森本中隊木叢ニテ出会フ

曾爺ちゃん「猿退治も難儀だったが、退治した猿の後始末も難儀でなぁ」

 緑猿襲撃の翌日。地下河川のほとり。

「偵察より戻りました。周辺に猿の姿なし。完全に逃げ散ったものと思われます」

 外は夕刻の迫る頃、洞窟の外に偵察に出した金田二等兵の報告を聞く。時間が時間だけに軽く周りを見に行かせただけだったが、やはり緑猿共は消えていたそうだ。

「かなりの数が来ていたようで、周囲には無数の小さな足跡を始め様々な痕跡が残されおりました。おそらく、攻め寄せた猿の大多数は洞窟に入りすらせずに逃げたのだと」

 凶暴ではあったが、臆病な所もある猿で助かった。最後の一匹まで来られていたら、どれだけ損害を出したかわかったものではない。

 そんな事を考えながら僕は、昨夜の戦いでの負傷であろう、金田二等兵の頬に浅く刻まれた引っ掻き傷を眺め見る。

 緑猿の襲撃で死者こそ出なかったが、負傷者は多数出た。

 一番の重傷者は入り口の塹壕で歩哨に立っていた兵達で、襲撃を知らせた一報の後に緑猿から袋叩きにされていた所を、側に居て駆けつけられた兵等で救出したという。

 救出が遅れていたらどうなっていた事やら、最初に遠慮無く機関銃を撃たせていればと思わずにはいられない。

 その他の者も含め、戦いで負傷した兵達は掻き傷、噛み傷、打撃による打撲や骨折で軍医の元へと送られた。戦線復帰出来るかは定かではない。中隊内での再編成は必要だろう。

 一方、消費した弾薬は仕方の無い消費だと割り切る。そもそも、消費を惜しんだ事で出した被害だとも言えるのだから。

「他に気付いた事はあるか?」

「仕込んだ犬がおれば群れを追えたでしょう。残念です」

 そう答えるか。よくは知らないが、猟犬がいれば狩りには大きな力となるのだろう。残念ながら無い物ねだりだ。

 それに、現状で緑猿に追撃を行う予定も無い。

「犬は無理だな。猿は、再び攻めてくる兆候が無いならば良しとする。ご苦労だった」

「はっ! では、獲物の処理に入ります!」

 苦労を軽くねぎらって金田二等兵を解放してやる。

 彼に与えた命令はないので少し休んでくれるかと思ったが、喜々としてこの地下河川で作業をしている兵達の仲間に入っていった。

 そう、緑猿の襲撃は悪い事ばかりだったわけではない。僕らは大量の猿肉を手に入れていた。

 今、怪我をしなかったかあるいは軽傷だった兵達の手で、集められて内臓を抜かれた緑猿の死骸が紐でくくられて川へと沈められている。肉を冷やし、腐敗を遅くする作業だ。

 緑猿との戦闘、その後の残敵の捜索と殲滅。それをやってる内に朝となり、そのまま休みも出来ずに緑猿の死骸運びだ。兵達には酷だろうが、猿肉とはいえ飯のため、耐えてもらうより他ない。

 冷やした緑猿を水から引き上げ、それから解体している。金田二等兵もそこに合流して作業を始めていた。

 緑猿は人型をしてるので、その解体は気持ちの良い光景ではないが、皮を剥がし、骨から剥ぎ取った物を見ればそれはまさしく肉。食い物だ。

 毒味を済ませ……今回はさすがに僕が毒味する事を中島曹長が許さなかったわけだが、ともかく毒味は行われ、食えると結論が出ている。

 解体されて得られた肉は、とりあえずという事で山積みにされていた。

 解体の傍らでは、肉はひとまず置いておき、解体で出た骨や臓物を大鍋に入れて煮ている。骨に残った肉と臓物とで兵達の飯にしようと、食事当番の兵がアク取りをしていた。

 とりあえず、それで兵に腹一杯食わせられそうなのは行幸だ。

「おぅい、森本くん! 森本大尉! 漬け汁を持ってきたぞ!」

 と、いきなり響く声。踏み込んできたのは小林大尉と、その配下の兵だ。

 その背後には彼の部隊の兵が荷車に樽を積んで従っていた。

「小林大尉。ご苦労様です! 突然の事にご対応ありがとうございます!」

 同階級ではあるが、こちらが年下なので敬語が出る。

 僕は小林大尉に連絡を取り、頼み事をしていた。

 大量の猿肉。しかしそれもすぐに腐ってしまうだろう。そこで、干物にでもすれば良いという安易な考えだ。

 本島は流木と海水には事欠かない。僕らが調味料として塩だけは使える理由もそこにある。元製塩職人の兵が居たのも幸いしたが、まあその辺りは小林大尉の領分だ。だから、本島に報告に行った時についでに頼んでいた。

 塩が大量に欲しいと。

 小林大尉が持ってきたのはそれだろう。

 しかし、小林大尉は申し訳なさげに苦笑する。

「いや、頼まれた塩の用意は出来なかった。さすがに量がな。時間があれば何とかするが、肉が腐る方が先だろう」

「はい? それでは仕方ないですが……その樽は?」

「言っただろう。漬け汁だ。海水を煮詰めた物だな」

 言って小林大尉は樽を叩く。中で水が揺れる音がした。

「離島で漁師やってた兵が、故郷じゃ塩じゃなく、これに漬けて干物にしていたと言ってな。他に手も無いし、採用したわけだ。おかげで随分と運ぶに苦労した」

 海水を釜で煮詰めて濃くした物。塩を作る過程でいつも作っているそれを持ってきたのだろう。なるほど、液状でも塩が十分に濃ければ良いわけか。

 以前に作業の効率化のため部隊を再編成した時に職能で割ったので、こちらには漁労をしていた者はいない。猟師や鉱夫なら居るのだが、彼等の仕事場は山だ。山まで海水を運んで干物を作るなど考えもしない。

「どう使えば?」

「肉を漬けて塩をしみこませてから干せば良い。塩を擦ってから干すのとそう違わない。ここで漬け込んでから本島に運ぼう」

 肉を干すのは本島でだ。木叢島は樹木の枝葉が天井を作っていて地まで日が届かないし、肉を狙う虫や動物もいるので干物作りには向かない。

「漬け汁を本島に置いておき、肉だけ運んだ方が楽なのでは?」

 問いを投げると、小林大尉は首を傾げた。

「生肉に長旅させるのもなぁ。痛まないか?」

 正直な所、何が正しいかは誰にもわからないのだ。

 狩猟経験者がいるので少量ならどうとでも出来るのだが、一度に量を仕込むとなると勝手が違う。

 その辺は小林大尉も同じで、魚なら大量に加工するといった事があるかもしれないが、逆に肉の扱いに疎い。

 いや、僕は肉も魚もどう加工するものやらさっぱりなのだが。

「魚よりは生でも保つそうですし、洞窟内は涼しいので傷みにくいと思いますが……」

 男二人で首を傾げる。が、飽きたのだろう小林大尉は首を横に振りつつ行った。

「まあ、これからも狩猟の機会はあるだろうし、作業のほとんどをこちらでやれた方が捗るだろう? 漬け汁であるとか、塩であるとか、運ぶだけで良いのだからこちらは気楽なものさ」

 運ばされる方はどうだろうなぁと思って小林大尉の部下の兵達を見る。

 だが、意外に不服感は見えなかった。それよりも、鍋で煮られているものに御執心の様子。なるほど、役得があればこそ、不満も無いわけか。

「では、荷運び作業の為の力をつけるためにも一杯食っていってください」

 言って当番兵に目配せする。緑猿のガラと臓物の塩汁などというゲテモノではあるが、食っていってもらおう。

 小林大尉の部隊は漬け汁を降ろす作業を極めて迅速に済ませ、各自、飯盒を持って鍋の前に並んだ。

 惜しみなく、たっぷり注がれる猿汁。

「食ってよし」

 小林大尉の命令一下、兵達は一斉に食事を始めた。

「あまり美味い肉じゃないなぁ」

 小林大尉も肉を食い、苦笑して呟く。

 筋があって固く、臭みがある。が、食えないほどではない……まあ、空腹を抱えている僕達に食えない物は毒物くらいなのかもしれないが。

「野ブタはよかった。あれが山ほど獲れればな」

 しみじみと言われて、僕は苦笑交じりに小林大尉に返す。

「そう上手く行きません。何もかも手探りです」

 でなければ、どうして毒芋なんぞ食おうか。

 小林大尉は同感だとばかりに頷いた。

「こっちもなぁ。どれが食える魚やら、毒魚かもしれず……と、そうそう。五十嵐くんがな。言っていた。森本くんの食べた芋、蒟蒻芋のような物だったんじゃないか? と」

「蒟蒻ですか?」

 ブルブルと震える灰色の塊を思い出す。だが、あれがどうした?

「ああ、あの蒟蒻だ。蒟蒻芋という芋から作るらしいんだが、その芋はそのままでは食えた物ではないらしい」

「加工の途中で毒を抜くんですかね?」

 蒟蒻の作り方など、学校では教えてくれないからなぁ。

 その辺は小林大尉も同じ。海に詳しくとも、蒟蒻の事など知りはしない。

「わからん。わからんが……豚が食っていたんだろう? 人間様でも食える方法があるかもしれないから、今度見つけたら幾つか持ってきてくれと」

「了解しました。次は資料の確保に努めます」

 農に詳しい五十嵐大尉に任せれば、何かしら答えは出してくれるだろう。答えが出て、改めて食えないという事になったとしてもそれはそれだ。

 次の探索では、あの芋をもう一度手に入れてみよう。

 それから飯を食い終えた小林大尉は、兵達に漬け汁の樽を下ろさせ、別の空き樽に猿肉を詰めた上で浸るぐらいに漬け汁をかけた物を運んで帰って行った。

 小林大尉の隊は人員を換えて何度も漬け汁を運び込み、その度に緑猿のガラと臓物の塩汁を食って帰る。

 こちらは、幾らでもある緑猿の解体を、隊の総力を傾けて続けたのだった。

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