―終― Lost In Your Light
第21話 ~ハッピーエンド~
「すまんカイサ。ワシがついて行けるのはここまでじゃ」
南西に森を抜けてその先四キロ、この丘の向こうに侶死と交流のある人間の村があるらしい。
あの後、森の死狼達は魂湖のクリスタルの森に移り住むことになった。
魂湖を取り戻した不死は仲間として当然、死狼達に受け入れられ、またカイサもその英雄としてもてはやされた。
それはもう引っ張りだこの人気者でしばらくの間、不死や侶死達と話せなかったほどだ。
死狼達は勿論のこと、特に喜んだのは獅死で、恐らくだが一か月もすれば抜け毛の問題は解消されるだろう。
魂湖の水を以てしてもこの森から人食いが消えることはないと思うが、それでもそれは他の森で熊やオオカミなどの肉食獣が出没するのと同じことだろう。
死狼達はカイサに一緒に森で暮らすことを求めたが、生活用品が盗品だらけになることは目に見えていたし、いつか限界が来ることも分かっていたので、傷つけないよう言葉を慎重に選んで丁重に断った。
そして結果的に侶死の勧めで人間の村に住むことになったのだ。
村人は侶死の後生の頼みを快く受け入れた。本当に侶死には最初から最後までお世話になった。恐らくこれからも長い付き合いになるだろう。
しかし――結局、不死はその見送りには来てくれなかった。
「村人にお前のことは言っておいてある。彼らは全員ワシに恩がある。悪いようにはせんて」
「後は俺が送るぞ!」
歯切れのよい発声をするこの気持ちのいい青年はタカという。侶死が信用に足る人物だと太鼓判を押して、村までカイサを案内してくれることになった。
「では頼むぞ。カイサはこの森の英雄じゃ。ちゃんと送り届けてやってくれ」
「任せろ!俺はこれでも〝元〟軍人のはしくれだ!」
そう息巻いて侶死としばし談笑した後、カイサに向き直った。
「行こう。カイサ」
カイサは死狼の森を振り返った。この距離ならいつでも来れる。また会える。
でもこれっきり、何かが終わってしまう感覚。何かが、大切な何かが、手からこぼれ落ちて、消えていく、そんな気がする。
――不死は私に『色』を伝えられる。でもなぜ。
何かが、胸を締め付ける。終わってしまう、何かが。大切な、何かが、終わる。嫌だ。
カイサは託した想いを密やかに言葉に乗せて言う。
「ねえ、死狼って相手に何かを伝えたりできる力って持ってる?」
「テレパシーのようなたぐいか?」
侶死は思慮深く顔を顰める。
「そうじゃなくて、もっとこう……触れたときに相手に伝えられる」
ああ、と安心したような納得を見せる。
「魂交なら経験したであろう」
「違う。なんか温かさみたいな……」
馬鹿らしい――何言ってんだろう。
「いや、やっぱいい。有難う、もう行く」
待て待てと、妙にさっぱりした侶死の小気味良い声が被さった。
「ああ、そう言えばあったわい」
うっかりしておったと笑う。
「もし人間と死狼の間に愛があれば……なんというか、お互いの魂が共鳴し合ってな。その二つがより共鳴し合うことで、相手の心に直接肌で触れられるようになるんじゃ。そしてここからが眉唾ものなんじゃが、その魂の共鳴が最高潮に達したとき、死狼はその人間に《真の心の姿》を現すという。魂交から派生した死狼の求愛行動で、これがまたおかしな話なんじゃが大昔に心を持った死狼が〝人間〟になってしまったことがあってな……」
カイサの中で焦燥にも似た希望が芽生えた。
「ごめんなさい。私、いかなくちゃ」
カイサは思わず駆け出す。
「待て、どこへ行く?」
残された侶死とタカは遠ざかって行くカイサの背中を見て唖然としていた。
「一体、カイサはどうしたんだ?」
「……うむ、カイサは死狼の求愛行動の話が嫌いでな」
――不死はトキさんの魂に存在する愛、その全てを持っていた。それが私と不死が会ったことで私の中に復元されたんだとしたら……私でも……。
※
「不死!」
小一時間ほど小まめに休憩を挟みながら、自魂交で森を駆けずり回りようやく見つけた不死に声をかけた。
遠くの山の頂を俯瞰出来る緩やかな高原の果てに――それはまるで机いっぱいに地図でも広げたような、死狼の森と初めての故郷とも呼ぶべき人間の村が、大海のごとく視界の端まで余すことなく占領する。その草原の中を不死はトボトボと歩を進めていた。
不死は明らかに失意していた。自分が森を離れるせいで落ち込んでいると、そうであって欲しいと。
カイサはそのことがおこがましいと分かっていながらも、強く願う。
「カイサ。俺はいままでトキに会うために生きてきた。それが俺の生きる意味だった」
不死が振り返る。
「俺はようやく自由を手に入れ、仲間に受け入れられ、魂湖の水を腹いっぱい飲めるようになった。だが既にトキはもうこの世にいない。もう俺には生きる意味がない」
その目は海の底のように暗かった。
「カイサ。俺はこれからどうすればいい?」
言わなくちゃいけない。不死のためじゃなく、それは自分自身のために。
「私は、分からない。でもあなたは私に生きる意味を与えてくれた。あなたは私の知る中でもっとも偉大な死狼であり人間」
お願い。届いて――。
「不死、これからは私を守って欲しい。ここから、死狼の住む森から私をずっと見守っていて欲しい。それがあなたの生きる意味。それじゃ駄目?」
不死はイエスと言わない。それから困ったように眉を下げ微笑んだ。
「カイサ、少しトキと話をさせてくれ」
「話せるの?でも私の中のトキさんは……」
「分からない。だがあることを試したいんだ」
今の不死のために自分が出来ることがあるならば――。それが彼にとって生きる希望になるのであれば――。
「私は……どうすればいい?」
「目を閉じてくれ」
カイサは目を閉じた。誰かの手がカイサの頬に優しく滑るように着地。顔を覆われて――そのまま人間の唇の感触。
カイサが驚いて目を開けると目の前には死狼の不死がいた。
「不死、あなた今、魂交なしで……人間に……」
「やはりトキとは話せなかった。だが一つだけあることが分かった」
不死がカイサを背に歩き出す。
「喜べカイサ。人間の俺はお前には釣り合わんほど容姿がいい」
「何を……言って……」
「すまんな。お前のファーストキスは頂いた」
「え?」
カイサは熟したリンゴのように頬を染めた。
「キスくらい……したことあるよ」
ミチとだけど、男性はこれが初めて。とカイサは絶対に聞こえないほど小さく付け加えた。
遠ざかっていく不死を目で追いながら、唇の感触をなぞるように人差し指で押さえると、それがもはや自分の人生で感じる最後の色になってしまったのだと悟る。
苦しい。言わなきゃ。私はあなたが――。どうしてもあなたが――。
カイサは目を固く瞑ると、ぎこちなくも一息に言い終える。
「不死――あの――たまに――あなたに会いに行ってもいい?」
あー言っちゃったー。
「ふん。どのみち俺から会いに行くつもりだった」
思わぬ返答に顔を上げると、寂し気に頬を吊り上げる不死と目が合った。
「だが勘違いするな。俺はトキに会いに来るだけだ」
※ ―― ―― ―― ※ ※ ―― ―― ―― ※
死狼は特別な力を持ち、その力は人の生きたいという強い意志を食べることでもたらされた。
人間はその力を求めて死狼餌と呼ばれる少女達を死狼の餌にした。
人間は、倫理と道徳を捨て、争い、国は腐敗し、社会は輝きと存在意義を失った。
そしていつしか人間は〝生きる本当の意味〟を忘れた。
しかしそんな世界の片隅で『餌の少女』はある『死狼』と出会った――。
※ ―― ―― ―― ※ ※ ―― ―― ―― ※
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