CEPS(地球博物館 文化財緊急保護チーム)
物書きになりたかった学芸員
贋作事件編
第一章
第01話 始まりの事件
序章
―――社会は余裕を失っていた。
人が消えた都市の闇に溶けて、路地裏を急ぐ小柄な影があった。
影が耳に入れたインカムからは、傍受している警察無線が聞こえている。
『本部より、一号車、状況を報告せよ』
黒い衣を翻し、ただ無言で駆ける足音が辺りに響いた。
―――いつの時代も悪事は夜闇に紛れて行われるものなのかもしれない。
大通りでは、一台の黒塗りのセダンが急いだ様子で海沿いの倉庫街へと向かっていた。
「こちら一号車。現在通報のあった倉庫へ急行中。オクレ」
『本部より、一号車、突入はSATの到着を待て』
「こちら一号車、了解! ですけど、状況急変の場合は現場判断させてもらいます」
『本部より、一号車、状況は逐次報告せよ』
「一号車了解!」
助手席で通信をしていた私服の刑事が無線機のマイクを荒々しく所定の位置へ戻した。
「やっとここまで追い詰めたのに、SATの到着なんか待ってられるかよってんだ」
「ですが、待ってないとまた課長にどやされますよ」
運転をするのは年若い刑事だった。
「そん時はそん時だ! って、おい! 何で止まる!」
「耳元で叫ばないでください! 警戒されないようにサイレンも鳴らさずに走ってるんですよ。 赤信号なら止まります!」
赤信号につかまって一息。車に乗る二人は警戒するように周囲を見回す。
昼には常に渋滞しているような大通りも、彼らの車以外に他の車はまったくなかった。
「お、おう。すまん。……だが、頼むから急いでくれよ」
「もちろんです! ……今何キロ出してるかは聞かないでくださいよ」
静かさが売りの車の中に響き渡るエンジン音が、車の速さを示していた。
半年にわたって追ってきた犯人を捕まえるチャンスに二人は意気込んでいたのだ。
そんな刑事達のもとに、闇取引が行われる現場の情報が入ってきたのはこの日の午前中だった。
「でもよくあれだけの情報で取引現場がわかりましたね」
「俺のカンだよ。……ここで絶対捕まえるぞ」
やがて車は海沿いの倉庫の一角に近づいてきた。
「よし、ライト消せ。見つかっちゃ困る」
「はい」
車を止めると同時に、無線機が鳴った。
『一号車、こちら二号車。配置につきました』
『三号車、配置につきました』
この日のために応援で呼んでいた刑事たちはとても優秀なメンバーだった。
邪魔が入らなければ、ここで仕舞だ、と思いながら、ベテランの刑事は無線に吹き込んだ。
「よし、全員そこで待機! 俺と晴斗で周りを偵察してくる」
刑事二人は車から降りて辺りを見回る。
「よし、まずは外周を確認しよう」
「はい! ……、あれ? 何か近づいてきます」
だが歩き始めてすぐ、視界の端に街灯の闇に隠れながら進む小柄な影を見つけた。
「なんだ? ん!? あれは!」
影は二人の傍を通り過ぎ、取引現場と目される倉庫へ一直線で駆けて行った。
思わず追いかけようと、若い刑事は走りだそうとした。
「おまえッ……! 止まれ!」
「晴斗、静かにッ!」
若い刑事は自分の失敗に気づいて歯噛みした。ここで声を挙げれば、闇取引の犯人たちに気づかれてしまう。
「くそっ! ……すみません、先輩」
「ああ、……だが、あいつがいるということは」
いつの間にか二人のそばには一台の大型バンが止まっていた。
車の側面には『地球博物館』というステッカーが貼られている。
「どうも、お二人さん」
大型バンからは一人の大男がおりてきた。
私服の刑事たちとは違い、筋骨隆々の肉体をこれから戦争にでも行くのかというような装備に包んでいる男だ。
「てめぇ、守山よ、どいう言うことだ」
守山と呼ばれた博物館の男は、細かい細工のされた懐中時計を掲げつつ、二人に近寄った。
掲げた懐中時計には神殿を模した模様と、『地球博物館 日本分館 文化財緊急保護チーム』と文字が彫られている。
「……どうにも」
男は肩をすくめつつ、刑事二人の目当ての倉庫へ向けて、伸ばした人差し指を向けた。
「あの倉庫で、貴重な文化財が闇取引の対象になっているという情報が」
その言葉に、ベテラン刑事が声を荒げた。
「なんだと!? あれは盗品の闇取引だ」
そんな声にも、男は子犬から吠えられた程度にしか感じていないようだった。
冷静に、今度は親指を立てて、自分の後ろを指した。
「……あっちにマトリの車と、公安の車と、市ヶ谷の車も来ていたが」
ベテランも若い刑事も目を見開いた。
自分たちの追っていた相手の意外な『人気ぶり』に気付いたのだ。
そして、同時に、自分たちの捕り物が荒れそうなことに思い至った。
「なんてこった……。いやッ! 管轄はうちだ!」
言うが早いか、刑事の車から無線に電話、メールにSMSとありとあらゆる通信手段が着信音を鳴らし始める。
「くそッ! ちょっと待ってろよ! 話をつけてくる!」
さながら機械の大合唱の様子に、ベテラン刑事は肩を怒らせ、両手に通信機を持ちながらがなり立てた。
その背中を見ながら若い刑事は、もうここまで騒ぎになれば、静かでスマートな逮捕など望めないだろうと一人肩を落とした。
「あっ……各車、現状で待機。同業がたくさん来ているから同士討ちに注意を」
手が回らないであろうベテラン刑事に代わって、周囲を固める警察車両に連絡を入れた。
そうして連絡を終えた後、若い刑事が博物館の男を振り返ると、男も頭を掻いていた。どうやら同じ気持ちらしいと若い刑事は判断した。
「守山さんはこれからどうするんですか?」
「……どちらにせよ、緊急文化財保護ということで、準備をさせてもらう。時間がかかりそうなら先に突入もする。法的には、そちらの指示に従う必要はないからな」
男はため息を一つ着くと、乗ってきたバンのスライドドアを開けながら言った。
「これから?」
その言葉に違和感を覚えたのは若い刑事だった。
若い刑事はこの同業者が、いつも相棒と一緒に二人組で活動している同業者だとよく知っていた。
「ああ。もうすぐうちの相棒も着くころだ。今日は非番だったからな」
「もうすぐ?」
若い刑事は何か大きな勘違いをしている気がしたが、何だったか思い出せなかった。
だがその違和感の答えはすぐに分かった。
無線機に向かっていた刑事が顔を上げて博物館の男に言った。
「おい、守山! お前んところのちっこいの! 先に走ってったぞ!」
そして指さすのは、先ほどから話題の倉庫だ。
若い刑事はそれで納得がいった。
思わず古い漫画のように手を打ってしまうほどだ。
「そういえば、そうでしたね」
それに対して、それまでの余裕綽々の態度はどこへやら、慌てたのは守山の方だった。
「なんだと! ミカ、あいつ! ……ッ!?」
銃声が聞こえたのは、同時だった。
黒い衣の影は、目的の建物に迫りつつあった。
建物の周囲にある壁を、駆ける速度を殺さずにひらりと越える。
瞬間、少しだけ裾を翻し、隠し持っていた拳銃を右手に握り、左手を添える。
着地の衝撃を体全体で転げることで受け流し、再び駆ける。
走りつつ、拳銃を正眼に構え、引き金を引く。
手のひらには鋭い衝撃と、辺りにはイメージよりははるかに小さい発砲音が響き、建物の鉄扉の錠が撃ちぬかれる。
影はそのまま鉄扉を開け内部に侵入した。
鉄扉が閉まる前にドアストッパーで止めることも忘れない。
建物は物流倉庫らしく大きく広いものだが、鉄扉から廊下を進み、影が侵入したのはその一角の狭い事務所部分だった。
「何!?」
影が身を低くしながら飛び込んだそこには、覆面をした男が2人。建物内に仕掛けられた監視カメラの映像を確認しているようだった。
「コノヤロ!」
男たちが驚いたのは一瞬。
よく訓練された、というよりは、いつも悪事を働いているチンピラらしく、慣れたものなのだろう。二人は懐から銃を抜き、そして無線機を手に取った。
しかし、そのどちらも、役に立つことはなかった。
小さな発射音が三つ。
影の放った弾丸により男たちの持つ無線機が撃ち抜かれ、影に向けられていた銃も破壊された。
「イテッ! あのアマどこ行きやがった!?」
「後ろだ! ウ……ッ!」
男たちが混乱している間に影はその後ろに回り込んでいた。そして立ち直るよりも早く体術で男たちの姿勢を崩すと、腰の後ろから取り出した簡易手錠でその手を縛り、口をガムテープで封じた。
その鮮やかな動作に、男たちは何も抵抗できなかった。
男たちがあっとおもった次の瞬間にはその頭に銃が突き付けられていたのだ。
「……しずかに」
影は二人に銃を向け、脅すような言葉を紡いだ。
男たちが初めて聞いた影の声は、鮮やかな手口に比べ、涼やかながら、幼げだった。
口と動きを封じられた男たちはコクコクと黙って頷くことしかできなかった。
それを見て満足した影は監視カメラの映像を一瞥し、目的地を見つけると、事務所を抜けて再び駆け始めた。
物流倉庫というものは、建物の大きさのわりに部屋数が多いわけではない。
ましてや、大量の盗品、武器弾薬、薬物、そして文化財を取り扱おうと思えば、広いスペースが必要だ。
3階層を抜いて作られた大きな空間には今、所狭しと『売り物』が並べられていた。
「それで、お客さん、今回は何をお求めで? 盗品の車は、高級車ぞろい! それもセキュリティばっちり。………まぁ、俺のテクにはかなわなかったけどね。………そして武器弾薬なら、こっち。東西どちらのも大小さまざま。戦争だってできる」
倉庫の真ん中では派手な服を着た男が商品の説明をしていた。
客は真っ黒なスーツを着た3人組のようだったが、倉庫に張り巡らせた足場にはこれまた黒ずくめの戦闘員が何人も配置されていた。
「クスリは、まぁなんだ、盗ってきたものの中に入ってただけだが、集めたらこれだけになった。そっちの鑑定は専門外なんで、もしかしたら掘り出し物もあるかもしれないぞ」
客の反応が芳しくないことを見て、派手な服の男は肩をすくめた。
「そして、俺のおすすめ、美術品ならこっちだ。壺に、浮世絵、それに絵画! 同大? これは俺が見た中でも最も価値のあるものだ。巷に流れてる模造品とはわけが違う。これはホンモノ」
客の3人が身じろぎするのが、男にはわかった。
お目当ての品はこれか、と男は頷くと、傍にある事務用の長机へと三人組を誘った。
「それでは商談と行きましょう。さ、こちらのテーブルに」
派手な服の男と、三人組の客がテーブルにつき、電卓をはじいているころ。影は張り巡らされた足場に立つ戦闘員のそばに近寄っていた。
階下の商談の様子を監視する戦闘員たちはとても重武装だった。そこらのチンピラですら拳銃を持ち歩いているこの時代でも、軍用のライフルを構え、暗視ゴーグルを全員が装備しているところはなかなか無い。
戦闘員を用意しているのが客なのか、それとも派手な服の男なのかは判断がつかないが、それだけ羽振りのいい大物がバックについている、ということはわかった。
「まずは一人目」
影は音もたてずに忍び寄ると、他の戦闘員からは見えないことを確認し、膝を撃った。
そして、戦闘員が悲鳴を上げるよりも早く、手を簡易手錠で縛り、口をガムテープで封じる。
「グッ……!」
しかし、戦闘員はそれでおとなしくはならなかった。
狭い足場の上でもみ合いになる。不安定な足場の上での押し合いは、小柄な影に分があった。影は大きく屈み、膝を引きずりながらも迫ってきた戦闘員の男の勢いをそのままに転ばせた。
だが、男の転んだ先には足場がなかった。
戦闘員は足場の上、三階分の高さから倉庫の床へと落ちた。落ちた先は武器を収める木箱の上。
大きな音が倉庫中に響いた。
「なんだ!?」
派手な服の男が足場にいる戦闘員たちに怒鳴る。
「雇い主、侵入者だ! ……ッ!」
戦闘員のリーダーらしき男が影のいる足場へ向けて発砲しつつ、返事をする。
しかし、そんなリーダーらしき男も銃撃に倒れた。
撃たれたのは影からではなく、天窓を通してだ。
「侵入者の仲間が外にもいるのか!」
戦闘員たちに動揺が走った。
―――社会は余裕を失っていた。
経済戦争、情報戦争、疫病、そして、全世界を巻き込んだ大紛争。
戦場で多くの血が流れ、戦場以外でも多くの民間人が犠牲となった。
学校教育すら崩壊しかけている時代に戦争に直結しない研究は不要とされ、社会教育、生涯学習、などは反社会的な道楽とされ、多くの博物館、科学館、美術館、動物園が閉鎖された。
貴重な資料は散逸し、または売買され、宗教的な理由で破壊された。
戦後、その状況を重く見た一部の先進国が提唱し、設立されたのが地球博物館だった。
地球博物館は各国に分館を設立し、人類の貴重な『もの』を保存・管理、研究・調査、展示・普及することとなり、さらには散逸する文化財や資料を強制的に保護する権限を与えられた。
これはそんな地球博物館に所属する、文化財緊急保護チームの物語だ。
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