曾爺ちゃん「ちょうど、笛の音に似ていたな」
緑猿の干し肉作りの作業はずっと続いている。その間、外の探索は休止とした。外の探索を行う狩猟経験者の兵が、そのまま解体作業の主力となっているからだ。
共に作業をして数をこなせば他の兵達も解体に慣れるだろうが、今はまだ作業を任せるには至っていない。今は訓練期間だと割り切ろう。
その間の僕は、現在も中隊の一部が続けている地下探索に同行したり、緑猿の解体作業の監督をしたりして日々を過ごしていた。
今も地下河川のある広間で、兵達から少し離れた入り口付近に立ち、その作業を何とはなしに見守っている。
兵達は慣れてきた者が出てきて作業の効率を上げていた。特に問題は無さそうだ。
上官に見張られながらの作業というのも居心地が悪かろう。兵達が忙しくしている場所に手持ち無沙汰でいるこちらも、その必要など無くても気を使ってしまうものだ。
これは、兵に任せて僕は引っ込むべきだろう。そう考えた時──
「/レ・、_/レヘ√~VZr─」
楽の音の様な綺麗に澄んだ音が聞こえた。
今まで聞いた事も無いその音に首を巡らせる。そして入り口に立つ小柄な人影を見た。
「子供!?」
見慣れた兵達よりも随分低いその背丈から子供と判断する。が、驚きに漏れた声で、その人影は踵を返して背後の闇の中へと駆け込んでしまった。
驚かせた?
失敗だったと思いつつ走り、人影が消えた穴へと駆け込む。
「~て_ノ⌒ヽヘrv─」
再び、澄んだ音。
そして、飛び込んだ穴の中、目の前で人影らしき物が影に溶ける様にして消えた。
その異様さにギョッとするも、すぐに思い直す。
錯覚だ。そう見えただけだろう。逃げられてしまったという事か?
「いや、まだ側に居るかもしれない」
自分に言い聞かせる様に言って、止まりかけていた足を再び動かす。
穴の中は暗く、影に満ちていて足下もおぼつかない。
ランタンがいるか? いや、その暇は無い。追いつかなければ。
迷いも僅か、我武者羅に走る。
子供──原住民との遭遇。これは僥倖だ。
原住民なら、この地域で食える物の情報を持っている。危険な生物、米軍の存在なども知っているかもしれない。情報は非常に重要だ。
友好的な接触が可能か? 敵対的な存在ではないか? 不安点は幾らでもあるが、それらはまず相手との接触を果たさなければ何の意味も無い。
子供の足の筈。原住民だから環境には慣れているだろう。僕よりも体が鍛えられているかもしれない。それでも、追いつけないという事は……
何処まで行ってもその影すら見えない事に焦りを覚える。
だが、この道はここまで一直線だ。他へ行ったはずはない。この先の分岐までに見つけなければ。
焦りの中で曲がり道へと──!?
「きゃっ!?」
衝撃。軽く柔らかな何かに当たり、弾き飛ばした感触。
僕も体勢が崩れる。転ぶ。
が、ダメだ。このままでは。
僕は腕を伸ばし、僕がぶつかった相手を掴まえて引いた。
弾き飛ばして転ばせて怪我をさせてしまうのだけは。
よりいっそう僕の体勢が崩れる。しかし、相手を引き寄せて抱き込む事には成功した。
腕の中の柔らかなものを潰さぬ様に抱きしめ、そのまま転倒し、僕は固い地面に二人分の体重でもって叩き付けられる事になる。
「──ぐっ!?」
衝撃で息が漏れ、呼吸が止まった……
「た……大尉!? 大丈夫ですか!?」
倒れた僕の上で身を起こし、水橋少尉が僕を呼ぶ。
「……あぁ……」
「大尉?」
「ああ……君で良かった」
軽くて助かった。重ければ引き寄せられなかったかもしれないし、倒れた時の痛みも酷かったかもしれない。
ああ、いやいや。そうじゃないだろう。こちらの不注意で巻き込んだんだぞ?
呼吸が再開して思考に冷静さが戻る。
「何を言ってるんですか?」
「い……いや。ぶつかってすまない。こちらの不注意だ」
呆れと困惑をあらわにする水橋少尉に、僕は身を起こしてから謝った。
体が軋む様に痛む。
「それで、君で良かったとか言うのは? 何です?」
探る様な問いかけをしつつ、水橋少尉は立ち上がって僕に手を差し伸べた。
ありがたく、その手を取らせてもらう。
「君は軽いのでな」
答えれば、水橋少尉は深く深く溜息をつきながら僕を引き起こす。
「はい。大尉の事です。そんな事でしょうとも」
怒らせたか? 語気に不機嫌さが滲んでいるのを悟り、僕は改めて詫びた。
「ぶつかってしまって、すまなかった。何とか怪我をさせない様にとしたんだが、水橋少尉が軽かったので、どうにか守れたというところで……」
「ぶつかったのはかまいませんよ」
怒りを収めてくれたか口調がいつものものにだいたい戻ったと感じて安堵した。
いや、相手は部下なのだからご機嫌取りをしなくても良いのは道理だ。
上官に向かってその態度は何事かと相手の態度を責めるのは論外……それが許されるのが軍でもあるが、そんな人間にはなりたくないしなれないだろう。
しかし、偉いと言う事は、偉ぶる事でもあるのだよなぁ。階級だけあっても人はついてこない。態度がそぐわなければならないのだ。
せめて隊長らしくはありたい。
「ところで大尉。何をお急ぎだったんです?」
水橋少尉の問いに、懊悩の中から呼び戻される。
「そうだった。水橋少尉。こちらに子供が来なかったか?」
「子供?」
水橋少尉は小首を傾げ、手に持ったランタンを掲げて周囲を照らした。
「いえ。誰も通りませんよ」
「……人影を見かけて追っていたんだ。兵では無く、子供に見えた。原住民だと思う」
軽く説明をするが……
「だが、ここまでは一本道の筈だ。水橋少尉が見ていないとなると、消えてしまった。いや、最初からいなかったか……」
そう結論を出さざるを得ない。
「……さて、これが内地なら狐狸に化かされたと言う所ですが。南洋にも狐さん狸さんはいらっしゃるんですかね?」
「いないだろうな。ならば幻覚……いや、見間違えとしておくか」
そう結論を出さざるを得ない。
幻覚を見るほど追い詰められてはいないはずだが、暗闇に影を見る程度に疲労しているという事は有り得るだろう。
わかっているのだろう。水橋少尉は言ってくれる。
「少し、お休みになられてはと具申します」
「そういうわけにもいかない。兵は不断不休の活躍をしている。そうさせざるを得ない。それなのに上官が休んでいては示しがつかない」
ああ、今の台詞は上官らしかったかもしれない。
どうだと、少しだけ自信をもって見た水橋少尉の顔は少し曇って見えた。
「反省……なさらないんですねぇ」
「…………」
その言葉に、つい先日に水橋少尉から叱責された事を思い出す。
全く、返す言葉も無かった。
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