曾爺ちゃん「そしたら出てきた」
今まで隠れていたのだろうか?
僕の正面。樹上から落ちてきたかの様に小柄な人影が現れ、着地寸前で身をひねって転がる様に地面へと至り、そして転がる威勢も借りてすぐに立ち上がる。
と、その姿に記憶が蘇った。穴の中で見た人影では無いのか……と。確証は無い。それこそ、僕の勘みたいなものだ。
今見る人影は、まさしく人だった。原住民との初めての接触だ。
「v-ヘ√∟/Zr──!」
激しくも涼やかにも聞こえる音。口が動いているから声か?
そして、顔を横に逸らしながら、僕らの腰辺りを指差す動き。
それが示す意味は──
「ぜ、全員ズボン上げろ!」
指示の下、全員が一斉にズボンを上げる。
女性……少女? いや女児か? 何にせよ、あまり見せるべきではない物を見せてしまった。
ズボンを上げても彼女の怒りは収まっていない様子で、何やら激しめの口調で声を発し続けている。
それは音としか聞き取れないのだが、きっと言語なのだろう。パラオの言葉とも違う様だが、違う島だから別の言葉を使うのだろうか?
ともかく、こちらも動揺はなくなった。
動揺……動くと揺れてブラブラしていてはなぁ。
落ち着けば、相手を観察する事も出来る。
南洋らしい褐色の肌。紫にも見える黒髪は、肩の辺りで切りそろえられていた。あまり女性的な膨らみ括れはないが、見間違える事はない程度に女性の体つきをしている。
服はと言うと、色とりどりな木や木の実や石で出来たビー玉くらいの珠を繋ぎ編んだ貫頭衣の様な物で膝より上を隠しているだけで、隙間から肌が覗くのは少々目の毒だった。
片手には杖の様に長細い筒を握り、後端側に何かをつけて径を増した串が逆の手の指に挟まれている。これは吹き筒と吹き矢と見た。似た物を射的屋で見た事がある。
奇妙な所を上げるとするなら、笹葉の様に伸びた耳が髪の中から飛び出しているところではあるが、ここは南洋だ。
何処かには、首が長かったり、耳が長かったり、首から上が無くて胸に顔があったりする人達が住んでいると聞いた事がある。きっと、彼女もそういった民族なのだろう。
問題は、最初から怒らせてしまったという所か。
「全員、武器に手をかけるな。まずは話し合う」
両手を軽く上げて手の平を見せる。降参の姿勢ではあるが、何せ別の文化圏だ。それが通じるかは定かではない。
しかし、手に何も持っていない事を見せるのは、少なくとも戦う意思を見せない事に通じるだろう。
「南洋には、人食い人種ってのもいると聞きますが」
中島曹長が、同じく手を上げながら囁く。彼は警戒を緩めていない。
確かにそんな話はある。まだ遭遇した事は無いが。
しかし、たまたま出会った原住民が危険な存在であって欲しくはない。
「違う事を祈ろう。敵意は見せたくない。難しいかもしれないが笑顔だ」
「笑顔……ですか。やってみます」
命令に従って、中島曹長が表情を動かす。
笑顔とは似ても似つかない奇妙なその表情は、むしろ敵意を感じられてもやむなしと思うに足る感じがしたが、彼の努力を汲む事としよう。
「敵対の意志はない! 話をしよう!」
改めて、少女に向けて声をかける。
と、言葉と姿勢の意味が通ったか、彼女は僅かに戸惑う様子を見せた。
「-^--v-~-__r-」
少女の言葉は当然の如く知らない言葉で、綺麗な声と音律は小鳥の囀りにも聞こえる。肝心の意味の方はさっぱり分からない。
「まいったな」
困惑を隠さずに言うと、少女は言葉が通じていない事などわかっている様子で、まるで歌う様に言葉を紡ぎ出した。
「-~-^-t_r-―-v-^-_-ヒ^ニ>-ヘ_√kot_ba iシヲカヨワセルものよ。偉大なるお前の力を示し、言葉違う我らの意思を通わせ」
音としか言い表せない少女の声が、明らかに日本語の響きを持ったものに変わる。
「日本語だ!」
思わず大きく声に出すと、少女は首を横に振った。
「日本語とは違うわ。言葉を通じさせる、まじないよ」
そうして、これは大事な事だとでも言いたげに、語る速さを抑えて繋ぐ。
「私の言葉は貴方達の中の言葉になる。貴方達の中に無い私の言葉は、勝手に貴方達の中の近い言葉に変換される。だから上手く通じない事もあるわ」
言ってる事は良くわからなかった。
まじない? 中の言葉?
いや、肝心なのは言葉が通じていると言う事だ。
「? よくわからないが、通じている。問題ない。しかし、日本語が出来る人に遇えたのは幸運だったな」
「……わかってないのね」
少女はもどかしげに困り顔をしたが、やがて諦めの溜息をついた。
「仕方ないわ。たいした事じゃないし」
そうして、少女は改めてこちらに対し、問いを投げる。
「ねえ、怖い人達、何が欲しいの? 何をしに森へ?」
僅かに緊張が見える。噴き筒を握る手に力が入っているのも見えた。
「怖い? ああ、それはすまない。怖がらせてしまった……よな」
武器を持った大人が一物を曝け出してたなんて言うのは、少女にとって恐怖だったろう。
「あのような格好をしていたが、あれは決して不純な意味では──」
「思い出させないで、バカ!」
怒られた。
「あ、ああいうのは父様のを見た事があるから、どうって事はないのよ? ないけど、森でああいうのは止めて。えと……蛙が噛み付く事もあると聞いたわよ! 嫌でしょ?」
たどたどしく大丈夫だと言い切り、ついでに誰にどう聞いたのか想像できそうな感じの妙な忠告までしてくれる。
後ろにいる兵達の雰囲気が、緊張から何か微笑ましいものを見る様な空気に変わる。が、いたたまれなさは増した様な具合だ。
……これくらいの娘がいておかしくない歳の兵もいるからなぁ。
「わかった。もう二度と出さない。約束する」
約束しよう。もう出さないと。そして、
「もう一つ。我々に君への攻撃の意志はない。何もしないと約束する」
重要な約束事を口に出来た。
その申し出が意外なものだったかのように少女は目をパチクリとさせ、そして意を決した様子で言葉を返す。
「その言葉が真実なら森の誓いを」
「誓い?」
「私が先の句を言うから。次に貴方達が『餌を減らすべからず。森は竜の餌箱なれば』と後の句を続けて。不戦の誓いとなるから」
竜? ああ、竜神様みたいなものか。
勝手に納得する。
「わかった。応じよう」
こちらが了承すると、少女は突き出した右腕を肘から曲げて、その掌を見せつける様な仕草を見せた後、宣誓するかの様に言葉を紡いだ。
「森に住まう者。竜の糧の絆において!」
「は?」
糧? 森の住人が?
何やら思ってもみなかった言葉にこちらがたじろぐ。
が、その間も見逃さず、少女の怒声が飛んで来た。
「後の句!」
「う、うむ……餌を減らすべからず。森は竜の餌箱なれば」
こちらの宣誓に、少女は小さく頷いてから厳かに告げる。
「竜の約定にかけて不戦は成った。破る者に竜の怒りと滅びの吐息あれ」
その言葉で不戦の近いは成ったらしい。少女は安堵の息をついた。
しかし、破るつもりはないとは言え、この不戦には何の拘束も無いと思うのだが。
いや、むしろこの素朴な約束を、決して違えないのが誠意だろう。
とにかく、返礼の意を込めて名乗る。
「約定を守る事を誓う。我々は大日本帝国陸軍の者。自分は森本大尉。この隊を率いている」
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