第17話 決戦
約束の一日が始まった。
日暮れまでの猶予はあるが不死とカイサはすぐに行動を開始した。
肉根の残党を狩りながら森を進み永死の魂湖まで向かう。カイサは不死の背中に跨りつつ、さり気なく体を寄せ付け、最後の最後までその温かさを確認した。
もう思い残すことはなかった。
この二日ほどの出来事はあっという間で、それでもいままで生きてきたことを証明する根源的な〝何か〟を垣間見た気がする。
今まで自分は何のためにも生きて来なかった。ただ存在するだけの肉体。自分の魂は死んだも同然だった。
それがこの二日で自分は初めて人生というものを生きた。自分は確かにこの世界に存在した。今はその確信がある。
人間の村に近づくと、いよいよその異様な全貌が見えてきた。地中から溢れ出た肉根が大洪水の如く殺到して森の中でひしめき合っている。
人間の村は無傷だったがやはり氾濫した肉根で埋め尽くされていた。
昇降用の地底湖には死狼達の骸の山が釣り堀の浮きのように漂って異臭を放っている。永死と戦おうとした死狼達だろう。
綺麗に魂砕された後で、クリスタルの森に辿り着くことすら出来ずにここで殺されたか、あるいは侵入した後に返り討ちに遭いここに打ち捨てられたか、いずれにしろそれは永死の非道さを物語っていた。
「ひどい」
流石のカイサでもこの光景には息を呑んだ。
「永死は決して情けなどかけない。十分に注意しろ」
二人とも彼らに墓など作ってやる時間もなく、そのまま地底湖に飛び込むと、すぐさま頭上で永死の肉根が何重にも絡み合って穴を塞いだ。
途中で逃げ出すとでも思ったのだろうか。どちらかが死ぬまでこの戦いが終わらないことはお互い分かっているはずなのに。
下に降りて、岩場の裂け目を通ると、
――目を焼く壮大な永死の楽園――
「待っておったぞ。カイサ」
地底の空間、大地、それらを突き抜け、そこから身を震わすほどの叫喚、力強い永死の第一声が一陣の風とともに押し寄せる。
遠くからでも永死の姿が見えた。永死は絡み合う木の根の柱と同じくらい幹回りが成長し、樹高も相当高くなっていてそれは深い森の神木を連想させた。
その周りにまるで丸い絨毯のように赤い魂湖が敷かれ、中央に永死が我が物顔で占領するといった形貌だ。
また草原の所々に多肉植物のような赤いクリスタル。その魂器全てに肉根が突き刺さっていて接触部分が魂交の光覆のように光っている。
永死が戦う前に取引で集めた魂器と疑似的な魂交をして、その力を最大限まで高めるだろうことを不死から聞かされてはいたが、まさかここまで大きく成長していたとは流石に予想だにもしていなかった。
魂器との魂交とは、つまるところ魂器を食べることとさして変わりはないが、魂交で生命力の循環を行う過程でその力を更に増幅出来るのだそうだ。無論その分、消耗も激しいのだが。
永死は何匹もの死狼の魂を自分の中に魂砕したため、それぞれの死狼の魂に分担させて並列して、複数個の魂器と同時に魂交を行えるのだと不死は言った。
永死が取引で魂器を集めていた理由には魂砕以外にもこういった使い道があったからだろう。
また、不死の言う通り魂器とも魂交が出来るのだとしたらこれだけの数、且つ大きさの魂器と魂交をすればその力は絶大。さすれば今の永死はかなり手強いのかもしれない。
だが、それでも――ようやく、ようやく私はここまで辿り着いた。
カイサは目を閉じ、それからゆっくり開くと、押し殺すように殺意の息を吐く。
「クシを返して」
カイサが代表して、永死にも負けじと威圧の風を吹かせその声を轟き渡らせる。
「まあ待て、こちらもお前を待ったのだ。取引の時間もまだある。少し話をしよう」
そこから遥か遠く、永死のすぐそばで狂死が横たわっているのが見えた。ピクリとも動かず血にまみれている。どうやら永死に裏切られたようだ。
「あなたと話すことなんてない。早くクシを返して」
「よかろう」
永死は渋々と応じる。
肉根の群が上からゆっくりと降りてきた。そこにクシが居るのを目に留めカイサは目の色を変える。
肉根はクシを優しく抱きかかえるように、まるで貴婦人でも扱うように、その場に丁重に下ろすとすぐさま退いた。
「カイサ、気をつけろ」
不死はしきりに辺りの様子を窺い、唸りながら、感覚を研ぎ澄ませている。
彼の野生の本能はこういう時にも頼りになる。カイサは無言で頷きクシに駆け寄った。
「クシ、助けに来たよ」
クシは意識がない。呼びかけにも応答しない、が心臓は動いている。しっかりと呼吸もしている。生きていることに間違いはなかった。
「命とは美しい。そう思わんか?」
クシを抱きかかえたカイサの背に永死が歌うように話す。
「命の輝きはこの地上で無数の星々のように輝き、だがそれはただ輝くだけでその奇跡はそれ単体では何の意味もなさない。言わば宝石のようなもの」
カイサは右耳から左耳へ聞き流して歩いていく。
「命は常にその意味を探している。そして俺には生きる意味がある。その輝きの使い方を知っている。輝きが意味を持ち、それがそのまま永遠に続くことは素晴らしいことだと、そう思わんか?」
カイサが立ち止まり振り返った。
「何が言いたいの?」
近くの魂器に刺さった肉根から皮のない死狼の顔が浮かび上がりこちらに近づく。
「〝取引〟がしたい」
気持ちの悪い猫なで声だった。媚びるように、その欲望を覆い隠すことすらせずに、何かをねだるような気持ち悪い声で。しかしカイサは素っ気なく返す。
「取引はもう終わった」
「新しい取引だ」
「何?」
肉根の顔がカイサの鼻先まで伸びる。
「命と命の交換だ。等価交換、何かを失って何かを得る。取引とはそういうものだ」
永死は続ける。
「俺はどうしても永遠の命が欲しい。不死の魂が欲しい。お前もまたこの森から生きて出たい」
カイサは押し黙った。永死がカイサの顔を一周して目を細めながら頬を吊り上げる。
「お前にとっては悪い話でもなかろう。この森を死狼達に返す。その上、約束しよう。お前とクシも無事にここから、この森から出すと」
カイサは不死を盗み見た。不死は固く口を閉ざしている。
まるで己が全ての運命をカイサの手に委ねているとでも言うように。しかしそれは諦めではなく、目には確固たる決意が見えた。
そんな不死を尻目にカイサは不敵に笑った。カイサの目にもまた不死と同じ決意が宿っていた。
「ええ、私もあなたと取引がしたい」
永死は目を見開き、カイサの出し抜けな返答に肉根を大きく波打たせ首をもたげる。
「でもそれは『戦って勝ったものが全て思い通りに出来る』っていう取引」
永死は嫌らしくもさも満足気に高笑いした。永死もまた全て思い通りにことが運んだ様子だ。
「取引成立だ」
魂湖の水が瞬間冷凍されたように凍った。いや結晶化した。
氷山のような超大型の魂器。そして壮観とも言える永死の大樹が光覆のような白い光を放ち、白日のように煌々と輝く。
まともに光線を受け目の前が一瞬眩んだ。
それが戦いの幕開きだった。
次の瞬間、魂器に刺さった肉根がこちらを向き雪崩の如く押し寄せる。
「不死いくよ」
カイサが不死を振り返り叫んだ。
不死が後足で地を押し砕き、四足を滑らせるようにして走り出すとカイサ達のすぐ脇を通り過ぎた所で二人を拾う。
カイサは意識のないクシが落ちないように、予め用意していた縄紐で不死の背に軽く縛り付けると自分の体と密着させる。
「クシ、あなたの生命力少しもらうね」
カイサの光覆が不死、そしてクシの体を包み込む。カイサの目が赤く光った。カイサが雄叫びを上げる。それに合わせて不死の魂胞が鼓動する。
「カイサ。打ち合わせ通り生命力を押さえろ。部分的な魂交で十分だ」
「分かってる」
三人を包み込んだ光覆が不死の脚に移り筋肉が唸りを上げ隆起。他の生き物の脚を取って付けたような不均衡さを見せつけ、そのまま肉根の大津波を避けながら巨大な魂器の間を縫うと、文字通り嵐のように疾走する。暴風を纏い風塵は流動する鎧のようにも見えた。
不死が石の建造物の壁を駆け上がると、壁や地面から破城槌のように大きく尖った肉根が直進。偏差軌道で不死を狙いすまし次々に飛び出す。
不死はそれを神馬のような美しい身のこなしで避け、時折その肉根に飛び移りながら立体的に移動する。
目指すは永死、磯巾着の口とそれを守る肉根の群――その内部にある魂胞。壁と肉根の足場を確実に見極めながら順々に経由し確実に距離を詰める。
不死達の近くで茨の如くトゲが生えずばり凶器そのものになった肉根が行く手を塞ぎそのまま破裂。破片を撒き散らすと殺傷的な速度で雹のように降りかかる。
不死は一旦地上に避難。光覆を全身に集め総身を鋼のような筋肉で覆いカイサとクシを光覆の盾で守った。
トゲが炸裂した爆竹のような音を立てて背から打ち返されると再びカイサを乗せ建物の壁を駆け上がる。
肉根が地面に、天井に、壁に、その空間にまるで哀れな餌食を待つ蜘蛛の巣のように張り巡らされていく。
次第に不死達は密集した肉根に阻まれその進撃を遅らせる。
永死の顔、巨大な皮のない死狼の顔が肉根の隙間を縫いながら飛翔してくる。その様はまるで体を失くして彷徨う亡霊のよう。
不死は光覆をカイサに分け与えると二人は散開。その後、永死の顔を挟んで合流し、横からカイサが光覆の拳を唸らせ、永死の首を討とうするが、永死の顔が肉根の上を滑るように移動。カイサの目の前で大口を開けた。
口の中には既に黒光した肉根が伏兵として蠢く。
思わず身を引き、直前で方向を転換、果たして不死に回収された。
「あの顔は囮だ」
「どうするの?」
不死に跨る。
「お前は永死の魂胞を叩け。あいつは俺がなんとかする」
クリスタルの森を半分ほど進み永死の本体、その魂胞まではもう目前。確かに不死の言う通りあの顔は囮だ。
「光覆は出来るだけ抑えろ。分かったら行け」
ややぶっきら棒に言い放つとカイサを乗せたまま不気味な化け物の顔に突進を始めた。
再び口を開くと蔓延る黒光と肉根の群。カイサは不死から飛び上がるとそのまま皮の剥けた巨顔を飛び越えて肉根に着地、その上を駆け抜ける。
振り返ると不死は悪戦苦闘して、しかしクシには肉根一本も触れさせはしないと身を捻り、肉根の遮蔽を利用して上手くやり過ごしているのが見えた。
――絶対二人とも死なせない。
決意を新たに、眼前に堂々たる偉容で立ちはだかる永死の肉幹と結晶化した魂湖の絶景の中を小さな人影が本丸へと赴く。
四方八方、上下左右、ありとあらゆる方向から飛んできた肉根を、針の上を渡るように通り過ぎ、その先に遂に永死の姿を捉えた。
永死の肉幹が悠然と構える中、肉幹に生えている肉根が総動員。その全てをこちらに繰り出してくる。
どうやらここで勝負を決めるつもりらしい。
磯巾着が大きく開いてからカイサを包み込むと捩じり込むように収縮してカイサを一飲みにする。最早逃げ場がない。
カイサは自ら飲み込まれその中に落ちて行く。磯巾着の口に黒光が閃き、赤黒い肉壁が生々しくも妖艶な色彩をより一層際立たせる。その奥に見えた魂胞。
禍々しいほどの絶望と恐怖の光。生と対局の死の光。その黒光。
それと相反して魂交の光覆、生の白光が一閃、カイサの全身を覆う。
光と闇が入り混じる。
白と黒が入り混じる。
生と死が入り混じる。
命の本質とも言える二つの輝きが入り混じる。
最後に残ったのは――命の光。命の白。命の〝生〟だった。
魂胞が裂魂弾を受けたように弾け飛んだ。
永死の肉幹に大穴が開き、内臓と赤と黄色の混ざったような体液が飛び散ると、大きな角笛のような野太い鳴動を上げ、風を受けた稲穂のようにゆらりと揺れた。
そのまま肉隗の幹が折れ、そびえ立つ大木のような太い肉幹が天井や壁面から突出した肉根を巻き込みながら倒れる。
当然張り巡らされた肉根はその体重を支え切れず、霹靂のような耳をつんざく地鳴りと共に洞窟の天井ごと倒壊した。
しかし天井のすぐ上の浮遊した湖は全く持って不合理的な原理で支えられており、水の塊は陥落することなくその水底を大きく波打たせ、天地をひっくり返した海のように威風堂々たる白波を立てているだけだった。
今となっては湖を突き抜けた太陽光の集光模様もますますとその美麗さを際立たせ、その空間により一層荘厳さをもたらしている。
カイサは崩落した天井の下敷きにならないよう壁から垂れ下がった小さな肉根にぶら下がっていた。
上から目を凝らして不死とクシを探す。天井が半壊し明るくなった分探しやすいはずだが砂埃が舞い地上の様子がよく見えない。
思ったより崩落で落ちてきた岩や土砂が少ない。地底の空洞部分と湖の底が近かったため、堆積物が少なかったのだろう。
結晶化した魂湖の中心からやや手前に永死を埋葬するように岩と土砂が降り積もっているが、それ以外は寧ろ力尽きた肉根の残骸の方が多いくらいだ。
カイサは飛び降りると砂埃にむせながら辺りを見回した。
永死はピクリとも動かない。完全に絶命したようだ。終わったのだ、全て。
しかしやはり気にかかるのは不死とクシの安否だ。
不死はさっきまでクシを背中に結わい付けたまま永死の巨顔と戦っていた。流石に二人の身が心配だ。
太さだけでも身の丈を超す肉根を脚にだけ光覆を灯らせてテンポよく飛び越えながら進む。
カイサが大声で二人の名前を繰り返し呼んだ。
「カイサここだ」
すぐさま不死の声が返ってきた。はっきり聞こえる。土砂には埋まっていないはず。
「クシは大丈夫?」
「ああ。無事だ」
やや苦しそうな声で答える。今度こそ胸を撫で下ろし声の方へ向かう。
不死は永死の巨顔を仕留めていた。不死の傍らに顎から首まで大口を引き裂かれ沈黙した皮のない死狼の顔が白目を向いて横たわっている。
それと引き換えに、不死はレイピアのように長いトゲが無数に生えた肉根の胴体にねじ上げられ、そのトゲに貫かれたまま身動きが出来ないでいた。
肉根のトゲはもはや永死自らの胴体にも突き刺さり、またそれほどまでに強く締め上げたことが見てとれた。
それでも不死は身を丸めながらクシを抱えそのトゲから紙一重で死守している。カイサは不死とクシをトゲの生えた肉根から助け出すとクシに呼びかける。
「クシ、起きて。私達助かったんだよ」
不死が身を沈め背中を差し出す。
「カイサ後にしろ。ここから出るぞ。何か嫌な予感がする」
「分かった」
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