第5話 魂交

「何をするつもりだ?」


タカは自分のバックパックと装備を積んだだけの即席の枕に頭を置き寝かされていた。


自分の運命がこの少し会話しただけの死狼に握られていることに強い不安を感じているようだ。顔には恐怖すら浮かんでいる。


「案ずるな。足を見せてみろ」

侶死はタカの足に鼻を近づける。匂いを嗅いでいるのだろうか。鼻が微痙攣している。


「もう壊死が始まっておるな」

「足を切り落とすのか?」

「そんなことせんわい。ワシをちっとは信用せい。じゃが……」


侶死はそう言葉を切るとタカの体をぴょっんと軽く飛び越えてタカの顔に荒い息が吹きかかるほどに顔を近づけた。


「信用しろと言ったのは真の意味でじゃ。〝魂交〟は互いに信頼し合った者でないと出来ん」

「どうすればいい?」

「肩の力を抜け」


侶死はタカの手に握られているものを見た。タカの手は腰にある短剣の柄を握っていた。


「すまない。信用する。もう大丈夫だ」

タカは両手を頭まで上げた。

「いいじゃろう。少し魂交の説明をしよう」



魂交。それは人間と死狼が魂を交わすためのものだ。


魂交をすることで死狼は人間の魂の一部を食べ、生命力を得ることが出来る。

そして食べた魂の力を人間に還元して、人間の生命力を極限以上に引き上げることが出来るのだ。


それはつまり両者の間で生命力を循環させるということ。


しかし魂交は家畜死狼には出来ない。なぜなら家畜死狼は心を持たないからだ。

そして魂交にはお互いの信頼が必要だ。


それゆえ相手が簡単に見つからない魂交は死狼にとって人肉を食べるよりも効率が悪い。


それでも魂交をしてくれる人間が見つかればより多くの生命力を取り込むことが出来るのだ。



「魂交をしている間、ワシは意識を失う。ワシの魂はこの肉体から離れる。なぜならその間お前の魂とワシの魂胞のブリッジになるからじゃ」

「俺はどうすればいい」

「何もするな」

侶死はさっきの短剣を見る。

「文字通り〝何も〟」

そう言うと侶死はその場に突っ伏した。


「魂交の間ワシに触れていてくれ。そこからワシの魂がお前の魂とワシの魂胞を繋ぐ」

分かったと言ったタカが侶死の痩せた老体に触れた。


侶死が目を閉じてまもなくすると接触部分が光を帯びた。そしてその光がタカの体全体を包み込む。


白い光のオーラ。巻雲のような白い無数の帯がタカの周りで浮遊し渦を巻く。


「すごい」

タカは思わず叫ぶ。

光は侶死の喉元の魂胞まで伸びている。この光が侶死の魂なのだろうとタカは察した。


タカは自分の体を包み込んだ光を見る。光はとくに足に集中していた。患部だからだろうか。


タカの足に急に激痛が走る。タカは思わず顔をしかめた。侶死の体に触れた手を離しそうになる。


タカは足が内側から燃えているような痛みに忍苦し目をつむった。ゴキ、ゴキと足の方で音がする。


タカは薄目を開けた。ねじ曲がった足がもぞもぞと動いている。タカは絶叫した。


――タカ、落ち着け。


侶死の声だ。タカは自分の身に起きた大惨事に涙目でまくしたてる。


「おい!!これは一体どうなっている!?」


――お前の足を治している。


「痛い!激痛だ!なんとかしてくれ!!」


――じきに治まる安心せい。


足がまるで意志を持ったように動く。大蛇のように地を這う。そしてその足は真っすぐに矯正されていく。


骨、肉が繋がる。ついに足がぴったりとくっついた。

「な、治った」と言ったタカの声には物柔らかさが戻っていた。痛みが引いたようだ。


体の光が消え侶死が目を覚ました。起き上がった侶死が激しく咳き込む。

何かが喉に詰まったように咳き込み、そして「カァアーーッペッ」痰を吐き出すように喉から何かをひり出した。


口から出てきた赤いクリスタル。タカは不思議そうにそれを見た。


「何だそれは?」

「魂器じゃ。この中にお前の魂が入っておる」

「魂!?俺は死んだのか?」


侶死が笑う。

「一部だけじゃ。心を持つ者の魂を食べたとき――つまり殺したときや魂交をしたとき、死狼は自分の魂胞の中でこの魂器を作ることが出来る」


タカは魂器をつまみ上げる。


「死狼が魂をこんな塊にするなんて知らなかった」

「魂を消化するか魂器にするかはその者次第じゃ。この魂は他の者に分け与えるために魂器にしたまで」


侶死はタカから魂器を受け取ると再びそれを飲み込んだ。


「ところで足の具合はどうじゃ?」

「怪我する前よりも調子がいい。それだけじゃない体全体に力が溢れかえっている」

「ああ。そうじゃろうな。魂交の力がまだ体に残っておるんじゃ。お前の足じゃが一定時間だけ超人並みの力を発揮できる」


「ええ⁉」とタカが驚く。


「この方角に小さな村がある。その足でなら一時間ほどで着く。恐らくじゃが死狼や他の獣にも追いつかれることはないと思う」


タカが立ち上がり軽く飛び上がった――とその途端、彼の体が二メートル程も宙に浮く。

タカはまだその力に慣れていないのか着地に失敗してこけてしまった。


「戦争が収まれば故郷に帰れるだろう。侶死という死狼に助けられたと言え。しばらく面倒を見てもらえるだろう」


タカは尻もちをついたまま涙を流す。ありがとう。ありがとう。と何度も言う。


「この足はお前自身の魂にある生命力で治った。ワシは少し手伝っただけ。礼には及ばんて」

「何から、何までありがとう」

タカは起き上がり走り出した。しかし最初の一歩で三メートル程進みずっこけてしまう。

「くれぐれも怪我をせんようにな」





侶死はタカを見送ると気負うように表情を強張らせた。嫌な話を思い出したのだ。


「死狼餌……。やはり嫌な予感がする」


狂死は五十年前に魂湖の水と引き換えに不死を生贄にした。永死の永遠の命のために。

もしかしたら死狼餌は何か繋がりがあるのかもしれない。いや思い過ごしか――。


遠吠えが聞こえた。

獅死が撤退の合図をしたのだ。もうじき人間がここに来る。また戦が始まる。

侶死はその場でしばし熟考しそれから走り出した。


永死の魂湖の洞窟に行ってみるか。

もし仮に魂湖の水が取引されるとしたらこの森の死狼全体に関わることじゃ。他人事ではあるまいて――。

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