第三章
第18話 夢に見ること
鹿嶋ミカと呼ばれる少女、私の一番古い記憶は、陽炎の出るような暑さと、目の前にうずたかく盛られたゴミの山だ。
私は名もない戦災孤児の内の一人だった。
あの戦争、と呼ばれている全世界を巻き込んだ戦争は、もはやこの世界では流行らないと思われた総力戦、絶滅戦争だった。その激しさは、勉強をすればするほど、なぜ自分が生き残ったのか分からなくなるほど。
過去の戦争と同じように、小さな火種から始まった戦争は瞬く間に広がりを見せ、国家と民族と人種と宗教を掛けた相手が絶滅するまで止まらない戦争が全世界規模で繰り広げられた。
政治も、経済も、文化も、技術も、そのすべての資源が戦争へと注ぎこまれた。
早々に秩序ある戦争という幻想は砕け散り、銃後という言葉も失われた。
戦火から逃れるすべなどなかった。
そうして、戦争はいろいろなものを破壊したが、社会保障などは最たるものだったことが、私が戦災孤児としてゴミ山にいた理由だ。
戦争が収束に向かう頃、私と同じように両親を失った戦災孤児たちは路頭に迷い、せっかく拾った命を失っていた。戦時中は助け合いといって身を寄せ合っていても、いざ復興となれば、労働力にもならない孤児は邪魔になり、何もない焼け野原私たちは放り出された。
孤児院もなく、政府から守られることのない孤児たちは邪魔になれば殺処分される、野良犬と同じ扱いでしかなかった。
私はそんな時代の中では多少ましな所に生きていた。
私は私の苗字の由来にもなっている土地でゴミとともに生きていた。
日本の鹿島臨海工業地帯は戦時中は敵から見れば高価値な、日本にとっては守るべき重要な拠点であり、多くの戦いが起こった。
そして最後には破壊しつくされ、この工業地帯は戦後、廃墟となった。廃墟には、戦後の日本では生産できない素材や機械が多く眠っていた。
まるで宝探しのように、そんな危険な廃墟からそんな素材や機械を掘りだしてくる仕事があった。その仕事をしているうちは、戦災孤児にも生存価値があったのだ。
そんなゴミ拾いの一人として、私は生きていた。
私は、本当はどこで生まれたのか、誰の子供なのかもわからない。ミカ、という名前すら、ゴミ拾いの識別番号の代わりにつけられたものだ。
他の子どもたちも似たようなものだった。
そんな仲間の一人、メイは私にとって親友といっていい友達だった。
「ミカちゃん! 今日はいつもより海沿いに行こ!」
「メイちゃん、まってよー」
「ミカちゃん、競争だよー!」
「えー!」
「ほらほら、がんばれがんばれ!」
メイは明るく、賢く、仲間想いで、同い年なのに、お姉さんのような友達。
私はそんなメイが大好きだった。
「みつけたーっ! なんだろう、この機械?」
「メイちゃんすごい!」
「よーし、じゃあ帰ろっか!」
メイはゴミの中から大人が喜ぶものを見つけるのが得意だった。
皆から親分と呼ばれていた子どもたちのまとめ役も、メイのことは一目置いていた。
「メイ、よくやったな!」
PLCのCPUユニットとかいうものを見つけてきたときには、メイは生まれて初めて天然の肉を食べさせてもらっていた。
それに比べて、私はあまり「いいもの」を拾うのが下手だった。私がいいと思ったものも、親分にとってはどうでもいいものでしかなかったのだ。
「またこんなもの拾ってきて! ミカ、こういうのはな、金にならないんだよ!」
いつも親分には怒られていた。時には拳骨をもらったこともある。
でも親分は、食事を抜くことはしなかった。
だから私は生きていられたし、他の子どもたちが拾ったもので生かしてもらっているということを引け目にも感じていた。
だけどそうやって引け目に思っていることも、メイに相談すれば、すぐに解決した。
「ミカちゃんの拾うものは、夢があるよね!」
ある日メイは私が拾った鮮やかな色をした鳥の羽を見ながら言った。
(嬉しいな)
メイにそういわれると私のいやな気持ちなんて、どこかに飛んでくような気がした。
「きっとミカちゃんが拾ったものには、お金は詰まってないけど、夢が詰まってるんだよ」
「そうかな……?」
「私ね、聞いたことがあるの。こんな風にきれいな色をした鳥はこの国にはいなくって、もっとずっと南の方に住んでいるんだって」
「そうなんだ」
メイは誰よりも物知りで、私の知らないことをたくさん知っていた。
「そうやって思ってこの羽を見ていると、私もそこに行ってみたいなって思うの」
「でも私たちにはお金が……」
「そうだよ、私たちにはお金なんて無いのにねっ!」
メイはぴょんと腰かけていたがれきから飛び上がり、羽を空に透かせた。
「でも、想像したり、思うのは自由でしょ?」
そういってにかっと笑ったメイの顔は今でも覚えている。
だけど、そんなメイとの別れは突然やってた。
私が風邪をひいて寝込んでいた8年前の梅雨の時期。
「ミカは寝てて! 私がミカの分もばっちり取ってくるから!」
メイはそう言って、その日も雨の中、ゴミ拾いに行った。
それまでの私たちの経験から、「いいゴミ」は海沿いに多いことがわかっていた。
だからその日もメイは海沿いを歩いていたのだろう。
そして彼女は帰ってこなかった。
「海に落ちたんじゃないか!?」
「みんなで手分けして探そう!」
大人も子どもも一緒になってメイを探した。
本当は私も探しに行きたかったけど、体が言うことを聞かなかった。
翌朝、私の体調も少し戻ってきたころ、大人たちは帰ってきた。
「やはり海に落ちたんだろう」
私はぼうっとした頭のまま、メイの寝ていたベッドへ向かった。
そこには私がみつけてメイにあげたあの鳥の羽もあった。
メイは自分の名前と同じ「明依」と刺繍のされたバッグを以前拾っていて、自分の荷物はすべてそこに入れていた。
荷物を開けると、そのすべてにメイの思い出があった。
その荷物を私は抱きしめ、メイの布団で泣いた。
しかし、いつまでも泣いているわけにはいかなかった。
大人たちがメイの荷物を処分しようとやってきたのだ。
「メイを捨てないで!!」
「ばかやろう! メイは死んだんだ」
私はまだ病み上がりで力の入らない体で、メイのバッグと羽だけは守り、それ以外は大人たちが持って行った。
その日の夜、メイのお葬式は、小さく行われた。
誰もお葬式なんて行ったことがなかったので、これが正しい供養なのかどうかはわからなかった。でも、お別れを言わなければいけないことはみんなわかっていた。
「メイ」と、ただそれだけ書かれた木の板が用意され、死んだ仲間たちが埋められた場所に並べて立てられる。
仲間の子どもたちが道端に咲いていた花を供える。
大人たちもどこか感傷的だ。
だけど次の日には、日常が帰ってきた。
風邪が治った私も、ゴミ拾いに行った。
夕方、帰ってくる頃には、メイの名前が書かれた板の前にあった花たちはどこかへと飛び去っていた。
みんなに大切にされていたメイであっても、その存在をすぐに忘れ去られてしまうのだと私は学んだ。
それからしばらくたって、仲間たちは少しずつ死に、人数を減らしていった。
今思い返しても、過酷な労働だったと思う。
私が生き残れたのは、幸運と、メイの遺してくれたバッグがあったからかもしれない。
私はメイが死んでから、少しだけ大人になれた。少しずつ、親分が喜びそうなものを学び、拾ってくることができるようになった。
だから私は仲間の死を見送ることになった。相変わらず大人たちは、死んだ仲間の持ち物をすぐに捨てようとする。
私はみんなの遺した大切なものを少しずつ集め、大人たちに見つからないように隠している。
その量は、寝る場所を圧迫するほど。でも私はそうすることで、みんなと一緒にいる気分になることができた。
そんな日々が永遠に続くのだと思っていたころ。
私たちの持ち場に一台のバンが停まった。
そこから降りてきたのは、一人の大男。ゴミ拾いの仲間たちは大男が人さらいかと思って、わっと逃げ出した。
でも、私にはその人が悪い人には見えなかった。
一人残った私に大男は近づいて声をかけてきた。
「こんにちは」
「……こんにちは」
「何をしているんだい?」
「ゴミを拾っているの。高く売れるごみを拾えば、親分がほめてくれるの」
大男は私の言葉を聞いて、クシャっと顔をゆがめた。
私はなぜ男がそうするのかわからず、でも泣きそうな顔をやめてほしいと思って、手に持っていたものをあげることにした。
「泣かないで。これ、あげる」
「……これは」
「ゴミ拾いしているときに見つけたの。誰かが大切にしていたもの。でも、お金にならないから、親分にはいらないもの」
それは、今思えば、根付と呼ばれる装飾品だった。
もともとは誰かがカギにでもつけていたものなのだろう。黒檀のような木の素材に小刀で削った丁寧な細工が施されている。
「親分はいらなくても、誰かが大切にしていた、きれいなものだから。あなたは喜んでくれる?」
「キミ、それはどこでどうやって見つけたんだい?」
「このごみの山の中。ここはこのあたりの戦争で焼けた機械とか、街の方のゴミも集まってくるんだって」
私は自分の周りに広がるゴミの山を見渡した。
「そのごみの中にある、誰かが大切にしてたものがわかるんだ」
その時も、いくつか思いの強いものが視界の中に映っていた。
「その根付が君に語りかけたのか?」
「よくわかんない。……でも、誰かが大切な人にプレゼントして、もらった人も大切にしてたんだなってことはわかる」
「ほかに何を見つけた?」
「こういうのは、親分は好きじゃない。お金にならないから。でも、大切なものは捨てられないから、私の部屋においておくの」
「その部屋に連れて行ってくれないか」
「いいよ」
私は大男を私のベッドへ案内した。
「これは……。すごい」
「私はね、全部大切だと思うの。でも、親分はゴミだっていう。お金にならないから」
私はベッドの下からみんなの遺したものを引っ張り出して、大男に見せた。
「これは私の友達が遺したバッグ。それでこっちは別の子が大切にしていたぬいぐるみ。あの子達が死んで、残っているのはこれだけ」
それを見るたびに、私はあふれる思いが止められなくなってしまう。
「私が死んだら、全部なくなっちゃう。みんな、消えちゃう」
「君は、みんなを消したくないんだな」
「どうしたら、遺せるかな」
「俺と一緒に来るか?」
「どうなるの?」
「俺は、学芸員。みんなの想いを未来に残していくのが仕事だ」
学芸員なんていう仕事を私は知らなかった。
「私も、学芸員になれる?」
「学芸員は、そういう名前の資格もあるしそういう職業もある。だが、学芸員であることに一番大切なのは気持ちだ」
大男は私の頭を大きな掌で撫で、私を連れて家を出た。
「遺したいものがあるなら、それが学芸員のスタートだ」
「……夢?」
ミカは長い夢を見ていた。
あの鹿島での日々のこと。
あの日、ミカは嗣道に連れられて、鹿島を離れた。
嗣道はミカに戸籍を与え、家を建て、ご飯と、衣服を与え、勉強を教えてくれた。
ミカは嗣道が手作りしたバラックに移り住んでも、あのゴミの山で見つけたものたちを捨てず、自分の部屋で一緒に過ごしている。
それを見るたびに思い出す。
(……私ができることと、本当にやりたいこと)
人助けなら、警察でもよかった。
銃をとって戦うのなら、兵士でもよかった。
(……嗣道はいくつもの選択肢をくれたけど)
ミカは嗣道のもとで生まれて初めて教育を受け、そのうえで強制されず、自分のしたいことを選ぶ自由があった。
あの日、メイとミカが話したことが夢ではなくなるほどの自由。
だけど、私が選んだのは初めから変わらなかった。
「……私は、誰かの想いを、存在を消したくないんだ。未来に繋いでいきたい」
ふと、私は隣の壁を見る。
そこには私をここに連れてきてくれた人の部屋がある。
私の大切な人、相棒、家族。
私たちの関係にどんな言葉を充てればよいか、決まった形はないけれど。絆というつながりは感じている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます