曾爺ちゃん「昔から、山には神や怪が宿ると信じられていたんだ」

 探索再開から数日が経過。

 探索は続く。少しばかりの異常と共に。

「──大尉殿」

 潜めた声で金田二等兵が声をかけてきた。

「やはり何かに見られています」

 探索再開から時折、金田二等兵に限らず、幾人かの兵達は何処かから見られているような気がするとの報告を上げていた。

 狩猟経験者を集めた為、彼等は山……すなわち森をよく知っている。経験もある。そんな彼等が、ずっと何かにつけまわれていると言っているのだ。

 しかし、確認しようとしても掴めず、かといって気配は無くならない。らしい。

「そうか……」

 そうかと言ったが納得は出来ていない。

 姿を見たとか、痕跡があったとか、実態のある話ではないからだ。

 ついでに言うと、僕は気配を感じたという事そのものがない。鈍いとは思いたくないのだが、勘の働かせどころが違うのか?

「貴様のそれも勘みたいなものか。いったい、なんだと思う?」

「……何かがいるのだと思います。山で狩りをしていると、視線を感じる事が有りまして。もちろん、獣の目だと思うのですが」

 金田二等兵は言い淀んだ。

「古老に言わせると、こういう時は、山の神や怪が見てる……と」

 どうしたものか。金田二等兵のみならず、兵達に不安が表れている。

 彼等にとって森とはすなわち、彼等が過ごしてきた山中の森だ。故に、彼等の中では、彼等の山に伝わる全てが森にも適用されていた。

 今まではそれで助かっていたが、ここに来て不安要素となっている。

 感じ取った人数が少ない内はそうでもなかったが、自身の感覚としても起こり、その上でそれが何時までも続くとなれば不安にもなるだろう。

 兵達の多くは気配など何も感じてはいないが、仲間が不安を抱けば、それは伝播する。

 そして彼等は、彼等の山に伝わる怪談も抱え込んでいた。問えば、それぞれの山の怪異譚を語ってくれる事だろう。聞かされるのは遠慮するが。

 僕は、科学文明世界の学徒だ。山の物の怪などは信じない。

 ……と、言いたい所だが、そうでもないのだこれが。

 神仏は拝むし、ご先祖の墓には参るし、怪談話は普通に怖い。神も仏も先祖の霊もいると信じるならば、幽霊妖怪がいないとする道理はあるまい。見た事はないけれど。

 学校にはいたけどな。そういう怪異を一切信じないという男も。それはそれで一つの考え方だとは思う。

 さて、狩猟経験者でこうだ。

 チラと、中島曹長を見やる。彼は頷いて言った。

「獣か、はたまた人かはわかりませんが。時々、見られてる様な気はします」

「その実体が見つけられないのだがな」

 何かがいるなら、それを見つけられれば話は早い。が、幾度か試みを繰り返して見たものの、その全てで収穫を得る事は出来なかった。

 その事も、兵達の不安を怪異の方へと向けているのだろう。怪異とは、実体が無いのだろうから。

 なお、当初は可能性の中に含めていた米軍の存在は、この段階ではもう無いものと考えている。何の痕跡も無いのはおかしいし、ずっと付け回すだけというのも米軍の行動としてはおかしい。

「犬でもおれば、追わせるんですが」

 金田二等兵が答えた。

 猟犬か……彼は、繰り返し言うな。本当に欲しいのだろうが、さすがに無理だ。

「前にも言ったが犬は無理だろう。餌を食わせる余裕すら無い」

 犬くらいなら南洋にもいるかもしれない。いたら、拾ってくる事も出来るだろう。しかし、人間が食べる物が無い状況で、犬を飼う余裕は無い。

 いや、猟犬にするなら、犬なら何でも良いというわけでも無し、お手を覚えさせるよりもしっかりした調教も必要だろう。

 今すぐにどうこうなる話ではないわけだ。

「金田二等兵。参考意見を聞く。どうするべきか」

「こういった時は、しばらく山に入るなと言われてます。獣なら別な所に行きますし、神や怪であるなら落ち着くかもしれない」

「それも無理だな」

 即、そう評価せざるを得ない。

 米軍の存在を確認する為の偵察と、食料を求めての探索は、止めるわけにはいかない。

 緑猿の襲撃で、何日か動けない期間があったのに、これ以上の遅延は困る。

 山の神や怪が怖くて行軍出来ないのでは皇軍の名が泣くというものだが……

 不安を殺しての行軍は、士気低下が容易に想像されるのも事実だ。

 そう、問題は正体のしれない事への不安だ。不安を解消できれば良い。

 ならば、正体不明のこの事態に無理にでも正体を設定してしまい、兵達なりに納得のいく対処の手を打つ事で、それを成せないだろうか?

 今更だが、狐狸の仕業にしてしまうとか。

 そもそもここは山ではないし、南洋に日本の山と同じ様な神や怪がいるのかという疑問もあるだろう。

 だが、それならそれで何がいるのか見当もつかないという結論にしか至れない。そっちの方が対処が無くて拙い。

 日本の山でこれが通じるのだから、南洋の森でも通じる。そう信じたいし、そう信じさせたい。

 残念ながら、僕自身はそういう事には疎い。

 故郷は歴史が浅くて、まだ伝承が根付いてもいなかった。山の神や怪よりも、羆の方が怖い。アイヌの伝承ならあるかもしれないが、異民族の伝承で馴染みがなければ信じる事も難しいだろう。

 そんなわけで、何か参考にならないかと聞いてみる。

「どうにかならないのか? その……山の神だか怪というものは」

「自分の故郷の山の神は、古老が言うに何やらよくわからぬもので、住まう山に豊穣をもたらしますが、もしその姿を見てしまえば恐ろしい祟りを起こすのだと」

 金田二等兵は、禁忌を明かす様に答える。

「昔、古老がまだ若者だった頃、村に不信心な若者共がいて、山の神の正体を確かめてやるなどと言って山に……」

「いや、その続きはしなくて良い。参考になった」

 なるほど、対処不能な何からしい。

 対処を探している時に、全滅して終わるのが確定な怪談とか勘弁してほしい。怖いだけじゃないか。

 そんなものがいる山で、よく狩猟とかやってられたな金田二等兵とその故郷の人々。

 考え込んでいると、兵の一人が声を発した。

「大尉殿。よろしいでしょうか」

「何だ?」

「山の神は女神でありまして……オコゼを捧げると喜ばれます。が、無い事にはしょうがありません」

 そこまで言ってから、兵は言ったものかどうかという感じで迷いを見せた。

「何でも良い。言ってみてくれ」

「あー……その、山の神は女ですので、男のその……一物を晒せば喜びます。もしかしたら、見せれば帰ってくれるのでは」

 彼は言いにくそうではあったが真面目に言っている。

 兵達の様子を見ると、下の話だったが笑う者はいない。だいたい、そういうものだと納得しているか、聞いた事があるくらいの反応を見せていた。

 これは使えそうだ。あまり嬉しくはないが。

「……そうかもしれないな。こんな森の奥だ。男を見る事もないのだろうから、興味を引かれて見に来ているのかもしれない」

 言いながら、この解釈は意外に良いかもしれないと考える。

 効果が無くて……まあ、無いとは思うのだが、継続して何かの気配を感じる事があっても、山の神様がまた男を見に来たと思えば、そう深刻にもならないだろうと。

 不安の解消が第一だ。それが出来るなら、内容の事は二の次で良い。

「では、全員でやってみてはいかがでしょうか?」

「え?」

 兵が何か期待した様子で言っている。

 いや、不安解消になるのだから期待はするだろう。だが、待て。

「……一人で試したりはしたのか?」

「はい。効果はありませんでした。自分の粗末なものでは満足していただけないのだと愚考します」

 本当に愚考だな、おい。

 一人で試して、それで納得しなかったので全員で。わかる様な気もするが、全員でやるのは正気とも思えないが。

「敢闘精神は評価する」

「ありがとうございます!」

 嬉しそうだな。

 嬉しいのか?

 まあ良い。

 いやいや、よく考えてみたなら良い発想かもしれないぞ?

 何か使うわけでなし、僧職や神主の力を借りるわけでなし、お手軽に出来て、兵達をそれなりに納得させられそうな手段ではある。

 自分を誤魔化そうとしている気もするが、忘れろ。

「よしやるぞ。やり方は?」

「はい、山頂を向いて一物を出すだけです。ただ、ここは山ではないので……」

「円陣! 外を向いて並べ!」

 やけくそで怒鳴る。

 指揮官が命令として下せば、それは絶対だ。

 すぐさま兵達は外側向きで円を描く様に並ぶ。

 この並びなら、誰かが女神様の方を向いている事だろう。

「準備! 捧げー、筒!」

 何をどうするかは、細かく言わなくても良いだろう。隊の全員がそれを行う。

 と──

 ちょうど僕の正面。少し離れた所の木の枝が大きく揺れ、何かが落ちる音が響いた。

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