▼密林の中 言葉を通じさせるまじない

「約定を守る事を誓う。我々はグランソルシティオスインペリオ、大地の軍勢の者だ。自分は百卒長ボスケライス。この隊を率いている」

 “大日本帝国陸軍、森本大尉”の自己紹介は、イハデスルヌベ・ニエベブリッサにはそう聞こえていた。

 何日も付け回した末の、相手の奇行に思わず動揺した事による邂逅。

 逃げるべきだったかもしれないが、しばらくの観察で、少なくとも仲間内では会話での交流が行われている事が確認されている。

 言葉が通じるなら、理解もしやすいのかもしれない。そんな考えで使ったのは、言葉の精霊の力により、異種との言葉を通じさせる、まじないだった。

 ただ……それを使う機会は今までに全くない。

 ゴブリンやオークと言った言葉有る種族とは共通言語で通じるし、動物の様な言葉無い種族には効果が無いし、最近現れた“奴ら”とはまだ出会った事もない。

 ニエベブリッサが、このまじないを教わった時には注意がされていた。

 つまり、言葉は、自分の知識と認識に従って自動的に翻訳される事。

 たいした事ではないのではないかと、習った時には思っていた。

 しかし、実際に使ってみると歯がゆい思いがさせられる。

 例えば、遙か南から届く風に含まれる小さな精霊を宿した風を意味するニエベブリッサという名前に、相手は困惑しているらしい。

 “森の根源”を意味する名の男が、随分と細かい事を気にするものだ。と、ニエベブリッサは考えてもみるが、日本では森本をそんな意味で取る事はないだろう。

 翻訳はされている。しかし、意味を完全に正しく伝える訳では無い。

「それで、ボスケライス達はどこから来たの?」

「ソルシティオスから……という答えじゃなさそうだな。隣の島から来たんだが」

「島? 隣の……島?」

 翻訳が正しいのかとニエベブリッサは首を傾げた。

 いや、島自体はある。丸木舟で海に漕ぎ出すのはなかなか危険ではあるが出来なくはないし、探せば幾つかあるだろう。

 しかし、彼女等だってここに住み着いて長いのだ。隣と言える様な周辺の島に、森本大尉等の様な存在が住んでいる島は無い。

 もう少し考えれば、彼等が最近その島の一つにやってきたのだと正解に近いが誤った答えを導けたかもしれないが、次の台詞が真実を知らせた。

「そうだ。クエレブレの破孔を抜けたんだ」

「! クエレブレの破孔!?」

 全てがつながる。

 聖地……そこにあるもの。そこにいるもの。

 その真実がもたらした軽い興奮の後、森本大尉等が見せている困惑にニエベブリッサは気付く。

「あ……また意味がズレた?」

 それはそうだ。

 森本大尉達にとっては島の地下に広がる穴に過ぎない場所。

 しかし、ニエベブリッサにしてみれば聖地に広がる穴には、クエレブレの破口という固有の名があるので、その名に翻訳された。

 そして、クエレブレは基本的には竜を意味し、破口はそのままの意味だが、この場合には異なる世界の壁が破られた跡と、そこ通行する事で異世界へと向かえる場所とを意味する。

 なのにここで呼び名は、竜の抜け穴と翻訳された。

 通り抜ける穴なのだから、破口そのままよりは抜け穴で意味が通るが、肝心な異世界通路としての意味はそれほど多く含んでいない。

 もっとも、日本語で異世界と通じる道を一口で表す単語というのもなかなか無いのだが。

 言葉を重ねる毎に、言葉の意味が変わっていく危険性。その翻訳のされ方は無いだろうと、もう少しまともに訳せないのかと、多くの先達が愚痴をこぼしたであろう所だ。

「えと……異世界って通じる? ボスケライス達は異世界人なのよ」

「まあ……なるほど」

 森本大尉は理解したと頷き、それから中島曹長と脇にそれて話し合う。

 ニエベブリッサには、その会話は翻訳の精度が粗くて意味がよく通じない。難解な話になるとすぐにこうだ。どうにも、彼女の話を空想と捉えている様子は察した。

 一区切りついた様なので、ニエベブリッサは口を挟む。

「……伝わってないみたいだけど、まあ良いわ。説明も難しいもの。目的は何なの?」

「ここに来たのは偶々だが……目的は食料集めだ」

 食料。

 そう言われて、聖地の中で解体されていたゴブリンの事を思い出す。

「食べ物? ゴブリンとか?」

「猿は……襲われて退け、殺した分は食べた。何か禁忌にでも触れただろうか?」

 猿と言ったか?

 猿とゴブリンは違う。猿は言葉持たない動物で、ゴブリンは言葉持つ者でありクエレブレの糧の絆の下にあるものだ。

「それはそれで良いわ。奪った命は出来るだけ食べるべきだもの。でも、“ゴブリン”は猿じゃないわよ?」

「緑“猿”だろう?」

 森本大尉等は、ゴブリンを緑の猿だと考えている。なので、ゴブリンと言えば緑猿として翻訳される。猿ではないと言っても、猿としてしか伝わらないのだ。

「……本当に上手く伝わらないわ」

 言葉が通じない。いや、半端に通じてしまう。そして、それが間違っているかどうかを確認する事は本当に難しい。

 ニエベブリッサは、この短い間に、言語疎通のまじないが思った以上の混乱をもたらすものだと悟っていた。が……これに頼らなければ意思疎通もままならないのが事実だ。

 諦めの溜息を漏らし、そしてニエベブリッサは言葉を続ける。

「森は何でもくれるわ。食べ物もね。クエレブレの糧を無駄にする事は許されないから、余分なく必要なだけ持っていけば良いのよ」

「いや、そうもいかんのだよ。何せ、何が食べられるのか、こちらには見当もつかない」

「ああ……」

 はて、と。ニエベブリッサは、ここ何日かの森本大尉達の行動を思い返す。

「でも、マンディオカを採ってなかった? あれ、食べ方を知ってるんでしょ?」

 マンディオカ……あの芋には毒があり、野生の動物はほとんどが食べない。毒の除き方を知っている種族だけが食べる物だ。

 と、何か苦い事を思い出した様子で森本大尉に苦笑が浮かぶ。

「恥ずかしながら、食べて酷い目に遭ったよ。オークやゴブリンが食べているらしいのを確認したので、ヒューマンも食べられないか試すつもりだったんだ」

「呆れた。マンディオカの毒は、下手をすれば死ぬわよ?」

 森の植物には毒も多い。いきなり口に入れたとしたら無謀が過ぎないだろうかと、ニエベブリッサは呆れた。が、村の子供等よりも森の知識が乏しいとすれば、それも仕方が無いのかもしれないと思い直す。

 それよりも、ニエベブリッサは森本大尉の台詞に引っ掛かりを覚えた。

「オーク……オークね。きっと、これも意味が違う。ああもう……話が進まないし」

 ゴブリンも通じないのだから、オークだって通じてはいないだろう。だが、それを気にしていては何時までも話は進みそうに無い。

「オークやゴブリンなんかは、マンディオカを掘り出したら砕いてしまうの。すると風が毒を消してくれるわ。何日かおいて、虫がつき始めたら安全でオカズも一緒に取れるって寸法ね」

 それは幾つかある芋の毒消し方法の一つ。まじないでも何でもなく、自然の摂理として、あの芋を砕いて放置しておくと毒が消えていくのだ。

 手間がかからないのが利点で、言葉を持つ種族のみならず賢い動物にも似たようなやり方で芋を食べる種族がいるほどだが、手間をかけない分だけ安全確実とも言い難い。

 毒消しには何日か置けば十分で虫をつける必要など無いが、放っておくだけなのに安全を知らせてくれた上に一味添えてくれるのだから虫をつけない理由が無いという主張は一部(オークやゴブリン)に根強い。

 だが、森本大尉達の表情を見るに、そのやり方は好まれてはいない様子だった。

「なるほど、オークの胃に虫が入っていたのは、そういう……」

「百卒長。試そうとせんでください」

 戸惑いながらも興味深げな森本大尉に中島曹長が釘を刺す。それから中島曹長は、ニエベブリッサに直接言葉を投げた。

「脇から失礼します、お嬢さん。お嬢さん方も、そうやってマンディオカを召し上がるんで?」

「私達? 私達はもうちょっと手間をかけるわね。まずマンディオカの皮を……」

 答えかけ、突然の思いつきにニエベブリッサは言葉を止める。

 森本大尉達は知識を欲している。それを何の見返りも無しに渡す事も出来るが、こちらも知りたい事があるのだから交換材料としようと。

 少なくとも森本大尉達が奴等のように森に害為す者であるかは知らねばならないし、異世界から来たのならどんな世界から来たのかも興味がある所だ。

 聞き出す口実と材料が出来るのは良い事。上手くやれば、きっと色々教えてもらえる。

 ニエベブリッサは素晴らしい発想を得た事と、湧き上がる好奇心と期待に笑顔を浮かべずにはいられなかった。

「ねえ、森で採れる色々な食べ物の事を教えてあげるわ。だから、ボスケライス達の事をもっと教えなさい」

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