第12話 尾行①

 その店は下町の一角にある古びた文房具店だった。

 戦災の逃れたのか、生産終了になったような画材や、今は手に入らない商品が所狭しと並んでいる。

 博物館と同様に美術を生み出すことは金や資源の無駄だと思われる時代だからか、文房具業界も低迷しているものの、その分店舗数も減ったためか、この古びた文房具屋はいくらか繁盛しているようだった。


「連絡をしていた、地球博物館学芸員の守山です」

「同じく、学芸員補の鹿嶋です」


 カウンターから声をかけると、奥から年老いたぼさぼさ頭の店員が現れた。


「どうも、学芸員さんたち。えーっと、ああそうだ。あのインクを大量に買った人を知りたいって話だったね」

「知っている人物ですか?」


 ミカはカウンターに身を乗り出した。

 店員はその勢いに押されたが、知っていることを教えてくれた。


「お、おう。……いんや、あの話がニュースになってから来た人さ。まぁ、問い合わせだけならいくらかあったけど、実際にインクを買い込んでいったのはひとりだけだったのさ。まぁ、うちも流行に乗ろうとニュースのあと在庫を表に出したんだが捌けてくれてよかったんだけどね」

「その人物の風貌は?」


 今度尋ねたのは嗣道だ。

 店員はその言葉に少し記憶を探った。


「そうだね、男女のカップルなんだが……。風貌は、なんといえばいいか、美大生風だったよ。ほそっこい男でね。あんまり金のあるような感じじゃなかったのに、今時珍しい一括現金払いで買っていったのさ。女のほうが今風の美人だったから、いい所見せたかったのか、とも思ったが。な、怪しいだろう?」


 そこで一呼吸おいて、店員は嗣道をまっすぐみて告げた。

 その顔は少し悪戯をしようという人間の顔だ。


「それでね、実はその男。今日来るかもしれないんだよ」

「それはホント!?」


 ミカは驚いた。あれだけ探していた手がかりが今日これほど進展するとは思わなかったのだ。


「そうだよ。実は一昨日に連絡が来てね、またあのインクが欲しいから取り寄せてくれって言われたのさ。前に買った量だって、何日かでなくなる量じゃないのにね」

「それを受け取るのが今日?」


 店員は時計を見た。


「そうさね。あと10分ぐらいかね。学芸員さんの仕事の役に立ちそうかい?」


 嗣道は頷いた。


「貴重な情報だった。それで、店内で待たせてもらっても?」

「ええ、どうぞ。ご自由に。まぁ、商品の一つも買ってもらえたらうれしいけどね」


 悪戯が成功した子供のような顔で店員は言った。


「それは検討させてもらいましょう。それでは我々のことは内密に」

「任されましょう。私も演技力には定評があるのでね」


 予定通り、きっかり10分後、店内にほっそりとした男と美人の女が現れた。

 ミカと嗣道は棚を二つ挟んだところから男の様子を探る。

 男も警戒しているようで、周囲をしきりに見回していた。

 対して、女の方は男にべったりとくっつき、しなだれかかっている。

 仲の良いカップル、と見えるかもしれないが、明らかに『なにかがある』カップルだと一目で思うほどだ。

 ミカはその様子を棚の隙間から見て、眉を顰めた。


「あからさまに怪しいね。あれじゃあ万引きと思われて声かけられてもおかしくないよ……。嗣道、やっぱり、あの学生風の男が怪しいと思う?」

「ミカはどう思う?」


 ミカは首をひねる。


「確かに色を作る材料はばっちり合ってるけど、なんだか、あれを作る理由があるようには思えないんだよね。あの怪しさは、悪いことを手馴れている人間には思えない。なんていうんだろう、……あの女の人に騙されてる感じ?」

「そうも見えるな。だが、基本的に贋作は高く売れるものを選んで作るものだ。美大生なら結構金に困っているのかもしれないぞ。女も男もグルかもしれない」

「うーん、そうだね」


 男は周囲の確認に満足したのか、レジに向かい、予約していたインクを購入した。

 やはり支払いは、現金払いだった。


「よし、購入は確認できたな」


 男は商品を受け取ると、そそくさと店外へと出た。


「後をつけよう!」


 ミカは嗣道を急かし、文房具屋を出た。

 前方を歩く男女の二人組が見える。

 男が片腕に紙袋を持ち、別の方には女がしなだれかかっている。

 二人の会話は聞こえないが、なんだか親密そうにも見える。

 それを見てミカはさっと嗣道の腕をとり、まるで恋人同士のように組んだ。


「ねーねー、やっぱりあれ買ってよー。ねー、いいでしょう?」


 ミカが猫なで声で嗣道に言った。

 嗣道は一瞬ぎょっとした表情を浮かべたが、そういう演技だと理解した。確かにポケットに手を突っ込んで大男と少女が並んでカップルを追いかけるのは不審だ。

 嗣道も即興でミカの演技に付き合う。


「この間も似たような奴買っただろう?」

「えーっ。ひっどーい。芸術にはー、道具も大切なんだよー?」


 ミカと嗣道はカップルを装って、ある程度の距離から男をつけて歩いた。


「……駅、には向かわないね」


 ミカが一瞬だけ真顔になり、嗣道に小声で尋ねる。


「ああ。繁華街から離れて行っている。……しかし、カップルを装うのは無理がないか?」


 ミカの見立てには嗣道も賛成だった。だが、演技を続けるうちに嗣道には行先よりもその役柄が気になった。


「ダメだったかな? あの女の人、真似てみたんだけど。結構いけてない?」


 ミカはきょとんとして、嗣道を見上げた。


「俺たちの年の差は今でもほぼ倍あるんだぞ。ちょっと無理がある気がするがね」


 その顔を極力見ないようにして、嗣道はため息交じりに言うのだった。


「まぁ、嗣道は若い女の子に鼻の下を伸ばしちゃうおじさん、ということで……」

「嫌な設定だな。……ん? ……ミカ、合図したら右の道に入るぞ」


 ミカの言葉にげんなりとした反応をした嗣道だったが、何かに気付いたのか、鋭い声でミカに言った。


「えっ? わかったけど……」

「よし、今だ」


 極力不自然にならないように、ミカと嗣道は脇道へ逸れた。

 そして、嗣道に連れられて脇道の中の奥、隠れられそうな物陰に身を潜めた。


「どうしたの、嗣道」

「俺たちと同じようにあの男を追ってる奴がいる」

 嗣道からでた言葉にミカは驚いた。

「そうなの!?」

「ああ。……そろそろここを通り過ぎたころだろう。大通りに戻るぞ」


 嗣道は脇道から少しだけ頭を出し、辺りを伺った。

 そしてまた二人で連れ立って、大通りへと戻る。


「それで、どいつ?」


 ミカは気になり嗣道に尋ねた。


「正面、金髪でガラの悪そうな服を着ている奴だ。あんまり尾行には慣れていない感じだな」


 嗣道は目をそらさずに小さな声でミカに男女を尾行する男を示した。


「なんで追いかけてるんだろう?」


 たしかに、ミカから見てもあからさまに学生風の男を追いかけているように見えた。


「わからん、尾行の下手さを見れば他の捜査機関ではないんだろうが。または……。ん?」


 繁華街から離れていくにしたがって、辺りには戦災の焼け跡を利用した駐車場が目立ち始めた。

 そして、学生風の男はその中の一つに入っていった。

 金髪の男もそのあとを追っている。

 どうやら駐車場の端に止めてある車が目的地のようだった。


「学生風の男と美人の女の人、あの車に向かってるよね」

「いったん物陰に隠れるぞ」

「わかった!」


 物陰から、車の様子を探る。

 こういう時は大柄な嗣道に代わってミカが覗くのが役割だ。


「どうだ、様子が見えるか?」

「尾行しているほうの男も同じように車に向かってるみたい。あの金髪男は尾行じゃなくて、あの男も仲間だったんだ!」

「なるほどな。そういうことなら状況がわかる」


 ミカは嗣道に振り返った。


「嗣道、私たちも車で追いかけよう」

「いや、今から車での追跡は難しい。ここは警察の協力を得よう」


 嗣道は端末を取り出すと、電話をかけ始めた。そして、ミカにも指示を出す。


「ミカ、車のナンバーが見えるか?」

「ちょっと待って」


 ミカは腰に付けた装備の中から小型の双眼鏡を取り出した。

 そして目に当てて、車を探る。


「見えた。品川あ199、49-46」

「よくやった。……望月さん? 地球博物館の守山だ。一件調べてもらいたい車が。……NN-システムで。車は銀色のワンボックスカー。ナンバーが、品川あ199、49-46」


 嗣道が通話している間に、車が動き出した。


「嗣道、動き出したよ。……ええっと、環状線の方へ向かったみたい」

「ああ、あとは頼む。見つかったら連絡を。……よし、ミカ、車に戻る」

「わかった」


 車に戻り、待機していると、嗣道のところに連絡が入った。


「守山です。……ああ、……見つかった? 待ってくれ。……ミカ、車が見つかった。今首都高に入ったようだ。俺たちも追いかけよう。ミカが電話を変われ」


 通話から状況に動きがあったことが分かった。

 嗣道は通話をしながら車を動かす準備をし、端末をミカに放って、通話を交代させた。


「望月さん、電話変わったよ」

『おう嬢ちゃん、追ってる車の位置を教える。いいか、車での尾行のポイントは……。っと、どうやら車は首都高から中央道に入ったようだぞ。……んで、えっと、あっ、くそ、この車ずいぶん飛ばしてるぞ、守山気をつけろ! だめだなこりゃ、尾行のポイントを教えてやりたいところだが、時間がなさそうだ。怪我しないように、気を付けて行ってこい!!』

「望月さん、ありがとう!」

『おう!』


 ミカと嗣道は都内から高速に乗り、一路男たちを乗せたワンボックスカーを追った。


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