第21話 再びの訪問

 実際に工場を再度足を運んでから数日後、嗣道とミカは警視庁を訪れていた。

 今日は取調室ではなく、鑑識の作業部屋の一角に呼ばれていた。


「急いで呼んで悪いな。嗣道、ちょっとこれを見てみろ」


 望月が指し示すのは、押収してきた資料の束の一つだ。

 そこには名前らしき言葉と数字が大量に並んでいる。


「これは……?」


 ミカにはパッと見てわからなかった。


「贋作たちの売り先か。端末にデータに残さず、紙管理とは、今時の犯罪者は逆にアナログ回帰しているな」

「ええ。端末にデータを残すと、復元ですとか、流出の危険がありますので」


 晴斗が相槌に皆が頷いた。


「今時は犯罪者の方がサイバー犯罪対策がしっかりしてるってんだから、おかしい話だ。名前もコードネームらしくて、今一つずつあたっているところだ」


 三人の会話になるほど、と思い、ミカはその売り先リストを眺めてた。

 手書きの文字と数字ゆえに読みづらいが、何をいくらで売ったのかは読み取れる。

 ミカは数行見たところで、違和感を感じた。


「ねぇ、嗣道、これ変じゃない?」


 嗣道に違和感を覚えた個所を示す。

 ミカが指し示したのは売値の部分だった。


「ん? この作者の作品として売るなら適正価格じゃないか? いや、ちょっとまて、結構安いかもしれない……」


 嗣道は作品を売る値段を一度考えたが、そもそもあれだけの犯罪組織を作って売り出すにしては妙に単価が安かった。


「そうだ、俺が呼んだのもその件だ。俺は美術品の価値なんかわからんが、裏社会での人件費なんかはなんとなくわかる。それと比べると……売値が安くないか?」


 嗣道は大きく頷いた。


「間違いない。投入した金額が大きすぎる」

「村崎も儲からないなどと言っていましたが……」


 晴斗が嗣道に紙を一枚差し出した。

 そこには売値の違和感を確認しようと、予測される経費を書き出していた。

 望月と晴斗が水道光熱費や食費等の費用を積算していた用紙にミカと嗣道は購入したインク代などの情報から数字を書き加える。

 最終的に計算された数字は驚く額だった。


「140%……。経費が売値を4割も超過している……」

「浮世絵としては現実的な金額だが、これは作者の著名度が低いからでもある」


 ミカは売値をなぞり、自身の記憶と照らし合わせた。


「もっと有名な作者の作品なら、元が取れたのにね」

「もっと大量に売ればよかったと?」


 晴斗が尋ねた。


「いや、売り先が限られることは村崎も把握していた。ああいう犯罪者はそれがわかった時点で手を引くはずだが、それをしなかった」


 嗣道は晴斗の考えを否定した。


「あれ? でも、この間は、借りた金を返さないといけないから無理をしたんじゃって言ってなかったっけ?」

「ああ。だが、それは贋作を作ったのがもっと商売を知らない人間だと思ったからだ。村崎は、組織力も、金の力もある程度はあった。無理をしたのは、金のためじゃない」


 たしかに、とミカも思った。

 強制的に働かされていた高萩が犯人だったら、借りた金を返すために無理をした、とも思えたが、ミカが相対した村崎は違う。

 これまで多くの犯罪行為に手を染め、闇の商売で生活をしてきた人間だ。

 一つ商売を失敗したからと言って、すぐに工場を畳んで別の商売をすれば、借りた金はすぐに返せることぐらい、想像ができる人物だし、実際にそうやってこれまで闇社会を渡り歩いてきたのだろう。

 そう思うと、ミカは工場や村崎の様子からあることも想像した。


「急かされてたのは間違いない。でもお金がきっかけじゃない……。むしろ、何かのタイミングに間に合わせようと、工場フル稼働だった、って感じかな」

「……こりゃあ単純な金儲けを考えた反社の計画じゃないな」


 望月はミカと嗣道の会話からそう推理した。


「何に間に合わせようとしたのかな……」

「売り先の限定。……だが製造数はどうだ……?」


 ミカが嗣道のつぶやきを拾った。


「どうしたの、嗣道?」

「ミカ、この贋作たちの生産数は覚えているか?」

「およそ1,000、って花貫が言ってたよ」


 嗣道の質問にミカはすぐに答えらえた。


「だが、売り先は千も言っていない」


 リストに書かれている名前は100にも満たない数字だ。


「現在の売り先の特定と同時に、これは行方不明の作品を追わなければならんな」

「時間が足りませんよ!」


 調査を主に担当している晴斗が悲鳴を上げた。

 すでに他の部署からも人手を借りて対応しているのに、これ以上の業務量は破綻してしまう。


「村崎は言っていた。金持ち同士のネットワーク、と。そして、ミカ、俺たちは最近もう一つ、同じ作品を見ている」


 ミカは嗣道の言葉に、思い出した。


「あ! あの龍ヶ崎の家!」

「そうだ。龍ヶ崎の家にも同じものがある」


 ミカはその作品を思い出した。


「私たち、これで龍ヶ崎の家のもの、収蔵庫にあったもの、売りに出そうとしていたものの三か所で同じ構図の浮世絵を見ている!」

「ここ最近、同じ作品ばかりを俺たちは見ている。日本国内ではもう供給過多になっているとみて間違いない」

「どこかに大口の売り先があるのか、海外か、それを特定したいな」


 ミカが嗣道に願う。


「嗣道、もう一度、龍ヶ崎の家の作品が見たい。何かヒントがあるかもしれない」

「………そうだな、龍ヶ崎のところへ行こう」


 ミカと嗣道はすぐに車に乗り込み、龍ヶ崎の家へと向かうことにした。



 再び訪問した龍ヶ崎の家で対応したのは執事だった。事情を説明すると展示室へと案内された。


「やっぱり、この浮世絵も色はあってるけど、改変されて描かれてる……」

「ああ」


 ミカは、再び見たことで、この浮世絵も贋作だとわかった。


(……でも、やっぱり高萩さんたちが作った作品だ。気持ちが籠ってる……。邪な思いもあまり感じない。改変は作っているときに混じった邪な願いじゃない。もっと根源的で、大きい、邪な願い……)


 しばらくすると、後ろから足音がした。


「また突然来たな、学芸員たちよ」


 龍ヶ崎が姿を現したのだ。


(この人は絶対何かを知っているのに、私たちに隠してる……!)


 ミカは龍ヶ崎に情報を出すように迫った。


「龍ヶ崎弦儀、この浮世絵を売っていた売人を教えて!」

「売人とはまた、野蛮な言い方だな、お嬢さん。それにこの浮世絵は『贈られたもの』だと、この間説明しただろう。……だがまあ、やましいような取引相手ではない」


 それでも龍ヶ崎は怯むことも、またミカへ怒りを見せることもなかった。


「すぐに教えてあげよう。……業者の名刺をコピーして渡してあげなさい」

「かしこまりました、旦那様」


 執事がミカへコピーした名刺を渡した。

 名刺には、在明商事と書かれていた。


「これでよいだろう」

「……ありがとうございます」


 ミカは、すんなりと差し出された名刺を受け取り、礼を言う。


「ミカ、あまり感情的になるな」


 嗣道からの小声での指摘に、ミカは少し頭を冷やした。


「それで、今日この作品を見に来た、ということは私のコレクションがまた事件に巻き込まれたのかな?」

「捜査中のため、詳細は明かせません」


 龍ヶ崎の問いに嗣道は端的に答えた。


「自分からは尋ねるくせに、こちらの質問にはだんまりか。……まぁ、公務員などは昔からそうだったが」

「否定はしません。……今日はありがとうございました。確認したいことは済みましたので」


 これ以上この家にいてもミカの精神衛生上よくないと判断したのか、嗣道はミカを連れて立ち去ろうとした。

 そうして展示室を出る直前、二人の背に龍ヶ崎から声がかかる。


「そういえば、この作品について、尾久先生が興味深いことを言っていたな」


 ミカはそれが先日龍ヶ崎邸の玄関ですれ違った人物であることを思い出した。


「この浮世絵に描かれているあたりに自分の先祖の店があるそうだ」


 ミカはその言葉に少し引っかかったが、在明商事に急がなければならない。


「情報ありがとうございます。それでは失礼します」

「ふむ、捜査は困るが、また作品が見たければ来なさい」


 その言葉には返事を返さず、ミカは嗣道の運転する車に乗り込んだ。

 そしてそのままその足で、都内の雑居ビル群の一角へと向かった。


 辺りは夕刻。


 飲食店や事務所が乱雑に入居する低層のビルが立ち並ぶこの一角は、どこか怪しげだ。

 そんな中にある事務所の一つ、在明商事は三階に入居していた。

 すでに誰もいないのか、外から見ると室内に明かりは確認できない。

 看板の類も、窓に張られた社名のステッカーの類もなく、ただ集合ポストに社名が書かれているだけの事務所。


(……こんな事務所の社長が、世界的富豪の龍ヶ崎に浮世絵を手土産に?)


「なんだか、すごく怪しいね」

「贋作だったと知らなかったのか、あるいは、贋作を贈るためだけに作られたペーパーカンパニーか」

「嗣道、行こう」

「ああ。ファーストラインは確認しておけ」


 ミカたちは車を降り、雑居ビルへと入っていく。

 そして軽く周囲を見渡し人影がないことを確認すると、ホルスターから拳銃を取り出した。

 そして、消音器を取り付ける。


 ミカと嗣道は無言で視線を交わすと、前後、上下と役割を分担しながら、階段を上っていった。

 切れかかった電灯がちらつき、辺りを仄暗く照らす。


 警戒しつつ進み、在明商事の扉の前までは何事もなく到着した。

 扉はドアの先が見えない全面鉄板で覆われたものだった。

 ミカと嗣道は再び視線を交わし、頷きあうと、嗣道の立てた3本の指が順におられる。

 そして最後の一本が畳まれた瞬間、嗣道がドアを開け、ミカが内部に素早く突入する。


「地球博物館 文化財緊急保護チームだ! 全員動くな!」


 ミカは銃を構え、扉の中で叫ぶ。


 しかし、室内には誰もいなかった。

 だが、単に社員が帰った後、というわけではない。

 異様な事務所だった。室内は強盗に遭ったかのように荒らされ、辺りに書類が散乱し、書架や机も引き出しが開いたままだった。

 嗣道が室内を一瞥し、一言。


「もぬけの殻だな」

「本当にここに売人がいたの……!?」


 ミカのつぶやきも誰もいない静まり返った事務所に響くだけだった。


「ミカ、手分けして何があったのか調べるぞ」


 ミカと嗣道は銃を構えたまま、懐中電灯をつけ、慎重に辺りを探った。


「見積書とか請求書とか、書類が混ざってて、これじゃわからないよ……」

「落ち着いて探すんだ。俺は奥を探す」

「うん」


 二手に分かれ、机の上、床の上と視線を移動させる間に、ミカはある机の上に一枚の写真を見つけた。


「うん……、あれ? この写真」


 それはミカがどこかで見た覚えのある写真だった。

 銀塩プリントがなされた、男女が集まった戦前の集合写真。

 その内容を思い出そうとしたとき、だれも帰ってこないはずの事務所の扉がガチャリと開いた。


「えっ……」


 ミカは驚き手を止め、入り口を見る。

 現れたのは武器を構えた二人組の男だ。

 ミカはとっさに銃を構えた。


「なんなの、あんたたち!」


 男たちはミカを見るとにやりと笑った。


「なんだぁ? 女だぁ」

「へっへっへっ。あんたらずいぶんと恨まれてるみたいだなぁ?」


 ミカのその声に事務所の奥に言っていた嗣道も銃を構えながらミカのそばまで戻ってきた。


「地球博物館、文化財緊急保護チーム、学芸員の守山だ! 武器を捨てろ!」

「はっ! ……黙ってなっ!」


 男はそう言い、肩に担いでいた散弾銃を放った。

 散らばった弾丸が書類を散らす。

 ミカは大きく広がった危害範囲を横に飛ぶことで避けた。

 そしてそのまま嗣道と一緒に机に隠れる。


「まさか、私たち龍ヶ崎にはめられたんじゃ……!」

「まずはここを切り抜けるぞ!」


 ミカは机から机の影へと身を屈めながら移動し、銃を構える。

 その間にも、頭上を何発もの散弾が飛んでいた。


「ミカ、頭を上げるなよ!」

「分かってるよ!」


 ミカは入り口に立つ男たちを狙える場所まで移動した。

 そして、銃を構えたまま机から飛び出した。


「ッ! ……はッ!!」


 だが、ミカの眼に飛び込んできたのは、男たちの姿ではなく、自分に向かって迫ってくる火のついた瓶だった。


「危ない! ミカ!!」


 嗣道の言葉にとっさにミカは飛び下がる。

 一瞬の後、ミカがいたところに瓶が落ちて割れ、炎を燃え上がらせた。


「火炎瓶!?」


 男たちの投げ入れた火炎瓶がそこかしこで割れ、火柱を上げる。

 ミカは火柱を避け、男たちのいた扉に駆け寄った。

 だが、いくらひねろうと、サムターンをまわそうと、扉があくことはなかった。


「ダメッ! 嗣道、閉じ込められた!」


 事務所内はすでに手の付けられないほど火が回っていた。

 遠くからサイレンの音も聞こえてきたが、その救助を待っていると、ミカたちは煙と炎に巻かれ、命を落とすことになるだろう。

 嗣道は手短な椅子を窓に向かって投げた。

 大きな音とともに、窓に人が通れるほどの穴が開く。

 そして嗣道は割れたガラスで怪我をするのも構わず、その拳で穴を広げる。

 すぐに一枚分、窓がなくなった。


「ミカ、窓から逃げるぞ!」


 嗣道が指さす先には、隣のビルの壁面が見えていた。

 ビルは4階建てだが、隣との間隔は広くはない。

 飛び移れそうな辺りにちょうど良く外階段の踊り場がある。


「ミカ! 先に行け!」

「ちょっと待って、これだけ……!」


 ミカはそう言い、机の上に置いてあった集合写真を懐に入れて、嗣道の示すまま、窓から外へ体を躍らせた。

 一瞬の浮遊感の後、ミカはしっかりと、外階段の踊り場に着地した。


「嗣道も早く!」

「行くぞ」


 大男の嗣道も窓から飛ぶ。

 ガシャン、という音とともに、嗣道は外階段の手すりにつかまった。

 少し届かなかった嗣道の体を支えつつ、ミカは在明商事の事務所を見た。

 すでに事務所の中は炎に巻かれ、他の階まで延焼しようとしていた。

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