第03話 事務所と展示室①

 戦いを終えた翌日、鹿嶋ミカは夢うつつのまま、隣の部屋の同居人を起こさないように抜き足差し足で玄関を抜け、まだ薄明の街に出た。

 歳の頃からすると、制服を着て高校へ通っているような少女だが、今の彼女は細身のジーンズに、丈の長い上着を纏っていた。さらにその背には彼女の姿を隠してしまうほどの荷物を背負ってもいる。

 その姿はおよそ通学中には見えない。

 実際、彼女は学校に通うのではなく、勤め先に向かっているのだ。

 空が漆黒から紺へと色を変えるころ、駅に着いたミカはちょうどやってきた通勤電車に多くの通勤客と一緒に乗り込む。

 しばらく列車に揺られていると、車窓からは低い空に浮かぶ太陽の光が差し込み、ミカの強張った身体を緩ませた。


「ふわぁ……」


 大きな欠伸をひとつ。

 指の長い手で癖の少ない黒髪を乱しながら行儀悪く頭を掻いた。


「ん、んーっ!」


 まだ重い瞼をこすれば、彼女の透き通った瞳に朝日と一緒に朝霧に浮かぶ街並みが見える。

 朝日に照らされる街並みは、どこかに寂しさを感じさせる。

 実際、車窓から見える街並みはある時期を境にその人口を大きく減らしている。

 『あの戦争』という言葉の意味が変わった頃の話だ。

 戦前派にとっては100年以上も前に起こった日本と世界との戦争を指すようだが、ミカにとっての『あの戦争』は、まさに自分が生き抜いた戦争のことだった。

 始まりも、終わりも明確ではない『あの戦争』はまだその名称すら定まっていない。

 すべてを巻き込んだ戦争から、とりあえずの平穏を手に入れたとき、関東の街並みはどこもかしこも瓦礫の山だった。

 だがそれでも、日本の中心は東京に残り続けた。

 再開発は遅々として進まず、弾痕も残る高層ビルはほぼもぬけの殻。しかし、その足元で開かれる屋台があれば、駅前の活気は戦前と変わらない。

 駅に列車が入ってくれば、列をなして満員電車に乗り込むのも同じだ。

 それでも、区画丸ごと住人が蒸発した街には、それまで積み重ねた人の生活はない。


(なんだか寂しく感じるのは、生活感のなさなのかな……)


 はっきりとしない思考の中でミカは考えていた。

 列車は進み、線路を囲むビルの高さは増すばかり。

 それでも車窓の寂しさは変わらずだ。


「もうすぐ駅かー……」


 少し昇ってきた太陽が、そろそろミカが下りる駅であることを告げていた。

 降りるべき駅に列車が到着すると、そこはすでに大変な人混み。

 ミカは腹側に抱えていた荷物を背負いなおす。

 今日はやけに荷物が多いが、これは自分の所為でもあり、あまり人にぶつかるのも申し訳がない。

 国の東西南北へと人を運ぶターミナル駅は乗り換え客も多いが、ミカは、慎重に進みながら、乗り換えホームに降りることなく、そのまま人混みを縫って改札を出た。

 改札を抜けた先は、東京には珍しい鬱蒼とした木々の生い茂る土地。

 幾人もの仕事人が先を急ぐ中、ミカは立ち止まり、伸びをした。


「んーッ! 空気、気持ちいい!」


 背負った荷物の位置を治すと、緩く歩き始めた。

 ミカが出た改札は、複数ある改札の中で最も職場に近い場所だった。

 しばらく歩くと、木々の隙間からミカの職場が見えてきた。

 石積みの外壁と、コンクリート地のままの壁がつぎはぎされたかのような建物が、鹿嶋ミカの職場でもある、地球博物館の日本分館だった。

 まだ開館時間前の正門に着くと、ミカはその横を進み、周囲をきょろきょろと見ながら事務所への通用門を通り抜ける。

 なんだか、悪いことをしているみたいだな、と思いつつ、ミカは建物の中に入った。


(実際、誰かと会うとちょっと気まずいんだよね……。でも、ここは避けては通れない)


 そして進む先には、ゲートと、守衛所がある。

 ミカは小さく息を吐くと、元気よく挨拶をしながら身分証と一体化した入館証をタイムカードに通した。


「おはようございます!」

「おはよう、ミカちゃん」


 その声に守衛の初老の男が顔を上げ、ミカに挨拶を返した。そして、ミカの背にある荷物をみて、目を細める。


「今日も荷物多いね」

「あはは……ばれました?」

「あはは。バレバレだよ! また後で怒られるのかい?」

「えへへへ、それは内緒で。……それじゃ!」

「はい、今日も頑張ってね」


 ミカは守衛とのあいさつに若干の気恥ずかしさを感じつつ、別れを告げて、長い廊下を進んだ。


「……っと。忘れるところだった。ポスト、ポストっと。あ、新聞あった」


 途中でポストから手紙を取り出すことも忘れない。


「ん、ん~♪」


 鼻歌交じりに歩みを進めるミカは、この廊下が好きだった。

 まるで、物語の中に入りこんだかのような雰囲気がある通路。

 壁にはめ込まれたガラスは現代的でない、不ぞろいな出来で、陽の光を柔らかに伝える。

 そして、通路の天井から下がる照明器は、歴史を感じる作り。

 それもそのはず、ミカは知らないことだったが、地球博物館の日本分館は、戦前にあった国立の博物館をすべて接収してできたものであった。

 戦争を乗り越え、建物自体が重要文化財になるような施設を使える機関は日本国内でもそれほど多くない。

 それはとても贅沢なことだった。

 しかし、その中身も以前の国立の博物館と同じかというと、そうではない。

 戦時中、国立博物館を含めた一帯は空襲と砲撃を受けた。

 日本が世界に誇る収蔵品もその大半は戦火の中に消え、それらを守ろうとする職員も多くが業火の中に消えた。残る収蔵品も、多くは金へ換えられ、砲弾となった。

 そうして破壊された博物館は、地球博物館ができるまで放置され、廃墟になっていたのだ。

 そんな歴史から、地球博物館の職員は、ほぼそのすべてがミカと同じように若く、未経験者も多い状態だった。


「おはようございます!」


 ミカは覚悟を決めて、明るく挨拶をして、事務所に入る。

 だが事務所の中はまだ薄暗く、ほとんどだれもいなかった。


(よっし! 計画成功!!)


 実際にはまだ彼女の企みは成功していないのだが、懸念していたハードルを一つ越え、ミカは心中で拍手喝采だった。


「あら、おはよう、ミカちゃん。今日も荷物が多いのねぇ」


 そんなミカに声をかけてきたのは、清掃の係員の女性だった。


「おばちゃん、いつも掃除ありがと。……うん、ちょっとね」


 ミカは皆から荷物のことを指摘されることに思わずはにかみながら、自分の机へいそいそと向かった。

 大きな建物を有する地球博物館日本分館の中で、ミカの所属する文化財緊急保護チームは、嗣道とミカの二人だけだ。

 背の低いパーテーションで区切られた一角に、事務机が四つ並び、島を作っている。

 その中の一つ、自分の机にミカは背負っていたリュックを下ろした。そして、その中から風呂敷に包まれた一抱えもある荷物を取り出した。

 取り出した荷物からうっすらと硝煙の香りがする。

 その荷物の正体とは、昨晩の出動で身に着けていた装備一式だった。

 そして、ミカはその装備を改めて見てため息を一つ。


「はぁ………。やっちゃったなー」


 なぜ彼女がこれほどばつが悪そうにしているかというと、昨晩着ていた服が弾痕で穴だらけだからだった。

 そそくさと朝早くから出勤したのは、同居人である嗣道や、多くの職員の眼にとまらずに装備の補修を申請してしまおうという魂胆だったのだ。

 早速ミカは棚に入っている補修申請書を記入して装備と一緒に袋詰めした。よく補修に出すので、申請書は印刷して常備しているのだ。


(あとでどうせ嗣道にはばれちゃうんだけど……昨日の今日だとねぇ)


 声を荒げず、滾々と説教をされた昨日の帰り道を思うと、しばらく避けたいと思うのは自然な流れだった。


(でも、文化財が悪い人のところに行ったり、悪事に使われなくて、良かった……)


 そんなことを思いつつ、袋詰めした装備一式は後の手続きをしてくれる総務課へ後で持っていくことにして、ミカは装備の入った袋を机の下へ隠した。

 そんな、周りから見ればバレバレな証拠隠滅を図った後、ロッカーへリュックを仕舞い、上着を脱ぐと、ミカはやっと自分の席に着いた。


「ふぅ、とりあえずこれで良し……。嗣道はまだだよね……?」


 最終的にはどうしてもバレるにしろ、証拠隠滅にとりあえず成功した、と判断したミカは一息つき、PCを立ち上げつつ、郵便受けから取り出してきた新聞を広げた。

 一面は、住民の反対で来年度の予算が否決された博物館の記事だった。


「また予算の話でもめてるんだ……」


 いまだに新聞というやつは馬鹿にできないものだ、と嗣道に言われたことをミカはきちんと毎朝の習慣にしている。

 特にオンラインで情報があふれ、動向が監視されている現代において、ある程度閉鎖された環境で情報を共有できる新聞というのは実際、馬鹿にならない情報源なのだとミカもしばらく仕事をするうちに納得できた。

 だからこそ、毎日全国紙はもとより地方紙から業界紙まで、幅広く確認しているのだ。


「うーん、めぼしい話はないなぁ……」


 とはいえ、毎日のように興味深く、面白い話があるわけはなく、紙面からは悪い話ばかりが目に入ってくる。

 いまだに戦後処理が終わらず、戦中に連合軍が利用した日本のふ頭を返還する手続きがやっと済んだという話や、博物館関連の記事に限っても、予算不足で展示品の修理ができない話、指定管理の話、収蔵庫があふれたという話、そして目立つのは博物館自体の閉鎖の話。

 そこには世論と政治の話が絡んでくるのだが、ミカの興味はそこで逸れていった。

 正直、ミカにとってその話はあまり興味のない話だった。


「あっでもこれは面白い」


 それはAIの研究に関する記事だったが、AIが過去の記録を蘇らせる、という研究がテーマだった。この研究では現在は退色してしまった絵画や浮世絵などを分析にかけ、描かれた当時の姿を蘇らせている。そしていくつかの作品ではこれまで定説だった色合いが覆されていた。


「へーっ、AIってすごいんだなぁ。そういえば、この作者の作品はいくつかうちにもあるよね……。本当はどんな色だったんだろう」


 ミカは新聞を畳み、今度はパソコンと向き合い始めるのだった。


「今日の仕事は~。急ぎのはあんまりないんだよね……」


 嗣道とミカのチームの仕事は、文化財の緊急保護。

 しかし、つい昨晩のような銃撃戦が毎日発生するわけもなく、捜査すべき事件がなければ、他部署の手伝いに入ったり、来館者の案内に立ったりもする。

 ある意味で博物館の何でも係なのだ。

 今日のミカはこのままだと今はあまり来ない来館者の対応に出ることになりそうだった。

 とりあえずのメールチェックを進めていると、続々と職員が出勤してくる。

 その様子を見ていると、ミカはなんだかソワソワしてきた。


「うっ、嗣道とすぐに顔を合わせるのはちょっと気まずい……。昨日の夜は今日の出勤時間のこと言ってなかったし、何時に来るんだろう。……そうだ! 今日の午前中は展示室の視察に行こう! そうしよう!」


 ミカはメールチェックを早々に切り上げ、展示室へ向かうことにした。

 いつも携行している銃はさすがに展示室には持っていけないので、銃を腰に収めるホルスター事、カギのかかる机の引き出しに仕舞った。そして更衣室に向かうと、展示室に立ち入るための制服に着替える。

 学芸員として作業で展示室に入るときは制服ではなくてもいいのだが、ミカはまだ学芸員補。学芸員の補助として任じられる役職だ。

 だから、まだ展示室にはお客様案内として立つしかなく、案内係としての制服に着替える。いつも動きやすい服を着ているミカからすると、慣れない服装だが、定められているものは仕方がない。

 落ち着いた赤い色をしたジャケットとひろがったスカート姿に着替えると、ミカは展示室へと入っていった。




 とん、とん、と足音を響かせながら、ミカは展示室を進む。

 歩くたびに揺れるスカートはやっぱりどこか気恥ずかしいが、だからと言って、下を向いて歩くわけにはいかない。展示室に出ていれば、いつ来館者と会うかわからない。案内係も展示空間を作る役者なのだ。


(ちゃんと剥製も手入れされてるから、みんな艶がいいねぇ……。なんだか資料も生き生きしてる)


 今ミカが歩いているのは動物の剥製などが置かれている自然科学の展示室だが、地球博物館はそれだけを扱った博物館ではない。

 各種の旧国立博物館を吸収して設立された地球博物館の日本分館は広大な敷地を持っている。そして、その中に点在する建物ではそれぞれテーマに分かれた展示が行われている。

 歴史、自然科学、産業、民俗……ありとあらゆる分野を網羅しているからこそ、この博物館は『地球博物館』と名乗っている。地球博物館は世界の複数の場所に存在し、ミカのいるここは主に日本について取り扱う『日本分館』という取り扱いになる。

 今や博物館は税金の無駄遣いといわれるが、地球博物館自体は国連直下の組織だ。

 大きな戦争の起こった後、地球についてきちんと遺し、伝えていこうという思いは、ミカの心の中にも息づいている。


(今はもういない動物たちの姿もちゃんと遺していかないとね!)


 しかし、一般に、博物館は人気のない施設になってしまった。

 多くの庶民にとって、明日をも知れぬ生活は、直接生活に結びつかないことを極端に厭い、まったく生活の役に立たない博物館は忌み嫌われる存在だ。

 小学校でも博物館に遠足に行くより、プログラミングの実習をしているほうが保護者の受けがいいのだ。

 だから、今日も来場者は少ない。

 数少ない来館者も、半分は顔見知りだ。


「あら、ミカちゃん、こんにちは」

「こんにちは! お元気そうでよかったです」


 歩くミカを見つけて声をかけてきたのも顔見知りの一人。

 ミカはその姿を見てにっこりと笑いながら挨拶をすると、少しすまして言った。表裏のない彼女にもお客様相手用の話し方はある。


「あれ? 今日はお孫さんと一緒なんですね」


 ミカに声をかけた品のある初老の女性は、地球博物館から徒歩圏に住んでいるらしく、日々の散歩に合わせて、地球博物館に足を運んでいるのだった。

 一日ごとに別テーマの展示みるのがボケ防止にもいいのだと言っていたのをミカは覚えていた。

 そんな、いつもはひとりで訪れている彼女だが、今日は連れがいるようだった。


「ええ、娘は博物館なんて、というんだけど、私の散歩道だからね。孫にも一緒に来てもらったの」


 祖母のスカートに隠れる小さな男の子。どうやら人見知りらしい。


「そっか。キミ、今日は楽しんでいってね」


 ミカはしゃがみこみ、男の子と目線を合わせると、肩から下げたポシェットから小さな包みを取り出して、一緒に来ていた男の子に差し出した。

 男の子はきょとんとしていたが、思わず、といった様子で差し出された小さな包みを受け取った。

 ミカはその様子ににっこりとほほ笑んだ。


「おねえちゃん、ありがとう」


 男の子は小さな声でお礼を言うと、また祖母の足元へ隠れてしまった。


「まぁまぁ、ミカちゃんありがとうね」

「いえ、楽しんでいってください」


 ミカは立ち上がり、ゆっくりと展示室を進んでいく祖母と孫の姿に手を振った。


「あっ……」


 すると、それに気づいたのか、男の子も、小さな手を振り返した。

 小さな男の子がリピーターになってくれればいいなと思いながら、ミカはまた展示室を歩き始めた。

 ミカはまだ専門分野を持たない職員だが、学芸員はおおよそ専門分野というものがある。

 ミカと同じ部署、文化財緊急保護チームにいる守山嗣道も、武器を担いで働いている姿からは想像できないが、歴史を専門とする学芸員だ。

 あらゆる分野の学芸員たちが集まって、地球博物館は運営されている。

 ミカはそんなみんなが維持しているこの場所が大好きだった。

 それからミカはほかの分野の展示室も見て回った。


「まぁ、一、二個、部品の交換が必要そうなハンズオン展示はあったけど、壊れているわけじゃないから大丈夫そうだね」


 二時間ほど展示室を回り、異常がないかを確認した。

 嗣道と顔を合わせたくないから逃げているのではなく、一応はちゃんと仕事をしていたのだ。

 文化財緊急保護チームは、危機的状況にある文化財が絡んだ事件を捜査することはもちろん、館内で発生した事件などの捜査権限もある。いわば、博物館関係の警察というわけだ。

 だから、博物館内の見回りも、仕事の一つなのである。


「そう大丈夫、ちゃんと仕事してたから。……まあ、優先度の高い仕事かといわれると微妙だけど……」


 少し微妙な気持ちになりながら、ミカは最後に押収文化財の展示スペースに立ち寄った。

 昨日大島の起こした事件で押収された壺などがすでに展示されている。


(嗣道、昨日私を一度家に送った後、もう展示しちゃったんだ……。仕事早いなぁ……)


 相棒の仕事ぶりを目の当たりにし、ミカは少しの反省とともに事務所に戻ることにした。




 

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