曾爺ちゃん「そしてまた密林に戻った」
緑猿の襲撃から幾日か経ち、ようやくその処理を終えて、再び密林探索が行われていた。
なお、あの日から緑猿の姿を見る事はない。あれほどの大群だったのだから、少しは見てもよさそうなものなのだが、すぐに移動してしまったのだろうか?
出来上がりたての緑猿の干し肉を齧りつつ、少し残念に思う。
南洋の強い日差しに干し上げられた肉は、それでもまだ脂を含みしなやかで、口に入れただけでその強い塩味に唾が溢れる。
噛めば肉の味が広がり、なかなか噛みちぎれないその弾力に四苦八苦している内に口の中が肉の味だらけになるという代物だ。
干した猿肉もそう美味いものではないが、干して水気とともに臭味も抜けたか普通に煮炊きして食べるよりは美味い気がする。
持ち運びに便利で行動食として有用だと感じられた。
塩辛く、喉が渇くのが難点ではあるが、幸いな事に僕らは水には困っていないので、水筒を必ず満たしてから出発する事でしのいでいる。
水筒の水を一口やりながら、僕は辺りを見回した。
今回の探索の目的の一つは例の毒芋の採取。まずは芋の情報を探る為、やってきたのはあの緑猿との遭遇した場所だった。
とは言え、あれが起こったのは何日も前で、もはや痕跡も残らないだろう。
同じ植物なら、同じ様な場所にあるかもしれないと考えての事だった。
「この辺りだと思ったが、こいつは……」
掘り起こされた跡が残る地面。そこには既に周囲から苔や草が浸食してきており、斑に緑がついている。
その中で異彩を放つのが、樹高1mほどの一本の低木であり、地面に倒れた状態にありながらも青く葉を茂らせていた。
思い立ち、その側に膝をついて、低木の下の土を除けてみる。と、その根には折り取られた痕跡が残りつつも、新たに根を伸ばし出していたのが観察された。
「多分、これだな。なるほど、見つからないわけだ」
これまで、芋という先入観から、ジャガイモやサツマイモの様な芋蔓、タロイモの様な草様の物を探していた。
しかし、この植物は低木であり、細い幹から天狗の羽団扇に似た形の葉を茂らせている。
「南洋の芋なのだから種が違う事を想定してなかった。姿形が全然違う」
「こいつなら、あちこちで見かけますな」
中島曹長が辺りを見渡しながら言う。
思い返してみれば、それほど珍しい植物でもない。行軍中、かなりの頻度で見ていた筈だ。その下を掘れば良かったのだと知り、芋を探し歩いた時間を思って、何とも言えない徒労感を感じる。
が、僕はその徒労感を押し込めた。
「なかなか強い植物の様だからな」
毒があるのは、その耐性がない動物には食われないという事だ。
その上、かなり生命力が強いのだろう。掘り出され、投げ出された状態から、既に新しい根が出てきている。
敵がおらず、生命力も強いとあれば、あちこちに繁茂していておかしくない。
「手に入れやすいのは良いのだが、毒だからなぁ」
あの毒の衝撃はまだ消えていない。
これが食えれば、食糧事情はかなりの改善となるのだが。
「しかし、猿共は、掘り返して何をするつもりだったんでしょうな?」
中島曹長が独り言の様に問いを投げる。
これに関しては僕もわからない。毒でもかまわず食えるのか、それとも何か利用する習性でもあるのか。
「わからん。猿のすることだからな」
とりあえず僕は、横倒しになっていた芋の木を立て直し、掘り返されていた土をかけてしっかりと植えた。根が出かかっているのだから、植え直しておけば根付いてまた芋がつくかもしれない。
「さて、芋の外観はわかったわけだ。少し分散して、この辺りに同じ植物が有るか確認を……」
「大尉殿。分散は拙いかもしれません」
手分けして探した方が早いかと思いついた僕に、中島曹長の物言いが入る。
「なんだ? ああ、分散して再集結出来なかった場合か? この編成ならば大丈夫と思うが、確かに危険も孕むな。大事をとって……」
「いえ、そうではなく」
言い返そうとした僕を、中島曹長は周囲に対し警戒の目を向けたまま遮る。
「お気づきになりませんか? 何かに見られております」
「は?」
いきなりの事に、妙な声が漏れる。
「待て、米軍か!?」
次には、最も警戒すべき存在が脳裏を突いて出た。
その声に、兵達がビクリと反応する。ああ、いや、浮き足立つのは拙い。
「動くな! いや、落ち着こう」
そのまま動揺しそうな兵達を静止する。そして、中島曹長にただした。
「見られているのは確かなのか?」
「こいつは気配って言うんですかね? 勘みたいなもんで、確かとはとても……」
中島曹長は首を振って、自らの発言を否定する。
「不確かな事で申し訳ありやせん。ただ……むかぁし、ちょいと、似た感じを覚えた事がありやして」
「その時はどうなったんだ?」
順当なら、そんなのは気のせいだ。
だが、何か確信を持ってる風に語るのだから、気のせいですんではいないのだろう。
「……あまり、よくねぇ事になりやした」
舌打ち。苦々しい声。何かを伏せた気配。
なるほど、悪い結果があったのだろう。中島曹長ともあろう男が、確信も無いまま、説得力を欠く警告を出さなければならない様な。
伏せた事を問いただしはしないでおこう。きっと、今の状況には関係が無い事だ。
では、核心について考える。これを不確かな情報だと無視するか? 否か?
不確かな情報で軍を動かしてはならない。それは鉄則だ。
聞かなかった事にするか? いや、それも違うな。一つの情報としての価値はあるはずだ。確認が取れていない為、その価値が低くなっているのだとしても。
「とりあえず何かがいる前提で動こう。米軍であるか否かは確認したいな。追跡されて穴の場所を探られるのは絶対に避けなければならないぞ」
「どうしや……あー、いえ。どうします? 自分が偵察に行きますか?」
警戒と集中を僅かに緩める中島曹長の提案を考えてみる。
危険ではないか? 偵察に出し、その結果として部下を失うなど当たり前に起きる事だ。
いや、米軍がいるとした場合、ここは既に死地である可能性が高い。偵察に出された側が生き残る事すら有り得る。
落ち着こう。
状況はまだ、何かの気配を感じたという不確かなものでしかない。危機を予想するのは悪くないにしても、それに飲み込まれてはいけない。
優先は、その気配とやらが確かな物なのかを確認する事だ。
「わかった。二人連れて行け。米軍あるいは何か危険な動物がいた場合、交戦を避けて撤退。何も見つからなくても、機を見て帰還だ。我が隊はこの場から移動して……そうだな。最初に野ブタを狩った辺りまで後退し待機する。必ず日没前に合流しろ」
意を決して命令とする。更に緊急時の心得を付け加えた。
「日没を過ぎた場合、あるいは合流できないと判断した場合は、我が隊の捜索はせず、穴を目指して本隊と合流し、報告して指示に従え」
合流できなくなる可能性は存在する。
見ているのがなんであれ、僕らに襲いかかってきた場合などだ。
合流して一緒に戦い、撃退できるならばともかく、こちらの敗色が濃厚である場合には合流よりも本隊に状況を知らせる方が重要となる。
敵の存在を知らせぬまま全滅は絶対に避けるべきだ。
「これより必要な場合は銃の使用を許可する。行け」
「了解です。行って参ります」
返事を返し、中島曹長が兵二名を選択し、連れて隊を離れていく。
その背が藪の向こうに消えた所で、僕は残りの兵にも命じた。
「欺瞞工作を行う。二人ずつで組んで、中島曹長の出立と同時に分散せよ」
言いつつ、兵達の中から二名ずつの組を選抜する。
誰かが監視しているとして、隊から何名かが離脱したとしたら、そちらも警戒をするだろう。
ならば、離脱が不可解な出来事ではないと思わせなければならない。
つまりは単純に。隊自体が分散したと見せれば良い。
分散が危険な状況であるならなおさら大きな効果を得られるはずだ。
「警戒すべき状況だ、遠くへは離れるな。なおかつ目的があっての行動と見せかける為に、そうだな……各自一株ずつ、芋を見つけて採取して帰還しろ。近くで見つからなければ、その報告を持ってこい」
ついでに、ちょうど良いとばかりに芋の採取を命じた。
監視されているならば、何かしら作業をさせた方が誤魔化しやいだろう。
「了解であります」
返事を残し、兵達は出立していく。
そうして、僕の手元に兵は三人残った。
「大尉殿。我々は何をしますか?」
「待つしか無いだろう。周辺警戒を厳にしつつ待機だ」
残った兵に答え、そして手持ち無沙汰に天を見上げる。
今、最も危険なのは僕らなのかもしれない。
兵はいなくなり、手薄になった今。こここそが襲撃の絶好の機会だという想像は間違ってはいないだろう。
敵が米軍でも、何かの猛獣でも、来るなら今──
──だが結論を言うと、この覚悟は空振りに終わった。
分散した兵達は芋を確保して無事に集合。中島曹長も指定の地点で、夕暮れ前に合流する事が出来た。
偵察の成果は無く、何も発見できずに終わり、中島曹長の気のせいだったと言う事でその日は終わる。
そう、その日はそれで終わったのだが……
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