第19話 密会

「………」


 鉄道の高架橋の下。そこは避難民が頑丈な寄り辺を求めて仮設の家を建てた場所だ。

 電車が走ればその音は轟音となって室内に響き、壁を揺らすが、ここに暮らす人々にとっては、かけがえのない我が家の群れ。

 そんな一角にある小さな酒場で嗣道はひとりグラスを傾けていた。

 嗣道もまた、ミカに出会ったころのことを思い出していた。


 嗣道は学芸員だが、兵士でもあった。


 戦時中、野戦砲の観測班におり、前線部隊とともに行動し、後方にいる仲間に射撃目標を指示した。

 嗣道の指示により、後方の砲列から一発40㎏を超える砲弾が次々と自分の頭上を飛び越え、寸分たがわぬ精度で目標を破壊する。

 家を壊し、街を壊し、地形を変え、地図を変え、戦場を変えた。

 戦いにおいて悔いはなかったが、焼け野原になった国土を想うと、昔思い描いていた学芸員にはなれなかった。

 だから、学芸員になった後も、銃を手放すことができなかった。

 そんな中で出会ったのがミカだった。


「………」


 その顔を思い出し、嗣道は再びグラスを傾けた。

 カラン、と氷が音を立て、グラスが乾いたことを知らせる。

 バーテンはその小さな音に気付き、嗣道に向けて先ほど飲んでいたのと同じ銘柄の酒を軽く掲げるが、嗣道はそれを小さく首を振って断った。


「………」


 思い出すのは、今日と同じように小さな酒場でちびりちびりと酒を飲んでいたあの日のことだ。

 焼け野原の鹿島地域を再び工業地帯にしたい。そんな要望は戦後すぐから出ていた。そしてそれが実行に移される前に、当時発足したばかりの地球博物館が存在感を示すためか、計画に横やりを入れた。


 曰く、戦争の爪痕で後世に遺すべきものがないか確認が必要だ、と。


 それで現地に行ける職員の中で声が掛かったのが、嗣道だった。戦地を実際に知っている人間のほうがいいだろうという判断だった。

 当然、国の役人と開発を予定していた会社の専務からは酷く嫌われた。

 重要な史跡だと判断すれば、開発ができなくなる。

 鹿島という広大な土地に案内の人間もつけられずに放り出された嗣道は仮設の小屋で店を開いている酒場に寄ることしかできなかった。 


『あんた、どこから来たんだい?』

『なに!? 会社のやつは、案内も着けなかったんかい!?』

『いいさ、俺が明日案内してやる』


 酒場にはもともと鹿島の土地で仕事をしていた男たちが何人もいた。

 その男たちに連れられて、嗣道は鹿島を見て回ることができた。

 案内役を買って出た男たちは社員仲間との思い出の地を少しでも残そうと嗣道に思い出を語っていた。


『ここが元は工場のあったあたりだ。今はこのあたりで出たごみを集めておいてある』


 嗣道はそのごみの山の中で動く小さな姿に気付いた。


『ああ。……あれは戦災孤児たちだ。ゴミの中から価値のありそうなものを拾って廃品回収業者に売っているんだ』


 嗣道はなんとなしに車を停めさせ、その様子を見ていた。

 車から現れた男の背丈が大きいことに驚いたのか、子供たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 だが、ミカ、と名乗った少女だけは逃げなかった。

 ミカはその時、少し金になりそうな壊れかけの無線機複数と、汚れた『根付』を持っていた。

 そして思わず嗣道は彼女を連れて、博物館に戻ったのだ。

 そんな昔のことを思い出していると、酒場のドアが開いた。


「ここにいたか」


 ふらりと入ってくるのはひとりの男だ。

 男は片手をあげて嗣道に挨拶し、隣に座った。

 男の袖口からは紫紺に輝く数珠がちらりと覗く。

 その様子を見て、嗣道はバーテンにおかわりと、隣の男にも同じものを頼んだ。


「よく来たな」


 嗣道の言葉は歓迎とも皮肉ともとれた。

 だが、隣の男は意に介さなかった。


「お前が子どもに銃をとらせるとはな」

「……あの子が選んだことだ」


 嗣道としては痛いところを突かれた気持ちだった。

 これまで嗣道が男にミカを会わせなかったのは、その負い目を見せたくなかったからだった。

 だから、嗣道は少し言葉に詰まりつつ言い返した。


「言葉に自信がないのがまるわかりじゃぞ。あの子のその選択に選択肢はあったのかのぅ」

「……」


 隣の男はその様子を横目で伺い、話を切り替えた。

 そもそもここは皮肉を言う場ではなく、情報交換の場だ。


「まあ、よい。それで、何か知りたいことはあるか」

「先日の、港近くの倉庫での件、今回はたまたまターゲットが被った、そういうことか」

「そうなる。子飼いの手先を『三人も』失うところだった。こちらで確保してから連絡しようと思っていたのに、お前たちが仕事を頑張るからこうなる」

「そうか」

「それで、何がわかった」

「まだ何も。だが、これだけでは終わりではない、とは思っている」

「ほう、あの大捕り物では終わりではないと。よく気付いたな。……押収したものは、よく比較することだ」

「なんだと?」


 嗣道は、グラスを傾けようとしていた手を止めて、眉をピクリと動かした。


「まだわかっていないが、あの贋作にはまだ何かある」


 嗣道はグラスを傾けた。


「……あの子に任せる」

「そうなのか? 腕は確かか?」


 そこで初めて男は驚いたような声を出した。

 嗣道はその言葉に、にやりと笑った。


「あの子は俺より、よほどよく気付く。あの子は天才だ」


 そこまで言い、嗣道はグラスをあおった。


「あの子は、よく気付く。大人の隠し事もすぐにばれる。あんた、あの子からもやもやする、と言われていたぞ。……俺はあんたのこともそのうち話すつもりだ」


 隣の男は驚いた顔をして、今度ははっきりと嗣道をみた。


「お前が信頼もしているということか」

「もちろんだ」

「ふむ、≪ゲームチェンジャー≫の言葉なら、信ずるほかあるまい」

「その呼び方はよせ。………もう行くのか?」

「こちらもこれ以上の情報はない。ただ、おそらくその先にはなにかがある。まだ私もつかんでいないことだ」


 男はグラスの中身を煽ると、紙幣を取り出し、グラスの下へと置いた。


「……? 今日の払いは俺のはずだ」

「いいのだ。お前が信頼できる相棒を見つけたこと、そして、新たな学芸員への祝福だ」


 そう言い残し、男は店を出た。


「お待ちしておりました、旦那様」

「うむ、家に帰るぞ」


 そのやり取りを横目に見ながら嗣道は、この事件がまだ続くことを悟ったのだった。

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