曾爺ちゃん「その名は雪風と言った」

「偉大な。日の座す処。王の王の国。大地の軍勢? 森本……百卒長?」

 僕の名乗りを受けて、少女は唸った。

「うーん……上手く変換されないみたい。私の中に無い言葉ばかりだわ……ねえ、森本で良いの?」

「そうだが……」

 わかりづらかっただろうか?

 いや、逆に面倒くさい表現にしているな。

 日の座す処が、日本。王の王が天皇陛下の事か? その国だから帝国か。大地の軍勢はそのままだな。百卒長は……何だったか……でも大尉の事だろう。

 問題は、どうしてそんな表現をしているのかだ。

 日本語が使えるのだから、大日本帝国の事くらいは知っていて当然だと思うのだが……

 困惑に思考を巡らせていると、今度は少女が名乗りを上げた。

「私は竜の贄。南雲の娘・雪風」

 竜の贄?

 いやこれは、先の約定の言葉と言い、何か民族的に意味のある事なのだろう。そのまま生け贄の意味があるかもだが、いきなり意味を追求するべき事では無さそうだ。

 それはそれにしても、南雲? 雪風? 日本語の名前……にしては妙だが。

「雪風? で良いのかな?」

「変かしら? だから、私の言葉は、貴方達の中の言葉になるの」

 こちらが彼女の名前に感じる違和感を察したのだろう。

 雪風は何やら酷くもどかしそうだった。

「遠い、遠い、南から吹く風に混ざる、小さな小さな冷たい風が私の名。南雲は母の名。娘は母の名を継ぐの。貴方達に障りが無いなら雪風で良いわよ」

 意味はわかった。

 南洋にも雪を含む風が辿り着く事があるのだろうか? これほど暑いのに。

 なぜ日本語で名乗ったのかは……有り得なくはないか、彼女に日本語を教えた誰かが名前の由来を知れば、日本語での名前を教える事もあるだろう。

「わかった雪風さん。今後とも、よろしくお願いする」

 何とか無事に接触を果たせたという所か。

 安堵の息をつく。

 そこに、雪風から問いが投げられた。

「それで、森本達はどこから来たの?」

「日本から……という答えじゃなさそうだな。隣の島から来たんだが」

「島? 隣の……島?」

 雪風は首を傾げた。

 一応、海の向こうであるし、その方向の海岸には危険な巨大蟹がいた。知らないのかもしれない。

「そうだ。島の穴から、こちらの穴まで地下を抜けたんだ」

「! 竜の抜け穴!?」

 雪風の口からは、驚きを含んだ声が漏れた。

 しかし、抜け穴? 確かに穴を通り抜けて来た。それは驚く様な事だろうか。

「あ……また意味がズレた?」

 こちらの惑いを見たか。呟き、雪風は口元に手をやって少し考え込んだ後に続ける。

「えと……常世って通じる? 森本達は常世の民なのよ」

「まあ……なるほど」

 何となく意味を察して僕は頷いた。と、中島曹長が首を傾げて聞く。

「大尉殿。意味がおわかりですか?」

「常世とは古語で、異郷の事を指すんだ。竜宮とか、桃源郷とか」

「我等は、浦島太郎だって話ですか?」

 納得いかない様子で中島曹長は問いを重ねるが、実際、そう言う話ではなく、僕が思うに事はもっと単純だ。

「いや、古くは離島、山奥なども、しばしば常世の扱いをされたんだ。辿り着けない場所に異郷があるという考え方だな。つまり彼女たちにとって、本島は辿り着けない場所なのだろう」

 水の底に竜宮があり、海の向こうに補陀落があり、山の向こうに桃源郷がある。言ってしまえば、そんな話なのだろう。

 雪風が本島にどのような常世を見ているのか。それはわからないが。

「南洋だって、日本にとっては異郷。言ってしまえば常世も同然。同じ事が、この島と本島に対しても言えると、そういう話だと思う」

 本土に住まう人々にとってはそうだろう。僕らは来てしまったが故に、ここもまた現世であると知っているが。

 辿り着けぬ場所。人はそこに常世を思うのだ。

「抜け穴というのも、そのままの意味ではなくて、天狗の抜け穴めいたものだとすると意味が通る。異なる場所を繋ぐ道……あの穴は黄泉比良坂の様な場所と思われたのだろう」

「なるほど、よくわかりませんな」

 ……面倒くさい話だとは思うよ。うん。

 とりあえず理解を得られなかった事で話は止まる。

「……伝わってないみたいだけど、まあ良いわ。説明も難しいもの」

 話の終わりを待っていたらしい雪風は、何か諦めた様にそう言った。

「目的は何なの?」

 その口調には少しの警戒を感じる。

 こちらが軍隊である事は明かしているのだ。警戒しない方が有り得ないだろう。

 ただ、その警戒は解いてもらわねばならない。協力者は必要だ。

「ここに来たのは偶々だが……目的は食料集めだ」

「食べ物? 緑猿とか?」

 探る様に雪風は問う。

 何故、猿を食べた事を知っているのだろう? 気にする理由は何だ? やはり洞窟内の人影は彼女で、解体作業を見られたか?

 もしや、何か禁忌に触れただろうか? 奈良の鹿の様に殺してはいけなかったとか。

「猿は……襲われて退け、殺した分は食べた。何か禁忌にでも触れただろうか?」

 答えの終わりを問いで返せば、雪風は首を横に振った。

「それはそれで良いわ。奪った命は出来るだけ食べるべきだもの。でも、“緑猿”は猿じゃないわよ?」

「緑“猿”だろう?」

「……本当に上手く伝わらないわ」

 雪風は諦めた様に溜息をつく。

 どうも彼女は、言葉が伝わっていないと気にしすぎている様な。

 ちゃんと日本語として聞こえているし、意味もわかるのだが。

 ともあれ、雪風は溜息をつき終わるや続ける。

「森は何でもくれるわ。食べ物もね。竜の糧を無駄にする事は許されないから、余分なく必要なだけ持っていけば良いのよ」

「いや、そうもいかんのだよ。何せ、何が食べられるのか、こちらには見当もつかない」

 隠す意味も無い。こちらの内情を正直に伝えた。

 これは補給に弱みがあるという事を知らせてしまう事でもあるのだが、協力を得るならばいずれ察してしまう事だろう。補給が潤沢なら、兵士を食料採取に使う訳が無い。

「ああ……でも、芋を採ってなかった? あれ、食べ方を知ってるんでしょ?」

 芋の採取は確かにしていたが、あれは今日ではない。なるほど、僕等を付け回していた山の女神は、この少女だったとみて間違いないだろう。

「恥ずかしながら、食べて酷い目に遭ったよ。野ブタや猿が食べているらしいのを確認したので、人間も食べられないか試すつもりだったんだ」

「呆れた。芋の毒は、下手をすれば死ぬわよ?」

 雪風は呆れて言った。それから何かを説明しようとしたらしく言葉を続ける。

「野ブタ……野ブタね。きっと、これも意味が違う。ああもう……話が進まないし」

 また何かに引っ掛かったのか独り言めいて呟き、それから僕らに向けて言葉を紡いだ。

「野ブタや緑猿なんかは、あの芋を掘り出したら砕いてしまうの。すると風が毒を分解してくれるわ。何日かおいて、虫がつき始めたら安全でオカズも一緒に取れるって寸法ね」

「なるほど、野ブタの胃に虫が入っていたのは、そういう……」

 しかし、虫がつくまで? 衛生に問題は無いのか? いや、試してみれば……

「大尉。試そうとせんでください」

 背後から中島曹長のドスの効いた声がして、僕の肝を冷やした。

 跳ねた心臓を落ち着かせようとする僕を放置で、中島曹長は言葉を続ける。

「脇から失礼します、お嬢さん。お嬢さん方も、そうやって芋を召し上がるんで?」

「私達? 私達はもうちょっと手間をかけるわね。まず芋の皮を……」

 答えかけ、不意に何か思いついた様で雪風は言葉を止める。

 それから彼女は、僕に向かって笑顔を見せた。

「ねえ、森で採れる色々な食べ物の事を教えてあげるわ。だから、森本達の事をもっと教えなさい」

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