―Ⅳ― 怪奇討伐
第15話 村への襲撃者
それは影の不死が村へと向かって来ていることをリンから村長へ、そして村長から村中の人間の耳に入れた同刻のこと。
日暮れとともに影の不死が村の生活圏域へと侵攻してきたのだ。
影の不死は沈みゆく太陽を背に、村の大通りを逃げ惑う人達に赤く染まった目で睨みを利かせ、彼らの肉の味を推し量るようにして歩いていた。
村の中心に築かれた高台の警鐘が打ち鳴らされる。この警鐘は災害などの危機が差し迫ったときに村中に危険を知らせるために設置されていた。
警鐘のけたたましい音とともに村中の人々――男、女、子供、老人、有象無象の人間の群が大海の大波を想起させる勢いで人混みを掻き乱しながら移動していく。
人々が逃げ惑う混沌と化した惨禍の中、村人達の雑多な悲鳴がその場にさらなる混乱の渦を巻き起こしていった。
「逃げろ!」
「お前達は家に入っていなさい」
「ママー!」
「邪魔だ!どけ」
「中に入れて!死にたくない」
女、子供、老人、そして戦えない者は家の中へと殺到して姿を消していく。そして次々にドアが閉められて人々が家の中に収容されていった。
村人達の大部分が屋内へ避難するとさっきまでの騒ぎが嘘のように治まった。村の大通りは静まり返りピンと糸を張ったような緊張感がその場を包み込む。
そして屋外に残ったのは十人余りの村の中でも特に屈強な男達だった。男達はくわやピッチフォークなどの農具で武装して影の不死を迎え撃つ。
その男達は毎週のように村の酒場で繰り広げられている大乱闘でも常連の腕に自信のある強者達だった。
影の不死はその唸り声を轟かせると男達に突っ込んできた。その群衆は影の不死を避けるが一人が逃げ遅れて影の不死の急襲に巻き込まれた。
影の不死はその巨躯の下敷きになった男に覆いかぶさりその男の体を貪り食う。辺り一面に食い荒らされた肉と内臓と血しぶきが飛び散った。
男達は影の不死を取り囲み、熊ほどもある巨体へと農具の凶器を突き立てて親の仇と言わんばかりに滅多打ちにする。
流石の影の不死も犠牲になった男から飛び退いたが、襲われた男はすでに体をひくつかせたまま絶命していた。
影の不死が大気をビリビリと震わす咆哮を上げる。それと同時に農具でえぐり落されたその傷口からぶくぶくとあぶくのように影の光覆が湧き出し村の男達に襲い掛かった。
影の光覆が三人の男達を飲み込み、そのまま影の不死の体が肥大する。それを見て村の男達は後ずさった。
相手はたったの一匹。おまけにこちらは大の大人の男が十余人でそれも武装して影の不死を取り囲んでいる。
これだけの条件が揃っているのだから手早く片が付くだろうと男達は高を括っていたが、先ほどのようにうかつに近づくと影の光覆に取り込まれて人員を削られてしまう。
そのため男達もこのまま白兵戦で戦い続けるのはあまりにも危険だと察知したようだった。
「この化け物が!」
「……こいつ強い」
「駄目だ。農具じゃ歯が立たない」
「ライフルと裂魂弾を持ってこい!」
村人の狂気にも似た怒号が響き渡った。一人の男が裂魂弾とライフルを取りに戻り、その時間稼ぎのために男達は農具で影の不死の間合いに雪崩れ込んだ。
影の不死はすでに一軒家ほどの大きさにまで成長していた。そこから影の不死はまたもや村の男の一人を飲み込みどんどん大きくなっていく。
影の不死は農具を振り回す男達に物ともせず、さらなる獲物を求めてふらふらと大通りを闊歩していく。
それからふと道の脇に立ち並ぶ民家の一つに目を止めると、助走をつけてその家屋に勢いの乗った頭突きを食らわした。
家が大きく傾き中から悲鳴が漏れる。その家の中には沢山の村人が避難していた。
男達が農具の攻撃にさらに熱を込めるが影の不死は毛ほども痛くないとばかりに鼻を鳴らす。そして後退、再び助走をはかる。
そのまま影の不死が地を踏み砕き、その家屋に二度目の突進をかけたそのときだった。影の不死の目の前に一人の少女が立ちはだかった。
ズシンと轟発したような音。体の中心から末端、そして大気までも打ち震わすような衝撃。その少女は影の不死の突撃を両手で受け止めていた。
少女は赤い目を光らせ体から気化の煙を巻き上げると全身を捻り影の不死を放り投げる。影の不死は空中で一回転してその場に投げ飛ばされた。
「カイサだ!」
男の一人が叫んだ。そして男達の中で安堵にも似た歓声が上がる。
「よくやった」
「カイサ、後は任せたぞ!」
「あの化け物を倒してくれ」
カイサは立ち上がった不死の正面へと華麗に躍り出る。カイサは不死の姿を正面に捉えながら唇を噛んだ。
この影の化け物が不死である以上は殺せない。なんとかして村から森まで誘導しないと。でも不死からは痛みを感じる。捨て身の戦法はまかり間違っても出来ない。
カイサは不死の影の光覆の動きを目で追う。影の光覆の大部分は不死の肉体を食い破って出現していた。
つまり不死の体を傷つければ傷つけるほどそこから影の光覆が湧いて出てくることになる。影の光覆が不死の体を覆うことは戦う上で不利になる。
どうしたものか。そのとき思わぬ掛け声が男達の中から上がった。
「殺せ!」
「仲間の仇を討ってくれ!」
「ずたずたにしろ!」
「簡単に殺すんじゃないぞ!」
「少しは俺達にも残しといてくれよな?」
カイサは狼狽えた。出来るわけない。不死は自分を庇ってこんな姿になってしまったのだ。なんとかして極力痛みを与えずに無力化しないと。
不死がカエルのように飛び跳ねてこちらに大口の攻撃を繰り出してきた。カイサは天高く跳躍。そのまま不死の背部へと踵を振り下ろす。
不死は背中をエビぞりにして地を舐めるように地面に這いつくばった。続けざまに攻撃を与えることは出来たがカイサは一旦後退する。
「生ぬるいぞ!」
「もっと攻撃しろ」
カイサがその罵声に振り向くと、避難していた村人達が民家から出てきてこちらに向かって野次を飛ばしていた。
「殺せ!」
「あの化け物を殺せ!」
「さっさと殺せ!」
村人が不死を許すつもりはないらしい。そして村人の怒りは矛先を変えてその場で取り乱しているカイサにも降りかかった。
「何をやっている?カイサ」
「お前にはガッカリしたぞ!」
「もういい!家に帰れ!」
「帰れ!」
村人の「帰れ」の大合唱とブーイングが村中に氾濫して響いた。カイサは不死を背に村人を説得する。
「お願い、話を聞いて!この怪物はただの死狼じゃないの」
カイサに石が投げつけられた。夕立が降るように初めはまばらだった投石もその内に驟雨の弾幕となってカイサに向かって飛んでくる。なんで分かってくれない。
――――ドオォォーーン!
突如、銃声が轟きうつ伏せになって伸びていた不死の肩が吹き飛んだ。血と肉片を飛び散らせて破裂する。それは裂魂弾だった。
村人達の中から狂乱したような歓喜の声が上がった。ライフルを構えた男が言う。
「駄目だ。獲物が大きすぎる。裂魂弾じゃ。表層しか削れない」
それでも村人達は突然の強襲者に歓声と賛辞を贈った。
「よくやったぞ!」
「ざまあ見ろだ!」
「もう銃はないのか?」
不死はゆっくり起き上がるとそのまま負傷した肩を引きずりながら村から退散していく。村人達はその後ろから無数の裂魂弾を浴びせた。
「お願い止めて!」
カイサは思わず叫んだ。不死に次々と裂魂弾が命中して体が飛散した肉片とともに解体されていく。
「〝不死〟が死んじゃう!攻撃しないで!」
カイサは村人の前に立ちはだかった。しかしカイサの言ったその言葉がこの状況で失言だったのは単純明快な事実だった。
「今なんと言った?」
「……不死と聞こえたが」
「こいつがお前がよく言っていたあの不死という死狼なのか?」
村人達は唖然としたままカイサを注視していた。その一驚を浮かべた面は耳を疑うとばかりに呆けている。
カイサは口を覆った。今になって義理や同情が通じるはずがなかった。もう事は起こってしまったのだ。
そして次第に村人から禍々しいほどの激情が立ち昇っていく。それはさきほど不死に向けられた憤怒と同じような先鋭さと殺気を孕んでいた。
「違う!不死さんはあんな化け物なんかじゃない!」
人だかりからイチナが出てきた。カイサに駆け寄る。
「カイサ言って!あれは不死さんなんかじゃないって、言って!」
カイサは黙り込んだままだ。カイサの映ったイチナの目に失望の色が浮かぶ。
「そんな……どうして……」
イチナはカイサから後ずさった。建屋から出てきた村長が杖で地面を打ち鳴らし村人達の注意を引く。
「皆の衆聞け!この後、いつもの広場で集会を開く!」
村人達は声を張り上げて村長に詰め寄る。
「集会だと⁉村長、何か考えでもあるのか?」
「カイサがあの化け物に繋がりがあることをどう説明するんだ!」
「この事件をこのまま無かったことにしてもいいのか⁉」
「カイサに責任を取らせろ!」
村長は重々しい語調でその場を取り仕切った。
「そのことだがワシもまだ事情がよく飲み込めておらん。しかしあの化け物がまだ生きていることに変わりはない」
村長は射抜くような視線をカイサに突きつける。
「集会では今後の村のことを話し合う。勿論、カイサにも出席してもらう」
それから村長は村人達を見回して誠意のこもった言葉を発した。
「どうか今はワシを信じて欲しい。この一件の責任をみんなで分かち合うだけの器の大きさを持って欲しい。そしてこの村の未来のために命を投げ出すだけの覚悟を決めて欲しい。それが出来ない者は集会に参加しなくてよい」
そして村長は話をこう締めくくった。
「もし集会に参加しなくてもそのことについては誰も責めはしない。しかし参加しなかった者もまたカイサを責める資格はない」
村長はそう言い残すと人混みをかき分けカイサの方へとやって来た。
「ありがとうございます。村長さん」
カイサが村長にぺこりと頭を下げる。
「お主を助けたわけではない。ただ村を守っただけじゃ」
「それでも助かりました。一時は村から出て行かなければいけないかと……」
村長は手を挙げて話を遮った。
「まだ許すとは言っとらん」
村長は鷹のような目でカイサを睨みつける。
「村人達のことは任せておけ。その代わりにお前はあの化け物をなんとかしろ」
「でも不死は……」
村長は有無を言わせない強面を作った。それ以上はカイサも何も言えずに俯く。
実際、村長はかなり譲歩してくれている。不本意だが村長にこれ以上甘えることは出来なかった。
「頼んだぞ、カイサ」
そして村長が去り際にぼやくように言った。
「……クイネの仇を討ってやってくれ」
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