第26話 遺すべきもの①
「……ッ!」
ミカは白く染められた視界の中、銃を構え、しかし、明るすぎる照明ににたまらず、その場にしゃがみこんだ。
視界が奪われ、揺れる船上で、平衡感覚を失ったのだ。
それでも、ミカは、片手で上体を支え、銃を片手で持ち、構え続ける。
「へぇ……。それでも戦意を失わないなんて、関心関心」
だが、そんな声が聞こえたかと思ったときには、手に握った銃を蹴り飛ばされていた。
「痛っ……!」
近くに寄ってきていた男の影によって、明かりが少しだけ遮られ、ミカは男の影を見た。
「こんなに小さな子に銃を持たせるとは感心しないねぇ。学芸員さん?」
「その子には手を出すな!!」
嗣道の悲痛さを感じさせる声だった。
「安心しろよ。学芸員さん。まだ、な」
「ふむ。よくやりました」
「お褒めにあずかり光栄です、議員」
次第に目が慣れて、周囲の様子が見えるようになる。
ミカに声をかけた嗣道は、武器は取り上げられていないが、銃をもった男たちに囲われており、危機的状況にあった。
そして、探照灯を背にして、コンテナの上二人の人影があった。
二人とも探照灯からの光が逆光となり顔は見えないが、その声を聴いてミカは誰なのか、わかった。
「尾久、典司……!」
「そうです。鹿嶋ミカさん。以前、龍ヶ崎氏の屋敷で会いましたね」
「覚えていたの……!?」
「ええ、もちろん。これだけが、私の取り得ですから」
そう、にこりともしない無表情で尾久が答えた。
「なぜ、こんなことをしたの!?」
「はて、まだあなた方は何も見つけていないはずですが……?」
ミカの言葉に尾久は首を傾げた。
「証拠はある! 戦前の記録と、今流通しているものを比べた! 今流通されているものは全部改変されている!」
「それは、戦前の記録とやらが、間違っているのですよ。戦前の記録をすり替えるなど、今の時代のハッキング技術なら、簡単なこと。あなた方が見つけたものが正しいのです」
手練れの議員らしく、のらりくらりと証言を交わす尾久。
ミカは攻めあぐねた。
「ならなぜ、村崎に、人を拉致させて作らせたの!?」
「ふむ、その村崎、という人物を私は知らないのですが。まぁ、私の生まれた街が描かれている浮世絵ということで、売れると思って作る人もいるのではないでしょうか? 私は、マスコミにも人気な議員ですからね」
「そんな戯言をっ!!」
ミカが声を荒げる。
「あなた方は、今世間で話題の私を陥れようと、こんなにも大それた偽造をして、あの浮世絵が偽物だったということにしたいようだ。だが、私たちは、ここにいる仲間たちを連れて、そんな悪事を働くあなた方を見つけ、この船に駆け付けた! そして、正義を執行し、あなた方は破れ、ここに躯を晒すこととなる」
「そんなのは嘘だ!」
ミカは叫び、尾久を否定する。
そして、尾久は。
「……そう、嘘です」
自分の嘘を、何でもないことかのように認めた。
ミカは、雰囲気の変わった尾久の言葉を待つ。
「これはすべて私が今作ったシナリオ。あなた方にはこのシナリオに従ってもらうために、いったん集まってもらいました。そして、これからあなた方には頑張って抵抗していただき、ここに銃撃戦の痕跡を作り、そして、死んでいただきます」
「………!」
「ただ、これではあまりにあなた方にとって、申し訳ない。そう、私は思うのです。……だから、一つゲームをしましょう」
これには、隊長と呼ばれる男も驚いたのか、尾久を振り返った。
「ところで、この船で、あなたは浮世絵をもう見つけましたか?」
ミカは口を噤んだ。
ミカはまだ証拠となる浮世絵を見つけられていなかった。
「おや、その様子ではまだ見つけていないようですね。今、あなたの後ろ。そこにある4つのコンテナの中に、浮世絵が収められています。私は先ほどあなたに言いました。戦前の記録。それは正しいのか、と。その疑惑に応えるには、何が必要でしょうか」
「……戦前の記録と同じように描かれた、本物」
ミカは絞り出すようにそういった。
それだけは、現在まだ見つかっていない。
「答えていただき、ありがとうございます。そう、まさしく、あなたの言う通り。ホンモノがなければ、証拠にはなりません。だが、あなた方は、それを見つけられていない」
「………まさか」
「なぜ見つけられていないのでしょうか? それは、あなた方の手の届かないところにあるからです」
ミカは思わず自分の後ろを振り返った。
「まさか、この中に………」
「そう、そのまさかです。コンテナの中に収められた作品の中に一つだけ。あなたの探し求めているホンモノがあります。どうぞそれを探し出してください。そして、それを見つけられた暁には」
尾久はミカをまっすぐと見つめた。
「私はすべての罪を認め、あなた方に下りましょう」
ミカは何かを言わねばならないと思った。
何か、ただ自分の私利私欲のために歴史を捻じ曲げようとする、それだけではないと、ミカは感じた。
しかし、声を上げる前に尾久が周囲に指示を出した。
「それではゲームを始めましょう。学芸員の彼を解放してあげなさい。我々は一度、下がります。一分だけ待ちます。時間を過ぎたらゲームスタートです」
その声を受けて、兵隊たちの隊長がぼやきつつ、嗣道の拘束を外す。
「……まったく、今度の雇い主は酔狂なこって。まあ、俺はこういうの大好きなんだけどね」
解放された嗣道はとっさに銃を構えて隊長の撃とうとしたが、それを見越していたのか、隊長はミカを拳銃で狙っていた。
「おお、怖い怖い。いったん離れるから待ちなって」
そしてミカに銃を向けたまま、隊長はコンテナの影に消えていった。
同時に周囲を照らしていた探照灯も消される。
辺りに闇が戻り、東京湾を進む波音だけが聞こえた。
嗣道は脅威が去ったことを確認し、銃を下ろしてミカに駆け寄った。
「……ミカ!」
嗣道の心配そうな顔がミカに近づく。
「ごめん、嗣道。もっとうまく探せてたらよかったのに……」
「怪我はしていないか?」
「うん、大丈夫」
目が眩んでいたのも落ち着き、ミカは再び立ち上がった。
「嗣道、これからどうしよう」
「奴らのゲームに単純に乗るわけにもいかない」
嗣道は険しい顔で言った。
「時間もない」
「うん」
「だが、我々にとって一つだけ希望がある」
ミカは嗣道の言葉に頷いた。
「ここにホンモノがあるってことだね」
嗣道は肯定する。
「もし嘘だったらと、今そんなことを考える必要はない。……ホンモノは、ある」
「だけど、調べるには時間が足りないよ。敵を倒しながらなんて」
ミカは自身がなかった。思わず、消極的な言葉は口をついて出る。
「大丈夫だ」
だが、嗣道は全く同様も焦りもしていない声で、大丈夫だといった。
「嗣道?」
「俺が必ず奴らを抑える」
そういって、嗣道はミカへ手を伸ばす。
「嗣道!?」
そして、伸ばされた手は、ミカの頭を優しく撫でた。
「奴らは大きな失敗をした。ミカにけがをさせず、俺と一緒にして、猶予を与えた。奴らにとって致命的な失敗だ」
嗣道はミカの頭を撫でながら笑ったように言う。
「……ミカならできる。戦いは意識するな。資料との対話だけに集中しろ」
ミカは撫でられながら、過去を思い出していた。
輝くメイの笑顔。
『ミカちゃんの拾うものは、夢があるよね!』
単なる技術的価値でも、歴史的価値でもなく。
人の想いにあふれるものを見通す力。
魔法でも、技術でもない、外から見れば不確かなもの。
「嗣道……。私、やってみる」
「ああ。それでこそ、俺の最高の相棒だ」
ミカは強い意志を込めて嗣道を見上げた。
「背中は任せたよ、嗣道!」
「ああ! 一番良いものを探せ!」
周囲に足音が聞こえる。
一分経ったのだ。
「まずは手短なコンテナからだ! コンテナシールを切れ!」
「おっけー!!」
足音は急速に迫り、コンテナの影から銃を構えた男たちが現れる。
「まずは……2!!」
それを冷静に嗣道は撃ち抜く。
兵隊たちの持つ小口径のライフルよりも大きい銃声が辺りに響き、自動的に飛び出してきた薬莢が甲板に跳ねて甲高い音を立てる。
「3、4。……次はこっちか!?」
嗣道は四方八方からの敵に一人で対応していた。
(お願い、すぐに開いて……っ!)
ミカはその間に一つ目のコンテナの封印を解除した。
そして、コンテナの中に入る。
(……! こんなにたくさん!!)
コンテナの中には所狭しと作品が並んでいた。
ミカは目につくところから梱包を解く。
(どれも同じに見えちゃう……!)
一つ、二つと開梱し終え、暖簾の部分を見る。
贋作だった。
周囲を見渡せば、まだまだ作品は山積みだ。
ミカにはそのどれもが同じに見えた。
たまらずに、叫ぶ。
「どうしよう嗣道! 沢山あるよ……ッ!」
嗣道は銃声の最中にミカの声を聞き、それでも信頼の言葉を返した。
「ミカならできる!」
「でも、どれも同じに見えるの……!」
嗣道は笑っていた。
「ははははは!! なんだそんなことか! それはな、ミカ!! 同じなんだよ! 安心しろ!! お前の目の良さは俺が保証する!!」
嗣道はコンテナの中のミカに声をかけた。
「次のコンテナに行くぞ! 急げ! ムーブ、ムーブ、ムーブ!!」
嗣道にカバーされながら、ミカは次のコンテナに着いた。
「丁寧に開ける必要なんてない! 貸してみろ!」
ミカはコンテナの封印を工具で外そうとしたが、嗣道はその作業を止めさせて、ライフルで封印を撃つ。
堪らずコンテナの封印が弾け飛び、宙を舞う。
「ミカ、作品を見るのに集中するんだ。それ以外のことはすべて任せろ!」
「うん……!」
ミカは嗣道に向かって一つ頷くと、二つ目のコンテナの中に入っていった。
嗣道はその背を見送り、また近づいてくる足音に対処するべく銃を構えた。
「とはいえ、残弾倉はあと二つ……」
ミカには心配させまいと、嗣道は黙っていたが、残りの弾が心もとなくなってきていた。
しかし、攻撃の手を緩めるわけにはいかない。
「7.62mmでは携行段数が問題だ、な!! 5ォ!」
背後からの足音に反応し、後ろに回っていた敵の兵隊を振り向きざまに撃ち抜く。
そうして対応しているうちに、足音の聞こえる位置が近づいてくる。
ミカと嗣道は囲まれ、その包囲網は徐々に絞られてきているのだ。
(木箱の香り……、色……、模様……、違う、この箱じゃない)
ミカは自分の直感に従っていた。
額装、ちらりと見えた色合い、果てには、箱の外からも。
感覚が研ぎ澄まされ、いつもよりも明確に作品の息吹を感じられた。
(……もっと、たぶんもっと大切な……)
ミカはその類稀なる眼を通し、作品を見定める。
明かりは手元の懐中電灯だけ。
暗闇に沈んだコンテナ内に、ミカの双眸が光った。
(……ここじゃない。次のコンテナに行かなきゃ……!)
ミカは振り返り、開けたままのコンテナの入り口を見た。
「つぐみっ……!」
そして、相棒の名を呼ぼうとして、言いきれなかった。
肩を血に染めた嗣道がコンテナ内に転がり込んできたからだ。
「くそォっ!」
嗣道はさっきまで構えていたライフルは使わずに、倒れこみながら腰のホルスターから抜いたハンドガンを胸の前で固定して苦し紛れに撃つ。
コンテナ内に何度か轟音が響くと、敵の兵隊の一人が倒れる。
「ぐっ……!」
同時に嗣道もコンテナの床に倒れこみ、痛みに呻く声を上げた。
だが、ミカは嗣道を助けに行くことができなかった。
嗣道の体越しに、コンテナの入り口から二人を狙う銃口がいくつも見えたからだ。
「あっ………」
一瞬の時間が、長く感じられた。
耳元には自身のすぐそばを通った銃弾の甲高い音を感じた。ミカの髪を巻き込み、焦がす。
ミカの研ぎ澄まされた目は自身の周りを弾が通り過ぎる様子を克明にとらえていた。
自分の体を貫くのは、次の弾丸だろうか。
しかし、銃弾がミカをとらえるよりも早く、コンテナの外でにわかに突風が吹き、銃弾の雨が男たちを襲った。
曳光弾が、男たちを甲板に縫い付けるのがよく見えた。
そして一瞬後から聞こえる、途切れることのない、連続音。
「望月さん!!!」
思わずミカはコンテナから無警戒に顔を出した。それほど、甲板の一角はきれいに『掃除』されていた。
見上げれば、そこにはヘリの側面に取り付けられた機関銃を操る望月の姿。
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