第13話 闇の中で彷徨う(後)
不死が動物の肉、カイサがミートパイを食べている間に侶死が状況を説明した。その間カイサは不死をチラチラと見る。
その不死という死狼はとても奇妙だった。見た目はただの死狼だ。当然、獣人と呼ばれるものではない。
しかしそいつはまるで人間の魂が乗り移ったように振る舞うのだ。
ときに二本足で立ち上がり、腕を組みながら強引に胡坐をかいて座り、骨を片手で上に放り投げて口で噛み砕いて見せる。
しかし骨格的に少々無理があるようですぐにそれを止めてしまう。
さっき求めてきた握手といい、いちいち、その一つ一つの動作に妙な親近感が湧いた。
「というわけじゃ不死。カイサのために狂死や永死と戦ってくれるか?」
不死は黙殺、骨を小器用に指の上でクルクル回して見せると放り投げ、話をはぐらかす。
「ところで侶死、不死身の雌死狼はどうした?今日はまだ探してないのか?」
「不死、話を聞いておったのか?」
「俺はここを出て不死身の雌死狼を探す。腹は膨れた。後は人間の魂だ」
不死身の雌死狼。こいつ盛ってるのか?
思わず突っ込みを入れるカイサに下等生物を見るような目を向ける。
「お前には恩がある。だから俺はお前を殺さず見逃す。それで帳消しだ」
「な⁉話が違う!永死を殺してくれるって言ったよね?」
「永死はいつか殺す。だがそれは遠い先だ」
そして更に怒りに油を注ぐ発言。
「少なくともクシという女を助ける義理はない」
「ふざけるなよ!この死に損ない」
カイサが動く前に不死が飛び掛かり、覆い被さった。不死の大きな影が、押し倒されたカイサを黒く塗りつぶす。
「お前達、何をやっておる⁉」
侶死の叱責も虚しく二人は睨みあう。
「俺はお前を食べずに見逃した。恩を返したわけだ。しかし今、お前は喧嘩を売り俺を怒らせた」
「だからなんだ?」
「お前は今ここで俺に殺されても文句は言えまい」
そこでカイサは諦めたように息を吐き、それから覚悟を決め気丈に唇を結んだ。
「分かった。私のこと食べてもいい」
「何?」
「私は死狼餌。魂胞を激しく損傷しない限り死なない。食べてもいい。その代わりクシを助けて欲しい」
不死は後退った。まるで格上の獣を目の前に怖気づくように後退る。
「なぜだ?なぜそこまでその女にこだわる」
「分からない」
「まあいいだろう。お前は食べる。永死も殺す。だがクシという女は知らん」
カイサが服を脱ぎ始めた。
「何をしている⁉」
「この服はまだ使う。血で汚されたくない」
「何⁉待て、本気なのか?」
コクっと頷く。不死はきまりが悪そうに舌打ちする。
「全く、面倒くさいやつだ。服を着ろ」
不死は食べかけの生肉まで歩いていくとそれを一飲みにしてしまう。
「ところでお前、魂交は知っているか?」
「ええ」
「魂交でお前の魂を一部だけ食べさせてもらう。こちらにも最低限協力してもらおう」
「今度こそは騙さないでね?」
釘をさす。
「まあ、不死身の雌死狼を探すのは永死を殺してからでもいいだろう」
侶死の二人への説教も程々に、カイサがミートパイを綺麗に食べ終えると不死が話を本題に戻した。
「それで侶死、ここからどうやって出るつもりだ?」
「雷死じゃ」
「雷死だと?あの小娘、俺は苦手だ」
「いるんじゃろ?雷死」
雷道が走る。
「わあ。なんで分かったの?」
カイサは身構えた。命に別状はなかったがここに落とされたことを根に持つのは当然のことだった。
「ワシと不死の毛が帯電しておる。お前が来ると体毛がフワフワして気持ち悪いんじゃ」
見ると侶死と不死のたてがみが逆立っている。カイサが雷死に牙をむく。
「侶死、あいつさっき私をここに落とした。森の中でもあいつに助けられたしあいつ一体何者?」
侶死は大笑いする。
「雷死はちと問題児でな」
「雷死、俺のために人間を騙してここまで連れて来ることはやめてくれ」
そんな三人の喜怒哀楽をよそに、雷死は不死の影に隠れると屈託ない笑顔ですり寄る。
「あの、これどういうこと?」
やや引きつり顔のカイサを見て侶死は言う。
「雷死は不死に懐いておってな。この性格ゆえ一人も友達がおらん。この牢獄で暇を持て余す不死と話すうちに好きになってしまったようじゃな」
雷死は悪びれもせず、カイサの顔をガラス玉のような無垢な目で穴が開くほど見つめている。
「それで雷死は不死が腹を空かしているのを見かねて、いつも道に迷った人間を見つけると嘘の方角を教えてこの穴まで逐一誘導し、挙句の果てに穴に落とそうとしよる。本当に困ったもんじゃ」
「不死、お腹が空いてて可哀想だったの」
私、カモられたってこと?
「ワシがここを見張っていなかったら何人が不死の穴に落ちておったか。犠牲者が一人も出ないで本当に良かったわい」
いや、落ちたんだけど。
「ごめんね、でも死狼餌なら不死もいっぱいお腹が膨れると思ったの」
カイサは雷死の無邪気すぎる腹黒さに恐怖する。
「まさかこの雷死に何かをやらすつもりじゃないだろうな……」
不死は浮き世を嘆いているような浮かぬ顔だ。カイサに至っては呆れてものも言えない。
侶死はそんな二人に勿体ぶったような咳払いを一つ。「まあ聞け」と言う。
「ここは昔、要塞を使っていた人間が死狼達を捕らえておくために使っていた牢獄じゃが、この隣には貯水槽がある。今でも水が溜まっておって、恐らくじゃがその水をここに流し込めれば――」
「壁を壊せばいいのね。分かった!」
雷光一閃。雷道が轟き渡る。
牢獄に大穴が開いた。隣に設置された貯水槽から勢いよく水が溢れ出ると、爆散した牢獄の瓦礫が水に押し流されて唯一の出入り口の排水溝、その曲がった鉄柵に詰まり水の流れが滞る。
侶死はしばし沈黙した後、苦笑いを浮かべる。
「まあ、よいじゃろう。本当はあの排水溝は他のもので栓をするつもりじゃったが、後は水が溜まれば外へ出られる」
「待って!」
カイサが及び腰で声を上げる。さっき不死を言い負かした彼女とは相反する弱々しい声。
「なんじゃ?」
しかしカイサはそこから先、何も言わない。顔を真っ赤にして不死をチラチラと窺い、ただ口をもごもごと動かす。
侶死と不死は顔を見合わす。それから不死はその意味を悟ったようで、勝ち誇ったように挑発的な笑みを浮かべた。
「さてはお前、泳げない……か」
「なんじゃと⁉なぜそれを先に言わん!」
排水溝に積まれた大きな瓦礫は水圧のせいで動かすのは難しそうだ。溜まった水は既にカイサの腰付近まで水位を上げている。
「だって、雷死が……」
不死はさも可笑しそうに含み笑い。氾濫した河川のような水流をわざと時間をかけ、ゆっくり掻き分けながらカイサの元まで歩み寄ると背中を明け渡すように身を沈めた。
「お前一人を乗せて泳ぐくらいは出来るだろう」
カイサは顔を伏せ黙って不死に跨り背中にしがみつく。
「何か言い忘れておるぞ」
侶死のジトっとした視線を感じた。
「……ありがとう」
カイサは不死の体にその赤面を隠すように顔を押し付ける。不死は嘲るような微笑を浮かべながらも冷ややかに言い放つ。
「全く、泳げない人間とはな」
水は地上に続く大穴からちょうどカイサの腕一本のところで止まった。
カイサが不死の背中から飛び上がり最初に地上に出ると、雷死と侶死を順々に引き上げ、最後に全員で不死を引っ張り上げた。
外へ出ると不死もやはり感慨ひとしおのようで、しばらくその場に突っ伏しやや日の傾いだ空を見上げそのまましばらく動こうとしなかった。
その後、豆粒ほどの小さな魂器を侶死から受け取り、飲み込むと無理やり立ち上がった。
侶死の先導で森に入る。
「雷死も戦うの?」
カイサは嫌な予感がしたのだ。
「雷死は戦えん」
「雷死の雷道は戦いには向かない。完全に雷になるまでに木、丸々一本分の距離が必要だ。その上帯電の時間が必要なこと、その速度から小回りも効かない」
雷死が私のために(不死のために)雷道で死狼達から助けたのにはかなり度胸のいることだったろう。
「私、戦うのとか嫌い。カイサ、不死をよろしくね」
頼りないし態度も鼻につくが、一応不死も自分を助けてくれるみたいだし存外こいつら悪いやつらではないのかもしれない。
カイサはその有無を確かめるように腰に手を回すと、クシのナイフに触れ目を閉じた。
――クシ、待っててね。
※
永死は魂湖を前に童話の『眠り姫』のように深い夢の中に落ちた少女を見た。
「この死狼餌、クシと言ったか……」
自分がこの数十年、夢見た永遠の命を手にするための〝取引の種〟、愛しい永遠の命、半世紀この森を守り続けてきた当然の『対価』。
――永遠の命、必ずや手に入れ、絶対的な力、そして人間に復讐。
五十年それだけを考え、仲間を裏切り、一人この楽園に籠り、神罰とも言える罪悪に耐え、それでも生きてきた。不死が生きた永遠など、それらに比べれば生温い。
死狼の森は近隣の三つの大国の完全合意によって守られてきた。しかし約五十年前に南の大国で技術革新が起こった。
人の生命力の抽出と魂砕圧縮術を実現した人間達だったが、それらを上手く運用するためには死狼の魂胞を大量に必要とした。
そして奇しくも、技術革新から一年後に圧倒的な武力を持って密猟者達がこの死狼の森を蹂躙した。密猟者が政府の援助を受けていたことは火を見るより明らかだった。なぜなら彼らは魂胞から作られた大量の武器を保有していたからだ。
裂魂弾は勿論のこと〝魂交誘発系〟のドーピングやこれまた魂交誘発系の万能治療薬も持っていた。ケチな密猟者達がこれらの武器を持っているはずがない。それも死狼餌というものすら存在しない時代に――そう、全ての辻褄が合う。
なんとしても、永遠の命と絶対的な力を手に入れ、この一身と一生涯をかけて、人間という種を〝根絶やし〟にする。
永死は魂湖とクリスタルの森、そしてそびえ立つ石の建造物を肉幹と肉根を派手に踊らせながら見渡す。
大昔、人間と死狼が共存した証。築き上げた信頼と絆。それはやはりこの廃墟と等しく過去の遺物。惜しくもない、見たことすらない、見たいとも思わない。
肉根でクシの顔を撫でると魂砕の黒光が光る。
「クシよ。俺の願いを叶えてくれるか?」
クシという死狼餌は起きない。永死は肉幹から出た皮のない死狼の顔を嫌らしく歪める。
「〝ある仕掛け〟を施してある。起きなくて当然だ」
魂砕の黒光を纏った肉根をクシから退けると死狼の顔が肉幹を伝い肉根に移動してそのまま魂湖を覗き込む。
狂死がそろそろ動く頃、準備に取り掛かる時間が迫っている。魂湖の赤い水面に森の景色が高速で移動している幻影が映る。
狂死に埋め込んだ肉根を頼りに不死をここから魂砕させてもらう。
「魂湖も、死狼餌も、永遠の命も、誰にも渡さない。絶対に」
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