第07話 コレクターと学芸員①

 予定通り車で5時間。二人を乗せた車はそろそろ目的地に近づいていた。


「ミカ、そろそろ起きろ。着くぞ」


 調べるうちに眠ってしまったミカは、嗣道の声に起こされた。


「嗣道、おはよ……。ってすっごい山の中……」

「このあたりは道を離れればすぐに手つかずの山だ」


 鬱蒼とした森は、植林されたものでもなく、自然そのままの森となっている。


「それで、龍ヶ崎については調べられたか?」


 周囲を見渡すミカに、嗣道が尋ねた。


「うん、ちゃんと調べたよ。……龍ヶ崎弦儀りゅうがさき つるぎ、70歳。龍ヶ崎商会の会長で、戦前から相当な富豪だったけど、戦中もうまく商売をして、世界的大商会に成長。……でも、わたし達的には、世界中で美術品を買いあさっている、有名コレクターってことの方が重要だよね。……なんだか怪しい人、だと思う」

「おおむねその通りだ」

「商会はワンマン経営で、後ろ暗い取引なんかの噂も出てる。大島が闇取引で美術品を売りたくなる気持ちもわからないでもないかも」

「そうかもしれないな」


 ミカの説明に嗣道が頷く。

 どうやら及第点をもらえたらしい。

 だが、調べているうちにミカには疑問が生まれた。


「山奥に家があるのも怪しいよね。別に人が嫌いってわけじゃないんだよね。……よくパーティやってるみたいだし。人を集めて悪いことをしようとしているみたい」


 ミカは龍ヶ崎の開いたパーティの記事を見つけた。

 戦後、結婚式すら開かれなくなった時代にパーティを催すのは、人と会うことが金を生むような一部の上流階級の人間だけだ。


「そうだな。世捨て人、というわけではない。こんな山の中に家を持っているのには、それなりの『わけ』がある。……見てみろ」


 嗣道に促され、ミカが手元のメモから顔を上げると、目の前に突如として格式高い邸宅の門扉が現れた。

 門扉の左右は鬱蒼とした森に囲まれていて、門のところだけ、さながら時空がねじ曲がっているかのようだ。


「すごい……」


 嗣道は門扉の前に車を停め、ミカと連れ立って車を降りた。

 そして、ミカが門を眺めて呆けているうちに、さっさとインターフォンを押した。

 即座に通電する音が聞こえ、嗣道が名乗る。


「突然失礼します。地球博物館、学芸員の守山嗣道です。こちらは学芸員補の鹿嶋ミカ」

「あっ、えっと、鹿嶋です」

「……………」


 名乗りを終えた二人は、そのまましばらく待つ。

 無言の時間は居心地が悪かったが、ミカがよく見ると、インターフォンのカメラ小刻みに動いていた。どうやら、二人の顔をよく確認しているようだった。

 しばらくすると、何かの確認ができたのか、インターフォンから応答があった。


『……地球博物館の方が、本日はどのようなご用件で? たしか、アポイントメントは頂いていなかったかと思いますが』


 中々歓迎されていない声色の声。

 ミカは嗣道を見上げた。


(どうするんだろう……?)


 ミカが見る中、嗣道はいつもの仏頂面ににんまりと作り笑いを浮かべた。

 見る者の背筋を凍らせる笑顔。

 そして嗣道はそのままインターフォンに向けて要件を告げる。


「龍ヶ崎弦儀氏に伺いたい話が」

(えっ、その顔と今の短い文章だけで通れると思ってるの?)


 ミカは危うく突っ込みそうな口を必死に噤み、事の推移を見守った。


(せっかく来たんだから、お願い……!)


 しばし無言の後、あきらめたのか、ふぅ、というため息に合わせて、インターフォンから返事があった。


『学芸員のみなさんはいつも急にいらっしゃる。……主人に確認いたしますので、少々お待ちください』


 インターフォンが切れた音がする。

 やり取りを傍で見ていたミカは、同時にひそめていた息を吐き出し、一呼吸おいてから嗣道に言った。


「嗣道、さっきの顔、本気?」


 すでに元の表情に戻っている嗣道が言葉少なに問う。


「どういう意味だ?」

「昔、嗣道に見せてもらったホラー映画に出てくるピエロみたいだったよ。こんなやつ。……覚えてる?」


 ミカはそう言いながら自分の口角を指で持ち上げた。映画で見て、夢にも出てきたピエロの真似だ。


「ああ、あの映画か。小さなお前に戦前の娯楽を、『映画』を勉強させるために探したが、博物館では映画の収集を始めたばかりで、あったのはあるコレクターから寄贈されたホラー映画ばかりだったからな。……ピエロがいるから怖くないだろうと思ったが、あれは失敗だった」


 嗣道はミカの真似を見て、当時を思い出した。


「今はない娯楽とか戦前の事を教えてくれたのは嬉しいけど、あれはないよ」

「そうだな、あの頃のミカは夢にも見て、その後布団に……」


 ミカはそんな顔をするな、と伝えたかったのだが、嗣道が思い出したのは別の昔話だった。

 その話の続きを思い出し、ミカは赤面した。そして焦りながら嗣道を止める。


「す、ストップだよ、嗣道! 乙女の秘密は軽々しく口にしてはいけないんだよ」


 嗣道は不思議そうにしながらも、言われた通りに口を噤んだ。


「そうか。……そういえばなんでピエロの話になったんだ?」

「さっきインターフォンに話しかけてた嗣道の顔が似てるって話!」


 嗣道は今度もミカの言葉に頷く。

 納得した、かのように見えて、嗣道はミカの言葉の真の意味に気付いた。


「そうだったか。………ん? これはけなされているのか?」

「怖い笑い方だったって話だよ!」

「……そうか」


 嗣道はミカのその言葉に少し肩を落とした。

 感情表現の薄い嗣道にとって、目に見えて落ちる肩は、重大な落胆を表す。

 どうやら本人としては、どこに出しても恥ずかしくない、完璧な営業スマイルのつもりだったようだ。

 これにはミカも、フォローするしかない。


「まぁ、門前払いにはならなかったから、大丈夫だよ、きっと。でも子供に見せちゃだめだよ?」

「ああ」


 だが、フォローもあまり効果は出なかった。

 そこでミカは露骨に話題を変えることにした。


「ところで、さっき通話に出たのって、執事なのかな?」

「そうだろうな」


 嗣道はミカの疑問に同意した。

 そうなると、ミカにはどうしても気になることがあった。


「名前はセバスチャンかな?」

「確率はかなり低いだろうな」

「そうだといいなぁ……」


 戦前の娯楽を勉強する中で、執事といえばセバスチャンという『テンプレ』なるものを覚えたミカは、小さな期待をしていた。

 そうして、そんな他愛無いことを二人が話していると、前触れもなく、固く閉ざされていた門扉が少しずつ開いていった。

 門扉が完全に開くと、門の先の舗装された道に、奥の方へと順番に等間隔に並べられた街灯がともる。


(なんだか、奥に誘われているみたい)

「入っていいようだ」


 嗣道も同じように感じたのか車に戻り始めた。

 ミカも後に続く。


「よし、出すぞ」


 二人を乗せた車は門扉をくぐった。

 門の先もまだ長い道路となっていた。

 アスファルト敷きの道路は、周囲に多くの木々があるにも関わらず、全体が清掃されており、落ち葉一つない。

 そんな不気味な道を進んでいくと、道の終点に白亜の壁を持つ大きな屋敷が現れた。

 高度に文化が発達していた戦前ですら、なかなか目にすることのない巨大で、『余裕のある』屋敷。

 ミカはこれほどの建物を初めて見た。


(……すごい。こんな立派な建物が現存するなんて)


 大戦後、再建された公共インフラこそ戦前に近い見た目を取り戻していたが、町に住む人間は別だった。人々が住むのは戦災復興住宅として建設された簡易で無味乾燥とした集合住宅か、自力で建てた掘立小屋が精々。

 目の前にある家に住む人物がどれだけ今の世の中で稀有な存在か、まざまざと見せつけられたようなそんな感覚をミカは覚えた。

 嗣道はそんな建物を前にして、慣れたように屋敷の前にある車寄せに車を進ませた。

 屋敷の前では、一人の初老の男が車を待っている。

 車から降りると、男が声をかけてきた。


「学芸員のお二人、私の主人がお会いになります。お部屋をご案内いたしますので、ついてきてください」

「ありがとうございます」

「あ、ありがとうございます」


 男はインターフォンで会話をした人物と同じだった。

 すらりと高い背丈に、ピタリと合うスーツを身に着けている。

 嗣道はその男に会釈をし、礼を言った。

 ミカも嗣道に続けて腰を追ってお辞儀をする。


(残念、燕尾服じゃないんだ……)


 お辞儀をしながらも、ミカは意味もなくそんなことを考えてしまった。


「ではこちらへ」


 執事らしき男は先を促すと、くるりと踵を返し、大きな屋敷の玄関をくぐった。

 成人男性の中でも特に背の高い嗣道の背のそのさらに倍ほどはあろうかという大きな扉を抜けた先は、豪華絢爛という言葉そのままの姿をした豪奢なロビーだった。


「……すごい」


 まさしく洋館といった室内は、どこもかしこもきらびやか。


「ミカ、前を見て歩け。……いまさらだが、靴の汚れは落としているか? この床の敷物は俺たちの年収の数倍だ」


 まさしくお上りさんというように、ミカは上を見上げて歩いていたが、嗣道から急に現実に引き戻された。


「えっ、うん。大丈夫、なはずだよ」


 ミカは突然の指摘に慌てて自分の靴底を覗き込んだ。

 もっとも、玄関の泥落としで靴の汚れを落とすのは無意識のうちに学芸員の作法として身についており、しっかりときれいな靴底になっている。

 そんなやり取りがありながらも、館内を移動し、ミカたちは一つの部屋を案内された。


「ではこちらでお待ちください」


 扉を開けて中に入る二人。その目に飛び込んできたのは、一見落ち着いた印象ながら、洗練された調度品の揃った応接室だった。


「ここも、すごい部屋……」

「調度品は一流のものばかり。だが、これで驚いていると後が続かないぞ」

「そうなの? というか、来たことあるの?」

「ああ」


 ミカは行儀よく椅子に座ったが、首から上はきょろきょろと室内を見渡していた。

 十分後、応接室の扉がノックされた。


「皆様、主人がまいりました」


 扉があき、恰幅の良い白髪の男が現れた。

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