第8話 影の精霊

石の建造物から出て魂湖に戻る一行達。獅死が遠吠えをすると死狼達もまた魂湖の前に集結した。


死狼達が魂湖の水を飲み始める。ときたまその中の死狼達がカイサに声を掛けてきた。


「英雄のカイサだ!」

「半年前はありがとう」

「ゆっくりしていけ。俺達はいつまでいても構わないぞ」


カイサは声をかけてきた死狼達に照れながらも挨拶をする。


カイサが一通りの社交辞令を終えたのを確認すると侶死は話を戻した。


「不死から霊聞の力の話は聞いたか?」

「霊聞の力?」

「ああ、そうじゃ。古代の王族達が持っていた力のことじゃ」

「霊聞ってことは……霊の声……を聞くってこと?」

「まあ、そうじゃな。精霊のような霊の力を操ることが出来る力のことじゃ。トキの魂が眠っておるお前なら出来るはず」

「私が?無理無理。そんなこと出来るわけない」

「その通りじゃ。〝今は〟出来ん」


カイサは頭の上にぴょこんと疑問符を立てる。意味が分からない。


「然るべき手順を踏めば出来るようになるということだ」


獅死が補足する。


「その通り。今のお前では霊聞の力が足りん。古代の初代王セイは不死身の死狼なしで精霊の力を意のままに操ることが出来たと言われておるがな」


精霊の力を不死身の死狼なしの生身で操る。これまたスケールの大きな話だ。初代王のセイという人は凄い人だったらしい。


「しかし王族の魂は時代とともに弱体化していった。王族の魂は代々受け継がれていくものじゃが、それと同時に子孫を残せば残すほど分裂して霊聞の力もまた弱くなっていく。そして初代王セイのように王族の魂が完全ではない王家の末裔達は不死身の死狼と魂交して意志の力から霊聞の力を高めないと精霊達の声を聞けなかったという」


なるほど。それで精霊魂交をするために霊聞の力を受け継ぐトキさん――その魂が魂砕された自分と不死身の死狼である不死が必要ということなのか。


「それでなんじゃが、そろそろ魂湖の精霊魂器を補充する時期が来たようでな。精霊魂器を不死と一緒に作って欲しいんじゃ」


大体話は飲み込めた。獅死もまたカイサに深々と頭を下げる。


「つい先月も水の精霊の精霊魂器の力場が狂い、天井の湖の水が少しだけ落ちてきた。今は大丈夫だが、いつ上の湖が崩落してもおかしくない状態だ。頼む力を貸してくれカイサ」


カイサは先ほど挨拶を交わした死狼達を見た。死狼達は魂湖の水を飲んでいる。そこには親子連れの死狼もいた。


侶死や不死、獅死、雷死、そしてこの死狼達の平穏な生活を守るために自分が出来ることがあるならば、私は喜んでそれを引き受けたい。カイサは素直にそう思った。


「分かった。それでどうすればいい?」

「まずは手始めに不死と魂交をして精霊と〝霊契約〟をせねばならん」


霊契約。恐らく精霊を出現させるために必要な手順のことだろう。


「霊契約を結べば精霊の光覆――つまり精霊の魂が出現するというわけじゃ。やり方は簡単で不死と魂交をして操りたい物質に手をかざし、その物質に語りかければその物質を司る精霊の光覆、魂が現れるということじゃな」

「うん分かった。後はその精霊と魂交をして精霊魂器ってのを作り出せばいいのね」


侶死は思慮深く唸って見せた。


「うむ、大方あってはおるが霊契約より先に魂湖の沐浴で穢れを落としてからでないといかんぞ?」

「なんで?」

「死影病という病に罹るからじゃ。王族の魂が弱まったことである精霊が力をつけてな。その精霊によって引き起こされた死影病のせいで古代文明は滅んだと言われておる」


それと精霊魂交に一体なんの関係があるのだろうか――。


「まあ、最後まで聞け。影の精霊と言ってな。心の闇を食べる精霊なんじゃが、人の影に潜んでおっていつも人の心につけ入る隙を窺っておる」

「……人の影?」

「人は業が深い生き物というのはお前も分かっておるじゃろう?人の影は物の影よりも含んでおる闇が濃い。じゃから影の精霊は人の影に住み着いておるんじゃよ」


侶死の説明にカイサは僅かに全身が粟立つのを感じた。今までそんなもの意識などしてこなかったものの、一度認識してしまうと人の影に住む精霊という超常の存在に怖気立ってしまう。幽霊やお化けの類のようで気味が悪い。


カイサは自分の影を振り返り、背後に意識が引っ張られるような感覚を振り払いながらも、侶死の話を促すように相槌を打った。


「影の精霊はいつも宿主の影から、少しずつ心の闇を食べて生きながらえておる。なぜなら仮に宿主の心に侵入しても、その最奥にある闇の根源まで辿り着けないからじゃ。そして結局心に巣食った影の精霊は十分な闇を得られず、すぐに居場所を失ってしまうんじゃ。まあ、これだけだと影の精霊は全くの人畜無害じゃな」


そう言うと侶死は面を険しくする。


「しかしごく稀に宿主の心が膨大な意志の力で満たされたとき、そこに闇が混ざると宿主の影から闇の根源まで不浄な意志の力で繋がり、その〝道〟を通って影の精霊が宿主の心の奥底に寄生することがあるんじゃ」


コホンと得意げに咳払いをする侶死。


「そして今からする霊契約じゃが――不死身の死狼と魂交をして霊聞の力を高めるときに意志の力が急激に溢れた刹那、少しでも心の闇が混じると……」


侶死がここぞとばかりにおどろおどろしい声を出す。


「……人の影から這い出た影の精霊がその溢れ出た不浄な意志の力を伝って、闇が巣食う心の深部まで入り込むというわけじゃ。どうじゃ?怖いじゃろ?」


カイサは怪談話顔負けの色のついた侶死の語勢に気圧され後ずさる。確かにこれから霊契約をする身としては怖い話ではあるのだが、そこまで気合いを入れて言い聞かせなくてもいいだろうに。


「霊契約の前に行う不死身の死狼との魂交は特別でな。光覆となって入った不死狼魂が直接王族の魂に届くことで、霊聞の力に注力して意志の力の循環を行うことが出来るんじゃ」


霊契約で行う魂交は普通の魂交とは違い、直接魂にある意志の力を高めるようだ。カイサは小さく頷いて話の続きを促す。


「ただ肉体の意志の力を高めず、魂の意志の力に集中して循環を行う都合上、意志の力の増大の振れ幅が大きくてな。心に影があると簡単に影の精霊に侵入されてしまうんじゃ。じゃから霊契約の前の魂交は注意が必要なんじゃよ」


侶死はさらに顔つきを厳めしくすると、戒めるように語調を強めた。


「死影病は心を持つ者ならば誰にでも起こり得ることじゃ。心の闇を含んだ意志の力に異常な増大を引き起こせば、心の闇――つまり不浄な意志の力を食べた影の精霊は宿り主の肉体に〝変異〟を促すと言われておる」


変異という言葉にカイサは思い当たる節があった。それは半年前のちょうどこの場所で目にした〝あの惨劇〟と状況が酷似していた。


「じゃあもしかして……あのときの〝永死の変異〟って……」

「ああ、不死の魂から得られた膨大な意志の力と己の心の醜さで引き起こされたものじゃろう。不死狼魂を持っておるお前ならば、心に闇を持てば死影病の兆候もより顕著に表れるじゃろうな」


確かに、死影病は罹ったら恐ろしい病気なのかもしれない。不死と魂交する際には気を付けた方が良さそうだ。


「ま、まあ分かった。影の精霊と不浄な意志の力ね。気をつける。それで?沐浴ってどうするの?」

「裸で魂湖に浸かれば良いんじゃ」

「……え?……は?……何それ?裸?」

「まあ、沐浴でなくとも、魂湖の水を飲んでも同じ効果は得られるがな」

「え、それは、絶対に、いやだ。てか、両方、嫌だ」

「うむむ。裸はともかく、魂湖の水はおいしいんじゃがな」

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