森本中隊木叢ヲ偵察ス

曾爺ちゃん「それから毎日、森を歩き回ったさ」

 僕らは木叢島の偵察を開始していた。

 率いるは頼れる中島曹長以下一個分隊。ただし、兵達の顔ぶれは初回とは異なっている。金田二等兵をはじめとして、狩猟経験者を中隊内から集めて配置した。

 理由は言うまでもない。野生動物への警戒と、狩猟による食糧確保が目的だ。もちろん、現段階では狩猟は控える予定でいる。だが、環境に慣れておくのは重要だろう。

 何にせよ。今は偵察が最重要だ。

 地面の高低がほとんど意味がないほどに巨木に地表を覆われたここでは、高所に行って俯瞰しても巨木の枝葉しか確認できない。地表に居るだろう敵の姿を確認する事は不可能だ。ならば歩き回って安全を確保するしかない。

 とりあえずは北東の海岸線へ向かうと決める。米軍がいるかいないかだけでも確認しなければならない。

 木に登って遠く眺めた金田二等兵の報告によると、地上に港や基地も、海上に艦船の姿も無いと言う。米軍が上陸してどこかへ移動済みの可能性までは否定できないが、そうならば浜から上陸したはず。何かの痕跡があるはずだ。

 僕らは方位磁石を頼りに、敵の姿を探しつつ、帰り道を見失わない事に注意を払いつつ進む。

 緑は濃く、木々の幹は視界を通さない。位置を見失えば容易く迷い、帰還は絶望的になるだろう。

 慎重に進み、現在位置があやふやになれば戻り、新たに進みなおす。

 道程は全く進まない。

「昼飯に困らないのが救いでありますな」

 中島曹長が皮肉げに言いながら、長い木の棒の先に銃剣をくっつけた手製の槍で地面を突いた。金田二等兵の話だと、こんな槍でも真のマタギならば熊をも殺すらしい。

 手繰り戻した槍の先には、草色の蛇が刺さってのたうっている。

 小さいが毒蛇だ。以前に捕まえて牙を調べてそれを知った。その毒がどの程度のものかは未確認だが、試してみる気にはならない。

 中島曹長は、槍の先を地面に下ろし、蛇の頭を踏んで穂先を抜く。そしてすぐに蛇の首に穂先を突き立てて切り落とした。

 こうなっては、毒蛇も形無しだ。頭を失ってなお地面の上で暴れる蛇を、中島曹長は拾い上げて傷口から内臓を掻き出し、血が流れきるのを待って、大きめの木の葉で包んで雑嚢に放り込む。

 肉を食べられない事もないが、この蛇は肉付きが良いとはとても言えない体格なので、食糧としては物足りない。一人の一食分といったところだ。食用というより、噛まれる危険を避ける意味で殺して、ついでにいただくという処か。

 密林には結構な数の動物がおり、こうして度々遭遇する。

 薄暗く湿った環境が良いのか蛇や蛙が多い。もちろん、日本では見ない種類ばかりだ。腕より太い蛇、西瓜よりも大きい蛙なんかがゴロゴロいる。

 それらは概ね、食糧として利用された。幸い、まだ致命的な毒には当たっていない。触ると酷くかぶれる蛙なども居たので気をつけねばならないのだが。

 虫の類は、探せば見ない事がないという程いるが、虫は毒虫が珍しくないのが何とも。

 蝗の様な物なら火で炙ってサクサクといただけるのだろう。蝉もいけると言った兵もいた。しかし、それらに近い虫は見かけない。

 日本とは、これほどに植生が違うのだから、そもそも居ないのか、形が似ていないのか。野ブタに手足がはえるのだから、虫が奇想天外な姿形をしていても不思議はない。

 実際、蝶か蛾かわからないが、森の木々の合間をヒラヒラと誘う様に舞い飛ぶ虫の艶やかさは見事だった。ついて行きそうになり、ああいうのは山の物の怪の仕業だと兵達に止められた記憶は新しい。物の怪は迷信でも、言ってる事は正しい。

 それはともかくだ。

「蛇じゃなくて、野ネズミが獲れると良いのだけどな」

「あれは良かったですな。肉があって、味も良い」

 犬くらいある野ネズミが獲れたのは昨日か。凶暴な奴だったが、一匹だけだったので何とか皆で突き殺し、美味しくいただいた。

 しかし、銃無しで獲れる獲物はそれぐらいが限度だろうし、数を多く獲れるわけでもない。現状、偵察を行っている分隊には十分な食料を得ているものの、他に配れるほどではなかった。また、植物質の食糧も得られていない。

 毒を警戒しだすと、動物よりも植物の方が危険だ。煮炊きしてなお致命的な毒をもつ動物は少ないが、植物には幾らでも存在する。だから、その辺の物を根拠もなしに口に入れることは出来ない。

 野ブタが餌にしていた芋が見つかるといいのだが、芋は地中に実る物だけに発見は容易ではなかった。よく知る芋蔓に似た植物は無いかと探してはいるのだが。

「さて、弁当を仕入れたら進もう」

 冗談交じりに言って歩みを進める。

 そんな事を繰り返しながらの偵察行。

 道を確定させて浜に辿り着いたのは、その数日後の昼前頃の事だった。




 白い砂浜。水平線遠く広がる海原。しかし、風景画にするには多すぎる流木が邪魔か。

 浜は、白く色の抜けた大小の流木で埋め尽くされていた。おそらく、周辺の森から海に流れ出た倒木や枯れ枝などが、海流の関係で集まるのだろう。足の踏み場に困るくらいに流木が敷き詰められている。

「……ここから米軍上陸の線は消えたな」

 僕はそう判断を下す。

 歩兵だけなら揚陸できない事もないだろう。しかし、弾薬食糧などの物資を陸揚げするには流木が邪魔すぎる。となれば、隠す必要もないのだ。流木を撤去して作業しやすくする筈だ。

 そして、そんな痕跡がここにはない。

 かといって動くものも無いかというとそうでもなく、浜には浜の生き物がいた。

 流木の間を這い回る大小の蟹。

 見慣れた手のひらくらいの蟹ばかりか、一抱えくらいある蟹がいると思えば、それが最大かと言うとそうではなく、波打ち際に甲羅が四畳半一間くらいはありそうな蟹がいて波に洗われていたりもする。

 むしりむしりと鋏で何かを千切っては食べているのでよく見れば、それは僕らも良く知る野ブタだった。つまり、あれは野ブタくらいなら捕食するのか。

「南洋の蟹はでかいな」

 唖然としつつ感想を漏らす。さすが南洋、何もかもが大きい。そりゃあ、野ブタに手足も生えようというものだ。

 そう自分に言い聞かせるも、やはりああも大きければ驚きは隠せない。僕らはしばらくの間、手足を含めればちょっとした小屋くらいありそうな巨大蟹に見入る。

「大尉殿。蟹は食えますかね?」

 と、中島曹長が、小さい方の蟹を指さして聞いた。

 言われてみればだ。

 蟹は幾らでもいるように見える。食糧に出来れば助かるだろう。

「おそらくは食える。あの野ブタも、蟹獲りに来たんだろう。だが、あの馬鹿でかい蟹がいるんじゃあ無理だな」

 僕が指したのは、蟹の餌となった野ブタ。

 こんな蟹しか居ない浜辺に何をしに? 蟹を食いに来たと考えられないか? ならば蟹に毒は無いだろう。

 しかし、あの野ブタをとらえて食べるくらいの蟹だ。のこのこ近寄れば、僕らも餌の仲間入りだ。

 そして、蟹のあの巨体。銃を使わないで仕留められるものでもあるまい。

 しかし……だ。巨木の乱立する森の中では、あの巨体は動かせまい。波打ち際で伏せて、砂浜に出て来た獲物を襲うのが巨大蟹の戦略だろうか。

 ならば、森の中にいる限り、こちらは安全という事だ。

「諸君、蟹釣りと洒落込もうか」

 浜には巨大蟹がいて危険。ならば、森の中から蟹を釣ればいい。

 沢で蟹を釣る要領だ。と、わかれば、兵達皆が懐かし気な笑みを浮かべる。子供の時分にやっていただろう事は想像に難くない。

 そして僕らは森へと戻り、紐代わりの蔦やら餌にする蛇やら蛙やら虫やらを集めてきた。

 蔦の先に餌を縛り付けて準備は良し。

「各員、投擲!」

 号令。そして兵達が、暗い森の中から、日差しに白く輝く浜へと一斉に仕掛けを投げる。

 後は、ひたすらじっと待つ。

 蔦の先につけられた餌。手頃な蟹がそいつを鋏で挟んだら、蔦を引っ張って森の中へと手繰りこむのだ。

 入れ食いとは言えないが、ややあって兵達は次々に蟹を釣りあげた。

 そうして捕まえた蟹は、鋏に枝でも挟ませて細い蔦や草の茎で縛り上げてから背嚢にしまう。

 何せ、あの巨大蟹とは比べ物にならないとはいえ、十分に大きい蟹だ。後で背嚢から出す時に、不用意に手を突っ込んで指でも挟まれたらどうなるか。

 が、どうも僕はそれを試す機会にはあずかれないらしかった。

「中島曹長。上手くいかんものだな」

 僕の餌に、蟹共は見向きもしない。

 他の兵と同じものをつけているのに、何故だ。

 投げておけば勝手に食いつく様にしか見えないものに、コツがあるとも思えないのだが。

 苛立ちを募らせながら、今もまた蟹に足蹴にされていく紐の先の餌を睨む僕に、僕とはそう違わない場所に餌を投げている中島曹長は答える。

「戦闘は兵に任せ、将校は後ろで指揮するものでありましょう。将校が直接の戦果を挙げずとも、何ら問題は無いと愚考します」

 それは慰めか?

 手にした蔦を引いた中島曹長は、その僅か後に飛び切り大きな蟹を手にしていた。

 部下の武功。褒めこそすれ、貶しはすまい。だが、しかし。大人げないと言われようが、釣果に不満を抱いて愚痴りたい気分はいかんともしがたい。

 こうなれば、せめて一匹でも。

 決意を新たに釣り紐を握る。

 と、紐の先で餌が揺れた。

 揺れる? そんなはずはない。肉の切り身が動くものか。

 ならば、砂が動いた?

 そうだ。砂がわずかに盛り上がっている。そこらにいた蟹共が、大慌てで逃げていく。

「くそっ! 総員、退避ーっ!」

 僕が声を上げた後、僅かに遅れて浜で砂が爆発した。いや、そう見えた。

 実態は、巨大蟹が砂の中から、砂を跳ね飛ばしつつ飛び出したのだ。

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