森本中隊木叢ニ危難ヲ味ワフ
曾爺ちゃん「色々叱られたが実際全くその通りで、ここまでは運が良かっただけなんだなぁ」
翌日からもまた僕らは、偵察と言う名の食糧探索へと出かけていた。
今まで通り、帰り道を確かめながら密林を歩く。とはいえ、今度は蟹がいた浜の時の様に明確な目標はないので、地形を確認しながら当所なく彷徨する態になる。
植物質の食糧が手に入ればいいのだが、そう上手くもいかない。
この密林はラバウルやパラオ辺りとは植生が異なるらしく、ここに来る前に長くいた事のある兵に聞いても見知った植物は無いそうだった。
動物に比べて致命的な毒を持つものが決して少なくない植物を、物の試しで口に放り込むわけにはいかない。
何か、これは食えるというしるべが欲しいものだ。
「これが故郷の山なら、山菜でも何でも採って来られるんですが」
僕の脇を歩いていた金田二等兵が、草をむしり取ってみたりしつつ呟く。
故郷か。今はどんなだろうと考えて初めて思い出した。
今、内地は冬。
思ったままそれを口に出そうとしたその時、中島曹長の怒声が静かに響く。
「金田二等兵。無駄話をするな」
大声ではない。だが、ずっしりと重く叱責の意思がこもったその言葉に、僕は思わず身震いした。
至近弾の僕でそうなのだ。直撃した金田二等兵は一溜りもない。
「了解であります、曹長殿」
まるで跳ねるみたいにして直立姿勢を取り、了解を発してから口を固く結ぶ。
それを見て中島曹長は頷き、それから僕に囁いた。
「故郷を語れば、里心がつきます」
帰れない土地でそれは辛かろう。口に出す前にそれを悟れない僕は、つくづく人の上に立つ人物じゃあない。
しかし、何の因果か自分はその立場だ。投げ出すわけにもいかない。せいぜい、あがいてみるしかないのだろう。
一人、落ち込みながらも自分を奮い立たせようとする。
その時、先見に行かせた兵が帰ってきたのを見た。
何かあったか?
しかし、兵の顔に焦りや恐怖は無い。ただ、何かを発見したというそれだけか。
「どうした?」
「進行方向に猿がいました。かなり大きい、毛の薄い緑色の猿です」
問う声に、やや潜められた報告が返る。大声ではその緑猿とやらに聞こえると言う事か。
「猿か……食えるのかな」
あさましいが、どうしても知りたい事はこれに尽きる。食ったという話は浅学故に知らないが、逆に毒猿なんてのを聞いた事もない。
兵達を振り返り見る。狩猟経験者ばかりだが、日本各地からの寄せ集め。反応は様々で、首を横に振る者も縦に振る者もいる。
「あまり食う話を聞きませんね。殺すのさえ、人に似てて嫌だと言う猟師もいます。殺そうとすると庇いあったり命乞いしたりで、自分の方が鬼畜生か何かに思えるのだとか」
口にした問いに、金田二等兵が答えてくれた。
だが、その答えに、報告していた兵が苦笑と共に首を横に振る。
「うちとこじゃ食ってましたが、確かに嫌がる猟師もおりました。でも、日本の猿と違って随分と憎々しい面構えの猿でしたから、情け心は湧きませんや。とはいえ、お世辞でも美味そうだとは言えませんが」
「……とりあえず、現物を見ようか。食えるなら拾い物だ」
報告だけで判断を下す事は出来ず、僕はその緑猿とやらが見える位置までの前進を決める。
「全員で行っては気づかれるだろう。忍び足に自信のある者、四人だけついてこい。中島曹長は残置の兵を掌握しつつ待機だ」
またかという目で僕を見る中島曹長だったが、小さく頷くと腹を決めて言った。
「残る者は小休止だ。いつでも動けるように気を配りつつ、体だけ休ませろ」
なかなか難しい命令を出す。
その間に僕は、緑猿の件を報告した兵に先導を促して歩き出す。その後に、四人の兵が従った。。
兵は十人の分隊だから、ちょうど隊を二分した形か。
僕らは密林を音静かに進む。兵達は、僕以外はカサリとも音を立てない。
ややたってから先導の兵が足を止め、無言で前方を指さした。
木漏れ日が差し、そこだけが探照灯を浴びたかのように明るい草の茂み。
それを取り囲むように灰緑色の猿が三匹いて、手には木の枝や石を持ち、何やら地面を掘っている様だった。
よく知るところのニホンザルよりもずっと大きく、子供ぐらいの大きさがある。毛はほとんど生えていないようで、灰緑色はそのまま肌の色だ。
愛らしさなど微塵もない歪んだ面相をしており、確かに美味そうには見えない。
「不味そうだな。しかし、何を掘ってるんだ?」
気になったのは緑猿達の動作。不器用そうだが、確かに地面を掘っている。
その動きを観察していた兵が、首を傾げて言った。
「山芋掘りに見えますが」
「芋。芋か……」
以前、野豚の腹の中を検めた時、芋らしき塊を発見したのを思い出す。
「肉よりも良い物を見つけたかもしれないな」
ほくそ笑み、僕は軍刀を抜きながら命令を下す。
「突貫用意。仕留められなくとも、追い散らせれば良しとする。全員、声を上げつつ後に続け」
頷いた兵達が準備をするのを見てから、僕は緑猿共に向かって駆け出した。
「うおおおおおおおっ!!」
叫ぶ。
その声に緑猿共は作業の手を止めて振り返り、驚愕と言って良いだろう表情を浮かべた。
それからの反応はバラバラだった。
威嚇らしい唸り声をあげる奴、慌てふためいて腰を抜かす奴、そして穴から一気に何か引っこ抜いて逃げ出す奴。
──それだ。置いていけ!
目標を定めて一気に走る。緑猿の足は遅い。距離は縮まっていく。
「ギャア!?」
背後で悲鳴。兵が、緑猿の一匹でも殺したか。
僕の先を行く緑猿がチラと後ろを振り返り、顔を歪ませ、足をもつれさせる。その隙を逃さず、僕はさらに距離を詰め──
だがその時、緑猿は手に持った物を僕に向けて投げつけた。
当たらない。が、それは僕の肩の上を通って背後へ落ちる。
緑猿はあと一歩踏み込めば背を断ち割れる距離にある……
「……」
僕は足を止めた。
緑猿は茂みの向こうへと飛び込み、そのまま走り去っていく。
それでいい。緑猿を殺すのが目的じゃない。
見送りもせず、振り返った僕は、地面に転がっていた泥だらけの塊を拾い上げた。
それはやはり芋か何かの様だった。
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