第3話 ちょっとした女子会

カイサの家――いや掘っ建て小屋とでもいうべきか――それでも愛しの我が家は先日の台風にも負けずに威風堂々と佇み、健気にカイサの帰りを〝一人〟で待っていた。


元々この場所は畑があった土地だった。


侶死に無理を言ってもらって村人達からこの土地を借りたのだが、死狼の森から一番近いということもあり地理的には村の林業の手伝い、つまり〝交通の便〟に利があった。


その上、『不死にすぐ会えるように』という〝願〟もかかっていてカイサは何となくだが気に入っている。


イチナ曰く家畜が住んでいる厩舎の方がまだマシとのことだが、壊すことだけに特化した自魂交の怪力だけではこれ以上見栄えの良い家を作ることが出来ず、イチナには負け惜しみで『住めば都』だと応答することにしている。


「不死……どうして会いに来てくれないの?」


主要な家具だけしかない殺風景な部屋。


カイサは夕日が射し込んだ観音開きの窓辺――その傍の机に腰掛け、不死から貰ったトキの首飾りをブラブラと振り子のように揺らしていた。


今頃、不死はどうしているのだろうか?こうして私があいつのことを考えているように、たまにはあいつも自分のことを思い出してくれているだろうか?


カイサは机に突っ伏すと首飾りをすぐ目の前まで引き寄せ、まじまじとその夕映えの光が乱反射する銀細工の白銀に目を据えた。


この首飾りは愛する者を引き寄せる首飾りだと不死は言っていた。


事実、首飾りのおかげかは分からないがトキさんと不死は自分という肉体を隔ててはいるものの再会を果たしたではないか。ならばこの首飾りを持ち続ければ不死はきっとまた自分の目の前に現れてくれるはず。


……いや。それともこれは叶わない想いなのだろうか。私はただトキさんの魂を宿す肉体――あいつにとってはそれだけの存在なのだろうか。


カイサは首飾りを右手で弄び、その輝きを見やると甘い声音を被せた。


「ねえ、不死……」


ドンドンドン――。


カイサはけたたましい音に飛び起きた。何事かと見回してすでにもう日が暮れていたことに気づく。


また扉を叩く音。まずい。今日はイチナに料理を教えてもらう日だった。家に迎えに行くはずだったのに。怒っているだろうか。それよりも……。


カイサは右手に握ったままの首飾りを見やると――電光石火の速さで机から飛び退いて食器棚のすぐ横、使い古されたワイン木箱を開けその中に乱雑に放り込んだ。


ワイン木箱の中にはクシのナイフも入っている。まあ、いわゆる〝宝箱〟というやつだ。


同時に後ろの扉が開け放たれて――


「お邪魔しまーす。あれ、カイサまた不死さんから貰った首飾り見てたんだ」


イチナの意地悪な笑みが扉からひょっこり顔を出した。


呆気なくバレた。今更だが隠蔽しようとして部屋中をバタバタと横断したところを見られてしまったのもまた中々に恥ずかしい。


しかしそこでカイサはもう一つの異変に気付く。おい、待て。


「カイサちゃん、こんばんわ。実はそこでイチナちゃんに会ってね。立ち話もなんだからってここまで来ちゃったの」


なぜ、クイネおばさんもいる?鋭利な視線をイチナに串刺したまま無言で問いただす。


「ごめんカイサ。なんか着いて来ちゃって……」


カイサがイチナに沈黙の圧力を掛けている横でクイネおばさんは腕を捲くる。


「今から二人とも料理するんでしょ?私、料理得意だから丁度いいと思ったの」


カイサがクイネおばさんの行く手に陣取った。


「あの、折角のご好意ですけど、イチナに料理を教えてもらうので今日は帰ってもらえます?」

「大丈夫、大丈夫、私、教えるの上手だから――」


いや、人の話を聞け。


そのままクイネが調理場へ颯爽と躍り出る。イチナが持ってきた食材を吟味しているクイネを見てカイサとイチナは互いに顔を見合わせた。


「なんでもいいですけど私達は別のものを食べますよ?さっきも言いましたけどそもそも今日はイチナに料理を教えて貰うつもりだったので」

「どうするカイサ?今日はやめて別の日に教えようか?」

「え?別の日にするの?……どうしよう。私、今日教えたいのよね。まあいいわ。一人で作ることにしようかしら」


だから、人の話を聞け。


カイサとイチナは早々に説得を諦め調理に勤しむクイネの背中を注視する。献立はクリームシチューだそうだ。


時たま「あれ」とか「まあこれくらいでしょ」とか「あーやっちゃったー」と料理の出来が不安になってくる声が聞こえてくるがカイサとイチナは黙殺する。


というのもイチナは中々に器用でこう見えて結構料理が上手い。そう、女子力の塊のようなやつなのだ。


だからもしクイネおばさんが料理で失敗したらイチナと一緒に嘲笑ってやろうというわけだ。


イチナよりおいしい料理を作れるはずがない。後でイチナと一緒に全く同じ料理を作って実力の差を見せつけてやろう――などと高を括っていると。


「はい、出来たわよー」


ほら来た。カイサは悪だくみを目に浮かべたままイチナに合図する。イチナもそれに応じてクイネが持って来たシチューを覗き込むと――


「わぁ!美味しそう」


まるでプレゼントを前にはしゃぐ子供のように目を輝かせる。

肉厚な具材に絹のような輝きを放つルー。虚空へ溶けていく湯気はクリーミーな匂いを鼻腔の最奥へと届ける。


クイネおばさんが各々の皿に取り分けるとイチナはそのまま唖然とするカイサに目もくれずにさっさと舌鼓を打つ。


人はときにご馳走のためなら簡単に友達を裏切るのだとカイサはこの日、身をもって知った。


イチナがクイネおばさんのシチューを食べている間もカイサは相変わらずの仏頂面だった。


挙句の果てにカスカスに乾いたパンとカビの生えたチーズを戸棚の奥から引っ張り出してモシャモシャとかぶりつく。


とてつもない敗北感だったが、クイネおばさんのシチューを食べることとこちらを天秤にかけるとまだこの方がマシだろうとカイサのささやかなプライドがそう告げていた。


食事が終わるとクイネおばさんとイチナは暖炉の前で与太話を始めた。


「それでね――カイサはリン達を鼻息で吹き飛ばしたの――この間もね――その後に私とカイサは――」

「すごいじゃない――私もそれ見たかったわ――二人とも仲良しさんなのね――なるほどイチナちゃん賢い――」


二人とも帰れ。


そうこうしている間にクイネがテーブルを片付け始めた。イチナが私物の入った帆布鞄をゴソゴソと漁ると――


「カイサ、私の髪といてくれない?背中まで手が届かないから」


イチナが帆布鞄から櫛を取り出してカイサに振って見せた。


「嫌だ」

「えーいつもやってくれてるじゃん!」


カイサはイチナをキッと睨んでその後すぐにそっぽを向く。見かねたクイネおばさんがイチナの櫛をそっと受け取った。


「私がといてあげるわ。さ、さ、こっち、こっち」

「……あ、ありごとうございます」


イチナは頬を淡赤色に染めたまま移動した。


勝手にやってろ。カイサは二人の姿を横目で追った。


クイネおばさんがイチナの髪に櫛を通した。その瞬間にカイサの心がズキッと痛む。


……なぜだろう。


「クイネおばさん。上手ですね。全然痛くない」

「力のかけ方が上手なのかもね。イチナちゃんは〝お母さん〟に髪をといてもらったりとかはしないの?」

「うちの〝お母さん〟は全然ダメ。私と違って不器用だから」


二人の会話を聞くのがなぜか辛い。心が針山に突き落とされてそのまま串刺しにされたように痛む。


「……お母さん」


カイサはいつの間にかそう呟いていた。その後、我に返り口をつぐむと二人を観察した。今の言葉はイチナやクイネおばさんには聞かれていないようだ。カイサは胸を撫で下ろした。


その後も黙々とイチナの髪をとくクイネおばさん。


五分ほどが経ち、呆けたように二人に見とれていたカイサにクイネが声をかけた。


「はい、次はカイサちゃんの番」

「……え?わ、わたし?」


予想外の指名にカイサの声が裏返る。そのまま長い黒髪を撫でてキョドキョドと視線を泳がせた。


「いや、私はイチナに……」

「私はやらないよ。だってカイサ、さっき私の髪とかしてくれなかったじゃん」


イチナの口ぶりはまるで追い詰めた悪党に対して聴衆の面前で勝ち誇る正義漢のようだった。


「カイサちゃん、さあ、どうぞこちらへ。鶏の毛みたいに毟ったりしないから安心してちょうだい」

「えっと、じゃあお願いします」


カイサはクイネの前の椅子に腰を下ろした。


胸が苦しい。そんなこと有り得ない。というか気持ち悪い、はずなのになぜ私は……。


クイネが自分の髪に触れたのが分かった。〝色〟のないことはイチナや他の人と同じだった。ただ触っているという感覚しかない。


しかし不死とは違う、もっと体の芯から来る、これは何なのだろうか。いや、これは紛れもない〝温かさ〟だった。


「……お母さん」


今度はもっと小さい声で、そう、口だけ動かして呟いた。それだけで何かが満たされる感覚。心にその〝温かさ〟が染みわたっていった。


「カイサちゃんの髪って凄く綺麗なのね。絹糸みたいじゃない」

「そ、そうですか?」


カイサはあからさまに狼狽えた。


「ちょっとクイネおばさん。カイサを甘やかさないで下さい」


イチナが糾弾する。カイサが顔を顰めてイチナに抵抗した。


「ちょっと待ってイチナ。どっちの味方なの?」

「カイサこそデレデレしちゃって。さっきクイネおばさんの料理食べなかったでしょ?」


そこでイチナは何かを閃いたのか両手を打ち鳴らした。


「あ、そうだ。クイネおばさん、毎日カイサの家に来ませんか?私も来ますからまた料理とか作ってくれたらカイサも喜ぶと思うんです」

「……何で私の家?」


とは言ってみたものの不思議といつものような不快感はなかった。


「うん。すごく名案。料理だけじゃなくて、そうね……裁縫道具とかはある?縫物とかも教えてあげたいの。後は手帳。カイサちゃん文字知らないんでしょ?」

「いえ、ありませ――」

「あります!家から持ってきますね」


ちょっと待て。家主そっちのけで話を進めるな。


「決まりね。じゃあ明日からカイサちゃんの家に集まりましょう。ちょっとした女子会ね」

「良かったね、カイサ」


そう言ったイチナの笑顔がいつもの何割かに増して憎らしかったのは言うまでもなかった。

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