第2話 永遠を生きる死狼
上から射す眩しい光に〝不死〟は目をすがめると、目を瞬きその光を見上げるのを止めた。
闇に覆われた牢獄。その空間を照らすのは不死が先ほど見上げていた光だけ。
それは天井にぽっかりと空いた穴だった。そこから外の光が漏れている。出口だ。
しかしそれは彼が手を伸ばすには距離がありすぎた。地上からの距離にして約五メートル。
死狼としては少々大きめの不死が二足で立ち上がったとしても届かない距離だ。
そこは孤独だった。何もない。辺りに沢山の人骨が散乱している。死狼に喰い荒らされた人達の骨だ。
だが、それは決して不死が食べた人間の骨ではなかった。正確にはこれから彼が食べる〝食事〟だ。
不死は骨が好きなわけではない。肉食で人肉が好物だ。過去に何人もの人間を喰らっている。しかし彼は他の死狼と違っていた。
彼は人肉を食べなくても生きられたし、もっと言えばここにある骨を食べなくても生きられた。なぜなら彼は不死――そう〝不死身〟だった。
不死は長い間ここに閉じ込められていた。たまに他の死狼達がここに捨てていく人間の骨を食べてなんとか思考だけでも、生きる意志だけでも働かせていた。
不死は弱っていた。頬はこけ、永遠を生きたという証と引き換えるようにすっかり白くなってしまった体毛の下は骨と皮しかなかった。
また、その干乾びて歪に萎んだ体のどこに生命を維持するための臓器が内包されているのか、それともそんな物なくても彼は生きていけるのか、そんなことさえ疑ってしまうほどに不死は衰弱し切っていた。
「食事の時間」
不死は弱々しい声でそう呟くと前足だけで地面を蹴って地べたを這いずるようにして進みだした。
そして一番近い骨まで十数秒かけようやく到達すると持っていた石ころをその骨に叩きつける。
骨は小枝を折った時のような乾いた音を立てて砕け散った。そのまま不死はその骨を地面から舐めとるように食べた。
――お前は半世紀この牢獄に閉じ込められておる。
侶死とは不死の仲間の死狼だ。外界との数少ない繋がりでもあった。
そして侶死はこの半世紀ずっと自分の世話をしてくれていた。
なぜ?何のため?
そう聞かれても不死には漠然とした言葉しか思い浮かばなかった。
ただ一番正しい回答を選ぶとすれば、侶死は自分の父親のような存在だったからだ。
侶死は昔ここを統治していた。不死がここに入れられる前だ。
侶死は優しい死狼だった。彼は人間に歩み寄ろうと必死に努力した。
彼は自分の考えを信じ大儀を持ち、それを他の死狼に説いた。しかしそれは受け入れられなかった。死狼達は侶死を失脚させた。
「狂死」
不死が唸る。それは弱々しく、しかし芯がはっきりとした声だった。
そう、不死は狂死にここに入れられたのだ。不死はまた石ころを骨に叩きつける。
狂死は不死の生きる意志を折ろうとした。またこの森の死狼達もほぼ皆が同じく不死の死を望んでいた。
それは遠い昔のように思われたが、今でもはっきり覚えている。
狂死が森の死狼達を引きつれ不死をここに閉じ込めた、あの日。
不死を〝餌〟として永死に捧げた、あの日――。
※
それは今から半世紀前のこと。
その頃、森の死狼達は人間を殺さず人間の魂を多く含んだ〝魂湖〟と呼ばれる湖の水を飲みながら平和に暮らしていた。
そんなある日、大規模な密猟がその森を襲った。密猟者達との闘いは一か月以上続き多くの死狼が命を落とした。
永死は、魂湖と死狼の森に深い根を張りその力で密猟者達を追い払った。それ以来、永死は死狼達の棲み処と魂湖を守ることを決意した。
しかし永死は誘惑に負けた。魂湖の力の強大さを知ってしまったのだ。魂湖の力が続く限り、自分の力もまた何千年、何万年と続くと。
永死は魂湖を独り占めにした。
魂湖の水を失った森の死狼達は人間の魂を確保できず人を襲い始めた。そして狂死もまた魂湖の水に飢えた死狼の内の一匹だった。
狂死は森の死狼達をまとめ上げ、不死を生け捕りにし、永死に『不死の魂』と『魂湖の水半分』を交換するよう取引を持ちかけた。
永死は永遠の命と強大な力、その両方を手に入れ、魂湖の水もこの森の死狼達の元へと戻る。
全てが丸く収まるはずだった――が――取引は失敗に終わった。
なぜなら不死は魂と肉体の繋がりが強かったからだ。永死は不死の魂を砕くことが出来ず、また永遠の命も手に入れることが出来なかった。
狂死は魂湖の水を諦めきれず、不死をここに幽閉し、食べ物には心をギリギリ保てるだけの人骨しか与えずに不死の生きる意志を断ち切ろうとした。だがそれは断ち切れなかった。
不死はある日、侶死に言った。
自分はこれ以上生きる意志を保つことは出来ない。魂を砕かれる日もそう遠くないだろう。
だから死ぬ前にある願いを聞いて欲しい。どうしても会わせて欲しい者がいる。その者のために自分は永遠を生きたと。
不死は仰向けになるとまた頭上に開いた穴をかすむ目で見た。穴から差し込む光が一瞬遮られ上から人骨が落ちてくる。
不死は避けようとして、しかしそんな気力も湧かないのかそれとももはや避ける元気もないのか間抜けにも直撃をくらってしまう。
―――不死身の雌死狼。
不死の脳裏に思い浮かぶ言葉。自分のつがいとなる死狼。俺はずっと彼女を探し続けている。見つけなくてはいけない彼女を。
『俺は生きなくてはいけない』
※
不死が目を覚ました。気を失うが如く眠っていた不死に誰かが声をかける。
「おい不死」
上から声がする。侶死だ。不死は体を起こした。
「遅かったな」
「ああすまない。他の死狼と少し揉めた。〝魂器〟をよこせとうるさくてかなわん」
上から何かが落とされる。小石が着地した時のような軽い音が暗闇に響いた。
「今日の分の魂器じゃ。大事にしろ」
不死は音の方へと這って行き、魂器と呼ばれるものを震える手でつまみ上げる。人間の爪ほどの大きさの輝く石。
魂器とはすなわち魂の器。
死狼は魂を食べたとき、その者の魂をこの魂器に封じ込めることができる。死狼が魂器を食べることはその者の魂を直接食べることと同じだ。
侶死は死狼達から隠れて定期的に不死へと魂器を与えていた。
「大分、小さな魂器じゃが、それで我慢してくれ。これでも他の死狼達の目を掻い潜るのに苦労したんじゃ」
それは赤いクリスタルのような物だった。
ルビーのような輝きを放つ赤。しかしそれは不死が見慣れた魂器よりも赤い。
それは血で汚れていた。侶死の血だ。ただの口喧嘩では済まなかったようだ。
「かたじけない」
侶死に不死の姿は恐らく見えていない。しかし不死は深く頭を下げた。
「それで、侶死。やつらには勝ったのか?」
「老いぼれと思いおって、やつらはたったの三匹で戦いを挑んできおった。それも内、二匹は心さえ持っていない死狼じゃ。顎を噛み砕いてやったら、やつら尻尾を巻いて逃げおったわ」
そう誇らしげに高笑いする。不死は侶死の彼らしい強がりに苦笑して言った。
「あまり無理はするな。ここには人間の骨がある。魂器がなくても俺の心はひと月以上もつ」
そう言って口を開け侶死が持ってきた魂器を指で器用に弾いて放り込んだ。
こけた頬が動き魂器が口の中でガリっと音を立てる。不死の顔に恍惚とした表情が浮かんだ。
「やはり人間の魂を食べると生き返る」
「その言い方はあまり好きではないが、まあ良いじゃろう」
「なるほど、〝人助け〟で得た魂器か。どうりで小さいはずだ」
「ああ、いつもの村でな」
「相変わらずだな」
不死は侶死を見上げ神妙な面持ちで目を細めた。
「ところで侶死……」
「不死身の雌死狼か」
「ああ」
「じゃから、言ったろう。今日は村に行っていて探す暇などなかった」
「いつになったら見つかる⁉」
不死が急に声を荒げた。
「明日は必ず探す。約束だ」
大腐りするように声を上げ不死はぐったりと倒れこんだ。
「もう諦めろ。彼女もお前のことなどとうの昔に忘れておるわ」
「そんなはずはない!俺はトキのためだけに永遠を生きた。トキもそれは同じはずだ」
それはそうじゃが、と言葉を濁し、念を押すように言う。
「分かっておるのか?お前は今までトキと再開するという目的のためだけに生きておった。トキとの約束を果たせば永遠を生きる意味からは解放されるが、魂と肉体の繋がりは弱くなってしまう。まさに狂死の思う壺」
不死はとげとげしく鼻を鳴らす。
「知ったことか。トキに一目会う、それだけでいい」
「それはつまり魂を砕かれるということじゃぞ?死ぬことと同義なのじゃぞ?」
「死など怖くない」
迷いも虚勢もなく、ただ揺るぎない決意を示す。
「じゃが、永死の永遠の命のために生贄になることも、魂湖の水の身代わりになることも、全てお前とは全く持って関係のないことで……」
「ならば、俺をここから出してくれるというのか?無理だろう!?」
不死がまたしても声を張り上げる。
「それは……」
侶死はばつが悪そうに口をつぐんだ。
「ああそうだ。その通りだ。もちろん悔しい。俺はここから出たい。ここから出れるなら俺は何でもする」
地を力いっぱい叩く。鈍い地響きと共に周りに落ちている骨が宙に浮いた。
「しかし俺がこの世を去らない限り魂湖の水はこの森の死狼達の元へは戻ってこない」
「狂死のしたことを正しいと思っているのか?」
「そんなわけないだろう。だが結果的にやつは支持された。俺の負けだ」
不死が寝返り仰向けになると痛々しいほどに痩せこけた腹があらわになった。
「俺にはこれ以上生きる意志をたもつ余裕はない。明日にはもしかしたら魂を砕かれているかもしれない。俺には時間がない」
侶死がいやと首を振る。
「トキを探すために狂死達から与えられた時間はまだ……」
「早く見つけてくれ」
「不死、ワシは……」
「早く!」
侶死は何も言わなかった。
そして上から差し込む光が僅かに揺れ、しばらくして物悲しげに足音が遠ざかっていくのが聞こえてきた。不死は手で顔を覆い押し殺すように息を吐いた。
「〝人間〟に戻りたいか?不死」
別れを惜しむように遠くの方から声が発せられた。侶死の声だ。それは小さな声だった。
「ああ」
※
また静寂が戻った。
不死はゆっくりと腕を持ち上げると天井の穴に手を伸ばした。
薄明光線のように天から差し込む光。その光に照らされ手首にぶら下がっている何かが光る。
首飾り、だろうか。それは人間が首にぶら下げるのにちょうど良い大きさだった。
不死は静かに言った。
「俺は生きなくてはいけない」
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