第二章

第10話 収蔵庫では思わぬものが見つかる

「やっとできた……」


 龍ヶ崎邸から帰ってからもすぐに事態が動くことはなかった。

 嗣道とミカは今手分けをして調査を進めている。

 嗣道は、龍ヶ崎の秘書から得られたリストを使って現場から逃げた三人組を追っており、ミカは三日かけて龍ヶ崎邸に新たに追加されたコレクションを特定し、その流れを追っていた。


「あれだけ堂々と見せるってことは、自信があったんだね……」


 手元に置いたコーヒーのボトル缶は本日三本目を数えているが、ミカの表情からは効率が上がっているようには見えない。

 実際、ミカは手がかりらしいものを見つけられていなかった。


「絶対怪しいのに、何を調べても真っ白」


 まずミカが怪しいと思ったのは、大きな壺だった。

 金持ちが好きそうな、派手な絵付けをされた壺。

 この壺はある美術館が閉館されることになり、市役所が競売にかけ、龍ヶ崎が競り落とした壺だった。落札価格も不当とは思えない額で、市役所側の予定した落札予想価格の三倍の値段をつけている。他の入札者をひきつけない圧倒的な買い方だった。

 壺本来の価値は、来歴などを確認すると、龍ヶ崎のつけた値段が正しいように思われた。そもそもの落札予想価格が正しくなかったのだ。

 実際、美術や文化財への興味が薄れたこの時代において、正しい価格設定をするのはとても難しい。あまり高い値段をつければ売れるものも売れなくなる可能性すらある。

 美術商の中にはその現状を逆手にとって、公的機関から安く入手し、まだ資産と生活に余裕のある金持ちに高値で売ることで大きく儲けている者もいるほどだ。

 文化財の扱いが全世界的に低下して、一部の金持ちだけが鑑賞する。そんな二極化した現代だからこそ可能となった商売だ。

 そう考えると、予定価格などを気にせず、龍ヶ崎は自身の考える適正な価格で買おうとしており、その姿だけを見れば『善良な』美術品コレクターといえそうだった。

 これまで捜査機関に尻尾をつかませなかったことから難しい調査だとは思ったが、ここまできれいに整えられていると、やる気もそがれている。


「どうだ、ミカ。進んだか?」

「全然ダメ。尻尾の一つもないよ。絶対怪しいのに」

「……そうか」

「嗣道はどう? 逃げた三人組は見つかった?」

「まったくだ。進展はない。……ミカ、コレクションの調査がひと段落したら宮前の仕事を手伝いに行ったらどうだ? 気分転換にもなる」


 そういわれると、ミカも気分転換に違う仕事がしたくなった。


「でも、調査はいいの?」

「一度、全部の品を洗ったんだろう? 今のところ怪しくないなら、切り口の変更が必要だ。それには少し気分転換をしたほうがいい。今のところ怪しいところがないのなら、急ぐ必要はない」

「……わかった。そうだね、宮姉ぇのところに行ってくる。って、嗣道はどうなの? 嗣道も宮姉ぇに呼ばれてたよね?」


 その言葉に嗣道は、ばつの悪そうな顔をして、そそくさと机から離れながらミカに言う。


「俺は入間で行われる航空祭で動態展示する航空機の準備もしなければいけない。新しくうちで受け取る機体もあるしな」

「えっ、嗣道の捜査はいいの?」

「ああ。こっちの話も急ぎだ。……まったく、忙しいときに仕事が重なる」


 珍しく嗣道がぼやくが、それは同時に宮前の依頼はミカ一人で行くことを指していた。


「では、ミカ、頼んだぞ」

「ええーっ! それ逃げてるだけじゃないのー!?」


 言葉少なにしていても、嗣道と長い付き合いのミカは嗣道の言いたいことがよく分かった。

 めんどくさいことから逃げようとしているその背中にミカは文句を言ったが、文句ばかり言っていても埒も空かず、ミカは席を立ち、コーヒー缶一気飲みで処理して片付けると、宮前が作業をしている収蔵庫に向かうことにした。


 宮前がいるであろう収蔵庫は事務所からは少し離れており、ミカは一度建物を出た。

 今日もよく晴れている博物館上空にはヘリコプターの羽音が響いている。

 ミカが見上げると、何機ものヘリが編隊を組んで飛んでいた。


(嗣道が航空祭も近いって言ってたっけ)


 航空祭の中身は戦前の市民も楽しい航空ショーから大きく変化しており、去年までは他国を威圧する軍事パレードの側面だけが強化されていた。

 ただ今年は地球博物館にも声が掛かり、動態保存された昔の機体の飛行展示や、地球博物館に収蔵される予定の機体のラストフライトも予定されるなど、軍事優先の戦中体制も少しずつ変化しようとしているのだった。


 そんなことを思いながら、ミカは日本美術を扱う棟に入り、そのまま展示室の死角にある扉からバックヤードへと入った。

 そうして進んだ先、展示室とはうって変わり、照明もまばらで薄暗い収蔵庫の中をさらに進んでいく。


「宮姉ぇ、どこにいるのー?」

「ここだよー。ミカちゃん! 手伝いに来てくれたの?」

「うん。……って、宮姉大変だね……」


 宮前は自分の作った企画展用の眼玉となる作品が来日できなくなったため、急遽計画を変更する必要に駆られており、今は収蔵庫の床にこれまでかき集めていた資料を広げてその中心に胡坐をかいて座り込み、頭をひねっているところだった。


「あははは……。やっぱりね、一回計画リセットしなきゃかなって。でも広報しちゃった内容だから、あんまり変えられないし。どうにか同じ作者の別の作品を手配できたからそれを中心に据えて、何とか嘘にはならなくなったんだけど、これだけじゃ面白くないし……」


 ゆるふわな雰囲気ながら、展示の話となると早口で喋る宮前。

 ミカは宮前が困っているということだけは理解した。


「何か手伝えそう?」

「あっと、そうだよね。えーっと、それじゃあこれ、この作品を見つけてきてもらえるかな?」


 宮前はミカに一枚の資料を差し出した。

 それは地球博物館のデータベースから印刷した資料の情報だった。


「りょーかい」

「あとは……、なんか、この企画展で使えそうな収蔵品があったら持ってきて! ミカちゃん、探すの上手だから!」


 宮前がノープランでそんなことを言ってきた。

 ミカはそれに驚いた。


「ええ? 選んでもいいの?」

「いいのいいの! だって目玉も来なくなっちゃったし、ミカちゃんなら良さそうなの選べるよきっと!」 


 んじゃ、任せた! というと、宮前は再び床に広げた資料と向き合い始めた。その姿は真剣そのものだ。


「……、こうやって集中しているの、普段からじゃ想像できないよね……。さ、私も探しに行こう」


 薄暗く、広大な収蔵庫の中を壁際のガイドを頼りに進む。

 広大とはいっても大小さまざまな収蔵品が所狭しと収められた収蔵庫の中はどこも隙間なく埋まっており、まるで宝探しのよう。


(ちゃんと見つけられるかなぁ……? 私にならできるって宮姉は簡単に言うけど……。まぁ、そういう才能を見て嗣道はスカウトしてくれたんだけど、さ)


 そんなことを思いつつも、収蔵庫の中を探索するのがミカは好きだ。

 収蔵品を壊す恐れからスキップはしないが、ミカの内心はウキウキだ。

 子供のころは山のようなガラクタの中から興味のあるものをいろいろと探してきては自分の寝床に貯めたものだ。

 とはいえ今回は企画展に使う資料探しということで責任は重大。

 いつもの宝探し感覚から一つ意識を引き締めて進む。


「日本美術関係だと……。このあたりだったかな」


 収蔵庫の中は収蔵品ごとに定められた温湿度により細かく区切られている。

 ミカが訪れたのは、和紙が一番長期間安定して保管できる収蔵庫だ。

 宮前から取ってくるようにミカが指示された展示物は浮世絵だったのだ。


「最近なんだか浮世絵と縁があるよね……。さて、どこにあるかなっと」


 収蔵庫内では資料が資料番号振られて整理されている。

 しかし、地球博物館になってから日も浅く、以前の博物館から引き継いだ資料の整理もまだ済んでいない。

 なので、思わぬところから思わぬ資料が現れることもあるのだ。


「おっ、今回はすぐ見つかった」


 ただ、今回は宮前が以前から目を付けていた作品らしく、整理済みの棚からすぐに見つけることができた。

 取り出したのは、動物の描かれた浮世絵だ。躍動感のある鷹が描かれている。

 まるで獲物を狙う姿を望遠レンズでとらえたかのような構図はとても斬新だ。


「あれっ?」


 ミカはそんな指定された作品を取り出したが、それ以上に隣に置かれた作品に興味を持った。


「これ、龍ヶ崎の家で見た浮世絵だ」


 細かく描きこまれた江戸の町の風景。

 龍ヶ崎の家で見た浮世絵と同じ作品だ。ミカは地球博物館にも収蔵していたはずだと覚えてはいたが、思わぬところに置かれていた。

 先に取り出した浮世絵を安全なところに下ろしてから、再びミカはその江戸の町を描いた作品に向き直った。


(この間見たばっかりだけど、なんだか変な感じがする……)


 薄暗い収蔵庫の中では何に違和感を覚えているのかわからない。ミカはその作品を棚から取り出した。

 そして、収蔵庫の端に設置されている机へ作品を移動させ、机の照明をつけた。


「これって……」


 すると、作品保護のための低照度の室内灯ではわからなかった詳細な様子がわかってきた。


「これ、色が違う……」


 ミカはすぐに宮前へ内線をかけた。


「宮姉ぇ、ちょっと来て」

『どったのー? すぐ行くね』


 内線の受話器を戻し、しばらくすると、ミカのいる収蔵庫に宮前がやってきた。


「宮姉ぇ、この間の浮世絵の色の記事見た?」


 宮前の姿を見て、ミカは一つ確認をする。


「見た見た! すごいよね、AIで再現された色を見たら、また作品の見方が変わったよ! だからこの間展示している劣化前を再現した模型の色合いをさっそく変更したんだよ! 結構予算使って課長から怒られたんだけどっ」


 どうやら宮前もあの記事は見ていたらしいことを知り、ミカは本題を切り出した。


「それじゃあ、この作品見てくれない?」

「ああ、この作家の初期の作品だね。この作品は、どうやら依頼されて描いたものじゃなくて、自分で描きたいと思って描いた作品らしいよ。そんで、あんまり売れなかったみたいなんだよね。本人日記にも書いちゃってるから、結構落ち込んだんだろうねぇ……」

「ねぇねぇ、宮姉ぇ。これって、本物なんだよね?」


 そういわれた宮前はきょとんとした顔で答えた。


「そうだよ。これは地球博物館になってから収蔵した子で、その手続きしたのも最近だしね。受け入れした時に来歴も確認したよー。保存状態が良くってびっくりしたから、よく覚えてる」

「そしたら、この色を見て」


 ミカは、宮前にもよく見えるように作品の正面を譲り、照明を近づけた。


「あれっ……? 保存状態がいいからかと思ったけど、これって……」


 すると、そこに浮かびかがったのは、記事が書かれる前に通説とされていた色だった。


「うん、たぶんAIが分析した色が使われているはずのところだけど」


 宮前ははっとした表情をした。


「ちょっと待って、カラーチャート取ってくるから!」


 詳細に分析するには、カラーチャートを充てて、画像分析にかけたほうがいい。

 そう思ったのか、宮前は道具を一式もって戻ってきた。


「とってきた。ミカちゃん、カメラお願い」


 作品の隣にカラーチャートを置き、照明をあてて、一枚の画像に収める。


「うん、わかった」


 撮影したデータをすぐにPCに取り込み、分析にかける。


「やっぱり、色がおかしい」


 結果は、やはりその色は正しくない色だった。

 ミカが、最悪の想定を口にする。


「これ、もしかして、偽物なんじゃ……」

「そんなッ!」


 宮前は絶望の表情を浮かべた。

 書類仕事は苦手でも、あれほど作品に愛を注いでいる宮前が贋作をつかまされたのだ。その絶望はどれほどだろうか。


「ごめん、宮姉ぇ、嗣道呼ぶね……」


 文化財緊急保護チームの仕事には、館内での事件の捜査も含まれている。

 ミカはこれを事件だと判断せざるを得なかった。



 ミカに呼ばれた嗣道はすぐに収蔵庫に現れた。


「ごめん、嗣ちゃん、私のせいで」


 真贋を間違ったと泣く宮前。


「いきなりどうした」

「嗣道、この画像を見て」

「この間AIの分析で色が違うと話になっていたな」


 嗣道もよく情報を集めているだけあって、事情はすぐに分かった。


「そう。それでね、うちに収蔵しているこの作品……」


 皆まで言わずとも、嗣道も違和感がわかった。


「確かに違うような気がするな」

「こっちにカラーチャートで分析した結果があるの」


 端末上に表示される色の分析結果は明確だった。


「違うな」


 その一言に、宮前がまた肩を震わせた。


「宮前がだまされた、ということか?」


 その一言に絶望の表情を浮かべた宮前の瞳から、一筋の涙がこぼれた。


「嗣道っ!」


 ミカに叱責されて、嗣道は頭を掻いた。


「すまん、宮前。そういう意味ではない。お前は自分が簡単にだまされると思うのか?」

「……嗣ちゃん」


 ちょっと不器用な言い回しだが、嗣道が言いたいことは宮前にも伝わったようだった。


「宮前の腕前と知識量はよく知っている。そんな宮前が騙された。これはずいぶんと精巧だし、たちが悪い、ということだ」

「これって、龍ヶ崎の言っていた浮世絵の贋作を売る商人のせいなのかな?」

「まだわからん」


 嗣道は言いながら立ち上がった。


「だが、急いで調べなければならない」

「そうだね」

「事務所に戻るぞ」


 事情はすぐに事務所に知れ渡った。

 周りの学芸員たちも集まって、宮前を慰める。


「しかし、なぜこんなことになったんだ?」

「精巧な贋作が出回っているとみるべきだ。これまでであれば、有名な美術品といえど、コレクター間の小さな市場にのっているもの以外は二束三文、またはゴミとして捨てられるような状況だった」


 嗣道は宮前の所属する部署のメンバーに推測を話した。

 聞いている皆が頷く。


「だからこそ、贋作を新しく作ることはないだろうと言われていたが、どうやら状況が変わっていってるようだ」


 それを聞きながら、宮前の部署の皆が贋作とわかった作品を前にして、様々な角度から分析していく。


「どうだ?」

「確かにこれじゃわからないですね」

「しかし、収蔵する前には身元のチェックがあるはずだ。なぜ紛れ込んだんだ?」

「今確かめてみたが、確かに実在する家からの寄贈になっているが、この家、寄贈に来た人物がすでに亡くなっているようだね……」


 そして、みんなで確認し、贋作であることは確かだが、なぜこんなものを作ったのか、という点で想像が行き詰まる。


「しかし、この作品には資料的価値はあっても、金になるようなものではないと思うんですが」

「そうですなぁ、これはこの作者の初期の作風で、あまり洗練されていない。本人の日記に記されているので、作風の変遷や、作者の意図を取るのに重要だから資料としては価値が高いという特徴はあるが……。もし金儲けをしようというなら、後期の作品を大量に作るほうが金になるでしょうな」

「版画ですからね、同じ構図のものがいくつもあってもそれほどおかしくはないので、質の良い贋作として出回っていることはあるでしょう」


 専門の学芸員も首をひねるしかない。


「どうだろう、皆の意見は」

「……贋作であることは確かでしょう。保存状態が良いように見せようと、旧来の定説の色で鮮やかに刷った。そこまでは分かります。それ以上は我々には」

「わかった。ありがとう」


 専門の学芸員たちを部署へ帰し、贋作の前にはミカと嗣道だけが残った。


「ここ最近は何かおかしいな」


 嗣道はひとりごちた。

 ミカも嗣道と同じ意見だ。

 専門の学芸員ですら真贋を誤ってしまうような贋作が出回っている。

 何の目的なのだろう?

 ミカは、とても気持ちの悪い感覚を覚えていた。

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