第09話 コレクターと学芸員③

 ミカたちは、龍ヶ崎に案内されて、龍ヶ崎の家の中にある展示室に入った。


「ここが我が家の展示室だ」

「これは……、すごい」

「美術品には世界で一番良い環境をと思ってね」


 龍ヶ崎は自慢げだ。


「この展示室は、我が家の裏山をくりぬいて作っている。……いや、裏山というのはおかしいな。この山に展示室を作るために私はここに家を建てたのだから」

(こんなの見せられたら、コレクターが資料を持っていたほうがいいって、さっきの龍ヶ崎の言葉も信じちゃうよ……)


 戦前に日本各地に建てられた博物館ですら、必要性も計画性もなく、箱を建ててから展示品を考えたような場所も多い。公共事業ですら主従が逆転してしまう。

 そんな世の中にあって、美術品のために家を建てる、ということができる人間が世界にどれだけいるだろうか。


「湿度55%、気温は年間を通じて22度としている。そしてその誤差は0.5%未満だ」


 龍ヶ崎の自慢が続く。


「地球博物館でも、これほどの精度の展示室はないだろう」


 確かに、展示室一つとっても、これほどのものはなかなかない。

 温湿度調節一つにしてもそうだ。地球博物館でも年間で5%程度の変動は許容されている。


「そうですね……」


 展示室の周りを見渡すと、装飾に隠されながらもいたるところにカメラやセンサーの姿が見られる。おそらく熱源かつ湿度も発する人間の移動まで記録して温湿度をコントロールしているのだろう。


「本当に、すごい展示室」


 ミカは先ほどの空気も忘れて、ただただ感心した。


「そうだろう、そうだろう。それでは展示品をご紹介しよう」


 龍ヶ崎はその反応に喜んだのか、手首の数珠を触りながら、機嫌よさそうに話し始めた。

 まずミカが見せられたのは大きな壺だった。


「この壺は江戸時代の品で、戦災を逃れたものだ。なかなか見事な絵付けで思わず買ってしまったわい」

「有田、伊万里様式。18世紀ごろの作とお見受けします」

(たしかに、いい作品。作者も想いを込めて作っていて、ここまで遺してきた人たちの想いも感じる……)


 嗣道が相槌のように自分の見立て述べる。

 そしてそれに龍ヶ崎が満足そうに頷く。


「さすがは学芸員、よく見ておるわい」


 龍ヶ崎は次の展示に移った。


「そしてこちらが、今日の午前中に土産にもらった浮世絵だ。よいものだったので、早速展示させた。これは保存状態もよく、よく言われていた色と違う色が塗られているが、これが正しい色なのだと、最近記事にもなっていたな」

(こっちは……、浮世絵だからかな。なんだかちょっと庶民派な感じ。遺してきた人の気持ちは感じないけど、最近刷ったのかな……? でも、丁寧に仕事をしていて、この色、とっても綺麗………)


 この作品をミカは最近記事でも見ていた。それほど有名な作者のものではないが、風景を描いた浮世絵が多く残っている作者のもので、目の前に展示されている浮世絵も活気ある江戸の町を描いた作品だ。

 これまでは現存の色からかすんだ青空だとされてきたが、実際にはブルーアワーととも思える深い蒼の色だったと研究結果が出ていたのだ。


「このタイミングで私のところにも表れるとは、奇跡的だが、これも美術品を大切に集めていたお陰かな」


 そういって、龍ヶ崎はふふふ、と笑う。


「………はい、その記事は私も読みました」


 ミカは作品に見入りながらも相槌はうった。

 そうやってうんちくを聞きながら、その展示室を回る三人。


「今日はありがとうございました」


 嗣道が礼を言い、ミカも一応は頭を下げた。


「これが頼まれていた業者のリストだ。……まあ、疑いが晴れたのなら良い。ただ、今度は事前に連絡をしてから来てもらいたいものだ」


 執事がまとめた資料を確認し、龍ヶ崎が渡してきた。

 同時に言う龍ヶ崎の言葉には来た時ほどの険はなかった。


「できるだけ、そのようにいたします」


 再びミカたちは龍ヶ崎に先導されて、今度は玄関まで戻ってきた。


「旦那様、そろそろ次の来客がございます」

「そうか。今日は議員先生をディナーに誘っていたのだったな。……それでは、学芸員諸君」

「はい、お邪魔しました」


 執事の言葉を受けて、龍ヶ崎とあいさつを交わす。

 そして嗣道に続いてミカが玄関から外に出ると、そこにはすでに次の来客が来ていた。

 スーツを隙なく着込んだ男と、カバンを持った男だった。


(……あれ? どこかで見たことがあったような………)


 ミカはなんとなく顔を見て思ったが、誰だったかは思い出せなかった。

 そんなことをミカが思っている間に嗣道は軽く会釈して玄関から離れていた。そこでミカは脇によけ、来客が通りやすいように隙間を開けた。

 その様子を見て、スーツを隙なく着込んだ男はミカの脇を通って、玄関に近づいた。

 近づくと、男からは香水の匂いを感じた。


「おお、これはこれは尾久先生、先生を玄関前でお待たせすることになるとは……」


 来客に見覚えがあったミカの疑問の答えは玄関の中から声をかけた龍ヶ崎の言葉の中にあった。

 その男は衆議院議員、野党国民主権党の尾久典司だった。


「いえ、私もちょうどいま来たところです。それに早く着いてしまいましたので」


 龍ヶ崎は尾久を見ると、すぐににこやかに屋内へ案内した。


「大変申し訳ありません。今、博物館の視察を受けておりましてな」

「そうでしたか。いやいや、龍ヶ崎さんのコレクションは大変な価値がありますからな」


 そうしてすぐに尾久と龍ヶ崎は中に消えているかとおもいきや、事情を知った尾久がミカへ振り返り、話しかけてきた。


「お嬢さんが学芸員なのかな?」

「はい、いいえ。私は鹿嶋ミカ。地球博物館 文化財緊急保護チームの学芸員補です」


 思わぬ大物の登場に緊張していたのか、ミカはその問いかけに訓練中にしか使わないような返事の仕方でこたえてしまった。


「そうですか。文化財保護は重要な仕事です。私はこの国の政治家ですが、地球博物館の活躍にはいつも関心があります。ぜひ今後とも仕事を頑張ってくださいね」

「ありがとうございます」


 自分の仕事を中々知られていないミカは、尾久の言葉に素直に礼を言った。


「それでは。……龍ヶ崎先生、お待たせしました」


 何事もなかったかのように二人は玄関の中へと消えていく。

 尾久の後ろに控えていたカバンを持った男も併せて玄関へと進むが、その男もミカに声をかけてきた。 


「失礼、お嬢様。私、衆議院議員の尾久の秘書をしております。恐縮ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」


 秘書の男は銀縁の眼鏡をかけたすらりとした男だった。


「え、あ、っはい。地球博物館 文化財保護チーム 学芸員補の鹿嶋ミカです」

「鹿嶋ミカさんですね。ありがとうございます。お引止めしてすみません。先生がどなたとお話されたのか、記録しておくのも私の仕事なもので」


 少し苦笑しつつ、秘書はミカの名前をメモに取った。

 ミカはなんだがその様子に話しやすさを感じた。


「議員秘書ってそういう仕事もするんですね」

「ははは。何でも屋、ですよ。ところで、本日はどのようなご用件でこちらに?」


 そう質問されると、ミカも困ってしまった。

 仕事の内容は言えないことも多い。


「えっと、事件の捜査なんです。……詳しいことはごめんなさい」

「いえ、申し訳ありません。捜査情報は機密でしたね」


 ミカは申し訳なく思ったが、秘書は簡単に納得してくれたようだった。


「それでは、先生を追いかけなければいけませんので」

「はい。秘書さんもお元気で」


 ミカはそう言って踵を返し、嗣道の待つ車へと駆けていった。

 その後ろ姿を見る議員秘書の眼鏡の奥が鋭く光ったが、ミカはそれには気づかなかった。


「ミカ、何を話していたんだ?」


 嗣道は車の中で待っていた。


「あの来客、尾久議員と秘書の人だった。それで、地球博物館を応援してるって」

「政治家の来客か。まあ政治家らしい言葉だが、地球博物館を応援しているってのは珍しいな。大体は金食い虫だと忌み嫌われているのに。嘘でも応援といえるのはなかなかない」


 ミカと嗣道は車に戻り、博物館へと戻り始めた。


「それで、ミカ、どう思った?」

「なんだか、すごくいい展示だった!」


 ミカのその感想に嗣道は噴き出した。


「クククッ。……ミカ、今日の目的はなんだ?」

「えっ……、展示を見ること……じゃなくて、大島の事件の裏取り!」


 途中から展示に夢中になってしまっていて、ミカは今日の本来の目的を忘れていた。


「そうだ。展示に夢中になるのは、まあ職業病のようなものだから仕方ないとして、では本題の視点ではどう思った?」

「えっと、思うところはあるけど、コレクターとして作品を大切にしていることは分かった。……あんなにすごい展示室は作れないし、展示もちゃんとしてた。……でも、事件とのつながりは分からなかった。……怪しいけど、全然。取引先の資料ももらえたから、怪しいところがないか、全部確認したほうがいいと思う」


 それがミカの率直な感想だった。何とは言えないが、隠しごとはあるような気がした。


「そうだな。……ところでミカ、展示品のメモは取っているな?」


 嗣道が話題を変えた。


「もちろん」


 展示に夢中になってしまった分、展示品に関するメモは充実していた。


「実は、今日展示されていたものは、すべて査察の時になかった作品ばかりだ」


 ミカは驚いた。


「えっ、あんなにたくさん!?」


 いくら文化財の価値が地に落ちている現在とはいえ、金持ち同士、コレクター同士が欲しがるような文化財は異常な高値が付く。

 今日見て回った美術品すべてが新収蔵とはミカにはとても思えなかった。


「前回の査察では収蔵品をすべてこの目で確認している。確かだ」


 ということは、やはり査察以降にあれだけ収蔵品が増えているということになる。数と金額を考えると、盗品の可能性が出てくる。

 ミカはのほほんと展示に夢中になっていた自分に活を入れたくなった。


(あんなに人の想いの詰まった資料たちが、盗まれて展示されていたかもしれないなんて………!)

「嗣道、怪しいなんてもんじゃない。これはきっと事件だよ! 戻って捕まえよう!」


 だが、嗣道はミカと同じ考えにはならなかった。


「ダメだ」

「どうしてっ! 大切な文化財が盗まれたり、違法に売買されてるかもしれないんだよ!?」

「まだ裏が取れていないだろう」


 そういわれると、ミカも弱かった。


「……証拠をつかまないとだめ?」

「ああ。だが、尻尾はそう簡単に出さないだろう。作戦を練らないとな」

「まずはこの取引先のリストと、展示物のメモが真実への細い糸ってことね」

「そうだ。全て調べて裏を取れ」

「わかった」


 ミカは今は納得するしかなかった。

 しかし、単純な文化財の売人を逮捕するという事件が、大きな事件へと広がっていく予感だけはしていた。

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