第25話 森の中から見つけること②

 船の中心に近い船室は、コンテナ船には似つかわしくない、重厚な内装が施され、さながら応接室のようだった。

 その室内の中心に置かれた革張りのソファでは一人の男、尾久典司が紅茶を楽しんでいた。

 室内には、尾久以外には給仕をしていた秘書の男しかいない。

 荷物を積み終えた船がふ頭を離れ、高度な政治的判断が不要な地点まで、具体的には日本の領海を出るまでは誰かの見届けが必要だったが、直接見届けることを決めたのは尾久自身だった。

 そこにどのような意図があったのか、秘書は尋ねなかった。だが、直接見届けると尾久が決めたときから、秘書は方々を駆け回り、短時間とはいえ、尾久が滞在する船室を秘密裏に改装して見せた。

 部屋の出来、提供するサービス。可能な限り整えられたそこは完ぺきとはいかずとも、秘書にとっては満足できる出来だった。

 あとは、何事もなくこの船が領海を抜ければ、とばかり、秘書は考えていた。

 しかし、期待はむなしくも、外れることとなった。

 外の見えない船室で、少しでもストレスを減らそうと、香り高い紅茶のお代わりを用意していると、この場には似つかわしくない断続的な金属音が聞こえてきた。

 秘書が耳を澄ませると、ドアの向こうの廊下では走り回る足音も聞こえてきた。

 何事かと思ったときには、部屋に備え付けられた内線が鳴った。

 秘書は内線を取り、その内容に顔を顰めた。


「……何事です」


 紅茶を楽しんでいた尾久も異変に気付いていたのか、受話器を置いた秘書に、口調は冷静に尋ねた。


「……議員、どうやら船に侵入者のようです」


 秘書は、残念そうな顔を隠さずに、尾久に告げた。


「どこの誰が」


 尾久は構わず、状況を尋ねた。


「地球博物館と名乗ったそうです」

「人数は」

「大男が1人と、小さな人影もあったとか」


 その概要を聞いたときに、尾久は、以前すれ違った二人の学芸員の姿が思い出していた。

 大男は姿を見ただけだったが、小柄な影、おそらく娘の方は言葉も交わした。


「ふむ。たしか、鹿嶋ミカと言いましたか」

「覚えておいででしたか」


 秘書は尾久の記憶力に感服したように言った。

 尾久はその言葉ににこりともせず、指示を与えた。


「これだけは私の特技でね。……対処は任せました」


 尾久から仕事を任される。秘書にとってはこれ以上ない自身への評価。


「は。……清く正しい世界のために」


 秘書はそう言って深々と礼をすると、懐に仕舞ったものの位置を確かめ、船室を後にした。

 あとに残された尾久はもう一口、紅茶を楽しむと、小さくつぶやいた。


「本物とは、正しいとはなんなのか、彼女たちは教えてくれるのでしょうか」


 ミカはコンテナとコンテナの隙間に身を潜めた。

 甲板上にうずたかく積まれたコンテナは、高く積まれたところもあれば、一段しか積まれていないところもある。

 ミカは周囲の様子を探り、遠くの発砲音にタイミングを合わせて一つのコンテナのカギを撃った。

 そしてまたコンテナの隙間に隠れる。

 どうやら敵は嗣道に釣られてミカとは逆の方向へ走っているらしく、近くには甲板を走る足音は聞こえない。


「近づいてきてる足音はないね……」


 ミカはするりとコンテナの影からでてカギを壊したコンテナに入り込んだ。


「だめだ、このコンテナは本物の食糧……」 


 ミカは嗣道に無線を入れる。


「嗣道、一つ目のコンテナはダメだった」

『……急いで二つ目に向かえ! 奴らの心理を考えれば、どこに積んだかがわかるはずだ! ……くそっ! あいつら本当に数が多い!』


 無線の向こうで連続した発砲音が聞こえる。


「嗣道……。早く、見つけなきゃ」


 銃声が聞こえるたび、嗣道がまだ生きていることと、その命が脅かされていることをいやでも意識させられた。


「くそ、侵入者はまだ排除できないのか!」

「応援に行くか?」

「いや、俺たちはブリッジを守れとのことだ」

「分かった。移動しよう!」


 ミカはコンテナの影に身を潜め、コンテナの位置を想像した。


「……、コンテナは食料品のコンテナに偽装しているはず……。でも最初に見つけたコンテナはダメだった。大切なものはどこに積む……?」


 ミカはコンテナの影から何段にも積まれたコンテナを見上げた。


「コンテナ船……。宮姉ぇの話を思い出さなきゃ……」


 ミカは少し前に宮前と話をしたことを思い出した。


「そういえば、美術品って何で海を渡ってくるの?」

「もちろん、人と同じように、飛行機か船だよ! 安全性と時間と効率とお値段で決まるけど、絵画関係だと、飛行機が多いかなぁー? でも、所有者の指定がある場合もあるから、そういう時は指定された方法で運ぶことになるねー」

「そうなんだ! でも、飛行機より船の方が安全じゃない?」

「まぁ、飛行機は墜落事故とか大きく新聞に載るから、そう思うかもしれないよね。

でも、船も、嵐に巻き込まれて、沈まなくても載せてたコンテナが落ちた、とかは結構事故としてあるんだよ。それに、潮風の影響もあるからねぇ……」


 そういって遠い目をした宮前の顔。

 おそらくそんな不幸な出来事もあの先輩は経験しているのだろうなと思いつつ、思い出した会話から、ミカはコンテナの位置を想像する。


「潮風があるから、きっと、波が直接当たりそうな場所には置かないはず……。そしたら、一番外側のコンテナは候補から外してもいい。あとは、揺れの影響、コンテナが落ちるかも、と思ったら、上の方には置かないはず。……重心近く、低いところにある可能性が高い……ってことか」


 ミカは周囲を見渡して自分の位置を確認した。


「私が今いるのは船首近く。嗣道は船橋に向かったのかな……?」


 その時、嗣道はコンテナの角を使って、何人もの戦闘員と撃ち合っていた。

 動き出しも遅く、素人丸出しの戦闘員ばかりでこのまま押し切れるか、と嗣道は思ったが、一人の男が現れてから敵の動きが変わった。


「はははっ! 学芸員とかいうらしいが、最初はどんな警察ごっこ野郎かと思ったぞ! それがどうしてこんなに楽しいんだ!?」


 男は楽しそうに嗣道に話しかけながら銃を撃つ。

 ちらりと物陰から見えた姿はほかの戦闘員と違い、しっかりとした装備を身にまとったうえで、それらを使いこなすだけの経験があるようだった。


「黙れ戦闘狂!」


 嗣道は言い返しつつ、苦し紛れに何発か放つ。


「いいなぁっ! 昔を思い出すぜ! ……おいてめぇら! 突っ立って銃撃つだけじゃなくて頭を働かせろ! 相手はひとりだ。まわりこむんだよぉ!」

「了解です、隊長! 行くぞ!」

「お、おお!」


 隊長と呼ばれた男は指揮も取れるらしく、素人丸出しの兵隊を、使える駒として動かしている。

 ある程度の武装は予想できたが、これほどまでとは思っていなかった。


「ミカ、無事でいてくれ……」


 コンテナ船の船橋はさながら戦時中の作戦指令室のようになっていた。


「状況はどうですか」


 船橋に上がった尾久は、そこで指揮を執っていた秘書に尋ねた。


「議員! ヘリで上空から侵入した学芸員は甲板に降り立ち、現在、警備兵と戦闘中です。当初は混乱しましたが、あの傭兵が警備兵をまとめ、現在徐々に甲板中央へと押し込んでいます。時期に始末できるかと」


 尾久は表情のない顔で頷いた。


「そうですか。……それでは私も甲板に降りましょう」


 そういって尾久は踵を返して船橋を出ようとする。


「危険です。おやめください」


 秘書はその行き先を塞いで言った。

 尾久は自身を心配した秘書ににこりともせずにいう。


「私を追い詰めた者の顔を見ておきたいのです」


 その答えを聞き、ため息を一つつき、秘書は身を引いた。


「……かしこまりました。議員のおっしゃる通りにいたします。……議員が甲板に降りられる! 武装しているスタッフは議員をお守りしろ!」


 即座に船橋の外にいた警備兵が現れ、警備兵四人で尾久を囲む。


「し、針路はこのままでよろしいのですか」


 船橋を立ち去る尾久に船長が尋ねた。


「船長、針路に変更はありません。……この船が進んでいる限りは指定の進路で進んでください」


 尾久は最後にそれだけ言うと、船橋を後にした。



 隊長と呼ばれた男は久しぶりに血の滾りを感じていた。

 戦争に感じた、生きているという実感。

 銃声が心音となり、止まっていた血流が再び動き出したような感覚だった。

 一発ごとに気持ちが高ぶり、それに反比例して冷静に戦場が見えるようになる。


「いいかっ! 侵入者は二人だ! もう一人はこそこそ隠れてるんだろう! よく探せ!」


 昔の戦場に比べれば猟犬と案山子ほども違うできの悪い兵隊たちだが、指示には従う。二人組の侵入者を始末するぐらいならいいハンデだとも思った。


「やあ、隊長さん。状況はどうですか」


 そこに現れたのは、尾久だった。


「これはこれは、議員。今、侵入者のうちの一人を二つ先のコンテナに釘付けにして、もう一人の侵入者を探しているところです」

「なるほど。……それでこれからどうするのです?」


 尾久にそう問われ、男は少し考える。

 戦いは楽しいが終わり方は考えなければいけない。


「議員、これは私の考えですがね、こういうのはどうでしょう? 侵入者の方が浮世絵を偽造して議員を陥れようとしていていて、それに気づいた議員が俺たちを使って船を制圧したって筋書きです」


 無理やりの筋書きにも思えたが、男は尾久がそういう無理筋でもメディアを黙らせ事実にしてきたのを傍で見ていた。

 今回もそれができるだろうとみているのだ。

 尾久は少し考えてから、頷いた。


「なるほど、それは素晴らしいアイディアですね」

 

 本当にそう思っているのだ、と見てわかるような笑顔を浮かべ、尾久は言う。


「学芸員を捕らえられますか? 少し話もしてみたいので、生け捕りに」


 男は心底楽しそうに笑った。


「はははッ。お任せください、議員」


 そういうと、男は即座に周りの兵隊に向き直り、声を張った。


「よし、お前ら! 甲板中央にうまく追い込め! 挟みこんでるんだ! 同士討ちに注意しろ!」

「了解!!」


 嗣道は二方向からの攻撃に晒されていた。


「クッ……」


 片方に撃ち掛け、もう一方にも意識を配る。

 居場所を知られ、さらに釘付けにされていることに小さな焦りを覚えていた。

 両側からの攻撃は激しく、集中して対処する。

 だが、それは同時に全方位への意識が偏ることにもなった。


「よぉ、苦戦しているようだなぁ……?」


 死角から声が掛かり、嗣道はとっさにライフルを構えつつ振り返った。

 照準器を通して、黒一色の装備に身を包んだ男が見える。

 嗣道は反射的に引き金を引こうとするが、次の瞬間にライフルの銃口は上へと跳ね上げられた。

 嗣道は今度は照準器を通さず、自分の眼で目の前に立つ男を見た。にやりと笑いながら立つ男は、「隊長」と警備兵から呼ばれていた男だった。

 ライフルの銃身よりも短い距離で向き合う二人。


「……チィっ!!」


 男に腕で銃口を払われたと気付いた嗣道は、払われたそのままの姿勢で、ライフルを鈍器として構え、反射的に男へ体当たりをした。

 男は抜き身のナイフでライフルを受け止め、体当たりをも止める。

 体格の勝る嗣道の体当たりにも、男はピクリとも動かない。


「ほうッ……!? 思い切りがいいねぇ! 戦後に悪さを覚えたチンピラの出身じゃないなぁ。……あんた、前線にいた口だな?」


 嗣道の動きを見て、男はそう言った。


「そうだとしたら?」


 嗣道は無表情に返した。


「おいおい、あの前線にいた仲間なら、どこにいたのか気になるだろうよ」

「残念だが、お前のような知り合いはいない」


 まるで、鍔迫り合いをするかのように、それぞれの得物を封じながら、二人は言葉を交わす。


「あんた、国内組じゃないよなぁ? 得物は7.62mmのセミオートライフル。ハンドガンには45口径。お行儀の良い自衛隊型の錬成じゃない。……ああ、そうか戦中の米国訓練組か?」


 嗣道は口を噤んだ。


「ははっ、正解を教えてくれよー?」

「断る」


 男はそこでにやりと笑った。


「残念、もう断れないんだなー、これが」

「なに?」

「周りを見てごらんよ」


 嗣道は男に言われ、ちらりを周囲を確認する。

 先ほどまで間断なく聞こえた銃声が止んでいて、先ほどはちらりとしか見えなかった警備兵たちの姿がはっきりと見えた。


「くそっ」


 警備兵たちは銃を構え、嗣道をぐるりと囲んでいる。


「さ、銃を下ろすんだ、学芸員」


 嗣道は、銃を下ろさざるを得なかった。


「よしよし、言うことを聞いてえらいぞ。それじゃあ、さっきの質問にも答えてくれるかな?」

「………第477特科連隊第1大隊A中隊」

「おいおい、≪ゲームチェンジャー≫かよ。これは大物が出たな」


 男は純粋に驚いているようだった。


「そんな大物を捕まえられるとは、嬉しいねぇ。……おい、お前たち、丁重にお連れしろ」

「どこに連れていくつもりだ」

「雇い主があんたのことをお呼びなんでね」


 その時、ミカは陰に潜みながら、船の中央に向かって進んだ。


「侵入者はもう一人いるはずだ! 探せ!」

「船首の方に走ったのは見ている奴がいる!」


 周囲で自分を探している声が聞こえる。

 敵が大勢いる中に潜入するのは、慣れていても、心拍数が上がるのを抑えられない。

 ミカは銃声が止んだことに気付いていた。

 それは、嗣道が戦闘継続できない状況に追いやられたのだということを明確にミカに示していた。


「……嗣道………」


 ミカは恐怖にも似た緊張をこらえて、一歩一歩、進んでいく。

 角から小さく顔を出し、辺りを見回し、一つ分、コンテナを進む。

 目当ては船体中央付近のコンテナだ。

 慎重に進んでいると、だんだんと、周りに積まれているコンテナの高さが低くなっていることにミカは気付いた。


「……どうしてだろう?」


 実際には、これはミカたちが村崎を追い詰めた成果だった。本来村崎が出荷する予定だったコンテナの積み込まれる場所が空いているのだ。

 そんなことをミカは知らず、図らずも、すり鉢状に開かれたコンテナが一段だけ積まれたエリアに入り込んだ。

 周囲のコンテナが低いうなりを上げている。

 周囲のコンテナすべてが通電して、空調装置を動かしている証拠だ。

 ミカは辺りを見渡し、そのコンテナのうちの一つに手を掛けた。

 そして。


「そこまでだ」


 まばゆい光の中でミカの目の前からコンテナが消えた。

 船橋にある数キロ先まで光を飛ばすという強力な探照灯が、ミカを照らしたのだ。


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