 兵士達は、手の物を投げ捨てると荷車から遠ざかった。そして整然と陣を組み、次の命令を待つ。


「捕えろ。現れたタイミングといい、発言といい、不審な点が多すぎる」


 命を受けた兵の数名が小走りになる。残りの

者達も、不測の事態に対応できるよう、警戒を強めた。


「セシル、どうしよう。バレちゃった」


「こうなったら仕方ありませんわ。ブチのめしてやりますのよ!」


 セシルはそれまでの媚びた笑みを獰猛に歪ませた。それだけでも兵士は怯み、一歩あとずさる。しかし時、すでに遅し。セシルが魔力の充填を始めてしまったのだから。


「あの世で悔やみなさい。フリーズクロウ!」


 勢いよく突き出された掌からは、ポスンという気の抜けた音が鳴り、生じたのも白い煙だけだった。それは程よい冷気で、行軍に火照った体には心地良さそうだ。


「ええっ、魔法が出ませんのよ!?」


「どいて、セシル。ギーガンがやる」


 入れ替わりに疾走した彼女は、拳を大振りに奮った。剥き出しの頬を狙った鋭い一撃は、ペチンと音を立てて終わる。ぺちん、ぺちん、ぺっちん。これには兵士たちも夜のオアソビを思い出し、ほんのりと頬を赤くした。


 それらの一部始終は、離れたリスケル達にもよく見えた。相当なピンチである。


「やべぇぞネイルオス。突入するか?」


「いや、我々まで見つかるのは得策ではない。第二の策だ」


 ネイルオスは、自分の掌に向けて長く息を吐いた。それは魔力を帯びた霧状の吐息となり、またたく間に兵士たちを包み込んだ。


「何だこの霧は……!」


「た、隊長……」


 邪神の魔力に太刀打ちできるほど、彼らは強靭ではなかった。全ての兵士がその場に崩れ落ち、意識を手放した。


「おい、初めからこうすりゃ良かったじゃん」


「文句ならセシルに言うのだ」


 草むらから立ち上がったリスケル達だが、2人を置き去りにして駆ける影があった。フアングだ。彼は脇目もふらずに馬車へと駆け寄り、幌の枠に手をかけた。


「フィーネ!」


 待ちわびた愛する者との再会。しかし返答は予想外なものだった。


「フアング、危ない!」


 その声と同時に、中からは拳打が飛び出した。無骨で、鋭い角度の拳を辛うじて避けたフアングは、その場で飛び退いた。


「誰だ、てめぇは!」


 問いかけにノッソリと現れたのは、半裸の大男だ。彼は自慢の筋肉を叩きながら、高らかに名乗りをあげた。


「我が名はスノザンナ王国王太子、モーシンなり。悪党どもめ、生きて帰れると思うなよ」


「モーシンってことは、フィーネの……!」


「さぁ来い、愚かな魔族よ。鮮やかに殺してくれようぞ!」


「テメェこそ八つ裂きにしてやるァーーッ!」


 フアングの痛烈な拳打が不気味に唸る。甲高い風切り音を発するそれは、聖者リスケルすらも苦戦させた恐るべきものである。高速かつ破壊力も抜群と、四天王に相応しい攻撃力を備えているのだ。


 だが、その攻撃は薄皮を削っただけで、宙にいなされた。モーシンとのすれ違いざま、みぞおちに重たい一撃も見舞われ、腹の空気が抜けるような思いになる。


「な、何だ今のは!」


 フアングは微かな目眩を振り払いつつ、再びモーシンと向き合った。そうして見えたのは、深く腰を落として構える宿敵の姿だ。


「勇壮なる獣よ。確かにお前は強い。まともに受けてしまえば、私など簡単に殺されてしまうだろう」


 苦戦をしのばせる言葉とは裏腹に、構えには一層の覇気がこめられていく。


「だがスノザンナ戦闘術はお前の上を行く。まして私は愛の力に目覚めたのだ、負ける道理など一切無い!」


「チッ。面倒臭ェ野郎だ」


 フアングは吐き捨てると同時に、チラリと脇の方を見た。そちらからは、少しずつだがうめき声が上がっている。そろそろ精神魔法が切れてしまうのだ。


(仕方ねぇ全力でいく。陛下には止められてるが、ブッ殺すしかねぇ)


 そう決意すると、フアングは頭を低くし、肉食獣のような姿勢をとった。唸り声も低く、地中でたぎるマグマのようで、並の相手ならそれだけでも戦慄に震えるほどだ。


 両者は正面からにらみ合う。ぶつかる視線、高次元の技量、そして譲れぬ想い。いったい何が勝敗を分けるのか、それは何者にも分からない。


 なぜなら、無防備なモーシンの背後にリスケルが現れ、即座に絞め技をかけてしまったからだ。


「はいはい。ちょっくらオネンネしような」


「へむゆるっ」


 モーシンは不思議な言葉を吐いたのち、泡で口元を湿らせ、倒れ伏した。


「おい、何しやがる。勝負に水を差すとかフザけてんのか!」


「バカかお前は。目的は姫さんだろうが、熱くなってる場合じゃねぇんだよ」


 リスケルはそう言い残すと、御者が不在の馬車に乗り込み、手綱を奮った。


 釈然としないフアング。だが、ひとまず怒りは忘れ、走り出した馬車に乗り込んだ。


「フィーネ!」


「フアング! あぁ、またアナタに逢えるだなんて……!」


 熱く抱きしめ合う2人。揺れる馬車など気に留めず、ただ心が求めるままに身体を重ね合った。触れ合う頬、回した腕から伝わる確かな体温が、彼らに替えがたき喜びを与えてくれるようだ。


「みんな早く乗れ! このまま突っ走るぞ!」


 遅れてセシルとギーガンも馬車に乗り込み、ネイルオスは馬と並走した。車内は作戦の成功を祝って、和気あいあいとした様子になる。


 ただ1人を除いて。


(なんてこと。私はどうなってしまうの……!)


 幌に寄りかかって小さくなるのは、メイドのエマである。事情を深く知らない為に、謎の祝福ムードには溶け込めず、ただ無言で悲嘆に暮れる。そして馬車の外を行くネイルオスに気づくと、そのまま気絶してしまった。


 そんな彼女について気遣われる事はなく、馬車は坂道で大きく跳ねた。

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