第15話 自魂交覚醒

「やっと見つけたぞ、不死」


痛々しい禿げ散らかし具合。遠くからでも分かった。獅死だ。


「そんなに急いで、一体どこへ行くつもりだ?」

獅死の周りには死狼達が六匹ほど群れを成している。不死がどれ程の腕前かは知らないがやはり厳しい状況に見えた。


「そこをどけ」

「少し話をしよう。五十年、お互い積もる話もあるだろうからな」

やや皮肉めいた口調。好意的な気配は微塵も感じられない。それは不死も同じで互いに一歩も譲らず睨みあう。


カイサが不死に追い付いた。不死の横で事の成り行きを見守る。


「この状況が見えないのか⁉永死が遂に動いた。この森はもう……」

「ああ、だろうな」


獅死は笑いを噛み殺す。そこには抑えきれないほどの激情も感じられた。取り巻きの死狼達に至ってはもはやその怒りを隠す意志さえ感じられない。

獅死は罪人に死刑判決を宣告する裁判官のように高らかに言い放った。


「お前が魂湖の水とこの森の死狼達全員の魂を永死と交換したと聞いた」

「何⁉誰から聞いた?」

「狂死だ。楽死と悲死は既にお前に殺され永死に捧げられたと聞く」


狂死に先手を打たれたようだ。カイサは不死を窺う。不死は取り乱しもはや状況の整理すらおぼつかないと見える。


「待て、やつの言うことを信じるのか?」

「お前はこの森の死狼達に恨みがある。それにその膨らんだ魂胞が何よりの証拠。〝人肉を食べても〟そこまでは膨らない。魂湖の水を飲んだとしか思えない」


「違う!!」


カイサが思わず叫んだ。こんなの聞いてられない。

「あなた達は裏切られた。永死や狂死に」

獅死はカイサを一瞥、刹那〝人間〟がいることに恐怖し、戦々恐々の面持ちを見せるがすぐに組織を統率する者のそれに戻る。


「そんなことはありえない。狂死はこの森の死狼達のために魂湖を取り戻そうと永死と取引したという実績がある」


「違う!だからそれは」


「その上、半世紀もの間この森を密猟者や隣国の人間達から守ってくれていたのは他でもない永死だ。もし永死がいなければ他の森と同じようにここに住む死狼達は全員狩られていた」


え?そうなの?


カイサは投げかけるような視線を不死に送った。不死は苦い顔で頷いて見せる。


「何が事実かは問題ではない。どうやってこの場を収めるかだ」

獅死は不死を鼻先で指し示すと乾いた笑いを見せる。


「狂死が言うには、我々がお前を永死の元へ連れて来れば永死は再び取引に応じると言ったそうだ。狂死は〝無駄に永遠を生きた死狼〟よりは信用に足る死狼だからな」


獅死がまるで地平を覆う軍隊を鼓舞するかのような力強い遠吠えを上げた。


「今、狂死と仲間の死狼達を呼んだ。不死、一緒に来てもらおう」


不死がカイサの服の背中の部分を咥えると走り出した。その後ろの方で獅死の声がする。

「その〝人間〟は殺せ。目障りだ」


獅死の周りの死狼達が追ってくるのが気配で分かった。


「何やってんだよ⁉私なんて置いて逃げろよ」


不死は答えない。そのままカイサを後ろに軽く振り回すと綺麗に背中に着地させた。

獅死の遠吠えに呼び寄せられた死狼達が不死の目の前に立ちふさがる。

全力で走れない不死は簡単に追いつかれてしまう。カイサを背中に乗せたままではまともに戦うことすらできない。


死狼が不死の前足に噛みつこうとする。不死は軽く飛び上がり死狼の頭を足で踏み潰した。



『俺は昔、一度死んだ。人間だったときに不死身の死狼に魂砕された』



目の前に突如現れた幹のように太い根っこを機敏に回避する。



『そして再び心を取り戻した。死の淵から蘇った』



真横から飛び出してきた死狼をいなす。



『しかしもう既にそのときには生きる意味がなかった』



不死の横腹に死狼が噛みついた。不死は木に腹を擦り付けるように当てる。死狼の顔が木の幹にぶつかり不死から引きはがされた。同時に不死の腹の肉が食いちぎられる。



『生きる意味なんて有るはずがなかった』



不死の腹の傷口が塞がっていく。



『俺は人間でもなく、その上俺のことを知っている人間はみんな死に、俺が生きていた文明は既に崩壊した後だった』



カイサは振り返った。後方から数多の死狼が押し寄せてくる。



『俺は死ねなかったどうやっても』



前方に不死よりも大きな死狼がいる。〝狂死〟だ。進めない。



『そしてトキと会うという意味を自分に与え続け永遠を生きた』



不死は止まった。カイサは不死から降りる。



『俺はそのことを決して後悔していない』



四方八方から永死の細い肉根が伸び不死の胴体を串刺しにした。傷口からどす黒い血が滴る。



『だがトキは死んだ。トキはもうお前の中に心の断片でしか残っていない』



不死がカイサに顔をすり寄せた。不死は悲しそうに笑う。



『カイサ、お前が俺の最後の生きる意味なのかもしれんな』



〝ここから出して〟



不死がカイサに向かい合い優しく覆いかぶさった。


死狼達が大型昆虫を相手にする兵隊アリのように不死に群がる。

不死の下にいるカイサは無事だ。それはカイサを死狼達から守るためだった。


不死の体が解体されていく。生々しい音とともに、瞬く間に毛皮が剥がされ、肉が引きちぎられ、ざらついた〝白い固体〟が露わになった。狂死が笑う。



『嘘でもいい。カイサ、俺を愛していると言ってくれ』



不死の四肢が前足一本だけを残し、糸がほつれた縫いぐるみの足のように捥がれた。

もはや不死は立っておらず地面から肉根だけで吊り下げられるように持ち上げられている。



〝ここから出して〟



腹を食い破られる。死狼達が口を突っ込み不死のはらわたを食い漁る。



『俺もだトキ。愛してるよ』



不死の目から光が消え去っていく。突き刺さった無数の肉根が黒光を放った。魂砕の黒光だ。



『ようやくだ。ようやく俺は死ねる』



不死の目から一滴の涙が落ちた。一本だけ残った最後の前足を足元のカイサに伸ばす。



『首飾りをこちらに。俺達は永遠に一緒だ』



首飾りを握った手が不死の手に置かれた。



『ここから!出して!』



カイサの中で何かが弾けた。


黒い瞳が赤く滲み、狂気の雄叫びの声を上げる。

もはや人間が発せる声ではない。森を震わす、獣の咆哮とも、魔物の哀叫とも、つかぬ絶叫。



それはまるでこの世の全てが、止まったように、固まり、一瞬で、時が、その場にいる、全員に強襲するように、怒涛の時が再び動き出した。



カイサが不死の握った前足を強引に引っ張る――と勢いよく寝返り、這いつくばったままの状態で不死の最重量級の巨体を背負い投げた。


食い荒らされて見るも無残な雄姿の成れの果てを貫いた肉根が引きちぎれると、不死は肉根から解放され、引っ張られた衝撃でカイサの後方に飛んでいく。


不死に群がっていた死狼達も投擲された砲丸のように飛んでいくが砂塵飛沫を上げ着地、カイサを取り囲んだ。


カイサは起き上がった。瞳が死狼の目のように赤い。カイサの周りに白い光の渦。魂交の〝光覆〟がカイサの体を包み込む。



「見ろ。魂交の光覆だ。あの娘、死狼無しで魂交しているぞ」

「魂交は『人間の魂』と『死狼の魂』と『魂胞』がないと出来ないはずだ」

「あいつ何者だ」



一匹の死狼が飛び掛かる。カイサは身を引きながら受け流すと死狼の首根っこを掴み、首の骨を木の枝でも扱うかの如く片手で事も無げにへし折った。


そのまま死狼の体を雑巾から水を搾り取るように捩じり胴体を引きちぎる。

死狼達が唖然としているとカイサが右手で上半身、左手で下半身を持ち死体をブンと振り回した。


血しぶきと共に潰れた内臓が飛び散る。死狼達は目潰しを食らった。目を開けるとカイサがいない。


「何をやっている‼上だ」

狂死が怒号する。しかしその警告は遅かった。


限界まで弓を引き絞り放たれた矢のように跳ね上がったカイサは上の木から跳ね返り死狼達の群れに突撃する。


地面が崩落するほどの衝撃。


カイサに押しつぶされ二匹が即死、吹っ飛ばされた三匹の死狼達は近くの木にぶち当たり意識を失う。


カイサが地面から起き上がった。右半身が潰れ、右腕は肩から下が皮一本で繋がりぶらぶらと揺れているだけだった。しかし右半身はものの数秒で再生する。



「あいつやばいぞ」

「強い上に死なない」



死狼達が臆する。


「数ではこちらが上回っている。食い殺せ」


肉根がカイサの足元から突如出現した。カイサはバランスを崩す。

四匹が息を合わせて飛び掛かった。一匹がカイサの肩に噛みつくが、しかしカイサはそのときすでに体勢を立て直していた。


肉根を芋虫でも潰すように跡形もなく踏みつけると、勢いよく身を捩じって死狼を振り回す。


三匹の死狼達は振り回された死狼に当たり押し戻される。そのまま肩の肉が食いちぎられたがカイサは全く構わない。


そのまま迅速に次の攻撃態勢に移る。


一本の大木までまるで稲妻でも走ったように移動し、轟然たる音と共に幹に体当たり、カイサの肩が砕け大木が呆気なく折れた。

しかし大木は明後日の方向へと倒伏、死狼達が逃がすまいと追撃する。


カイサは切り株に更に力を加え両手で力いっぱい押した。手に血が滲み、腕の関節から骨が突き出す。


好機とばかりに、地面に張り巡らされている切り株の根の近くまで来た死狼達がカイサに飛び掛かる。


切り株がブチブチと根がちぎれる音と共に傾くと、地中深くまで浸食した根が露出、まるで針山のように死狼達の目の前に現れる。


前列の死狼三匹が根に串刺し、後に続いていた七匹の死狼が急停止するも、既にカイサは切り株から離れ、次の標的へと意識を絞っていた。


近くの木の幹を経由して再び切り株の死狼達に接近。そのまま自分の両腕の前腕を地面に叩きつけへし折る。


腕からむき出しになった骨は槍のように尖り、それはもはや一つの凶器として成立していた。


自らの血肉を払いながら骨の尖端、その切っ先を死狼達に向ける。

死狼達が身構えるも、急速に間合いを詰め一匹の魂胞を貫く。


その死狼は呆気ない断末魔とともに沈黙。カイサはもう一匹の魂胞を狙うが、死狼は急所を回避しようと身を捩じり、骨の凶器は腹部に突貫する。


カイサの前腕が再生した。


カイサは腕を引き抜くと同時に、傷口に手を引っ掛け両手で二匹の死狼を振り回す。五匹が数歩ほど撤退する。振り回された死狼達は失血死していた。


カイサが死狼の死体を投げつけると死狼達も散開するようにそれを避け、カイサに飛び掛かる。


二匹がカイサの左右の腕に噛みつき動きを封じようとする。更にもう二匹が両脚を押さえつけ、そのままカイサを押し倒した。


カイサは仰向けのまま四肢を振り回し暴れたが四匹はしっかりと食らいついている。最後の一匹がカイサの胸、魂胞目掛けて襲い掛かった。


カイサはタイミングを見計らいながら腰で体を跳ね上がらせると、すかさず脚を振り下ろし地面を支点に両膝の関節を折る。


そのまま体を車輪のように捻り、腿を残して体から脚を引きちぎると流れるような脚さばきを見せ両腿で死狼の顔を挟み込み――そのまま死狼の首が一回転。



カイサが死狼を投げ飛ばすように地に打ち付けると重複した骨折音を響かせ糸を切られた操り人形のように崩れ落ちた。


両脚を押さえつけていた二匹の死狼達が応戦を試みようと、カイサの胴体めがけて襲い掛かるも飛び上がった瞬刻に狙いすまし再生途中の脚で蹴飛ばすと、そのまま二匹はその距離を競い合うように遠くに飛んでいき視界から消失した。


諦めの悪い二匹の死狼達はまだカイサの腕に食らいついているが、噛みつき動きを封じる以上に出来ることはない。


カイサは起き上がりさっきの切り株まで死狼達を引きずりながら歩いていくと、右腕に取り付いた死狼を自分の腕もろとも尖った根に叩きつける。


死狼は根に貫かれ即死。左腕の死狼も同じように始末すると仕上げに大層な血飛沫を上げ自分の腕を木の根から引き抜いた。


殆どの死狼達が戦闘不能になってしまった。果たして残っていた死狼は散り散りになり、その場に残ったのは狂死のみとなった。


獅死が来た。その惨状を見た途端に血相を変える。



「狂死、これは一体どういうことだ。不死はどうなった?」

「それよりあの死狼餌だ」

「死狼餌!?状況を説明しろ!!」

「必要ない。俺があいつを殺せばすぐに解決する。〝若禿げ〟は黙っていろ」



狂死がようやく重い腰を持ち上げた。魂湖の水を毎日のようにガブ飲み、丸々と太り、しかし逞しい体躯。鋼の肉弾の総身と言った所だ。


「来い、死狼餌。俺が相手だ」


狂死は規格外に巨大だった。体長が三メートル近くもある。他の死狼の二倍以上、容積はもっとあるはずだ。


しかしカイサはそんなことお構いなしに声が裏返るほどの咆哮を上げる。

魂交の光。光覆の渦が足でとぐろを巻いて集まり、次第に一点へと収縮する。



カイサが地面を一蹴り――――と――――その瞬間信じられないほどの加速を見せる。



それは雷死の雷道を彷彿とさせた。狂死の魂胞めがけてカノン砲から放たれた超重量の砲弾のように飛んでいく。


しかし狂死に接触した瞬間、カイサは前足で呆気なく打ち返された。一本の木へと飛ばされる。それでもカイサは木に当たる直前で小刻みに地面を蹴って減速。


そのまま木に腕を引っ掛け百八十度方向転換して、そのままの速度を保ち再び狂死へと向かう。


魂交の光覆が腕に蔦が絡むように移動し、そしてそれは最終的に拳へと流れ込んだ。


相対した狂死が魂胞を鼓動させ、体毛の下に彫刻刀で彫ったような深い筋肉の隆起を浮かび上がらせる。

顔と比較しても不自然なほど膨張した腕を振りかざした。カイサの拳を受け止めるつもりだ。


だが、カイサの拳は狂死へと痛打を繰り出さなかった。フェイントだ。手前でカイサは地に手を突き飛び上がった。


物凄い跳躍。


そして頭上の枝に跳ね返る。枝はフェンシングのフルーレ(剣)のようにしなっていた。



カイサは枝から狂死の死角を攻めると、背部を狙い定め拳に再び魂交の光覆を迸らせる――――


「俺の勝ちだ」


――――が、しかし狂死は笑った。



突如、狂死の体から無数の触手が生えた。永死の肉根だ。腕程の太さの肉根がカイサを待ち構える。空中では自由が効かない。回避出来なかった。


カイサは肉根に絡めとられると、四肢をいとも容易く拘束されてしまう。振り解こうにも肉根に手足の自由を奪われていてどうすることも出来ない。


「俺は永死と取引してこの森の死狼の魂と引き換えに肉根の力を貰った。お前は今ここで魂砕させてもらう」


獅死が待てと言う。


「どいうことだ⁉俺達死狼を売ったのは不死ではないのか?」

「鈍いな獅死。五十年前の取引でも魂湖は俺が初めから独り占めにするつもりだった。この森の死狼達は用済みだ」


狂死は視線を動かす。


「不死もカイサと同じく――」

そう言って狂死は固まった。さっきの場所には血だまりを残して不死は逃げ去った後だった。

あれだけの猶予があったのだ。どれだけいたぶろうと既に回復していて当然だ。


「逃げられたか」


狂死は口惜しがるがそれは違った。狂死より二回りも小さい白い影、狂死の背後からこちらへと突進してくる。不死だ。


狂死もそれに気づいたが遅かった。不死はカイサを捕まえている肉根をまとめて食いちぎると肉根ごとカイサを救い出す。

そのまま狂死との間合いを計ると不死はカイサを解放した。


「カイサ無事か?」


カイサはただ唸っていた。死狼のように目が赤い。カイサの周りに光覆が渦巻いている。それは明らかにカイサの中に死狼の魂が宿っていた。

いや元々宿っていたものが今、完全に目覚めたというべきなのだろうか。不死が目を見開いた。


「まさかトキ……トキなのか?」


しかし不死は思い直す。いや違う。トキを魂砕した不死身の雌死狼と言った方がいいのかもしれない。

そう。実際、不死身の雌死狼もトキと同じくカイサの中に魂砕されていた。


「カイサ聞こえるか?狂死は手強い。やつは今、肉根の力で魂砕も出来る。迂闊には近づけない。今の狂死は俺の手にも余る」


カイサはコクっと頷く。狂暴化しているが意識はある。完全には支配されていない。


「カイサ。よく聞け。魂交は魂を消費する。まして魂交のマッチポンプ、〝自魂交〟となれば尚更だろう。それは諸刃の刃だ。激しく消費を続けるとお前は死ぬだろう」


カイサの肉体から仄かに湯気のようなものが出ている。肉体が気化している。肉体にある生命力を大分消費しているようだ。もって後、数分。


「長期戦は危険だ。俺が狂死の肉根を全て取り去る。お前は魂を温存し、機を見てさっき打ち損ねた拳の光覆を狂死の魂胞に見舞えるか?」


カイサはまた頷いた。


「いいだろう。俺が気を引く。抜かるなよ」

カイサが不死から離れる。


「不死よ。五十年ぶりだな」

狂死がふてぶてしい含み笑いを作った。周りで肉根が鞭のように地を打つ。不死は肉根を数える。全部で十二本。じりじりと狂死と距離を詰めていく。


「この日を待っていたぞ狂死。貴様にようやく復讐出来るときがきた」

「魂砕される日の間違いだろう?」

「ほざけ!」


不死の魂胞が爆ぜるように膨張、骨と血と肉、その全てが怒り猛る彼の身骨をより巨躯に変異させる。


二匹が間髪入れず入り混じると大気が揺れた。三本の肉根が不死に襲い掛かる。

顔に飛んできた一本の肉根を噛み切るが、右肩に残り二本の肉根が突き刺さった。魂砕の黒光。


しかしその前に不死はその根を左腕でねじ伏せて潰すと、すかさず狂死の前足に噛みつく。狂死が呻くように吠えた。不死の首に深々と噛みつくがびくともしない。


肉根がまた不死に襲い掛かった。背に三本の肉根が突き刺さる。

不死は咥えた前足を手前まで引き込むとそのまま相手の体勢を崩し、体躯を捻りながら自分よりやや大きい狂死を放り投げた。不死から肉根が抜ける。


飛ばされた狂死は周りの木の幹に四本の肉根を張り、しなる木に衝撃を吸収させ、その代償に肉根が千切れ残り五本となった。狂死は大地震の如く地を揺らして起き上がり口を開く。


「不死一ついいことを教えてやろう」

「お前がじき死ぬということか?」

「いや、違う」


狂死から殺気が消えている。


「俺は侶死が不死身の雌死狼を見つけてもお前には会わせず二人ともまとめて永死に魂砕させるつもりだった」

「それは残念だったな。その前に俺はあの場所から出た」


不死が嘲るように笑い憎まれ口を叩く。


「それは違うぞ、不死」

「何がだ?」

「偶然だと思うか?俺がクシという死狼餌を捕らえ、トキがもう死んでいると分かり、お前は生きる意味をなくしてこの場で魂砕されるということが」

「何のことだ?」

「お前は結局この五十年魂砕されるために生きていたんだ。決してトキに会うためではなく、ただ〝餌〟として生きていた。そう決まっていた」


狂死は笑った。


「そして今〝この瞬間〟お前は魂砕される」


不死は狂死の上でうねる肉根が四本しかないことに気づいた。残りの一本は狂死のすぐ下の地中で途切れている。


まさか――。


不死は足元を見た。一本の細い肉根が地面から伸びて不死の腹部に触れている。それは既に大きく黒光していた。間に合わない。


誰かが横から不死に体当たりした。不死が飛ばされる。不死は魂砕の黒光に巻き込まれていない。無事だ。誰かが不死を助けたようだ。

不死はさっき自分がいた場所に目を向けると――そこには獅死がいた。


「どうやら狂死はどうしようもないクズのようだな」

獅死がしたり顔で笑う。


「俺も助太刀しよう。永死を倒さん限り今回の件が収まるとは思えないが、個人的にあいつだけは生かしておけない」

今は亡き首回りにあったはずのたてがみを思うように獅死は勇ましく首を震わせた。彼の残り少ない毛が抜け落ち宙を舞う。


「獅死、助かった」

「俺だけではないぞ」


獅死の目線の先、死狼達が肉根を抑え込もうと奮闘しているのが見えた。

そこに雷死の雷道が混じり肉根、死狼共々爆散するのも。

「不死、俺達は正しい行いというものを見失っていた。今回の件だけではなく、お前を五十年間牢獄に閉じ込めたことも」


獅死は前脚を曲げ深々と頭を下げた。


「すまなかった、不死、俺達を許してくれ」

不死は目を細めた。

「許すつもりはない。返す言葉もない」

「ああ、分かっている。ならせめて……」

「だが〝俺達〟ためにこの戦いに手を貸してくれ、獅死」

獅死は目を輝かせた。子犬のように尻尾を振る。


「雑魚どもが‼まとめてかかってこい」


名前に相応しく狂ったような虚勢を上げてみせる狂死。しかしそこで突如として狂死の横腹から大人の胴体ほどもある太い肉根が突き出した。


「な、なんだこれは‼」

狂死は絶叫にも似た悲鳴を上げた。そこから皮のない死狼の顔が浮かび上がる。永死の顔だ。


「狂死、引け」

「永死、どいうことだ。こんなこと俺は聞いていない」

永死はまるで狂死に取り付いた寄生虫のようだ。なるほど、確かに、さぞ気持ちの悪いことだろう。


「お前は勝てない。引け」

「ふざけるな!魂湖の水はどうなる⁉」

「取引は白紙だ。いいから戻れ」

狂死は僅かの間、自失してそれから赤い目を光らせ笑った。

「取引が終わったなら俺はもう好き勝手やらせてもらう」


狂死は自分の横腹を地面に叩きつけ永死の顔ごと圧死させようとする。しかし永死の顔は直前で消失し肉根だけが肉片を飛び散らせて潰れた。


「永死、帰ったら覚えておけ」

そう毒づくと狂死は獅死と不死に正対した。

「邪魔が入った。ケリをつけるぞ」

言い終わる前に獅死が飛び掛かった。不死よりも更に小さいがすばしっこい。狂死の薙ぎ払う前脚を避け、横滑りのまま後ろ脚に噛みつく。


不死が魂胞を狙い牙を剥いて突進をかますと、狂死は頭突きで押し戻しそのまま下半身を捻って獅死を木の幹に叩きつけようとする。獅死は仕方なく狂死の後ろ脚から牙を退け、着地、間合いを取った。


獅死は起き上がった不死に目で合図を送ると突如、飛び上がり近くの木の幹を蹴って狂死の背中――死角を取った。


狂死は後ろ脚だけで立ち上がり、その長身で獅死の姿を容易に捉えるが、不死は脆弱な四足歩行の二足立ちを見逃しはしなかった。不死が狂死の足元に突撃、狂死はバランスを崩す。


勝負は決した。


カイサが木々の闇から流星の如く姿を現し狂死に着弾。

狂死の右肩から先を冷厳に破壊した。完膚なきまでの敗北だったが狂死は三本足で立ち上がり狂った虚勢を見せる。


「雑魚が!まだ終わってない。その死狼餌はもう戦えない。俺の勝ちだ‼」


確かにカイサの自魂交はもう切れていた。黒い瞳を見ればそれは明らかだったが、この状況ではどう見ても狂死もまたこれ以上は戦えない。往生際が悪い以外の何ものでもない。


「狂死、お前の負けだ。死をもって償うか会心するか選べ」

「償う?俺は戦って死ぬ。償うなど……」

そこで狂死の体から無数の肉根が生えた。

「永死、ふざけるな!俺をどうするつもりだ⁉」


狂死は持ち上げられタコのように長い脚で、しかし物凄い速度で移動する。

不死達が後を追うが到底追い付けない。結局、狂死を取り逃してしまった。


死狼達が遠吠えをする。ここら一帯の肉根は一旦制圧出来たようだが(ほとんど雷死がやっつけた)他の場所では手酷くやられていることだろう。

また死狼達の中に侶死の姿も見つけた。


日はもう完全に傾いている。こうなってしまった以上取引はどこまで有効かは分からないがまだ一日以上永死との約束の時間は残っている。


不死がカイサに駆け寄る。不死はどこか嬉しげでしかしやはり悲しげでもあった。


「カイサ、大丈夫か?」

カイサはそれに応えようとして、だが咄嗟に両手で口を押えた。

猛烈な吐き気。嘔吐と共に小さな赤いクリスタルを吐き出す。侶死が遠くからそれに気付いて近づいて来た。


「……これは魂器」


不死が魂器を摘まみ上げた。侶死も目を丸くしてそれを凝視する。


「やはりカイサは自分の体内で自己完結型の魂交をしておる」

「カイサの中にはトキの魂が魂砕されている」


苦い思いをこらえる気持ちがヒシヒシと伝わってきた。


「今、何と言った?トキがカイサの中におるのか?」

「カイサと魂交してトキの魂の欠片に触れた。間違いない」


それを聞いて侶死もまた相当気を落としたようだ。痛恨の色をにじませる。


「トキはもう死んでおると……なんと言っていいか。不死すまない。もう少しワシがトキを早く見つけていれば」

「謝る必要はない。ただ俺はもうこの戦いからは降りる」


不死はカイサの顔色をおじおじと窺う。カイサは瞬き一つしない。


「今の俺では足手まといにしかならん。『生きたいという強い意思』を失った俺は〝完全な〟不死身ではなくなった。永死に魂砕されるのがオチだ」


「うむ、仕方のないことじゃ。恐らく今のお前では体から魂胞を切り離されるだけでも簡単に命を落としてしまうだろう。永死と戦ってもどの道、勝機はない。獅死とこの森の死狼達を避難させる手はずを整えてくる」


侶死は死狼達の方へと歩き出し、それから振り返るとやはり眉を下げカイサに視線を当てないように注意しながら言った。


「ところで例の人間の村の場所は覚えておるか?」

「ああ」

「カイサを送ってやれ。カイサは元々〝部外者〟じゃ」


侶死がそそくさと行ってしまう。不死はカイサに近寄った。まるで腫れ物に触るように恐る恐る話しかける。


「カイサすまない」

カイサは不死に構わず歩き出した。


「大丈夫。私一人でなんとかするから」

「何?これからどうするつもりだ?」

死狼達を押しのけ森の闇へとカイサが消えて行く。そして最後に木々の奥から声が響いた。



「あなた達には関係ない。だって私は〝部外者〟でしょ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る