第28話 寄贈と信頼


 尾久の逮捕から数日後、ミカは嗣道に連れられ、再び龍ヶ崎の邸宅を訪ねた。


「あれ、嗣道、今日は門から入らないの?」

「ああ。今日はな」


 嗣道の運転する車は正門を通り過ぎ、邸宅の裏手にある山へ直接向かった。

 普通の裏山のように見えるが、実際にはその山をくりぬいた展示室があることを一度龍ヶ崎邸を訪れたミカは知っている。

 裏山は一帯が龍ヶ崎の敷地なのか、前回は気付かなかったが、ところどころに私有地と書かれた看板が立っている。

 嗣道はそんな裏山へ向かう道を知っているかのように進んていった。


「ここだ」


 しばらく進んだ先で嗣道は舗装された道から折れて、けもの道のように細い道へ車を進ませた。

 車内は荒れた路面の衝撃を拾って大きく揺れる。


「ちょっと、嗣道! この道あってるの!?」

「安心しろ、すぐだ」


 たしかに嗣道の言う通りだった。

 荒れていた路面はすぐに収まり、ミカたちの前には舗装された路面が現れた。

 前回龍ヶ崎の家を訪問した時に通った門からの道のように、どこも掃き清められ、落ち葉一つない。

 そんな道路を進むと、突如無機質なコンクリート塀が現れた。

 さながらその大きさはダムのようだった。

 そして、何よりも異質なのは、コンクリート塀からミカたちの方へ向けて多数の監視カメラと、遠隔自動銃座が設置されていることだった。

 これほど殺意の高い門は多国籍軍の駐屯地でも見られないだろう。


「えっ……。ナニコレ」


 ミカはポカンと口を開けて驚いていた。

 嗣道はそんなミカの様子にしてやったり、という表情でわらう。


「ここが龍ヶ崎邸の裏口さ」


 そして嗣道は自慢げにこれが何なのかを説明した。


「裏口……?」


 ミカはくるくると困惑と驚きの表情を行ったり来たりしている。

 そして思うのは、なぜ嗣道はこんな大層な裏口を知っているのか、ということだった。

 だが、ミカがそんな疑問を口にするよりも前に嗣道は車を進ませてしまった。


「さあ行くぞ」

「え、ちょ、ちょっ! 殺されちゃうよッ!」

「大丈夫だ」

「……あれ?」


 慌てるミカと対照的に、嗣道は落ち着き払っていた。

 そしてその落ち着きの証拠のように、車が近づくのにつれて、静かに厳重な門扉が開いていった。


「大丈夫だっただろう?」

「え、どういうこと……」

「まあ、すぐにわかる」


 門扉をくぐり、嗣道はさらに車を進ませた。

 門から先も舗装され、道の左右には色とりどりの花が咲き乱れる花壇まで設えられている。


「さあ、お待ちかねだ」


 道の終点にあったのは、別荘ほどの大きさの建物と、きれいに整備されたロータリーだった。

 車が近づくにつれて、ミカはそこに二人の男の影があることに気づいた。

 嗣道は、二人の傍へ車を停めた。

 するとすかさず一人が車のドアを開けてミカたちを迎えた。


「お待ちしておりました。鹿嶋様、守山様」

「えっ……」


 出迎えたのは、龍ヶ崎本人と、その執事だった。

 それだけだったらミカは驚かなかったかもしれない。なぜなら、この山、この土地は龍ヶ崎のものなのだから。

 しかし、出迎えた二人がどちらもこの前とは打って変わって親しみを持てる表情で待っていれば、困惑するのも必至だった。


「どうも、灰川さん。……それに龍ヶ崎さん」


 嗣道は驚きもなく、運転席から降りて二人に声をかける。


「さあ、どうぞ、鹿嶋様。こちらへ」


 灰川と呼ばれた執事の男にミカは驚きながらも促されて、やっと車を降りた。

 その様子を見て龍ヶ崎は小さく笑みを零した。


「ふふ、二人ともよく来た。待っていたぞ」


 いうなり龍ヶ崎は踵を返して一行を先導した。


「ここは風も強くてかなわん。さっそく展示室へ行こう」


 ミカは茫然としながらついていくしかなかった。

 前回とは異なり、今日は直接展示室へと通されるようだった。

 一行が入ったのは山の中腹にしつらえられた別荘のような建物だったが、それは外観だけで、建物の中はすべてエレベーターホールになっていた。

 皆無言のままエレベーターへ乗り込む。

 そして地下へと潜っていった。

 どれくらい潜っただろうか。ミカは普通の何倍にも感じる時間を感じていた。

 だが、そのうちにミカは冷静になってきた。

 なぜだかわからないが、おそらく嗣道が自分に隠し事をしていたせいでこうなっているのだ。

 思わず、視線はジトっと嗣道に向かった。


「…………」


 言葉はなくとも、視線で伝わることがあったのだろう。

 嗣道は頬をポリポリと掻いていた。

 ミカも嗣道とは付き合いが長い。それだけでわかることもあった。


「さあ、着いたぞ」


 着いたのは、前回も訪れた展示室だった。


「まずは、詫びねばならないな」


 そして世界的富豪が、世間的には安くない頭を簡単に下げた。


「なにか、『龍ヶ崎さん』たちと、嗣道の間に秘密があるのはわかりました」


 それだけで、ミカにも分かることはある。だからこそ、ミカは龍ヶ崎の呼び方を改めた。


「ふはは。嗣道、お前の言う通り、このお嬢さんは目が良いようだ」


 龍ヶ崎はそう言って嗣道に笑いかける。

 そうして皆から見られ、嗣道はやっと真相を話すことにした。


「龍ヶ崎は、今回の事件で我々を助けてくれていた」


 嗣道のいつもながら簡素な言葉にミカは疑問を挟んだ。


「それはどういう……」


 答えは、龍ヶ崎からあった。


「まぁ、簡単に言ってしまえば、私はスパイなのさ」


 悪戯がばれた子供のような笑顔で、龍ヶ崎はミカにウィンクした。


「龍ヶ崎は世界でも名の知られた美術品コレクターだ。そうすると、世界中のいろいろなところから商売を持ち掛けられる」


 龍ヶ崎が頷く。


「その商売相手の中には違法行為に手を染めているものもいる。そうして、その情報を秘密裏に俺に、地球博物館に教えてくれている」


 そして嗣道は少し考え、例を挙げた。


「例えば、大島の事件の時にいた、三人組の客」

「あっ! あいつら!」


 ミカは誰のことなのか、思い出した。

 以前は積極的に追っていたが、いつからか嗣道は話題に出さなくなっていた。


「あれはなぁ、私の子飼いの手駒じゃ」


 龍ヶ崎が腕を組みながら言った。


「えっ! じゃあどうしてあそこに!?」

「龍ヶ崎は闇取引を持ち帰られた大島を追って、闇に流れそうな美術品をすべて買い上げ、それから俺たちに捕まえさせようとした」

「だが、私の策が成る前に、お前たちが自力の捜査で大島を追い詰めた」

「だから現場で会っちゃったんだ……」


 ミカはその説明に納得した。

 そしてさらに龍ヶ崎が続ける。


「そして、ここで見せた作品たち」


 龍ヶ崎は手を広げ、展示室を指した。


「在明商事から浮世絵を贈られたとき、私はそのあまりにもよさすぎるタイミングを怪しんだ。だからお前たちにヒントのつもりで浮世絵を見せたのだ」

(そうだったんだ……)


 ミカはすべてが龍ヶ崎の掌の上だったのかと思った。


「それじゃあ、尾久が犯人だったって、知ってたの?」

「……いや、それは全くの偶然だった」


 龍ヶ崎は急に渋い顔をした。


「尾久がわが家に来て、意味深なことを言った。しかし、私にはそれが何なのかさっぱり分からなかった。作品の違いを見つけた、これはすべてお嬢さんの手柄だと、嗣道からは聞いている」

「そんな……」


 ミカは謙遜のつもりはなく、純粋に否定する言葉を口にした。


「みんなのおかげだよ」

「そのみんなを繋げ、真実を導いた。十分誇っていいことだと私は思うがね」


 ミカは龍ヶ崎から言われ、少し面映ゆく感じた。


「……ありがとうございます」


 少し照れた微笑みに、龍ヶ崎は頷いて答えた。

 そして、次の瞬間には意地悪そうな笑みを浮かべ、嗣道をいじる。


「しかし、あれだけ仲がよさそうだったのに、私のことを嗣道は教えていなかったのだな」


 龍ヶ崎にそういわれ、ミカはそのことを思い出し、頬を膨らませて嗣道に迫った。


「そうだ! 嗣道! どうして教えてくれなかったの!?」

「すまん、ミカ。だまそうとしたわけじゃない」


 嗣道は頬を掻いて、ミカに詫びた。


「……わかってる。嗣道は頬を掻いただけ。だまそうとしたらいっつもニヤッと笑うもんね」


 ミカはにっこりとして、嗣道にそう告げた。


「え、そうなのか?」


 嗣道は詫びる気持ちを忘れ、自身のそんな癖への指摘に素直に驚いた。


「しらない!」


 だが、ミカは笑みを意地悪そうなものに変えて一言。


「おい!」

「ほほほ。お嬢さんにはばれているようだな」


 その様子を見ていた龍ヶ崎も朗らかに笑った。

 それからしばらく談笑し、龍ヶ崎が本題を切り出す。


「それで、嗣道。今回もいくつか地球博物館に寄贈したい作品がある。が、怪しまれたくはない。いい方法はあるだろうか」


 二人の腹を割った話し方に、いつもこうやって二人で相談しているのだろうと、ミカは思った。

 答える嗣道も自然体だ。

 

「実はすごく精巧に贋作を作る若者たちを知っている」

(高萩さんたちのことだ……!)


 ミカは嗣道の言う人物に思い当たった。


「なるほど。それでは、彼らに『レプリカ』を作ってもらって、私の展示室にはそれを置くか」


 贋作ではなく、レプリカを。

 どちらも本物に似せて作ることは同じだが、その意味合いは大きく違う。

 それは彼らがこの半年続けてきた作業の悪い記憶を雪ぐきっかけになるだろうか。


「私も、あの人たちの腕はお勧めします!」

「ほう、この嗣道が認めるお嬢さんの『眼』。その眼に認められたのならよほど信用がおけるな。早速手配しよう」


 ミカは関りになった人が立ち直れるように祈った。


「それで、尾久はどうなった」

「詳しくは捜査中で、管轄は警察だが」


 龍ヶ崎に問われ、嗣道はそう前置きをして語り始めた。

 先日ふらりと現れた望月が嗣道に語って聞かせたところによると、捜査は難航しているようだった。

 尾久は、それまでの饒舌さが嘘のように、二つの言葉を繰り返した。


「私はなにも『記憶にございません』し、『すべて秘書がやったこと』です」


 警察の捜査は盗品を主に担当する望月たちから、政治犯をメインに担当する部署へと引き継がれたが、それが原因なのか、はたまた別の政治的理由か、捜査は遅々として進んでいなかった。


「どうやら上の方はこの事件を迷宮入りさせたいらしい」


 望月のぼやきにミカは疑問を持った。


「どうして? あれだけ証拠もあったのに?」

「その証拠の多さが問題だ」


 望月がぼやきつつ語る。


「事件が大きすぎた。今の警視庁は、戦前に比べ弱体化している。旧米国のように捜査機関が乱立し、それぞれが捜査権限を持って事件にあたっているからだ」


 ミカは初めて聞く話として頷いた。


「そうなんだ」

「ミカ、俺たちもその、捜査機関の一つにあたる」


 そんなミカの様子に嗣道は呆れたように補足した。


「あっ……」

 

 そんな様子に望月は小さく笑った。


「はは。そうだぞ、嬢ちゃん。お前たち二人は俺たちの商売敵ってことになるんだ、本当は。……さて、話を戻すと、尾久はその背後に国同士の利権も絡んでる。他にもつながっている政治家も多い。野党も、与党もだ」

「そうだったか」

「だから、上の方で話をまとめて、本当にあの秘書がもくろんだ通り、『秘書のやったこと』で処理する腹積もりらしい」

「そうなんだ……」


 ミカはなんだか納得できなかった。

 自分では犯罪の背景を問わないといったが、あの秘書が単独でやったのではないことは見ればわかる事実だった。

 正しく判断される、ミカはそう信じてもいたのだ。


(なんだか、もやもやするな……)

「しばらく世間は賑わうかもしれないが、それも続くものじゃない」


 望月はそこまで言って、ミカがすっきりしない顔をしていることに気付き、手を伸ばしてきた。

 そして、嗣道よりも幾分小さい、それでも男の分厚い掌で頭を撫でられた。


「大丈夫だ、嬢ちゃん。事件は止められた。世間は何かがあったと知った。今の世の中、それにまずは満足したほうがいい」

「も、望月さん!?」


 ミカが慌ててそういうと、望月はばつが悪そうに笑った。


「悪い。あんまりにも娘に似た顔をしていたからな」


 そういって、望月は寂しそうに笑う。

 事情を知らないミカはきょとんとした。


「……高萩たちはどうなった」 


 そんなやり取りの後で、嗣道が話題を変える。


「ああ。そちらは安心しろ。事情を聞いて、順に家に帰している。そろそろみんな帰れるだろう」

「よかった……」


 ミカはそこで一つ安堵した。


「………という状況だ」


 ミカも一緒に思い出しつつ、嗣道が龍ヶ崎に説明するのを聞いた。


「そうか。その望月という刑事の言う通りだな。今の世の中、まずは事件が発見され、ある程度予防できたこと。それを喜ばねばなるまい」


 ミカはこれまでのやり取りから、龍ヶ崎の印象を大きく変えていた。


「あの、龍ヶ崎さん」

「なんじゃ?」


 ミカは龍ヶ崎に頭を下げた。


「ごめんなさい。私疑ってました」


 突然の、ミカの真面目な謝罪を、龍ヶ崎は受け止め、許した。


「なに、謝ることはない。………それに私は地球博物館と敵対しているわけではないし、協力もしているが、全面的に信頼しているわけでもない」


 そして、龍ヶ崎は突然真面目な顔を作り、踵を返して、展示室を出るように歩き始めた。


「第二展示室へお連れしよう。ついてきなさい」


 再び、ミカと嗣道は龍ヶ崎に連れられて、エレベーターに乗った。

 今度はさらに深く、下っていく。


「どこに……」


 ミカがつぶやくと同時に、エレベーターの下降が停まった。


「ここだ」


 エレベーターのドアが開いた先。そこも展示室だった。


「これは………」


 そこにあったのは、先の戦争の敗戦国にあった美術品だった。


「地球博物館は、結局勝者が作ったもの。敗れ去った弱きものの存在、歴史の不都合は勝者によって書き換えられるのが常だ」


 龍ヶ崎はそこでミカに振り返り、告げた。


「これが私の本当のコレクション。そして、私が地球博物館にも渡さず、未来へ遺すと決めているものだ」


 そして龍ヶ崎は一つの昔話を語り始めた。



 龍ヶ崎はその昔、まだ彼が最初の会社を経営していた時に、あるアーティストの作品を批判し、そのアーティストを表舞台から追放したことがあった。


「それは、私の眼には奇妙で、正直理解しがたいものだった。その思いは今でも変わらない。しかし、私は社会的地位というものを武器に彼を表舞台から追放した。同じ土俵で勝ったのではない。私はずるをして勝ちを得てしまった」


 その様子は、当時はやっていた動画投稿サイトにも掲載され、瞬く間に拡散した。

 そして、あろうことが、龍ヶ崎を支持し、あるアーティストの追放に加勢した。


「私は世間を味方につけ、正義の味方になったつもりだった。……だが、私がその社会的地位の本当の価値と責任を理解したのはもっと後だった。そして私が過ちに気づいたときにはすでに彼は絵を描くことをやめるどころか、戦争で絵を描けない体になっていた」


 ミカは龍ヶ崎を見た。


「いや、お嬢さんよ。こんな爺に同情の眼を向けてくれるな。……年寄りには年寄りなり、経験に学び、また行動を起こすことができる」


 龍ヶ崎は展示室の作品たちを示した。


「だから私は生涯をかけて弱者の美術を守ることにした。この作品たちは私が死に、国同士のいがみ合いが薄れ、純粋に作品を評価してくれるものが現れるまで、この地下に保護され、時が来た時に、再び世間に姿を現す。そう、すでに設定している」

「そう、だったんだ……」


 龍ヶ崎はミカに笑いかけた。


「お嬢さんは、私に言ったな。学芸員の役割を」

「あ、……あれは龍ヶ崎さんの想いを知らなくて……」

「いや、お嬢さんの言う通りなのだ本当は」


 だから、と言って、龍ヶ崎は執事に一つの作品を持ってこさせた。


「私から、1つ、お嬢さんに託し、未来に残してもらおう」


 龍ヶ崎がミカにその包みを差し出した。


「これだ。これを、託す。よく調べ、遺していってくれ」


 包みの中にあったのは、原色が眩しい現代アートの作品だった。


(これって……)


 ミカは嗣道と目を合わせる。

 そして嗣道は頷いた。


「ミカ、お前が担当だ」


 ミカは初めて自分で寄託を受けることとなった。

 想いを込めて、ミカは龍ヶ崎に告げる。


「描いた人の想いだけじゃなく、龍ヶ崎さんの想いも、わたしが伝えていきます!」



                              贋作事件編 完

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