▼密林の中 シャナ

 薄暗い密林を歩む、黒紫の髪に褐色肌のエルフの少女。

 身に纏うは様々な呪力を込めた石や木の実や木玉を綴った玉石の貫頭衣。膝までを覆うそれのみが着衣。

 腰には石のナイフと呪毒を塗った吹き矢を詰めた矢筒。手には杖の様に長い吹き筒を持っているが、今は概ね茂みを掻き分けるのに使われていた。

 彼女、クエレブレの餌場たる森を守護する巫覡の一族の者であるイハデスルヌベ・ニエベブリッサはシャナである。

 最近、森が騒がしい。

 霊的にではなく、歪みもなく、単純に騒がしい。

 何か大きな魔物が縄張りでも広げて来たか、もしくは奴らが入り込んできたか。

 その調査の為に森を見回っていたのだが、何せ森は広い。調査に時間がかかる事は覚悟せねばならなかった。

 だが、今日、森の中に響いた音。それは、今までに聞いた事の無い音だ。

 それと森を騒がすものとの関り。疑うには十分だろう。

 彼女は音の発生地点を目指していた。

 警戒しつつの移動だったため、また一度音が鳴ってからは無音だったため、現場へは音が鳴ってからだいぶ経ってからの到着となる。

 そこにはもう、音を発したと思しきものは存在しなかった。

 しかし、そこに何かがいた証拠は残っている。

 それはジャイアントクラブの死骸。奇妙な事に、その手足はもぎ取られて無くなっていた。

「うそ……ジャイアントクラブが狩られたというの?」

 声に表情に驚きの色がにじむ。

 ジャイアントクラブは、海岸の支配者だ。

 いかなる攻撃も通さない堅牢な甲殻、そして多少の傷では怯みもしない頑丈さ。人を両断するも容易い鋏と、疲れを知らない足。

 シャナである彼女でも、精霊の力を借りて倒せるかどうか。

 しかし、ここにジャイアントクラブの死骸は存在している。

「ちょっと邪魔するね。ごめんなさい」

 既に虫や小動物が集まって肉を求めて傷口から殻を出入りしていた。それらに声をかけると、邪魔にならないように虫や小動物が場所を開ける。

 彼女はあらわになった傷口に指を這わせた。

 まず、一番大きな傷である脚の切り口。殻が薄く柔らかい関節の部分。傷口はギザギザで荒れている。

 脚を切ったのはジャイアントクラブが死んでから。何か重たい刃のような物で何度も切りつけたのだろうか。生きている時に行える傷のつけ方ではない。

 死因はむしろ、腹側を砕いている一撃のせいか。

 焦げと割れ、そして食い込んだ小さな破片が、ジャイアントクラブの腹の辺りを黒く染めている。

 奴らが使う魔法か? 火の玉を投げる術があるとも聞く。しかし、奴らの魔法に付きまとう、世界の在り方を歪める嫌な感じはしない。

 かといって、精霊の力を借りたなら、その精霊の痕跡が残るので、他のシャナの仕業ではない。

 まるで、何もかも自然に起こった事の様だ。

 炎を吐くとかの魔獣? ありえなくもない。

 彼女はその正体を推理しながらジャイアントクラブの殻を調べていたが、その時、指先に小さな穴が引っ掛かった。

 ジャイアントクラブの体に広がる、叩きつけて焼き砕いたような傷とは違う、分厚い殻を穿つ小さな穴。

 矢傷にも思えるが、ジャイアントクラブの甲殻を貫く矢など存在しない。

 不思議に思い、ナイフを抉り入れ、殻を削るようにして穴を広げる。殻は叩けば堅いが、擦り削られると弱いし、皹も入っているのでボロボロ崩れていく。ややあって何とか手が入るくらいに穴を広げた後、彼女は殻の中に手を入れた。

 肉を掻き分けながら中を探り、指先に引っかかった物を抓んで手を抜き出す。

 手の中に小さな石が転がった。形は潰れた粘土玉のような感じで、鏃などではない。こんな軽い礫で、堅い殻を貫いたというのだろうか?

「何なのかしら……」

 その正体はわからない。しかし。

「それが何処かへ去ったのは確実みたいね」

 呟いて足元を見る。そこに何かの痕跡が無いかと。

 何かの足跡がある。おそらく、人種の何か。足指の無い足跡。やはり奴らか?

 数は多数。ムカデの様に足が沢山在るとかいう想定はしなくても良いだろう。

 それはジャイアントクラブの骸の周りを踏み荒らし、そして森の中へ続いている。

 追跡は出来るだろうか?

 森の掃除屋が足跡を消してしまわなければ良いのだけれども。

 とりあえず追う事にして、彼女は森を歩き出した。

 足跡が消えてしまう前に。しかし、奴らや、そうでなくとも危険な存在である可能性も考えて、決して追いついてはいけない。

 先にんじて一方的に見つけられれば良いのだけど……と、考えるも、都合良くいかないのが世の習いだ。

 彼女は森の地面に足跡を探しつつ、慎重に周囲を観察しつつ、自らの気配と痕跡を消して。故に遅い速度で歩を進めるのだった。

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